VIP席にて①
エアレースを楽しむために特設されたVIP観覧席は各界の著名人やチームオーナー、スポンサー企業の重役達が集まっていてさながらセレブリティの社交パーティー会場と化していた。
特別に個室を当てられたユイと魚住の前に現れたのは……
「殿下!」
ユイ皇女殿下を連邦議員に推薦する会の会長にして、木星圏随一の経済規模を誇る海洋星エウロパの盟主メガフロートシティ市長その人である。連邦議会にも名を連ねる革新派の議員で「革命」をモットーに活動する政治家だ。
「殿下! 直々に拝謁できるとは身に余る光栄でございます! おお殿下、ユイ・ファルシナ皇女殿下! 聖クレメンスデーに木星王家の正統後継者をお迎え出来る喜び、身に余る光栄でございます! 冷凍刑から不死鳥のごとくよみがえり我等の前に降臨された殿下こそ、人類の輝かしい未来の象徴! 起こしましょう奇跡、吹かせましょう改革の風!」
外見的には長身で痩せぎす、善良そうな壮年紳士。細っこい身体の作りに似合わずエネルギッシュ、爛々と輝く丸くて大きな瞳が印象的である。人気の政治家らしく愛嬌たっぷりに笑顔を振り撒いているが、目を細めると途端に印象がガラリと変わる。今も手際の悪い秘書に時折不機嫌そうに舌打ちをするのだが、その仕草はどこか悪党めいて見える。まあ確かに私兵紛いの警察機構を有してエウロパ総督府を蔑ろにするような武闘派政治家が『善良』であるはずもないのだが──
こんな男ではあるがファルシナ王家への信奉は本物、むしろ狂信者のそれに近いらしく、ユイへの態度に裏表は感じられない。その心酔っぷりは度が過ぎていて少々生理的嫌悪感を感じる程である。土星基地のモエラ少将と甲乙つけがたい──いや市長のほうが病的かも、とユイの側近である魚住には感じられた。
大好きな主人を前にしたペットのようだわ、と魚住は思い、つい吹き出しそうになるが、眉をひそめ怒ったように顔を強ばらせる事で、どうにか笑いをこらえた。一方のユイはその珠のような顔に変わらぬ微笑をたたえていたが、内心は度が過ぎる敬意に困惑していた。
「あのう、どうぞユイとお呼びくださいませ市長。旧・木星帝国は既にその実体を失っております。身分ある御方をあたかも我が臣民のごとく扱うわけには……」
腰を低くしたユイは申し訳無さそうに頭を下げる。
「え!? い、いまなんとおっしゃられたので!?」
市長は膝を折るとユイより頭を低い位置に調整した。
「え? ええと──た、確かに私はファルシナ王家の末裔ですが、公的に帝国が存在しない以上、私はあなたの主君では有りません。むしろ公的なお立場ならば市長のほうが上なのではないでしょうか。このたびのお招き、流浪の身には過ぎた果報でございます──市長、どうぞ殿下などとお呼びにならぬよう。呼び捨てで十分ですよ?」
「な、なんと畏れ多い。我等が主君、皇女殿下を呼び捨てになどしたら死んだ祖父に叱られます」
市長は引き下がらない。引き下がるどころかさらに攻めてきそうな勢いだ。
「は、はあ……お祖父様に」
潤んだ瞳でぐいぐいと詰め寄ってくる市長から少し距離を保つユイ。勢いに負けそうである、この『顔面力』のなせるわざとでも言おうか──腰が低いのにやたら押しが強い人物である。
「──我等がエウロパがこのように発展出来たのは主星である木星を治めたもうファルシナ王家の皆様が矢面にたって民のために闘っていただいたおかげに他なりませぬ──そのように大恩ある御身の御尊顔を間近で拝するだけでこの私、荒んだ心が浄化されるようでございます! 10年来の肩凝りも一気に吹き飛んでしまいましたヨ!」
「そ、それは、ようございました……でも困りましたねえ」
現在のユイはごくごくわずかの土地を木星に所有するだけの単なる「地球連邦の一市民」に過ぎない。エウロパの過熱気味の歓迎に乗って王族アピールを続けるのは少々気が引ける。
「おおそうだ! 仮に私が御身を平民がごとく呼び捨てにした場合は、どうぞ私めのことを『ゴミ虫』とでもお呼びくださいませ、それでようやく釣り合いがとれるというものです。そうしましょう、そうしましょう!」
「えっ」
「はい、ゴミ虫でございます」
流石にへりくだり過ぎではないだろうか、ユイは気恥ずかしくなって魚住に助けを求め耳打ちする。
(魚住……もう嫌です、帰りたい……この辺で打ち切って雄大さんの応援に行っちゃダメ?)
(『ぎゃらくしぃグループ』はユイ様を餌にこんだけ歓待してもらってるんです。もう少しお相手していただかないと)
(えええ、でも……ご、ゴミムシとか……そんな)
(そういう性癖なんですよたぶん、年下の小娘に詰られて悦ぶ系の──向こうが望んでるんですから、それぐらいサービスなされては?)
(せい、へき!?!?!?)
ユイの理解度を遥かに超える難敵である。
(殿下、ここはバシっとお望み通り振る舞ってあげましょう。即位後の予行演習だと思って)
皇帝らしく思いっきり尊大に振る舞ってみては、と魚住は提案した。
(そ、そういうものですか……予行演習……)
ユイは、しばし待たせていた市長に向き直ると一度、こほん、と咳払いをしてから表情を整えると、威厳たっぷりに振る舞った。
「うむ……見知りおけゴミ虫、余こそユイ・ファルシナ第一皇女である。時に、此度の出迎え、まこと大義であった。開国の祖クレメンス翁を敬うこの祝祭の盛況ぶり、崩御なされた先帝もきっとお喜びのことであろう──ファルシナ王家はそなたとエウロパの民の変わらぬ忠義に必ずや厚く酬いるものである」
ユイは記憶にある父の姿を真似ようと思ったが、先帝は割と柔和で強面とは程遠かったので、記憶の中で一番尊大な人物であるリオル大将と、一番威厳あるアレキサンダー伯爵の要素とをミックスして演じてみた──
「は、はは~っ! このゴミ虫、これからも身命を賭してユイ様のため木星帝国の再興のため、粉骨砕身働く所存でございます」
効果は抜群だ──まあ、すらすらと卑屈な言葉が出てくるものである、後ろで控えていた市長秘書が雇い主の変貌ぶりに呆れている。
ユイは半ば自棄になって演技を続ける。
「励めよゴミ虫? 帝国の再興、そなたの双肩にかかっておるといっても過言ではない。期待しておる」
ユイの背筋に悪寒が走る、自分で言っておきながらなんとも寒気のするセリフだ。
(何でしょう、なんか背中がぞわぞわっとしますね……)
寒気を感じたあと、気恥ずかしさで頬は紅潮し全身がむず痒くなる。風邪をひいた時のような症状。
「おおおお……なんともったいない、直々にお褒めのお言葉を賜りまして……これでようやく一人前の政治家として、男として先祖に顔向けが出来るというもので……」
市長は人目をはばからず嗚咽を漏らしはじめた──効き過ぎだ。
(えっ! 魚住、泣かれてしまいましたよ?)
(ほら、古めかしい宮中言葉をお使いになるから。ちょっとやり過ぎたのでは?)
(も、もう! 魚住が偉そうにしろ、って言うから……)
(え? 私が悪いんですか?)
(そうですよ! もう止めますからね?)
(はい致し方ありません)
「あの、市長? やはり年嵩の紳士に対してゴミ虫呼ばわりというのは──なんとも心苦しいと申しましょうか」
「市長? 誰か木星圏以外の人間に聞かれるとちょっと対外的に殿下のイメージが悪くなりますゆえ、なんというかその、市井の民の言葉を用いて──なんというかその『普通』な感じでお話させていただいてよろしいでしょうかね? 殿下もそれでよろしゅうございますか?」
ユイは思いっきり素早くこくこくと頷いた。
「はあ魚住女史……で、では私も皇女殿下とお呼びしても構わない、ということで?」
市長は少し残念そうに顔を曇らせた。
「はい市長。気恥ずかしくはありますが、いずれその呼ばれ方に相応しい人物になれるよう努力いたします」
「さすがは皇女殿下! うふふ、も~ほんとにどこまでも奥ゆかしい性格の御方であらせられますこと! はやくも名君の片鱗が見え隠れしてますネ♪ あ、ちょっと失礼をば……」
ゾクゾクゾクッ、と背筋に悪寒が走るユイ。
式典の打ち合わせで秘書に指示を出し始める市長。
ここぞとばかりに大きく息を吐いて緊張を解くユイ、拷問から解放されたような表情だ。
(この方の木星王家への忠義、まこと有り難いことなのですが、なんというかその──個人的には苦手、かも……)
(我慢です、メガフロートシティと言えば木星圏随一の経済規模を誇る大都市です、ここの財界人達──特にこの市長の支持無しには帝国再興など夢また夢ですよ? ユイ様はただでさえロンドンの晩餐会で一度、彼等のような支援者から逃げ出しているのですから。更なる支援を引き出すためにも点数稼ぎしてもらわないと)
(人とお会いするのがこんなに気疲れするものとは……)
(何をおっしゃいますか。皇帝ならずとも社長でも政治家でもこういう『付き合い』は避けて通れませんよ? 組織の長たるもの、社交の場を疎かにしてはなりません)
(はぁい……)
(それと、市長は連邦議会への進出の件……ものすごく勧めてくると思いますけど、流されずにキッパリ断ってくださいね? 先方に変な期待を持たせないように)
(は、はいそれはもう。十分理解してます)
市長の目的は、カビの生えた地球閥支配体制を打倒して開拓惑星系移民を中心とした人類社会を構築すること。そのための近道として地球から木星への政権交代を目論んでいるらしい。
それは開拓惑星系移民に莫大な利益をもたらすだろうがユイと魚住の悲願である木星帝国の再興とは似て非なる結果を生むだろう。それは単に支配者の首がマグバレッジJr.からユイ・ファルシナにすげかわるだけ、いずれはユイが糾弾され引きずりおろされる立場になる──その時、ユイの手元には何が残るだろう?
労せずして得たもの、不当な手段で得たものは、得た時の苦労と同じようにあっさりと手から離れていく──今、正に地球閥の二世議員達も肌でそれを感じているはずだ。
ユイ達の目的はあくまで経済的に独立し旧木星王家の所領を正当かつ平和的な手段で買い戻すこと。誰かを蹴落としてその地位を奪いとるのではなく着実に実績を積み重ねていく。
初志貫徹、ユイは起業した時の決意を思い出し身が引き締まる思いだった。




