銀河パトロールSOS~狼煙~
社長室。雄大が提出した資料をジッと眺めるユイとマーガレット、雄大の膝の上にはすっかり元気になり保育器から出された縞模様の猫がいた。若いのに老成したオス猫で大変おとなしい性格をしている。
「これ以上調べても何も出て来ないという事なんでしょうか」
ユイは資料を閉じると何事か思案をめぐらせていたが、お手製の猫じゃらしを取り出すと牢の隙間から手を伸ばしてふるふると揺らし始めた。
「宮城、あんた軍にいたんだからなんかコネでも使ってどんな作戦なのか調べられなかったわけ?」
「あのですね、俺はもう士官学校を辞めてますし。軍の特務なんて候補生には知る由も無い話ですよ」
マーガレットと雄大が言い合いを続けていると猫じゃらしを揺らしながらユイが少し残念そうにつぶやく。
「宮城さん、今の説明だと何でこのネコさんがひとりで脱出ポッドに乗ってたのか、結局わかりません……」
結局、雄大にもその明確な理由はわからなかった。
「う~ん、そうなんですよね。こいつの付けていた首輪もありふれた素材で出来てるし、特に何も仕込まれてない」
「でもユイ様、このケダモノの事をこれ以上調べてもぎゃらくしぃの利益にはなりませんわ、おそらく飼い主にとっては脱出ポッドに入れて助けたいと思うぐらい大事だったんでしょうけど。その飼い主の軍人はもうこの世にはいないのですから、返して礼金がもらえるわけでもないでしょうに」
雄大とユイは猫を囲むように格子越しに接近しているがマーガレットはどうも体毛のある動物全般が苦手らしくあまり近付こうとしない。今も雄大から出来るだけ離れた場所に座り、先程から薄桃色のハンカチーフで鼻を覆っている。
「ねえメグちゃん……私は飼い主がお亡くなりになった、ってハッキリしたわけじゃないと思うの」
「え?」
「先ず、この子と飼い主さんが乗っていた軍艦が沈んでいるというのも、推測でしょう?」
ユイが真剣な顔で言うので雄大もマーガレットも何か返答しようと頭を捻ったが何も言えずにうーん、と唸るしかなかった。
「飼い主さんが生きていて、船は現在も航行中、という可能性も考えた方がいいと思いますけど」
「……猫を船外に放り出す? この猫がどんな悪さしたか分かりませんが、放り出した奴はどうかしてますよ。猫に脱出ポッドが操作出来るわけないですし」
雄大は猫の手を取り、肉球を撫でる。どんな事情があったにせよ生き物を宇宙空間に放出するというのは気分のよいものではない。
「私、ずっと考えていたんですけど……わざわざ救難信号に合わせて暗号文を広域発信するようにプログラムしてある、というのがどうにも引っ掛かるのです。事故か何かで緊急脱出するのにそういう準備を悠長にやってる暇は無いでしょう?」
ユイは猫じゃらしをふるふると猫の上で揺らす。
「……たとえばの話なんですが、ブリッジが武装したテロリストに占拠され乗員が彼等の監視下にあったとします、ある程度自由に動ける整備士のような立場の人が、テロリスト達に気付かれないよう脱出ポッドにメッセージを添えてトラブルを外に知らせたと考えれば辻褄があいませんか?」
ああ、なるほどとユイのもっともらしい仮説は二人を納得させるのに十分だったようだ。
「確かに。その可能性は十分ありますね」
ユイの推論にはなかなかの説得力がある。議論の継続に消極的だったマーガレットも話に食いついてくる。
「でもそれならこのケダモノは乗ってなくてもいいのでは? コレをわざわざ中に入れた理由、わたくし皆目見当がつきません」
それはですねー、とユイが得意そうに鼻を上に向けて語り出した。
「うっかり迷い込んだんですよ」とにっこりと微笑む。
「あ、そこは全くわからないんですね……」
場が若干和んだところでちょうど、社長室に備え付けの風格のあるダイヤル式の黒電話がチリリリン、と優雅な音を奏でる。ブリッジにいるラフタから何事かコールのようだ。
ユイはラフタにねぎらいの言葉をかけると受話器を置いてポンと一本締めの要領で手を叩いた。
「宮城さん、交替のお時間のようですよ? ブリッジでラフタさんがお待ちです」
「えっ? もう20分も過ぎてるの?」
雄大がびっくりして立ち上がったせいで膝の上の猫が床に落ちる、ビタッと四肢を広げて腹を床で打ってしまったらしい。ンナー、と情けない嗚咽を漏らしている。
「うわこいつ猫のクセに……」
「まったく無様なケダモノですわ。エグザスで空中遊泳して死にそうになった誰かさんに似てきたんじゃなくて?」
マーガレットの軽いジャブにムッとしながらも雄大は二人に頭を下げると社長室を退出した。
「では宮城さん、この話はまた後ほど。私達はもう少しこの件で話し合ってみます」
「はい、ブリッジ勤務の合間に考えてみます」
社長室の前を警備するガードロボットが、雄大の後を小走りで追い掛けてきた猫を害虫か何かのように蹴り飛ばそうとする。本格的に排除しようというよりはゴミを掃除するという感じだ。
「おっと」
雄大は番兵に蹴られる前に猫を拾い上げると鉄の塊に猫を認識させた。
「これは、猫。動物、ペットだ。攻撃はNG。だいたい俺がここに来るときに抱いてきたのを見てるだろ?」
まあ彼には雄大が何を言ってるかわからないだろうが。人間に特に害を与える物ではない、という事を認識させてみた。
「わかってるのかね、こいつ」
雄大はブリッジに向かった。
ラフタという青年はあまり怒る事がない。
襟の長い服で口元が隠れているだけでなく、細く切れ長の瞳は動きに乏しくて絵に描かれたような生気の無さ。面と向かって話していても機嫌がいいか悪いかわからない。
今回も「やあ」と一言だけ、特に雄大を責めようともしない。これがマーガレットだったら……と思うと雄大は生きた心地がしない。諸事、あまり関心を示さないマイペースなラフタだったが雄大にくっついてきた猫を見ると、普段の倍ぐらいの機敏さで駆け寄ってきた。
「やあお前、保育器から出してもらえたのか」
猫を抱え上げるとじゃらし始める。猫の方も心なしか気持ち良さそうだ。
「ラフタって……ネコ、好きなの? 飼ってた?」
「うん、飼ってたよ。僕の田舎は猫が多過ぎて一人につき一匹しか飼えない制限あったからまあ普通に一匹だけ。火星では、猫と蜘蛛は家と船の守り神だから僕が特別猫好きなわけではなくて、だいたい皆が猫好きだったね」
(なんかいつもと比べてやたら口数が多いな……)
「猫が沢山いる、という話は聞いた事あるような気がするなぁ。だいたいなんで猫やら蜘蛛やらが守り神なんだ?」
ラフタの説明によると第ニ次、第三次テラフォーミング計画が芳しくない結果に終わった火星の入植生活では、生命維持装置の故障が即、深刻な健康被害や死に繋がる事が多かった。機械の配線をかじる害獣や家の中に侵入する危険な毒虫を捕獲する猫と大蜘蛛は火星の各家庭にありがたい存在として迎え入れられていた。昔はペットというよりそれこそ神の化身のような優遇ぶりだったらしく、猫と蜘蛛にちなんだお祭りや工芸品が火星文化圏の各地で見られる。
「初耳だよ、火星植民にも歴史ありって奴だなぁ」
「雄大、AAAライセンスまで持ってるのに火星の歴史知らないのおかしい。船に紛れ込んだネズミと害虫を駆除する猫は船乗りの友、年寄りの船長、長生き出来てる船乗りはだいたい猫を飼ってるよ。士官学校もライセンス試験も、実際の船の運航に役立つ知識は何も教えない」
「ああでもそう言えば猫がエイリアンに寄生されて人間に反乱を起こす映画あったよね。あれは確か火星圏のコロニーが舞台だった」
「ああ………『マーズコンクエスト』の事か。あれは酷い映画だったね。火星の人、皆あの映画撮った監督が大嫌い。だって猫と人間が火星の統治権をめぐって殺し合いをするなんて悲し過ぎるし、最後に人間が猫を滅ぼすラストなんて、本当に悪趣味だ」
(なんか少し怒ってる?)
ますます饒舌になったラフタは雄大に熱っぽく猫に関する講義を続けた。
「──それに比べてこの猫の飼い主は偉い、自分より猫を優先した。猫が救助される確率を上げるために単独で乗せた」
「まあさっきも社長室でそんな話してたんだけどさ。猫だけ乗せる意味がよくわからないんだよな。猫は計器類を操作出来ないだろ? 人間も一緒に乗れば良かったのに」
「そんな事ない、宇宙船の脱出ポッドに猫だけ乗せたから渦の近くでも救難信号が拾えたんだ」
「ラフタ、それもう一度詳しく。猫と脱出ポッドについて教えてくれない?」
──一般的な脱出ポッドの仕様として、救難信号の強弱は内部から操作して自分で調整する事も出来るが、いきなり最大出力で発信して生命維持用のエネルギーまで使い果たさないようにセーフティー機能が設けられている。
脱出ポッドの制御システムは12時間操作が無い場合、乗員が危険な状態にあるかどうかのスキャニングが開始される?、そして危険だと判断すると制限を外して広域への救難信号発信を開始する──
「な、なるほど」
「ポッドのコンピューター、そんなに上等じゃない。だから小型の犬や猫を人間としてスキャンしてしまう。病気もしくは怪我で衰弱してると思い込んで、普通じゃ出せない強いシグナルを自動的に出してくれる。だから早い内にぎゃらくしぃでもキャッチ出来た」
「それだ!」
雄大は猫をラフタから取り上げて立ち上がった。
「どうした?」
「一定時間以上、12時間経って何の操作も確認されない場合に広域発信が始まる──猫を入れたのはその時間差での救難信号発信をやりたかったからか」
猫は相槌を打つかのようにナーゴ、と小さく鳴いた。
テロリストに船が占拠されているというユイの仮説を当てはめてみる……救難信号を出したまま射出すると船を占拠しているものたちに気付かれてポッドが排除されてしまう。しかし猫や犬を入れて放り出せば、電源が入っていなくても12時間後には最大出力の広域発信が始まる。
「ありがとうラフタ、すごくいい話を聞いた」
「時間差?」
何のことか理解できずに首を傾げるラフタ。
「この猫さ、おまえにやるからもう少しだけ操舵をお願いしていいか? ちょっと急用なんだよ」
社長室に舞い戻ってきた雄大は、のんびりと茶菓子をつまんでるマーガレットを押しのけてユイに先程のラフタから聞いた動物を乗せた場合に自動的に起こる救難信号の発信について説明した。
「そうですか! じゃあこれで謎は解明ですね。悪戯ではなかったようですし早速、宇宙軍か政府の方に連絡を入れましょう……」
ユイが牢の中に備え付けの通信端末を開こうと横を向くが雄大はそれを制した。
「ちょっと待ってもらえますか?」
「はい、なんでしょう?」
「テロぐらいならまだ良かったのでしょうけど。もっと事態は深刻かも知れません」
雄大は暗号文の円卓の騎士達という文に不穏な響きを感じていた。
「これが万が一、軍艦一隻を乗っ取ったのではなかった場合……この情報を流す場所を考えた方がいいと思うんです」
ユイは手を止めて雄大の話を聞いた。
「俺の父親も軍人なんですが……父親が昔艦長をしていた軍艦の名前が……確か円卓の騎士の一人パーシヴァルなんです。そしてこいつには同型の姉妹艦が多数存在します」
「……調べてみます」
円卓の騎士の名を冠した巡洋艦で現在も現役にで辺境警備にあたっている。ユイ皇女はスクリーンに自分の端末の表示画面を投影した。
「データベースによるとフェニックス級巡洋艦はこれまでに18隻建造され、内の15隻はトリスタン、ギャラハッド、ガレス……アーサー王伝説に登場する円卓の騎士達の名前が付けられていますね。内の三隻は戦闘で轟沈し除籍されていますが他は現役のパトロール艦みたいですね」
「円卓の騎士よ集え、ってその騎士の名前が付いた軍艦がこのテロリストの仲間になるの?」
「いえこの推測が本当ならテロ、という小さな規模ではなく……」
その場の全員が息を呑んだ。快適なはずの空調が今は少々効き過ぎているように感じる。
推論は恐ろしい結末に行き着いてしまった。
「規模を考えると軍全体を巻き込む軍事クーデターの可能性が非常に高い、と思うんです。この情報を俺達が持っていて、その意味に気付いていると知られた場合俺達はクーデター派の軍隊から消される可能性があります」
「そんな……」
「フン、今度はクーデターですか。地球や月の軍人達は飽くことを知らないのですね」
話のスケールが大きくなっていくにつれてマーガレットの顔付きが段々と厳しく冷たく変わっていく。自ら伯爵号を名乗るだけあってこういう物騒な軍事、政治の話に対しての肝は大人以上に据わっているようだ。
「ユイ……皇女殿下、わたくしブリッジに戻って本件の経緯と現時点での推論を支店の魚住の耳にも入れておこうと思います。よろしいでしょうか?」
「……ワイズ卿、本件についての協議を支店の魚住と共に進めておいてください」
「かしこまりました」
マーガレットを憎らしい小娘と思っている雄大でも彼女の冷静な立ち居振る舞いには素直に感心してしまう。そしてそんなマーガレットの変化を見てユイの表情が一層暗くなったように感じた。
マーガレットが社長室を離れるのを見送ってからユイは雄大との議論を再開した。
「宮城さん、キャメロットに相当する場所はわかります?」
「地球の連邦政府ビル、頭を抑えるなら……幕僚本部があるルナベース」
アーサー王、この場合のアーサー王は反乱の首謀者を指すのか、それとも連邦政府の議長や統帥権を持つ幕僚長のような要人なのだろうか。
軍内部の粛正、それとも現政権を武力で排除して軍事政権を樹立するためのステップ……反乱の目的によって最初に抑えるべき組織が微妙に変化するので少ない情報からどれか一つに絞るのは難しいし、決め付けるのも危険だ。
「アーサー、アーサー王がなんのことかわかればなぁ……」
雄大は頭を捻る
「宮城さん、アーサーという名前の巡洋艦か戦艦は無いのですか」
「その名前の船は聞いたことがありません、データベースにも載ってないはずですよ」
(データベースに乗っていない軍艦、プロモ42で建造された新造特務艦……この脱出ポッドが搭載されていた船こそがそのアーサー王、という事も有り得るよな)
「アーサー王を軍艦と考えるとキャメロットは恐らくサターンベースで、そこがクーデター派の本拠地……アーサー王を人だと考えるとキャメロットはルナベース幕僚本部か、地球のロンドンにある連邦政府議事堂です。誰に伝えるべきなのか、間違えると大火傷します」
「どうしましょう、何もしないという訳には……流石に知らぬふりを決め込むなんて」
(クーデター派の将校が誰か、ヒントでもあれば類推出来るんだけど)
「これは俺にはもう判断がつきません」
「……取り敢えず、公社にいる私達の同士に頼んで匿名で連邦政府に警告文を流してもらいます。これぐらいはやっておかないと。今この瞬間にも何か大きな事変が起ころうとしているのであれば……」
ユイは自分の端末を操作する。
「それで良いと思います」
皇女は申し訳なさそうに雄大の顔を覗き込む
「あの宮城さん……採用する際に得た個人情報をこういう時に持ち出すのは気が引けるのですが……宮城さんのお父様は……」
半ば諦めたように雄大はため息をつく。
「はい、幕僚本部直属、ルナベース駐留艦隊の指揮をしている大将、宮城艦隊司令は俺の父親です」
恥ずかしながら、と雄大は付け加える。
「私、思うのですけど宮城さんのお父様なら信頼出来るのでは無いでしょうか。何とかしてもらえないでしょうか。これは社長命令ではなく、私個人から新しく出来た友人の宮城さんに対するお願いです」
「俺のオヤジを、信用出来ると?」
「……はい、雄大さんを見ていればお父様のお人柄も想像がつきます。きっと清廉潔白でお優しい方だと」
「……優しいかどうかはさておき、あの保守的で堅物な性格のオヤジは割と嫌われ者なところもありますから……クーデターにはまず誘われないでしょう。そういう意味でなら信用出来ます」
話の流れからこのような事になるのではないか、と思ってはいたがいざ軍の重要人物である父親の話を持ち出されると自身の無能さを殊更強調されているようで少し辛い。
「それにオヤジ自身が計画したクーデターだったら……幕僚本部駐留艦隊司令官が反乱を起こす気になったなら、誰が何をがどうしようがクーデターは防げないでしょう。ルナベースとロンドンの喉元に剣を突き立てているようなものですし」
あれこれ考えるよりそれが最善かも知れない、父親の権威にすり寄るのは癪にさわるが万が一本当のクーデター計画なら小さなプライドなんて気にしている場合でない、雄大は椅子から立ち上がり改めてユイに向き直って小さく頷いた。
「では宮城さんお願いできますか?」
「はい、やってみます。この船から直接メールの形で連絡を出すよりどこかの基地の光速回線で俺が父親とプライベートな会話をする、という形の方が安全で確実だと思います。軍のメールはまず父の秘書が目を通し、父が目を通す前に幕僚全体で共有される可能性があります。そこからクーデター派に洩れないとも限りませんから」
現在ぎゃらくしぃ号が航行している宙域から一番近い光速回線があるのはサターンベースになる。基本的には軍の施設、というのが多少引っ掛かるがなるべく早い方がいい。それにクーデター派の本拠地が仮にサターンベースならば何かその兆候があるかも知れない。
「サターンベースのカペタなら警察任務の関係上、一般にも開かれています。木星宇宙港行きから航路を変更して土星方面へ戻りましょう、この後、私は航路変更を艦内に、あと銀河公社の航路管理部にも通達しますので宮城さんはブリッジに戻って艦の操舵をお願いします。少し急いで構いません」
「はい、了解しました」
「……この暗号の件、我々の取り越し苦労なら良いのですが」
この突拍子もない推論が単なる杞憂であり、アーサー王の暗号もつまらない悪戯だという事になってくれれば良いのに、と雄大も願っていた。
「……そう言えば」
「はい?」
「いえ……何でもありません。俺、いや自分はブリッジに戻ります」
「はい、よろしくお願いしますね、宮城さん。私は簡単にはここから出られない立場なので……色々ご迷惑をかけます」
ユイは立ち上がると丁寧に頭を下げた、雄大はユイの粛々とした態度にかえって恐縮してしまう。皇女はなんとなく雄大とその父親との間柄が微妙な事を察しているようで、雄大に気を遣っているようだった。
雄大がブリッジを出ると社長室の横でマーガレットが壁にもたれかかっていた。
「わっ……居たなら入ってくればいいのに」
「出て行くのを待っていたのよ、部外者のあんたがね。大丈夫、盗み聞きなんて出来る訳ないわ。社長室のセキュリティーは万全だもの」
「へ、変な話はしてないぞ?」
「ねえこれ、嫌味じゃなくてあんたのためを思って言うんだけど。わたくし、あんまり木星復興の事にあんたみたいな新参者を深入りさせて、なし崩し的に巻き添えにするのは良くないと思っているの。あんたみたいな……連邦政府側に親族がいる人間や育ちの良いまっとうな家庭で育ったような人達は特に、ね。ユイ様はあんたを気に入って同志にしたいみたいだけど……」
「お前から見て、俺は仲間に相応しくない、って事か?」
あくまで自分に喧嘩腰で対応する青年を見て若き少女伯爵は、はあー、とため息を吐く。
「ユイ様や魚住があんたを操舵士として好条件で雇い入れた本当の理由、真剣に考えた事ある? まあ無いだろうけど」
「理由?」
「……遅かれ早かれ、いずれ気付くでしょ。じゃ、わたくし、ユイ様と大事な話があるのでね、失礼するわ」
マーガレットはぷいとそっぽを向くとガードロボットの腕を払いのけるような仕草をして社長室に入っていってしまった。
ブリッジに戻った雄大は猫と戯れているラフタと席を代わった。
「社長の指示で今から航路を変更して土星方面、サターンベースに向かう」
巡洋艦としては大型のぎゃらくしぃ号ではあるがその操舵は特別難解というわけではない。戦闘機を飛ばす程度、いや重力下でスポーツカーを走らせるぐらいの手順には簡略化されているが逆に操舵の巧拙がダイレクトに船の動きに表れてくる。長距離貨物船のドライバーの操舵は当然荒っぽいし、客船の操舵士は操縦桿捌きが丁寧だが反応が悪く不測の事態に思い切りの良い操舵が出来ない。
雄大は士官学校時代、操船技術は同期の中でも群を抜いて優秀だった。
「土星航路へ変針。減速後に艦首回頭、面舵、舵角35」
「航路変針。艦首回頭、面舵」
通信士席に座ったラフタは周囲の船に警告を出しつつ雄大の指示を復唱した。
ぎゃらくしぃ号は大回りに一旦航路を出てから木~土航路に入り直す。
ゴテゴテと増設された店舗用の船体はバランスが悪く、負荷を与えず旋回するのは難しい。雄大は苦戦しながらも船体を安定させつつ大きな弧を描いて土星航路へ進入した。
多少不都合があったのか店舗部分からのメッセージがサブウィンドウに表示される。荒い操舵に関して店舗クルーから苦情が入っているようだ。艦内の重力は制御されているがやはり揺れるのは仕方がない、船の急な減速、加速、そして振り回されるような傾斜に自動姿勢制御が追い付いていないのだ。
「チェッ……まだまだ慣れないな」
「いや、上出来だよ。雄大は操舵士としてレベル高い」
ラフタは慰めてくれるが今の操船はあんまり褒められたものではない。
もう少し綺麗な弧を描いて旋回すれば揺れを防げたはずだし、半円をもっとコンパクトにする事も出来た、先ほどの回頭は反省点が多い。何より大回りし過ぎて航路を外れるとシールドで弾き切れない大きなデブリにあたり外装や塗料が剥がれかねない。軍艦や貨物船ならまだしも塗装がボロボロの客船や商船は見栄えが悪い。
(ちょっと焦っているのか)
軍部の不穏な動きの一端を垣間見た不安に加えて、父親と話をしなければいけないという心の動揺が雄大の操舵に少なからず影響しているようだ。
(それにしても……)
雄大の産まれる前の話、木星帝国と連邦宇宙軍は戦争をして皇女の先祖が築いた帝国は解体されて連邦に組み込まれてしまっている。
面接の時の話が本当ならば、親は処刑、財産は没収、自分は何十年も冷凍刑にされた上に未だに軟禁状態だったり、と地球の連邦政府と宇宙軍は皇女にとって不倶戴天の敵、復讐の相手に他ならない。
(連邦が内紛で弱体化するのはユイ皇女達からすれば喜ばしい事で、祖国の仇が苦しむ姿で長年の憂さも晴れようものなのに)
普段、何も考えていないように明るくて優しい印象のユイも連邦政府に対する感情は雄大には計り知れないほど複雑なのかもしれない。
先刻、雄大は皇女に直接その疑問をぶつけようとしたがそれほど個人的に親しい訳でもなければ正式に木星帝国の臣下になった訳でもない。単なる社長と社員、雇用主と労働者の関係でしかないのだ。
もし、そういう話をする時は自分が木星帝国の一員として、ぎゃらくしぃの社長ではなく木星の皇女殿下にお仕えする時なのだろう。
(そう言えばラフタは木星帝国とは無関係だし、本人も無関心みたいだな、これぐらいの距離感が理想なのか)
社長室の前でマーガレットに釘をさされた内容が今更になって重みを増してくる。世間一般的には、ユイや魚住達はいかがわしい木星帝国の残党だ。普通に考えればこんなアウトロー連中の思想に深入りするべきではない。
(そんな事は、わかっている……つもりなんだよな)
最大巡航速度で飛ばして、サターンベースまで後11時間……




