恩師来たる①
ユニコーン級巡洋艦シャイニーロッドは艦齢82年、四度の改修を経て装備は最新式ながらエンジンコアと船体は骨董品の「じいさま」軍艦である。
共に進水式を迎えた同期の同型艦達は80年の節目にフェニックス級に主力の座を譲り除籍となった。ニューヨークの博物館で余生を過ごす事になった一番艦『月の貴婦人』ことシルバークラウンを除いて、解体処分、その資材は民間の船舶に再利用されている。
シャイニーロッドに限らずユニコーン級巡洋艦は艦首粒子砲を装甲板で上下から挟み込む形で構成されており、装甲板は緩やかな流線型を描く二枚貝のような外観をしている。そのスマートなシルエットの代償として対空防御能力、艦載機搭載能力、実体弾搭載数が通常の軍艦と比べて大きく劣るため、第一線からは退きつつある。
このじいさま軍艦はそのユニコーン級の数少ない生き残りで小柄な艦長リクセン大佐と共に、太陽系航路パトロール艦隊の古株として親しまれてきた。
またパトロールの傍ら訓練航海カリキュラムをこなす士官候補生や見習い船員達を44年間受け入れ続け、多くの士官、船乗り達が宇宙船の「A・B・C」をこの巡洋艦で学んできたのである。
シャイニーロッドは現在、ルナベース幕僚本部からの命を受けて木星宇宙港へ向けて航行中だった。
木星衛星軌道上に建造された人類史上最大のスケールかつ「最高級」のサービスを売りにした巨大宇宙ステーション、木星宇宙港。
元を辿ればこの施設も木星王家の管理する公共施設であった。すっかり銀河公社の作った宇宙港としてリニューアルされているが所々、木星帝国時代の名残をのこした内装などもある。
そんな木星宇宙港の南天側停泊施設に武装商船ぎゃらくしぃ号の姿があった。外壁の修繕は一向に進まず間に合わせの装甲板を溶接しまくってある……不規則で汚い表面処理、急場しのぎのデコボコの継ぎ接ぎであり、移動店舗としてみると何とも無様な姿を晒していた。
その見た目を気にしない雑な仕事をしているのは専門の修理工ではなくぎゃらくしぃ号の乗組員達だった。
雄大はエグザスで3m×3m、50㎝厚のターマイト鋼板を持ち上げ、5m程上の足場で待ち構えるブリジットの赤いエグザス目掛けてに放り投げた。
雄大が両手で抱えていたその鋼を、船体に張り付いているブリジットは易々と片手で受け取るともう片方の腕で超高温の溶接コテとハンマーを操り手早く破損箇所にフタをしていった。エグザスとは思えないほど滑らかに、そして機敏に動く。
「すごいな、これは……サターンベースの修理用ロボットの何倍も早い。見た目さえ気にしなければ……あんなエグザスは初めてだ」
「大尉殿、あのカスタムされたエグザスやフレド少尉を倒したアーマーがあれば我々も木星の女どもに後れをとる事はなかったはずかと。なんといってもエグザスの性能差ですよ」
雄大の横には、ぎゃらくしぃ号備え付けの黄色いエグザスに乗ったハダム大尉とエルロイ少尉の姿があった。ハダム達はシャイニーロッドに引き渡されるまでの間、拘束を解かれて自由な行動をユイから許されていた。特にする事もなく落ち着かない気分を紛らわすためなのか、こうして船体の修理を手伝ってくれている。
雄大の方も父親の常ならぬ形相を見て不安を感じていた。身体を動かせばその不安を払拭出来るのではないか、そう考えての修理作業への参加である。
「エルロイ、じゃあお前……赤いエグザスを借りてあのちっこい金髪の伯爵閣下に模擬戦闘で手合わせ願ってくるといい、私は絶対に嫌だぞ、イワタが全治3ヶ月で、ちっこい方にやられたフレドは全治5ヶ月の重傷だ」
「えっイワタとフレドの怪我、そんなに悪いんですか?」
「うむ、命があるだけ奇跡だとかなんとか……甲賀六郎殿から聞いた話だと我々が戦ったあの赤鬼……『木星皇女親衛隊』の大女と伯爵閣下はあれで随分と手加減していたらしい。アレが本気で此方を殺しに来ていたとしたら……正直、エグザスの性能差だけとは思えん」
「ひえっ……ここの女どもはバケモノ揃いって事ですか」
「だな。皇女殿下もなかなかどうして。虫も殺さないような顔をしてあれで結構なタヌキ、いやキツネか……旧木星王家は妖怪変化の巣窟だよ」
「妖怪に喧嘩を売るとは我々もツキがありませんでしたね」
女性陣にコテンパンにされた事が未だに納得いかないという態度の二人、ここぞとばかりに愚痴をこぼしはじめる。鬼のレンジャー部隊も一皮むけば案外、その辺の大学の弱小スポーツクラブの反省会みたいなノリになるものなんだな、と雄大は情け無いやら面白いやら複雑な気持ちになって苦笑いしていた。
「休憩どうぞー」
港備え付けの小型フォークリフトに乗った魚住が大量のおにぎりやサンドイッチと様々な飲料を運んできてくれた、中には高級品の特製行楽弁当の入ったケース、3ダースで36食分ほどあり、その雅やかな重箱の紋様が否が応無しに高級感をあおる。修理作業に携わっていた一同は待ってましたとばかりに作業の手を止めて魚住の前に集合した。
「いやーなんか豪勢な差し入れですね」
エグザスから降りると二十人程が車座になって食事を囲んだ。自分はトイレに、とエルロイはサンドイッチをくわえたまま港の奥のスペースへと走り出した。
「ん? このおにぎり……レジで何度か見た覚えが」
雄大が手にしたたらこ入りの握り飯は個別包装され、バーコードがついた「売り物」だった。包装が傷まなければこの手の商品は2、3ヶ月は鮮度が保たれるのだがあいにくとガレス号との戦闘で店内の商品の多くが自然劣化が始まり賞味期限切れ間近になっていたのである。
「もう売り物にならないし、宮城さんだからこのコンテナ丸ごとまとめて買うと出血大サービスの六割引き! はい、PP貸して」
「ははは、またまた~。魚住さんも人が悪いなぁ六割引きだなんて。これ、店からの奢りでしょ? どうせ売れなきゃ廃棄なんだし」
「う~ん、そうね~私って『人が悪い』事について自覚してるし。やっぱり良い人じゃないわよね~」
魚住が笑いながら言うので最初は冗談かと思ったがどうやら本気で在庫処分させる気らしい。雄大の手からPPを引ったくるとスーツケース大の決済機にかざした。ピッ、と音が鳴ると雄大の口座から18万ギルダほど引き落とされた。18万、なかなかヘヴィーな金額だ、六割引きでこれとは……
「毎度あり~でございます!」
目を細めて笑う魚住、地獄の悪魔の冷たい冷たい微笑み。
「えっ、18万?」
「皆さーん、これ宮城さんの奢りだそうですよー?」
魚住はニコッと笑いながら食事を取る作業員達に残りの弁当やおにぎりを配り始めた。
「えっ、なんで? なんで俺……?」
「決済手段のないハダムさん達に請求するほど私も鬼じゃありませんよ。それに、この中で一番高給取りの宮城さんが奢るのが自然だと思いますけど」
「十分鬼ですよ、まだ給料振り込まれてないし! そもそも船体の修理作業をボランティアでやってる社員から金取るのっておかしくないですか?」
雄大が軽く切れ気味に正論をまくし立てると魚住の顔色が急激に変化した。
「……六割引きにしたのに? 社員だからタダで寄越せと仰る? ほっほー……それはまた大きく出ましたね」
苛ついたような魚住の表情、これはもう逆らっても無駄そう、という気配を感じ取ると雄大はおとなしく引き下がった。どうも常識の通用する相手では無いらしい。
「あ、いえ~ありがとう、ございます……」
「はい、それじゃ私はこれで。ごゆっくりね!」
魚住の冷たく鋭い氷の視線がスッとほころんでゆるやかな営業スマイルに戻った、とても同じ人物とは思えない変貌ぶりだ。
鼻歌混じりにフォークリフトに乗ってスイスイと港内を移動する魚住の後ろ姿を見送りながら雄大は頭を抱えた。
(だ、駄目だ、魚住さんのあの顔、怖すぎる……逆らう度胸が無い……こ、こうなったら高そうな弁当をかき集めて少しでも自分で消費しなければ!)
「わー、あたし料亭青木の特製仕出し重とか初めて食べるよー♪ また店舗内部で誰か暴れてくれないかなー♪」
わいのわいの、と賑やかな食事の席の中心でブリジットがほくほくとした笑顔で高級弁当をわっしわっしとかき込んでいる。既にブリジットの周囲には六つ程の重箱と包装紙が積み上げられていた。
「あ……あぁ……あんまりだ、タダ飯だと思って高級弁当を飲み込むみたいにバカ食いしやがって……覚えてろ。いつかこの木星女どもをパワハラで訴えて賠償金ふんだくってやる……いつか」
いつかそのうち、その何時かは後どれぐらい先の話だろう? 雄大はがっくりと膝をついた。
「な、なんかすまんな……申し訳ない。君の好意は忘れんぞ」とハダム大尉が二箱目の弁当を掲げてから頭を下げる。
「あ、いえー、どうぞ」
半ば放心状態で一人ポツンと離れた場所で、たらこおにぎりをかじる。トイレから戻ってきたエルロイも高級仕出し弁当に手を付け始めた、少しの遠慮もない。
(何の味もしない……)
そんな雄大のPPに通信が入った、ブリッジに詰めているラフタからだ。
「はい、何かあったのか?」
『シャイニーロッドから連絡。3時間後に航路の外れでランテブー』
「そうか、意外に早かったな」
『ユイ社長が呼んでる』
雄大は分かった、と言って通話を切り立ち上がる。
「……その前に」
恍惚の表情で八個目のお重を紐解いているブリジットを見て流石に堪忍袋の緒が切れたのか、恐ろしく不機嫌な顔でブリジットからお重を取り上げる。
「あ、え? な、何するんだよう、雄大。あたしのお弁当……」
「『あたしの弁当』……いいえ、違います。俺がコンテナごと買い取った俺の弁当です。ブリジットさんが食べちゃったお弁当代、後で請求しますから」
「えっ、雄大の奢りじゃないの?」
「この際、一つ二つぐらいは奢りますけど……全て食べ尽くして良い訳でもないでしょ。ブリジットさん、俺が止めなかったら売価の高い順に全部食べてしまうつもりだったんじゃないですか?」
図星を突かれたのか急に動揺し出すブリジット。
「ま、またまたそんなぁ……アハハハ……冗談だよね? 先輩からお金取るとか、そんな酷いこと、しないよね? ジョークよね?」
値段の高い物から狙いうちして暴食しまくってたブリジットの顔が段々青くなっていく。
「俺冗談嫌いですから」
ぷいとそっぽを向く。
「ぎゃっ!? 給料日前なのにぃ!」
必死になって空になった重箱の数を数え始めるブリジット。それを後目に雄大はぎゃらくしぃ号船内に向かった。
(よしこの調子で強気で行かないと搾取される一方だからな)
魚住にもいつかリベンジしてやる、と心に誓う雄大であった。
木星宇宙港近辺の宙域。シャイニーロッドとぎゃらくしぃ号はドッキングシークエンスを全て完了した。
ドッキングベイには六郎と雄大、そしてホログラムドローンのユイが待ち構えていた。
ゲートが開くと、多少出て来た腹を抱えながらリクセン大佐がぎゃらくしぃ号に乗船してきた。後から保安員らしき厳めしい顔付きの男達が十人、看護婦や医療スタッフらしき男達が五人ほど現れ、リクセンに続く。
「第一パトロール艦隊所属シャイニーロッド艦長リクセン、月幕僚本部の命により参上つかまつった。総員、木星第一皇女ユイ・ファルシナ殿下に敬礼!」
しわがれた声が辺りに響き渡り、保安員達が一斉に海軍式の敬礼を行う。
『ホログラムドローンでのご挨拶となる無礼をお許しください』
「いえいえ! ホログラムでもお美しいですな!」
『早速ではありますが捕虜の引き渡しをお願いします。重傷者の搬入先など判断を急ぐ案件もありますので、保安員の方々は此方の六郎の案内に従ってください』
六郎と小田島医師が頭を下げて保安員達の前に出ると、医務室、客室のエリアに向け彼らを先導していく。リクセンは保安員のリーダーらしき男に傷病者のランク分けなどの判断を任せると、待ちかねたように雄大の元へ駆け寄った。
「雄大か! おう、元気そうじゃのう!」
「大佐殿、お久しぶりです」
リクセンはバシバシと大袈裟に雄大の背中を叩いた。
「なんじゃもう、連絡も寄越さんとオヌシは! 心配させおってからに」
「すいません」
「ちょいとワシの方もそちらの社長さんから詳しい話を聞かんといかんでな。堅い話が終わったら今の連絡先を教えんか」
「はい、社長室まで案内しますよ、大佐」
「大佐か、お前からそう呼ばれるのはちとこそばゆいのう、艦長でええわい、宮城候補生」
「はいはい艦長」
それは祖父と孫のやり取りのようであり、雄大とリクセンの間柄を端的に示していた。リクセンの周囲はパッと明るく騒々しくなる、気持ちの良い軍人だとぎゃらくしぃ号の面々にもこのやり取りだけで、その人となりが伝わった。
社長室に入るなり、リクセンはいきなりユイに握手を求めるために駆け寄り、そして檻の存在に気付かず半透明のエネルギーフィールドに勢いよく激突、鼻を打って悶絶していた。
「な、なんじゃこら! なんかぶつかったぞ?」
「知らなかったんですか? えー……説明すると長くなるから取り敢えず座ってくださいよ」
「お、おう……スマン、スマン」
雄大に促されて着席させられる小柄な老人、見えない何かにぶつかって困惑していた爺様が、急に厳めしい軍人めいた顔に戻る様はまるでコントのワンシーンである。その場にいたほとんどが忍び笑いをしていたが一人、マーガレットだけは表情を崩さず鋭い視線をリクセンに送っていた。
「大丈夫です?」ユイが心配そうにリクセンの鼻の具合をうかがう。
「あー、いえいえ! 心配御無用です、頑丈に出来ております。では早速、反乱分子の引渡の件で……」
「あの、大佐殿はどうお考えですか? ガレス号の方々はどれぐらいの罪に?」
ユイは挨拶もそこそこに本題に入る。
「んー? そうですのう……軍規に照らせばかなり厳しめの処分になりそうですわい」
「我々から減刑の嘆願をしてガレス号の皆さんはお咎め無しになったりはしませんか?」
ユイの言葉に一同は首を傾げた。
数秒ほど経って発言を飲み込むとリクセンは口を開いた。
「いやこればかりは……どうにもならんでしょうな。しかし何故そのような?」
「このクーデター計画の参加者の主目的が開拓惑星系出身者の権利回復であるのなら、私はその目的には大いに共感できます」
「な、なるほど? 同志であると?」
「勿論、クーデターに荷担する気がない事は、幕僚本部への通報の時点からご理解頂いているものと思います。ただし我々も連邦宇宙軍に尻尾を振るだけの飼い犬に成り下がった訳ではない事、くれぐれもお伝え下さいませ」
「争いは好まぬが、60年前の事を許した訳ではない、と言う事ですかな」
おふざけ気味だったリクセンが神妙な顔つきになった、今まで黙っていたマーガレットがリクセンに向かって口を開く。
「そうよ、許した訳じゃないわ」
「メグちゃん、控えて」
「いいえ、言わせていただきます。シャイニーロッドは初代艦長の時代、木星戦争の折にガニメデ沖会戦、エウロパ侵攻、イオへの対地砲撃に参加……衛星攻略作戦における武勲艦よね?」
その切れ長の美しい瞳に仄暗い光を灯した少女が、老人を睨み付ける。リクセンは真っ正面からその敵意を受け止めるように大きく頷いた。
「確かに、シャイニーロッドは当時の主力で木星戦争では先陣をきって戦ったと聞いております」
「よくもまあぬけぬけと……そんな侵略戦争に用いた船を──こちらの神経を逆撫でするような船を! わざわざ我々のもとに寄越したこと……非礼もここに極まれりね……地球政府も惑星移民とまともな対話をする気があるのなら先ずはそういう人も無げな態度から改めるべきではなくて?」
マーガレットの声は憤りからか微かに震えていた。ハンカチーフで軽く瞳に貯まった涙を拭う。
リクセンは無言でその白い頭を深々と下げた。
「お、お嬢さん、言い訳に聞こえるかも知れんがワシはその頃、まだ軍に入隊しておらんかったし、シャイニーロッドが木星王家の方々の神経を逆撫でするような存在だとは言われるまで気付かなんだ……しかし、木星王家の皆様に拝謁するに辺り、確かにワシらは配慮を欠いておった。お許しくだされ」
空気は張り詰め、重苦しくなっていく。マーガレットがスンスンと鼻をすする音だけが強調された。ユイもどうこの場を取り繕うべきか悩んでいるらしく雄大の方をチラチラ見てアイコンタクトしてくるが、ユイでどうにもならない空気を雄大に変えられるはずもなかった。
「不愉快です、同じ空気を吸いたくありません」
少女伯爵は声を震わせながら社長室を退室していった。それを見送るリクセンの気まずそうな表情。こういう空気にならぬようにリクセンが努めて明るく道化のように振る舞っていたのではないか、雄大にはそう思えてきた。雄大はリクセンのそばに寄り、恩師の曲がった背を伸ばし顔を引き上げさせた。
雄大とユイはお互い困って顔を見合わせた。
「雄大さん、メグちゃんのとこへ行ってくれます? なんか癇癪を起こさないようにフォローを」
「えっ、俺ですか?」
「私が行きたいところですが……」半透明の檻をポンポンと叩く。
ユイが真剣な顔で懇願するので雄大は困りながらもマーガレットの後を追いかけて社長室を退室した。
社長室を出てから少し歩くと通路の壁に寄りかかって涙を拭いている少女を発見した。
「おい大丈夫か?」
小さい肩を震わして顔を覆うマーガレット。
一瞬、躊躇った後で雄大は少女の肩に右手を置いて寄り添う。叩かれるのではないかと覚悟して、腰の引けたような感じの中途半端な慰め方だがマーガレットは拒否するでも攻撃してくるでもなく、意外にも雄大の方に身を寄せてきた。
「あんたにはわかる? どれだけわたくしが悔しいか、自分を不甲斐なく感じているか」
「正確にはわからん、でも」
「……でも?」
「感情をぶつける先が無くて困ってるから、泣くしかないのはなんとなくわかる。誰に感情をぶつけていいかわからないなら……八つ当たりしたいなら、してもいいぞ?」
「ぅっ……ひく」
嗚咽を漏らす少女、マーガレットの顔はみるみるうちに崩れ、口がだらしなく歪む。まるで幼子のように頬をひきつらせて泣き始める。
「お、おいおいマジ泣きか? 泣くなよ……」
雄大はリンゴをあしらうような要領でマーガレットを抱き寄せると左手で頭を撫でた。
「………ぅん」
全く反発する気配もなく、少女は雄大の胸に顔をうずめて泣く。
雄大はマーガレットの動揺が治まるまでしばらくその胸を貸す事にした。感情の起伏が激しい少女である事は雄大も承知していたが、こうも簡単に怒りを爆発させたり弱々しく泣くような醜態まで見せるとは意外だった。
どうも『木星戦争当時の敵国の軍艦』(シャイニーロッド)の艦長が、自国の領土であるぎゃらくしぃ号の中に入った事がどうにも許せなかったようだ。
「なあ、ちょっと気になってたんだけど。この間の小田島先生達が人質に取られてた時さ、ユイ社長の声をお前に当ててもらっただろ?」
雄大の違法改造ホログラムデータを使ってユーリ少尉の気を逸らした時、雄大は自分のPPとマーガレットのPPを連動させ、裏でマーガレットの喋る内容を雄大のホログラムから出力させていた。
「うん」
「あん時さ、お前が喋ってた内容……『地球政府を打倒する手伝いをしたい』みたいな内容だっただろ? 地球閥に復讐したい、革命を起こしたい、的な」
「……」
「あれがお前の本心なのか?」
マーガレットは涙を抑えようと歯を食いしばりつつ雄大の問いに大きく頷いた。
「あー……そっか。やっぱりな」
少女の中に渦巻く地球政府への激しい憤り、これがマーガレットの感情を爆発させている原因に違いない。
「悪い?」
「悪かないさ、ただユイ皇女殿下の考えとは少しズレてて。いやまあ、大筋では同じだけど微妙に違ってるな、って。声は録音データから合成したユイ社長の声だし、ホログラムもまあユイ社長に似てたけど。やっぱりユイ社長からはああいうセリフは出て来ない気がしてさ」
「……ユイ様は甘いのよ。世間知らずで能天気で。まどろっこしくて、トロくて……たまに本気で苛々する。木星王家が受けた仕打ちを忘れてるんじゃないか、って」
(やっぱりこいつ、ユイ社長のやり方に対しても少し不満もってたのか)
「そうかもな」
「……」
「俺もユイ社長の考えはよくわからん、わからんがまあ……社長なりに本気で木星王家を再興しようとしてるのは間違いないと思う」
すっかり泣き止んだ様子のマーガレット。こうやって向かい合って寄り添うと結構な身長差があった。25歳の雄大から見ると、17歳のマーガレットはまだまだか弱い思春期の女の子なのだと思い知らされる。
「王家の、再興……」
「一度、ちゃんと話し合えよ。皇女と伯爵という前に友達なんだろ?」
「ともだち……」
ちょうど抱き合うような格好で寄り添う雄大とマーガレット、たまたま通りかかった数人が密着する2人を見て、びっくりして顔を背けて小走りに逃げていく。
(こ、これはあらぬ誤解を生み出しそうな……)
「言いたい事言って、少しは落ち着いたか?」
雄大の問いかけに少女はこくりと頷く。
「じゃあちょっと離れようぜ……なんかこの態勢は誤解を招く、っつうか」
「うん、ちょっと待って」
「あぁ、わ、わかった」
どうやら涙を拭っているらしい。しばらくするとマーガレットは急に目を剥いて怒りの形相で雄大の頭やら胸をポカポカ叩き始めた。
「な、なんだ! なにすんだやめろ!」
「八つ当たりして良いって言ったでしょ!」
雄大が腰を屈めて防御姿勢のまま縮こまるまで乱打は続いた。
「あー、スーッとした……」
マーガレットは涙のあとで目を腫らしてはいたが顔付きは平静通りの高慢知己な少女伯爵のものに戻っていた。
「こ、こいつは~!」
「あんた八つ当たりするのにピッタリね。案外、頼もしいし……ま、また頼むわ」
マーガレットは男に抱きついた感触を思い出して俄かに恥じらいの感情が湧き上がってくるのを全身て感じていた。身体の芯が熱くなって顔が火照ってしまう。雄大にそれを悟られないように咄嗟に両手で頬を抑えた。
「は?」
「こ、今度からむしゃくしゃしたらあんたを叩く、って言ってるのよ。それじゃ……会議の邪魔をする悪い伯爵は大人しく消える事にするわ。あんたは早く社長室に戻りなさいな」
捨てセリフを残し、マーガレットは愛らしい鼻をツンと上に向けて優雅な足取りで去っていく。何はともあれ機嫌は治ったらしい。
(ちょっと筋肉質なとこもあるけど案外と、華奢だったよな)
雄大は今更、マーガレットの肌の感触を思い出してモヤモヤした気分になってきた。上品な香水の残り香がまとわりつく。




