悪魔は笑う①
月の連邦宇宙軍幕僚会議の本部ビル地上四階。
ここには現在、宇宙軍の参謀、高級将校、そして月地表の治安を全面的に任されている旧地球陸軍の将校、加えてルナシティの市議会議員など主な面々が一堂に集って臨時のクーデター鎮圧作戦本部を設立し、今回の宮城裕太郎大将の反乱に対処していた。
その本部ビルの周りは戒厳令が出された事もありニュース屋や野次馬、一般市民は姿形も見当たらない。
月治安部隊ルナガードと宇宙軍の憲兵の車両という車両がほぼ総動員で市内を走り回るのだから、それはもう雅やかで平穏なルナシティには到底似つかわしくない恐ろしげな光景であった。
ルナガードの誇る都市防衛の切り札・多脚戦車ヴィシュヌが歩行者用の通路をショートカットして森林公園の芝生を踏み荒らし桜の樹を折りながら身を屈めると、ホバークラフト兵員輸送車フロッガーが幼年学校の生徒が作ったトーテムポールをなぎ倒して校庭に陣取る。
ベースボール用の白線は、軟質ゴムと強化セラミックとターマイト鋼の複合素材で出来た軍靴でかき消された。
モノトーンの市街地用モザイク柄の迷彩服を着たルナガード達は要人たちが集うビルの周囲、物陰に紛れるように待機して反乱勢力の襲撃に備えた。憲兵達は巨大な伝書鳩のような偵察ドローンを飛ばして周囲を監視、ニュース屋の覗き見用のカラス型ドローンを見つけては叩き落としている。ナカムラ軍曹はタランチュラと呼ばれる火星産の八本脚のドローン、蜘蛛を模した害虫駆除ロボットを放ちニュース屋が放ったであろう昆虫型のスパイ・ドローンを駆除していた。
「既に排水溝や通風口から昆虫型が入り込んでるかも知れん、何人かここにある電波探知機を持ってビルの中を歩き回れ! デバガメ野郎どもをあぶり出すぞ! なんだ? まだ多脚戦車は展開が終わってないんですか? ああん? 戦闘ヘリがまだ一台も到着してない、ってどういうことよ!? 第七、第八部隊のレンジャーがエグザスを持ち出して来る前に配備を終えないと。あいつらはゴキブリの何倍もしつこいからな! 急がせてくださいよ?」
リオルから直々に警備主任に抜擢されたナカムラ軍曹は得意顔で年上のルナガードの将校達に指図する。その指示はなかなかに的確だったが的確であればあるほどルナガードの将校達は憲兵への憎悪を深めていく。
旧地球陸軍は制度上は解体され、連邦宇宙軍の地上部隊という扱いで再編成されている。そのため今回のような軍人が何か問題を起こした場合にはナカムラ軍曹のように階級が遥かに下の憲兵の下士官が、ルナガードの将校を従えて警備をしたり反乱の鎮圧にあたる事がある。何せ憲兵は幕僚本部直属の機関であり、尚且つ地球の政府が管轄する機関でもある。軍の中にあって軍人達を監視する役目を持った特権階級だ。
これが憲兵達が海兵隊や守備隊の軍人達から毛嫌いされる最大の理由であり、リオルが憲兵総監の地位を守り続けた理由でもある。
『軍曹、どうだ。特に何も異常は無いかね?』
そんな大張り切りしているナカムラ軍曹宛てに有線電話でリオル大将から連絡がある。
ナカムラ軍曹は電話の向こうのリオル老人に敬礼しながら異常ありません、とハキハキとした口調で返答を入れた。
『現在、我々は国家の屋台骨を揺るがす大事に直面している。この難局を乗り切るには君のような若人の活躍が不可欠だ。頼りにしているよ』
軍曹は感激のあまり瞳を潤ませてリオルの言葉を聞いた。これでこの若者は益々、リオルの為に忠勤を尽くす事だろう。
◇
リオル・カフテンスキは体調不良を訴え、幕僚達が結論の出ない議論を続ける会議室を一人、後にした。
リオルのどっしりとした低い声には人を従わせる不可思議な力がある、そう評する人物は多い。これは生来の才能ではなく間の取り方から発音などに至るまで数十年に渡り磨かれてきた物で、後天的に得た立派なスキルだった。加えてリオルは外科的手術で声帯を弄り、人をリラックスさせる揺らぎの音を声に混ぜて放出する事が出来る、これは初対面の人間、特に若者にはすこぶる効果的だ。昔の政治家連中や芸能人などはこういう手術を受けていたらしいが現在では人心を惑わすような能力を得る外科手術は堅く禁じられている。特に80年ほど前の生物兵器の暴走事件以降、こういう遺伝子を弄ったり手術で超人を作り上げるような人体改造は禁忌中の禁忌として闇社会でさえも取り扱わなくなり、そのノウハウは失われてしまった。
リオルは少年時代、声変わりの時に当時の『飼い主』からこの手術を受けさせられていた。
声だけではない。
リオルは文字通り人体改造技術の生ける標本であった。大変貴重なサンプルであると同時に人類の科学技術の結晶であり、そして人類が闇に葬り去りたい過ちの塊である。
(幕僚本部ビルに入ってしまえば宮城の息の掛かった機動歩兵やレンジャーもしばらく此方に手出しは出来まいて。ルナガードのヘリや戦車部隊はこういう時は戦艦よりも役に立つ。予算委員会で粘った甲斐があるというものだ)
老人は地下のシェルターに入ると二重、三重のロックを解除して地球閥の特定の将校しか入室を許されない部屋に足を踏み入れた。大きなコンソールと、巨大なビューワー。50人からの参謀達がここで作戦を立案し、艦隊と連絡を取るために作られた司令室である。 リオルはコンソールを操作して特殊回線をひらいた。これは地球の、ロンドンの議事堂、議長室に直通の秘匿回線であり、大将以上でないとアクセス出来ないように厳しく制限が設けられている。
ビューワーには今にも怒りで破裂しそうな年配の紳士が映し出された。シルバーとマゼンタのストライプ柄という悪趣味なほど派手なスーツに真っ赤なネクタイをしており、髪は整髪料でバリバリに固めて不自然な形で波打っている。政治家や実業家というよりは映画俳優のようなたたずまいだった。
「お待たせいたしましたな議長」
『待ちかねたぞ! 戒厳令なぞだしおってからに! リオルよ、これはどういう事だ? 月の駐留艦隊が今、正にロンドンに艦砲射撃せんと衛星軌道上で待ち構えている状況をどう弁明する? 脳味噌まで筋肉で出来ている馬鹿な軍人どもにこういう事を起こさせないためにキャメロットに金を出し、お前のような忠実な番犬を飼っているのだぞ、おい何とか言わんか役立たずめ』
太陽系惑星連邦議会のボス、マグバレッジ議長は齢58歳、リオルから見ればクチバシの黄色い若僧だ。マグバレッジは産まれも育ちもロンドン、由緒正しい地球在住の支配階級、地球閥の、特権階級の象徴のような存在である。
(……こいつの父親である先々代の議長と比べてこの慌てよう、何なのだ、この小物っぷりは……これでは人心も離れて当然だ。やはり地球産まれ、地球育ちの人間はどうもイカンな、まるで乳離れが済んでいない子猿ではないか)
リオルは軽く舌打ちをするがその様子に気付く素振りもなくマグバレッジは壊れたスピーカーのように同じ意味合いの罵詈雑言を繰り返し、繰り返しリオルに浴びせかけてくる。
「閣下、ご安心ください、クーデターの首謀者である宮城にはロンドンを火の海にする度胸もその後うまく立ち回る才覚もありませんよ。スケールの小さな官吏です。地球閥の皆様は泰然自若に構えていらっしゃればよろしい」
『おい』
「はい、何か?」
『リオルよ、前にも注意したが──地球閥──という呼び方はどうも好かんのだ。どこか蔑んだような響きを感じる』
「そうでしたか。失礼いたしました。では以後この呼び方は控えましょう」
『うむ、気をつけろよ』
マグバレッジは唐突に関係の無い話題を持ち出して話の腰を折ってくる。何の話をしているのかわかっているのだろうか、それに地球閥だろうが何だろうが呼び名などどうでも良い話ではないか、リオルにはそう思えたがマグバレッジはそういう細かい部分に異常に執着してくる。
(お前ほど見せかけと本質の差が開いた人間もそうは居ないだろうよ、マグバレッジJr. 屑ほど本質を見失い表面的な名前や格式に縛られる……まあ、マグバレッジに限らず人類という種、それ自体をもう見限った方が良いのかも知れんのだが)
「それはそうと、クーデター派、レイジングブルの宮城大将から何か要求などありましたかな?」
『いや? 要求などはまだ無いな』
「そうでありましょう。先ほど臣が申し上げた通り、あの宮城裕太郎には何も出来ないのです、実のところは押すも引くも出来ぬ有り様でしょうよ」
『おお、そうかなるほどな』
「それに、キャメロットで開発していた最新鋭の航空戦艦キングアーサーと随伴艦隊を至急、第一艦隊の討伐に向かわせます。実力は折り紙付きです。既に勇猛で知られる第三艦隊を撃破しておりますゆえ」
『そうか、そうか! それを先に言わんか、もったいぶりおってからに』
ビューワーの向こう側のマグバレッジJr.はようやく安堵したのか、お得意のギラギラしたどぎつい笑みを浮かべた。有権者のマダム達にはすこぶる受けの良い役者顔だがリオルから見れば油粘土で作った幼年学校の卒業製作みたいなものだ。
笑う以外に芸のない、役者崩れの愚劣な二代目。それがマグバレッジJr.だ。リオルが補佐してきた政治家の中でも飛び抜けて無能な男であったが、大衆人気が抜群に良く舌も良く回るので選挙であまり手がかからなかった、その点だけはリオルも大いに評価している。
「今回の争乱、惑星開拓移民系の将校達が起こした反地球閥の武装蜂起である事は明々白々でございます。これを機にうるさい開拓移民の発言力も大きく削がれる事でしょう」
『なるほどそう仕立てるか、原稿の草案は任せる。出来次第此方に送れ。明日には市民向けの会見をせねばならん……ロンドンは久方振りの戒厳令で相当ピリピリしておるし、株価が乱高下してぐちゃぐちゃになったまま取引が止まっておって投資家達が大層おかんむりでな。宮城裕太郎も船員達も船ごと葬ってしまって構わん、一刻も早く事態を収拾するのだ、いいな?』
「御意」
『あ、それとな。地球関連企業の株価がドドン! と上がるような……もしくは何かコップ一杯の涙が溜まるような泣けるエピソードをでっち上げといてくれると助かるが、出来そうか?』
何とも軽薄そうな声。これが講演や議会答弁の時はなかなかの知識人かつ人情家に見えるのだから面白い。
「ハハハ、それを明日までに、とは……さしもの私めにも難しゅうございます」
『まあ……事態が収束したら今回の反乱で死んだ第一艦隊の下士官と老いた母親のエピソードでもでっち上げるか』
「それがようございますな。戦没者慰霊式典のスピーチはその筋立てでいきましょう。資料を用意しておきます」
『うむ、それではな。吉報を待ってるぞ』
ロンドンとの通話は終了した。
リオルは自嘲気味にフフンと鼻から息を吐き、笑う。
(飼い犬に喉笛を噛み切られようとしているとも知らずに株価の心配か、滑稽な男だよ全く。せめてもの手向けだ、戦没者慰霊のスピーチではマグバレッジJr.を『志半ばにして倒れた悲劇の英雄』に仕立ててやるさ。コップ一杯どころか、バケツ一杯泣けるようなドラマを添えてな)
リオルはマグバレッジ議長との会話を終えるとすぐに幕僚本部と外部との通話記録を洗い出し始めた。リオルの眼球は目まぐるしく動き回る。右目、左目がそれぞれ独立して動き常人の三倍から四倍の速度で記録をチェックしていく。
『太陽系惑星連邦宇宙軍幕僚本部付け大将:宮城裕太郎 発信元/銀河公社木星宇宙港ターミナル一等待合室光速回線12番ブース 面会請求者:宮城雄大(続柄:長男)』
(ほぅ、これは……裕太郎の奴め、軍から抜けた息子を使って軍の外部から此方の動きを探っておったのか。旧家の坊ちゃんかと思っていたがなかなかどうしていっぱしの悪党よ、これは宮城という男の評価を改めねばならんな)
リオルは次に宮城雄大についてデータベースを漁った。
(こ、こやつ、士官学校を中退してほどなくあの、ユイ・ファルシナと接触しておるではないか! そうか、マクトフが皇女の奪取に失敗したのはこの、宮城と、宮城の息子の仕業か!)
リオルの口は裂けたように大きく開き口角が上がる。
計画を邪魔された苛立ちと、まんまと出し抜かれて先手を取られた怒り、そして好敵手を見つけた喜びがない交ぜになった笑み。
とても老人とは思えない精気迸るギラついた狂戦士の笑み。
「思ったよりは楽しめそうじゃないか。月の小倅が死に損ないの木星女狐と組んで地球閥に楯突くというか。面白い、これは半世紀ぶりに面白い『戦争』が出来るかも知れん」
リオルは久しく忘れていたあの官能的な日々を思い起こして震えた。そう、彼も参加していた衛星攻略戦、月の貴婦人シルバークラウンを駆り木星帝国艦隊と激しく艦砲を撃ちあったガニメデ沖会戦の興奮を。
「相応しい生贄が揃った、今こそ真の王をアヴァロンにお迎えしよう」
リオルは瞳を閉じ、感慨深げに天を仰ぐのだった。




