上げ潮、下げ潮③
~前回~
メガフロートシティの中心市街地を観光した雄大とマーガレットのふたりは宿泊先へ帰る車中、様子のおかしな一台の車と遭遇した。制限速度を著しくオーバーしたまま大通りへと向かう暴走車。ドライバーにトラブルが起きたのだろうか?
事故を未然に防ごうと雄大は暴走車に近付いた。
◇◇◇◇
「車のナンバー見えるか?」
「待って……ASB7-86……」
雄大はコンパネに登録ナンバーを入力する。シティの交通管理局に車載カメラの映像を提供、制御AIに『車両緊急停止要請』を行った。
審議アイコンが出てから二秒で停止要請が受諾された。
手順に従い、交通局は遠隔操作で車のコントロールをドライバーから剥奪し、コンピューターによる自動運転に切り換えて暴走車を安全に停止させる。
しかし、雄大の前方を走る車両は止まるどころか更にスピードを上げた。都合良く制御チップが故障しているのでなければ、電波妨害か違法改造か──何者かの悪意があの車を暴走させているということになる。
「──まずいな」
雄大はアクセルを踏む、時速にして130km、140……まだ差は詰まらない、暴走車は推定160km、しかも少しずつ加速し続けている。
(見栄張って240kmまで出るスポーツタイプを借りてて良かった──)
雄大の頭から大量のアドレナリンが分泌される。
集中、集中、集中。
ドライブシミュレーターで350kmのレーシングカーを運転しているつもりになり、緊張をほぐす。身体中が熱くなるが思考は冷徹だ。
このまま速度が上がり続ければ交通局が仕事を始める前に暴走車が交差点に飛び込む。
「追い付くぞ」
「ええ、いいわよ寄せて」
マーガレットの顔付きは完全に戦闘状態に突入していた。
肝の据わり具合はふたりとも甲乙つけがたい。
遂に横に付けた。窓越しに暴走車の運転席が視界に入る。
「運転手は?」
「無事みたいだけど、やだこの人──運転してない」
「何だって?」
運転席の男は併走する雄大達に助けを求めて窓を叩く。男はPPに文字を打ち込んで画面を窓に押し付けた。
「『操縦不能』ってどういうこと!?」
「窓も開けられないのか? 乗っているのが一人かどうか聞いて!」
わかったわ、とマーガレットは自分のPPを使って相手にメッセージを伝えた。男はジェスチャーで自分一人であると返答する。
「よし──取り敢えず窓ガラスを割ってドライバーをこっちに引っ張り込む」
雄大は車に常備されている緊急脱出用のハンマーをマーガレットに手渡した。
車体と車体が接触するかしないかのギリギリの間合い、マーガレットが窓を開けて身を乗り出す。
ハンマーで一撃、ニ撃と窓を打つがへこみもしない。
「なによこれ! こんなに硬いの?」
「え? まさか防弾仕様?」
「参ったわね、これはあの馬鹿力向けの案件かも──」
歯噛みするマーガレット、落ち着いていた雄大にも少し焦りが出てくる。
「どうにかならないか?」
「出来るかどうかわからないけど──」
マーガレットはハンマーを放り捨てると、スウと息を吸い込んでゆっくりと吐き出し始めた。
ガン! と物凄い音が車内に響いたかと思うとマーガレットは自分達が乗っている車の後部座席のジョイント目掛けて強烈な蹴りを放っていた。
マーガレットの履いているタンクヒールの先に何か鈍く光る金具を被せてある、脚一本まるごと大きな戦槌のように見えなくもない。
(──格闘戦用アタッチメント?)
「狭い窓から手を出したぐらいじゃ十分な打撃にならない──先ずはドアごと吹っ飛ばしてスペースを確保するわ!」
三回の猛烈な蹴りでドアが弾け飛び、遥か後方にとびさっていく。マーガレットは脱ぎ捨てたスカートを裂き、雄大と自分のネクタイを解いてスカート生地を補強するように捩って綱を作り上げる。乗降用の取っ手にそれを結び付け、綱に掴まると勢いを付けて脚から車外に飛び出した。その様子はまるで戦車砲弾が砲塔から射出される姿を彷彿とさせる──ライフル弾が回転するように、いやフィギュアスケートの選手が氷上でスピンするかのように、華麗な横回転を加わった一撃は人間技とは思えないほどの打撃力を叩き出す。その威力は暴走車を軽く浮き上がらせ、後部座席のドアを吹き飛ばした。
「──さ、さすがブリジットさんの師匠」
ドライバーの男性が藁にも縋るような必死の形相で後部座席に這い出してくると、マーガレットは脚を伸ばして器用に男性の首と肩に自分の脚を巻き付かせた。引っこ抜くように勢いよく男性を此方側の車に引っ張って移動させた。運悪く勢い余って男性は反対側のドアに顔面から突っ込んでしまう。
「あらやだ──」
「だ、大丈夫か?」
男性は鼻血を出して悶絶しており、とても喋れるような状態では無い。命に別状が無さそうなのは不幸中の幸いだ。
「ちょっと予定と違うけど、概ね成功よ!」
「よしあとはこの車を──」
制御を失った無人の暴走車は尚も加速し続けていた、速度は遂に時速200kmを突破、このまま聖クレメンスデーで賑わう大通りに突っ込めば歩行者にも被害が出る可能性がある。
(道路から弾き出して止めるか、いや……ここじゃ駄目だ)
現在の走行車線は海側なので此方から叩き出せば安全なのだがガードレールは高く頑丈だ。反対車線に出そうにもそこそこの交通量に加えてこちら側には道路沿いに店舗や出店がある、クレメンスデーを祝うための特設屋台に観光客が集まっている。
(路肩に出すにしても先ずは速度を落とさないと──)
雄大は暴走車を追い越すとかぶせ気味に接触させた。鉄と鉄が互いを削り合い火花散らし轟音を撒き散らす。
途中何度かハンドルを切り直し、スピンを防止する。雄大の奮闘むなしく思ったように速度が落ちない。暴走車の馬力がレンタカーより勝っているせいだろうか。これ以上無理をすると二台ともクラッシュしかねない。
「あたり負けしてるのか?」
「ちょっと宮城、前、前見て!」
十字路の入り口、信号待ちの車列が見えてくる。
「間に合え!」
雄大はガードレールを利用して暴走車を両側から挟み込んでブレーキを踏む。
車体を削りあいながら徐々に速度を落としていくふたつの鉄の塊、しかし減速を始めるタイミングが遅かった、このままの状態では交差点に突っ込んで大事故になってしまう。
(駄目だ、思うように減速しない)
もう普通には止まれない──今ここでこの暴走車を止めなければ。
雄大の視界に反対車線の様子が飛び込んでくる。
十字路が近付くことで車線が一本増えたのだ。そしてその増えた車線にハザードランプを出して停車中の大型トレーラーが飛び込んでくる。
(これしかない!)
雄大は前輪をロックして故意に後輪を滑らせた、密着していた暴走車の車体も押される事で、二台の車はちょうど道路に対して車体が真横になった、雄大の車を射出カタパルト代わりにして道路を真横に横断した暴走車は、中央分離帯を乗り越えてスタントカーのように空中に舞い上がった。
暴走車は反対車線を走る車の上を飛び越えると大型トレーラーの高い車体下部と道路との間に出来た大きな隙間に勢い良く突っ込んだ。
激しい激突音──荷台の下ですり潰されるように車体を削られて停止した暴走車は完全にスクラップになり路肩に小さな破片を撒き散らした。
ハンバーガーを片手に夜食を買い込んでいたトレーラーの運転手が腰を抜かしてその場にへたり込んだ。最も驚いたのは近場にいた観光客、突然のハプニングに慌てふためきテロと勘違いしてパニック状態になっていた。
「騒ぎは大きいけど大丈夫、特に被害は無さそう!」車外に出たマーガレットがオペラ鑑賞用に買ったグラスで辺りの様子を確認した。
「な、何とかなった、かな?」
安堵した途端、雄大の額には脂汗のような物がドッと湧き出ていた。ハア~、と長い溜め息を吐き肩の力を抜く。
運転席側にやってきたマーガレットがハンカチーフで雄大の汗を拭った。
「こういう速いだけの車も案外面白かったわ、ちょっとだけ良さがわかったかも」
「そりゃ良かった」
無邪気に笑うマーガレットを見て雄大もようやく一息つく事ができた。
◇◇◇◇◇
およそ一時間後──
雄大は灰色の壁で囲まれた殺風景な部屋に座らされていた。
事務机と椅子がふたつだけ……いわゆる取調室だ。雄大はちらちらと壁に表示される時計を眺めていた。
「あの、いつ帰れます? 連れが心配するんで──そろそろホテルに戻りたいんですが」
雄大の前に座る強面の刑事は、苦味ばしった渋い顔を更に険しくしていた。
「ID照合中だ──まあ素直に本当の事を話せば自由に連絡ぐらいはさせてやる、おまえ次第だな」
「あの、さっきから説明してるじゃないですか、ウソじゃないんですって」
「あのな……自分がどんだけアホなこと言ってるか、わかってンのか?」
「ま、まあ~、そのォ」
「まあ、仮におまえの言い分が真実だったとしてもね? あのお嬢ちゃんが脚でドアを破壊してドライバーを救出、その後ドリフトで暴走車を横向きにして、反対車線のトレーラーの荷台部分をねらってぶつけたなんて──調書にこんなホラ話書けるか、どアホ」
顔に深い皺が刻まれた壮年の刑事は舌打ちした。
雄大はメガフロートシティ警察署の強面の刑事たちに捕まって署内で取調べを受けていた。
事故の顛末を説明しようと交通局の職員を待っていた雄大達は、トレーラー運転手の通報ですっ飛んできた市警察に身柄を拘束されたのだった。
容疑は『暴走車両を使用した無差別破壊行為』だ。
「いやまあ現実味のない話なのは認めますけど事実なんで。車載カメラの映像をみてくださいよ」
「あれだけでは何とも言えんな」
「──それなら俺達が救出した男の人に話を聞いてもらえませんか? 一番手っ取り早いでしょ、なんであんなコントロール不能の車に乗っていたのか──」
「あの男な、鼻の骨が折れてるそうだぞ──おまえが殴ったのか?」
「刑事さん、俺がそんなヤツに見えますか?」
見える、と刑事は即答してから更に続けた「俺の刑事の勘に狂いはねえ、おまえとあのお嬢ちゃんの目つきは危ない、ああいう修羅場に慣れてる顔だわ」
(こ、こりゃダメだ……)
「あの──もしかして俺の連れの女の子、マーガレットにもこんな感じで尋問してるんじゃないでしょうね、まさか」
「当然だ、男だろうと女だろうと、不審者は徹底的に調査する──まったくあの娘、パンクファッションだかなんだか知らんが下着姿でけしからん」
「だからですね、マーガレットがスカートを脱いでるのは動き易くするためと、スカートを綱状に結い上げて振り子の要領で──」
「またそれか──そういうウソを言うから怪しまれるんだぞ?」
刑事は舌の滑りが良くなるようにコーヒーで口を潤して言葉を続けた。顔に似合わず割とお喋り好きな刑事らしい。
「な、なんか俺の知ってるのんびりとしたメガフロートシティと違うな~、なんか警察ではテロの予告とかの情報でも掴んでるんですか?」
取調室の外でも署員たちがドローンを引き連れて忙しそうに走り回っている。
「──いま、このメガフロートシティには木星のユイ・ファルシナ皇女殿下がご滞在中である……不審人物の摘発、エウロパへの入国管理はいつも以上に手厳しく行っているところだ」
刑事はデスクを叩く。
「ああ、ユイさんが来てるから刑事さん達、妙にピリピリしてるんですね……」
刑事はピシャリと雄大の額を叩いた。
「痛ッ!?」
「皇女殿下とお呼びせんか」
「え?」
「殿下をちゃん付けだのさん付けだの馴れ馴れしい、と言っとるんだ」
年寄り特有の聞き分けの無さそうな顔だな、と雄大は嘆息した。頭が固くなっていて理屈が通用しない。反発するよりむしろ少し相手に合わせたほうが良さそうだ。
「……ねえ刑事さん、木星帝国とユイさ──皇女殿下のファンなの?」
刑事はよくぞ聞いてくれた、という感じで表情を和らげた。
「そりゃそうだ、エウロパは元々木星圏の副都心みたいなもんだからな。つい最近まで──そう、今の木星贔屓の市長が当選するまでは銀河公社系列の市会議員が幅を利かせてて、おおっぴらに皇女殿下を応援出来なかったんだけども今はこの通りクレメンスデーも例年以上の盛況ぶりだ、随分潮目が変わったよ──」
「潮目?」
「そう、地球の引力に引っ張られてアッチ側に満ちていた宇宙の恵みが、ようやく潮の流れが逆転してコッチ側にやってきたのよ。メガフロートシティじゃ地球閥寄りの議員はほとんど落選、腰巾着みたいに尻尾振ってたヤツらまでこんな感じで手の平返しさ」
刑事はくるりくるりと大袈裟に手を回してみせた。
「へえ~」
積もり積もった不満が一気に噴出したせいもあるだろうが、何より地球閥側にこの流れを食い止めることのできる人材がいなくなってしまった事の方が深刻だ。
地球閥という組織の実質的なトップであるリオル大将の抜けた穴は雄大達が想像する以上に大きく、議長のマグバレッジJr.ではまだまだリオルの代わりは務まらないようだ。
「地球も大変ですねえ」
「そもそも卑怯な手で木星王家を悪者にでっち上げたヤツらが悪い、自業自得だ──」
上機嫌の刑事は懐から警察手帳にはさんだユイ皇女のホログラムカードを取り出すと雄大に見せびらかした。
「じゃ~ん」
「なにそれ、ファンクラブの会員証? 割と豪華な作り……」
「いいだろこれ、ウチの市長が中心になって殿下の後援会が出来たんだ。一口1000ギルダで支援金募ってて、募金したらこのカードがオマケに貰えるって寸法。市警察も労働組合あげてユイ皇女殿下を応援してるんだ」
カードには『ユイファルシナ皇女殿下を連邦議員に推薦する会(仮)』と書いてある。
「そんな事になってるんだ……後援会ねえ」
連邦議員に立候補するには高額の供託金や選挙のために運動資金を準備する必要があり、後援会のような存在は必要不可欠だが──
「でも皇女殿下ご本人は議員に立候補するなんて一言も言ってませんよね?」
雄大達の知らないところで様々な思惑が蠢いている、嬉しい反面怖さも感じる。
「まあそりゃ今はそうだけども。ゆくゆくはマグバレッジJr.なんぞ追い落として連邦政府議長を勤めていただいて開拓惑星系移民の権利を向上させて欲しいわけだ──殿下にはおままごとみたいなコンビニ事業にかまけてないで政治に専心して欲しいもんだね。俺達木星圏の人間には全面的に王家を支援する準備があるんだから」
雄大はボリボリと頭を掻いた。
「なるほど、メガフロートシティの市長さんが今回ユイさんを呼んだのは時間をかけてじっくり説得するため、ってところか」
ギロリ、と刑事が睨むので雄大は慌てて「殿下、皇女殿下」と言い直す。
「いやー、皇女殿下ってエウロパの人達から愛されてるんですね」
「そうだな。クレメンスデーにお越しいただくなんて、こんな嬉しいことはない」
刑事がニッコリと笑うので雄大もニッコリとほほえみ返す。
「新しい市長さんって色々やり手みたいですけど、どんな人なんです?」
またも刑事は気分を害して舌打ちすると再び雄大の頭を叩いた。
「ちょ、いてっ?」
「まだおまえの疑いは晴れて無いんだぞ、無駄口をたたくな」
「じ、自分から楽しそうにべらべら喋ったくせに──」
突然、ドアが開いて若い刑事が駆け込んでくる。
「ディッシュ警部! 大変です!」
「どうした、ID照合終わったか?」
喋り続けて喉が渇いたのか、ディッシュと呼ばれた刑事はコーヒーを口にふくんだ。
「そ、それがその、顔面を怪我していた男性がようやく話の出来る状態になりまして──それでどうやらこの人達に救助してもらったそうです──しかもですね、その~、我々が拘束した女性が、ユイ・ファルシナ皇女殿下のお身内の方みたいなんですけど……すごい怒ってて、その……今すぐ警部を呼べ、と」
「ハアアア? な、何だって?」
刑事は顔を青くして激しくゴホゴホと咳き込んだ。
なんとなく申し訳ない気持ちになってきたが、止めに入ってとばっちりを食うのはごめんだ。ここはまあ、この早とちり警部には泣いてもらうことにしよう、と思う雄大であった──




