消えた六郎②
菱川十鉄は身支度を整えていた。
反撃の準備だ。
(どこの洞主か知らねえが──わざわざ危険を冒して洞の外の木星圏に直属の部下を送り込んでる、相当な覚悟だ。こういう場合、下手に逃げ回るより撃って出るほうがいい──死中に活ありってな)
ダーツバーで襲ってきた黒覆面達の車の中に、結構な武器が揃えられていた。
「火薬式の武器が選り取り見取り──昔を思い出すぜ」
現代、33世紀の歩兵が扱う主力武器と言えばショックガン、そしてショックライフルだ。実体弾ではないため麻痺から殺傷までの威力調整が容易で、宇宙船全盛の現代には欠かせないものとなっている。
光、熱、何かしらの溶媒(水でも構わない)があれば充電が可能で弾切れの心配もほとんどなく環境を汚染する事もない画期的な携行火器である。
宇宙船の中で使用しても船体を傷付けず、跳弾の危険もない。
小型ドローンの群れを効率良く無力化する連射性能を持ち、麻痺設定時の人体へのダメージは極小で対象を傷付けない──
良いことずくめのようにも見えるが欠点も多い。実体弾ではないので、対象に穴を開けたり対象を弾き飛ばす事には致命的なほど向かない、一定以上の強度をもつ装甲服には豆鉄砲に成り下がってしまう。
このように対装甲貫通力では実体弾に大きく劣るため、陸軍では高熱を出す粘性の高い溶解液「ヒートジェル」を詰めた小さな容器を射出するヒートガンとの使い分けが推奨されている。
昔ながらの鉄鋼弾を用いた大型機関砲は反動が大きいため戦闘ロボットや戦車に搭載して運用するのが通例だ。
金星マフィアがショックガンよりも昔ながらの金属の実体弾と火薬式の銃器を好む理由はいくつかあるが、やはり人気の秘密は高い対物打撃力と着弾確認の容易さにあると思われる。
ターゲットに弾丸が命中すると、穴が空き、血を流す。
その穴の位置で殺し屋は仕事の成否を瞬時に判断する事が出来る。そして獲物から流れ出る血は破壊衝動を満たしてくれる。未だ人間に残された獣性の慰めとなるのだ。
銃器の状態と残弾を確認していくうちに菱川十鉄はだんだんと獣性を取り戻しつつあった。近代的な洗練された武器であるショックガンでは得られなかった殺しの感触。
内なる何かが突き動かされるのを感じる──それと同時にガンメタルブラックの鈍い黒光りと火薬の臭いは十鉄から死の恐怖、そして喪失感を拭い去ってくれる。
吹き込んでいた隙間風が止む思いだ。
「どんな覚醒麻薬より効くんじゃないのか。こうやって眺めているだけで心が落ち着く。こいつこそ真の禁忌だぜ、神父様」
気付け用のウィスキーを舐め、乾いた下唇を噛む。
ふと、十鉄は自らの懐中で何かが微かに光るのを感じた。
(なんだ───メール?)
PPを取り出すと受信欄を開く。
送り主は『ワイズ伯』と表示されている文章メール。
(閣下──マーガレットか)
既に20通以上。最初のメールは『すぐに出頭しなさい』とだけ簡潔に記されていたがだんだんと内容が変化していった、次第に部下の安否を気遣うような内容になっていく。
(──閣下の事だ、薄々勘付いてるのかも知れない──俺が、黙って逃げようとしてること──)
胸がズキリと痛むが、同時にじわりじわりと奥底に温かな感情が染み入ってくる。鎌首をもたげていた獣の本性が胸の奥で雲散霧消する想いがした。
必要とされているのが嬉しい。
類い希なる高潔な魂──眩しいほど純粋で気高い少女に幼い頃から仕えてきた。
常にストイックに技術を磨き上げ、妥協しないスタイルはかつての十鉄よりもプロとして優れていた。
(男が命を賭して仕える価値がある唯一の女。マーガレット・ワイズ)
そのマーガレットが自分の身を案じて何度も何度も連絡を入れてくれている。
『現在位置を報せなさい』
『怒らないから帰ってきなさい六郎』
『何かトラブルなの?』
『無事なの? なんでもいいから返事をしなさい!』
(──六郎として、必要としてくれているのか、ありがてえ──ありがてえ……)
十鉄はついさっき届いた最新のメールを開いた。
『見つけ次第殺す』
(ハアアアア??)
十鉄は思わず声まで裏返って動揺した。
(え? キレちゃったの? 俺がガン無視決め込んでるからキレちゃったの?)
両手で頭を抱え込む。何事に対しても極端な言動をする人柄なのは理解していたが──
(怖えよ、おい! 有言実行だからな、あの人。見つけ次第、って──やべえなこりゃ──捜しに来る気だぞ)
このままだと閣下を巻き込んでしまう、金星の連中との因縁に。巻き込みたくない、知られたくない──菱川十鉄の恥ずべき過去を──
(もっと早く──姿を消すべきだったのか──)
菱川十鉄は昔の事を振り返る、主人である少女伯爵にも語った事がない──友人、甲賀六郎との事、金星マフィアとの因縁、自分の出自のことを──
◇◇◇◇◇
六郎と十鉄は金星周辺コロニー育ち。
父親のことはよくわからない、記憶が確かなら母親は連邦警察に逮捕されたのだと思う。
野垂れ死に寸前のところを拾われた。
名前すらなかった孤児達に適当な名前を付けてやり、寝る場所の世話をしてやっていた物好きな菱川の爺様というのがいて、そこで寝泊まりするようになった。
そこにいたのが六郎である。
菱川の爺様は単なる慈善家ではなく、やり手の事業主だった。
孤児を訓練して暗殺者に仕立て上げるという、とんだクソジジイだ。
そんな爺様にも寿命が近付いてきたらしい、いよいよ足腰が弱ってきた爺様を不憫に思った孤児達は、爺様を楽に逝かせてやる事にした。
年長者だった十鉄が代表して菱川の爺様を射殺、葬式まで出してやった。
爺様は暗殺請負人として相当貯め込んでいたので、十鉄は孤児達に金を配って解散させた。
菱川に付けられた適当な名前が気に入らない連中や、菱川に性的な悪戯をされてクソジジイを憎んでいた女達は嬉々として自分達の新しい人生を祝い、新しい名前について話しあっていたが十鉄は彼等の気持ちがイマイチ理解できなかった。
爺様は確かにクソジジイだったが、暴力は振るわないし、いじめられることもなかった。生き馬の目を抜くような、ここ金星コロニーで孤児が生き残るために必要な技を無料で叩き込んでくれた上に、浪費することなく金を貯め込んでいたがめつい性格のおかげで遊んで暮らせるだけの遺産が遺った。
十鉄は菱川に感謝していた。菱川の爺様がいなければ今の自分はない、そう思うからこそ十鉄は菱川の姓を名乗り、十鉄の名を誇った。
十鉄が菱川の姓を名乗るのはもう一つ理由があった。
菱川の名前は裏では相当知れ渡っていて、酒場で名前を出すだけで暗殺や護衛の依頼が次々に飛び込んできて選り好みや値の吊り上げも自由──なんとも楽な稼業だった。十鉄はそのネームバリューと射撃の腕を活かして今まで以上に仕事に励んだ。
麻薬を手広く扱っていた有力な悦楽女洞主、三弦洞の甲賀御前と専属契約を結んで洞主同士の抗争に手を貸すようになると更に十鉄の名は恐れられるようになる。
甲賀御前の元で菱川十鉄は目覚ましい活躍をして商売敵や裏切り者、連邦警察の麻薬捜査官を次々に始末していった。
この時についた異名が『両面宿儺』である。
菱川の爺様の家で寝食を共にしていた十鉄の兄弟、六郎が兄貴分の十鉄を頼って三弦洞に転がり込んできた。六郎は男前だが破滅的で自堕落な男で、遺産をあっという間に使い果たしたらしい。
六郎は麻薬の売人として三弦洞に出入りすることを許された。一緒に暮らすようになると六郎は十鉄の飯を作ったり、街で引っ掛けた女を十鉄に世話したり、金の管理をやるなどマネージャーを気取るようになった。
寄生する対象を気分よくさせる術を心得ていたのだろう、実際、この共同生活をやっている時が、菱川十鉄の人生の中で一番楽しかったのかも知れない。将来に憂いなく、誰にも気兼ねなく、気心の知れた兄弟分と自堕落な日々を過ごす──
三弦洞の主、甲賀御前は老いてはいたが未だ情欲の衰えぬ現役だった。彼女は美男子の六郎をたいそう気に入り、自らの情夫として囲いたいと十鉄に相談を持ち掛けてきた。その御執心ぶりは甲賀の姓を与える、と約束するほどであった。
「うまくやれば三弦洞の実権が握れる」
甲賀六郎は喜んで甲賀御前の情夫になった。言うなればヒモなのだが、裏社会において甲賀御前のお気に入りと言えばヒモの中でも最上級だ。
それに、齢を重ねているとは言え美容整形に金を湯水のように注ぎ込んでいる甲賀御前の外見は相当の美形である。
至れり尽くせりの逆玉の輿だ、と六郎が愉しげに語っていたのを十鉄は昨日のことのように思い出す。
──このまま同じような毎日が続き、いつか自分の腕前が落ちた時、より強い相手に殺されて幕を閉じるのだ──十鉄はそう思っていた。
数年後、六郎は甲賀御前の目を盗んでは洞の外へ出ていくようになる。一般人の女と出逢い夫婦の契りを交わしたのだ──子供が産まれ、六郎は初めて人並みの幸せを手に入れたようだった。
「カタギの仕事がしたい、三弦洞から出たい」
六郎は苦々しく語った。
子供が出来て六郎は変わり、今までの自分の生き方を恥じるようになっていた。
十鉄は驚いたものの、その変化を好ましく思い、おおいに祝福した。十鉄が六郎の変化を支援する気になったのは気紛れではなく、自身の代わりに六郎を通じてカタギの世界に触れたい、という気持ちがあったからだろう。
結果論だが十鉄はこの時、六郎を祝福するべきではなかった、と後悔している。
不義理を働いたのは六郎の方である、裏社会とは言えルールはある──いや、裏社会だからこそ、その道理を曲げるべきでは無かったのだ。
相談を受けた十鉄は甲賀御前に何度も頭を下げ、弟分の裏切りと勝手な振る舞いを詫びた。
御前は情夫の裏切りに怒り狂って六郎を殺そうとしたが、右腕として働いて権勢を支えていた十鉄が粘り強く説得した甲斐もあり、晴れて六郎は三弦洞との縁切りを御前に約束させた。
しかし。
運悪くその事実が麻薬カルテルの他の洞主達に漏れてしまった。甲賀御前は「情夫に逃げられた哀れな洞主」として辱めを受けるだけでなく「裏切り者への報復もできない腰抜け」として三弦洞を統治する能力すら疑問視されるようになった。
「甲賀御前は麻薬カルテルのトップに相応しくない」そう結論づけられたら最後、洞の内外から命を狙われる。
悦楽女洞主とは、金星の暴力をつかさどる者。恐怖で他者を抑えられなくなれば、惨たらしい死を待つより他はない。
焦った甲賀御前は十鉄との約束を反故にして六郎を惨殺──遺体を晒した上で犬に喰わせ自らの力と残虐性が衰えていないことを誇示した──年老いた甲賀御前がドラッグカルテルのトップとして権威を保つためには必要な処置だった──
後は地獄だった。
身の毛もよだつ地獄。
十鉄自身も細かいところはよく憶えていない──ただ、甲賀御前もろとも三弦洞の連中を衝動に任せて殺して回った。
仕事ではなく、損得勘定抜きに殺しをやったのは初めてだった。
六郎ひとりの命の価値なんてちっぽけなもの、三弦洞という大きな組織と釣り合うはずもない。
そんなことはわかっている。
わかってはいるが許せなかった──判断を過って友人を死地に追い込んだ自分自身が最も許せなかった。その怒りを八つ当たりのように金星マフィアの連中にぶつけたのだった。




