上げ潮、下げ潮②
「お待たせ」
マーガレットはやや強張った面持ちで雄大の前にやってきた。
丈が短く腹部が露出した薄紫のノースリーブシャツはマーガレットの均整のとれた上半身のラインを強調し、金糸で縁取られた大きな真紅のネクタイとエメラルドのブローチがその胸元を飾っていた。下半身に視線を移すと前後で丈の長さが異なるフィッシュテールスカートが特徴的だ。ほぼ太腿が露わになるほどの際どいミニスカートからのぞく脚は半光沢素材の白いタイツで覆われていた。鉄鋲付きのタンクヒールの黒いブーツがどっしりとした安定感を出していている。
後ろから見るとドレッシーに、前から見るとややパンク、というマーガレットの個性が良く反映された面白いファッションだ。
マーガレットが大きな段差を乗り越えるとき、ふたりはどちらからともなく手を伸ばし合う
黒レースのアームカバー越しに触れるマーガレットの指は少し汗ばんでいた。緊張からくるものなのだろうか。
「どうかしら」
「ふーむ、今までのと少し違う路線だな」
「わかる? あんた結構良いセンスしてるわよね」
「正直言うとよくわからないんだけど……似合ってると思う」
「ちょっと違う、って気付いただけでも合格よ」
「そうかなぁ」
「そうよ」マーガレットはクスクスと笑う。
「でもいいのかね、俺のほうはこんな格好で。釣り合う?」
一方の雄大は何の変哲もないポロシャツにスラックス、革靴という少し年嵩の男性が好む定番スタイル。
「大丈夫よ、男はシンプルイズベスト。ほら……ネクタイがお揃いなの。今回のポイントね」
メガフロートシティにはいわゆる地球や月で言うところの『夏』気分を楽しもうという観光客達が多く訪れており、どちらかと言うと布面積は少なめでフォーマルよりもスポーティーなスタイルの人々が多い。そんな中でマーガレット達はどちらのベクトルにも極端に振れていない中間的な路線をとっている。
そこそこ目立つ上に、どんな場所に入っても浮かないよう気が配られているのではないだろうか。
「ねえ、これデートよね?」
マーガレットは雄大の腕に飛び付くと、瞳を輝かせながらストレートに尋ねてくる。
「あ、うん、その~──デートとはちょっと違うっていうか。広義でいうとデートに該当しなくもないが」
「デート、よね?」
「いいだろ形式にこだわらなくても」
「デートって言いなさいよ」
マーガレットは雄大の肘をとって背中に回し反対方向にひねりちょうどチキンウイングアームロックに極めた。頭をブーツで踏んで道路に引き倒すと腕を伸ばして肩関節を極める。
「いっ? いででで!? 折れる!? 折れるって!」
「──デートって認めたら、離してあげる」
「で、デエト、デートです……」
「やった~! ほらいつまで寝てるの? 起きて起きて!」
(ま、またこのパターンか……ちょっとパンツ見えたけど微妙に嬉しくない……)
何度目かは忘れたが雄大は自分にマゾヒストの素養が無い事をまた悔やんでいた。八歳も年下の美人に痛めつけられてブーツで顔を踏まれて真下から下着を覗く、M男にとってこれ以上のご褒美があるだろうか──
マーガレット達はロボットカーをレンタルして市内観光を始めた。招待してくれた市長の好意で利用料金はもちろん無料だ。
「……自分で運転したい?」
「いやまあ、これは運転しても面白くなさそうだし」
「ねえ、運転してないとこういうことも出来るんじゃない?」
マーガレットはわざわざ隣に座ると身体を寄せてくる、ふたりはぴったりと密着して手を握り合う。
「ふええ……」雄大はテンションの高いマーガレットに圧されっぱなしで、ただたじろぐしかなかった。
マーガレットの鼓動と体温が直に伝わってきて、雄大のほうも身体が内から熱くなってくる。
「あ、暑いなー」雄大はコンパネを操作して空調を入れる。
(ユイさんの沈み込むようなふかふかの柔らかさと違って、弾力が──きもちいい)
「うう……」
「何?」
(なんかこれマーガレットのための、心の余裕云々とか抜きにして──本当にただデートしてるだけ──というより浮気なのでは?)
「ぐううあぁ……」
マーガレットの肩に手をまわそうか、どうしようか、雄大は激しく葛藤していた。ユイの顔がちらつくが、目の前のマーガレットも美味しそう──正直、雄大は飢えている。
「ま、負けるな、負けるなよ──耐えろ」
「何よさっきから、難しい顔して唸って。楽しいとこに案内してくれるんでしょ?」
対向車線を走っているロボットカーの中で、カップルが濃厚な口付けを交わしている。
(ブフォ!?)
雄大は思わず噴き出してしまう。
(そう言えばエウロパってセレブに人気の新婚旅行先だった……耐えられるか不安になってきたぞ……)
◇◇◇◇◇
マーガレットは武術家だが自分で服を作ったり、部屋のコーディネートに凝ったりする芸術家肌の女性でもある。
美術館、水族館と回りオペラ観劇を済ませた辺りで食事をとる。
マーガレットは楽しそうではあるが、どうもこれは雄大と一緒に何かするのが楽しい、というだけで催し物の内容は別に何でも良さそうだった。
(ちょっと、違うよな。攻め方を変えてみよう……)
一緒に歩いてみて気付いたのはマーガレットは想像していた以上に世俗の常識に疎い。隔離された世界にいたのは祖父やユイ達だけで他人との関わり合いは最小限。市井の子供なら誰しも体験するようなイベントとはまったく無縁の生活を送ってきた。
マーガレットと店舗クルーの女の子達とは断絶に等しい隔たりがあるのかも知れない、と雄大は考えた。
実際のところ、祖父から教えられた事以外はほとんど経験した事が無く、ぬいぐるみ遊びを幼い頃のユイとほんの2、3回やっただけ、女の子らしい世界とは無縁の英才教育を受けてきた。
雄大は思うところあって親子連れでごった返す大きな玩具店にマーガレットを連れてきた──何故なら、彼女の視線をたびたび奪うのが楽しそうな親子連れだったからだ。普通の子供が体験するようなことに、何か彼女が丸くなるきっかけがあるような、そんな気がしていた。
雄大と一緒にマーガレットは色々な玩具をみて回ったが彼女の興味をもっとも惹いたのが幼児向けの知育玩具のコーナーだった。どんなにテクノロジーが進化してもいつの時代も変わらない、手作り玩具には素朴な味わいがある。
マーガレットは木の匂いを心地良く感じながら玩具を手にとって珍しそうに眺めていた。
「なにこれ、ねえなにこれ? かわいいナイフね」
同世代の娘なら知っているような玩具を見たこともない。
「これでな、おままごとやるんだよ」
「ああロールプレイ? 身近な大人の役割を演じて知識を吸収するアレ──知ってるわ」
マーガレットが包丁でニンジンを軽く叩き、木で出来たニンジンを割る。ことのほか気に入ったようで鼻歌混じりに料理ごっこに興じていた。
(何がウケるかわからんもんだなぁ、でも良かった)
生真面目が過ぎる彼女にはこういう子供っぽい体験が欠落しているのではないか、と直感的に閃いたのだが、どうやら的を射ていたらしい。
「これはもっと単純、積み木ね?」
すっかり童心に返ったのか、マーガレットは木の肌触りを楽しみながら木を組み上げていく。いつの間にか、雄大に話し掛ける事すら忘れて何か真剣に取り組んでいる。
マーガレットが夢中で木を積んでいく間、雄大はその横顔を見詰める。気のせいかいつもより随分と幼く見える。
(ああ、そうか──目から険がとれてるんだ)
警戒心の無い姿。
周囲の視線を気にしていない、飾らない彼女。
ぎゃらくしぃ号の船内では自由に動けぬユイのために働き、魚住の前では木星帝国の威厳を守り、ブリジットや六郎の前では偉大な武術家である祖父の後継者としての強さを望まれてきた。
すぐに飽きるかと思ったのだがマーガレットは長いことかけて試遊用の積み木を2セット、3セット、4セットと使って大作を組み上げようとしている、基礎のようなものを作っては壊して、何度もやり直す。
もはや雄大が横にいることすら忘れているかのように彼女は積み木に没頭して、頭の中にあるイメージを具現化しようとしていた。
「あのお姉ちゃん、大きいのに積み木で遊んでる、変なの」やら「まだ終わんないの? 代わって」やら、散々っぱら幼児達の嘲笑や不評を受けていたマーガレットだったが彼女の作業行程が進むにつれてその嘲笑はやみ、代わりに感嘆の溜め息やどよめきが贈られるようになっていった。
「出来たわ!」
マーガレットが作り上げたのはかつての木星帝国皇帝の居城、リオネルパレスを模した城だった。
積み木の城としては破格の大きさだろう。
「ほお………これは、まさかリオネルパレスですか」
店主の老紳士はホログラムデータを呼び出すと積み木の城に半透過ホログラムを重ねた。
縮尺を合わせるとマーガレットの城が縦横高さの比率において正しく作られていることがよくわかる。
ギャラリーからも大きな溜め息と拍手が起きた。
「ご老人、わたくしが作ったものが何なのか、よくおわかりになりましたね」
「いやあこれは有り難いものを見せていただきました、若いときに実物を見た時のことを思い出して心が踊りましたわい」
年老いた店主はベレー帽を取り胸に当ててマーガレットと積み木の城を拝む。もしかするとこの男性は帝国崩壊時に木星からエウロパに逃げてきた避難民だったのかも知れない。
「すいませんねおじいさん、お店の商売邪魔しちゃって。使っちゃった積み木の他にも何か買わせてもらうよ──」
雄大はPPの決済プログラムを起動させ、かさばらない商品を物色し始めた。
「いえ! とんでもない、本来なら積み木の御代をいただくのも心苦しいぐらいなのに──どうかお気遣いなく。それにしても随分と才長けたお美しい奥様をお持ちで──お子様が出来た時にでもまたお越しくださいませ」
店主は雄大とマーガレットが揃いの銀細工の指輪をしているのを確認した上でふたりの間柄を判断したらしい。
「奥様だって──! ふふふ」
マーガレットは上機嫌で雄大と腕を組むが雄大のほうは困ったように視線を逸らした。
ふと周りを見回すと親子連れを中心に五十人以上の人集りが出来ており、積み木の城を見物していた。
まさに大作と呼ぶに相応しい積み木建築。到底、試遊品の積み木だけで足りるわけもなく雄大がその場で購入してどんどん追加したのだ。
「おまえ、多才だとは思っていたけども……こういうのも得意なんだな」
「調子に乗っちゃった」
マーガレットはペロっと舌を出した。
よく見るとおままごと用のウサギ一家の人形まで住人として配置されている。最初はマーガレットと雄大の事を煙たがっていた親達も作品の出来映えに感じ入っているようだった。幼児達からの尊敬の眼差しを浴びてマーガレットは珍しく照れていた。
「おっ、ちゃんと人形が中に入れるのか? この偉そうなのは皇帝陛下ってとこだな」
「違うわよ、それはお祖父様、アレキサンダー・ワイズ伯爵よ! 強そうだから」
「じゃあこの女の子ウサギはお前か?」
「それは可愛いからユイ様。で、こっちが皇后陛下、この優しそうで背の高いのが皇帝陛下よ──」
「お前は居ないのか?」
「え? だって、わたくしが産まれる前に本物のリオネルパレスは解体されたのよ? わたくしがいたら変じゃない」
「ふうん──」
雄大は喉元まででかかった言葉を飲み込んだ。
マーガレットがおそらく初めてやってみた『見立て遊び』、その登場人物に彼女や彼女の両親は存在しない。こういうままごとをやる際には子供は自分の親の言動を真似るものだが。
(──マーガレットの父親と母親のこと、って──聞かないほうがいいんだろうな)
マーガレットはいつも、祖父アレキサンダーのことしか話そうとしないので雄大には知る由もない。
マーガレットはPPで自慢の作品と一緒に記念撮影をすると吹っ切れたように呟いた。
「そろそろ壊しちゃうかな」
えー、やだー、と一部の子供から反論が上がる。
「勿体ないよ」という男の子の頭を撫でると少女伯爵は集まっていた子供達に呼び掛けた。
「皆で、どーんって崩しちゃおうか、面白いと思うよ──壊して見たい人、手を挙げて」
子供達は最初ざわついていたが一人がやってみたいと手を上げると次々に僕も私も、と積み木を崩すことに賛成し始めた。勿体ないと思う気持ちより、壊れる時のカタルシスを想像して興奮する気持ちが勝ったようだ。
「おいちょっといいのか、これ結構いい出来だからしばらく飾っておいてもらって──そうだユイさんや魚住さんにも見てもらおうぜ、きっと感激するよ」
「──いいのよ、なんだかちょっと女々しい感じするじゃない? それに、積み木って完成した物を残すのではなくて、壊してまた別の物を作るのが正しい作法なのではなくて?」
マーガレットが少し寂しげに笑うと店主もそれに大きく頷いた。
「よし、じゃあ壊すわよ? せーの……!」
掛け声をかけて積み木の基礎に当たる部分を抜くと城壁を壊し始めた。子供達も面白がって身体ごとぶつけて城を破壊していった。
それから2時間ほどマーガレットと子供達は一緒に積み木遊びやおはじきといった玩具遊びを堪能した。
店は大賑わいで積み木のみならず知育玩具がクレメンスデーの贈り物に、と飛ぶように売れ、店主からは大層感謝される事になった。
「あのご老人は絶対、帝国臣民だったに違いないわ、わたくし達があのお店に寄ったのもきっとクレメンス翁のお導きだったのよ!」
「都合良い解釈だけど、確かにそんな気がしてくるな」
「売上に貢献できて良い事した、って気分よ」
「しかし、大量に買っちゃたったな、オモチャ」
「小田島先生のお子さんとか──そうだわ、その女児向けのやつはリタにあげればいいじゃない。喜ぶわよ」
マーガレットはリタの中味がアレな事を知らないのでこういう発想をしてもおかしくはないのだが……雄大は返答に困って頭を掻いた。
「あ、いやその~、リタには子供っぽいつうかままごとセットはもう少し小さい子向けかな。喜ぶどころか怒り出すと思うからやめとこう」
「そうかしら?」
「そうそう、あいつすごく気難しいから──」
「確かにリタって面倒くさい子よねぇ──あ、あの子はオモチャよりお菓子とかのほうが喜びそうね」
雄大は苦笑いする。
「まあ、リタに限らず子供ってほんと面倒ね。無知で無礼で汚くて──参っちゃうわ」
「そういえば服、駄目になっちゃたな」
「いいのいいの、この程度修繕すればすぐ直るわ」
服によだれをつけられたり髪の毛を引っ張られたり、胸をまさぐられたりスカートの中に潜りこまれたり──何度も悲鳴を上げて割と大変そうだったが子供達と大騒ぎすることでマーガレットは心底ストレスを発散したのか、妙に清々しい顔になっていた。
「動物園の飼育係にでもなった気分だったわ、まったく下々の子供は躾がなっていなくて末恐ろしいわね、わたくしを自分達と同格か格下程度にしか見ていないのだから」
言葉とは裏腹に穏やかな笑みを浮かべていた。
(ユイさんの忠臣となるべく教育され、ろくに子供らしい遊びもせず、ただひたすらに地球閥への怨みを募らせて技量を磨いてきた──こんなに、小さくて可愛い女の子なのに)
雄大は目の前の少女がか弱く愛おしい存在に思えてきた。
「子供か~……世の母親達は大変ね」
「まあ、あの年頃の子達はいったんスイッチ入ると興奮して話をまったく聞かなくなるからな」
「──さっき動物園って言ったけど、宇宙害獣ですらわたくしが威嚇して睨み付けたら実力差を理解して逃げ出すワケだから──動物より質が悪いわね」
「へ?」
「どうかしたの」
「今なんて? 宇宙害獣が、逃げたって?」
「そうだけど」
マーガレットはキョトンとしているが、一般常識的に生物兵器である宇宙害獣は人間を襲うように造られているはずだ。
「ど、どんなの? これくらいの奴?」
雄大が両手を使っておよそ2メートル程度の大きさを示すとマーガレットは首を振ってホログラムシアターの看板に描かれた怪獣を指差した。
「ちょうどあれぐらいの大きさのスニーキング・デビルの群れよ」
よく大きさがわからない、5メートルはあるだろうか。PPでデータベース検索に掛けると動画が再生され、淡々とした口調の説明コメントが流れる。
『スニーキングデビル。現在ではアラミスのジャングルにのみ棲息するイタチの巨大種。元々は反政府組織が開発した生物兵器で都市部の下水に潜伏し繁殖する。細長い体躯を持ち成体の中には全長7~8mに達する個体も確認されている』
動画では縞模様の猛獣の群れが戦車数台と戦闘する様子が流れ、最終的にはジェットヘリから撃ち込まれた火炎弾で焼き殺されていた。
(戦車、爆撃?)
マーガレットがPPを覗き込んでこれで間違いないと頷く。
「──お祖父様と何度か駆除しに出掛けたんだけど、とにかくニオイがスゴいから極力素手で触らないように、脚で仕留めるよう工夫するんだけど、毛は飛び散って汚いし、どんなに重ね着をしても身体中に臭いが付着するの。ああ、もう──あの修行が一番苦痛だったわ、いま思い出しても寒気がする」
(──素手?)
「どうしたの、顔色悪いけど?」
「いや別に……」
大きな運河にかかる橋に差し掛かると人通りは一気に増え、周囲がカップルだらけになる。ドローン達がセントクレメンスデーを祝うための飾り付けをやっていて、作業が終わった場所からポツポツと電飾が灯り始める。
「うわぁ──こりゃ綺麗だな」
「ねえ宮城、橋の向こう側にあるあの黄色い棒、何かわかる? なんかあれだけ浮いてるんだけど」
「ああ、あれはエアレース用のポールだよ、明日からグレードワンの予選をメガフロートシティでやるはずなんじゃないかな」
マーガレットは何を言っているのかさっぱり理解出来なかった。
「グレードワンの予選? 何なのそれ。玩具のドローンを飛ばして遊ぶやつ?」
「違う違う、エアレースは特別製のエアカーで低空コースを飛ぶモータースポーツだよ。人が乗って操縦するの。結構面白いんだぞ」
「………ああ、あんたが好きそうな、実用性の無い速いだけのクルマね」
「偏見だな、見ると面白いんだって」
「うーん……あんたのそういう趣味はもう一つ理解しかねるわね、レースより格闘技とかのほうが面白くない?」
「一流メーカーの一流エンジニアがレギュレーションの縛りの中で如何に速いエアカーを作るか、知恵を絞って、一流のドライバーがテクニックを駆使して最速を目指すんだ」
「はいはい」
マーガレットは呆れたように返事をする。
ふたりは肩を並べて橋の欄干から運河の流れを眺めていた。
「ああ、本当に──今日は本当に楽しかったわ、ありがとう宮城」
「御礼なら遊んでくれた子供達やあのお店のおじいさんにしなきゃ、俺は何もしてないよ」
「いやだわ、わたくしが下々の面倒をみてあげただけ。向こうからお礼を言うべきだわ──」
「うわ、高慢知己だなぁ~」
「そうよ、だってわたくし伯爵閣下なんだもの。えらいのよ? なんちゃってね」
おどけた口調で喋り、お腹の底から愉快に笑うマーガレット。
雄大には今のマーガレットが伯爵家の名誉という呪縛めいたものから少し解放されたように見えた。
「なあマーガレット。ちょっと俺の話を聞いてくれ」
「なに、なんか改まっちゃって」
「実はさ、ユイさんから頼まれたんだ」
「何を?」
「お前、最近ちょっと情緒不安定な感じだったろ」
「まあ……うん。そう、かも」
「俺にも原因があるってのはわかってるけど」
「うん、そうだね──だいたい宮城のせいかな」
少しの沈黙、周囲のカップルの楽しげな囁きあいと風の音がふたりの間を通り抜けていく。
「ごめん」
「うん、わかってる。宮城のせいだけど、宮城は悪くない。諦められないわたくしが悪いの」
「その──ユイさんが心配してるのがな、そのことだけじゃなくて。お前の気性に関して。人の上に立つ者として厳し過ぎるってさ──王族って率先して遊ぶことや隙を見せることも仕事の内なんだと
」
「なにそれ、ふふふ。遊ぶのが仕事って、変なの……」
「お前、店舗クルーから嫌われてるの、知ってるか」
「……そうでしょうね。別に好かれようとも思わないけど。今朝も怒鳴っちゃったし──なんかひとりで空回りしてるな~ってのは、感じてた」
「そういうの心配してるんだよ、ユイさんも、俺も……」
マーガレットは風で乱れた髪を直しながら遠く、運河の果てを見つめた。
「『遊ぶのも仕事』かぁ──不思議とね、今ならわかるかも──うまく言葉では言えないけど」
「良かった」
「お祖父様もおっしゃっていたのよ『強過ぎるとかえって勝てなくなる』って。『極めても極めつくしてはいけない、山は頂に登るにつれて足場が狭くなる、あとは落ちるのを待つだけ』って。まったく意味がわからなかったんだけど、ユイ様のおっしゃってることもお祖父様のお言葉も根っこは同じなのよ」
「わかってくれて嬉しいよ──って、説教たれてる俺も正直よくわかってないんだけどな!」
雄大は苦笑いする。
「もう茶化さないで!」
マーガレットと雄大はふたりして笑いあう。
「なあ、マーガレット。気難しいお前があの傍若無人な子供達とも楽しくやれたんだし、ブリッジクルー以外ともうまく折り合いつけてやってくれないか。伯爵の名に恥じないように頑張ってるお前から見たらさ、下々の店舗クルーの女の子達なんて、だらけてるように見えて腹立たしいかも知れないけど──それが巡り巡っておまえのためにもなるんだから」
「うん、言いたいこと、なんとなくわかるよ──今日はそれをわたくしに教えてくれるために、あんな小さい子の行くようなお店に連れて行ったんでしょ?」
「結果オーライなとこもあったけどな」
「ふふふ」
マーガレットは何か憑き物が落ちたように穏やかに笑った。
「宮城──あんたに逢えて本当に良かったわ、大好きよ」
「──ありがとう」
「ねえ、御礼を──あげるわ、受け取って」
マーガレットが背伸びをした。目を瞑り顔を上に向ける。雄大は全身の毛が総毛立つほど緊張した。
衝動的に身体が動く、マーガレットに求められるがままに唇を重ねた。
マーガレットの唇には何とも抗しがたい魔力がある。
小悪魔的というか、頭では「キスをしてはいけない」と理解していても身体が自然と誘引されてしまう。
(ああ、雰囲気に乗せられてやっちゃった、マズいな……なんかこう、マーガレットの匂いでいっぱいになってきちゃって何も考えられん)
「これ以上のこと、する?」
「……止めないと」
「あなたがとめて」
「ダメだって──俺、ユイさんと婚約してるんだぞ」
「知ってる」
互いを貪り合うように唇を重ね、舌を絡める。
脳天から爪先までビリビリと電流が流れ、身体全体が麻痺したように感じる。
「大人みたいな、キス、しちゃってるね……嬉しいな」
(ああ、この女の子、俺のこと、ずっと好きでいてくれてるんだなぁ──俺、別な子を選んだのに)
異性から理屈抜きで愛され求められている、そんな実感が体温として伝わってくる。雄大の身体が感動でうち震える。
重力から解放されたように身体が軽くなり、磁石の対となる極のように目前の女性に吸い付けられる。
──コツン。
何か軽くて堅い物が雄大の頭に当たる。
ハッ、と我に返った雄大は、いつまでも目の前のかわいい人を抱いていたい、という欲望を抑え込むことにようやく成功した。
雄大はマーガレットから体を離すと、彼女の着衣の乱れを直す。決意が鈍らないように、潤んで切なそうな瞳と、柔らかそうな唇から目を逸らす。
(危なかった──誰か知らんけど邪魔してくれて助かった──止める踏ん切りがつかなかったもんな)
人前でこれ見よがしに濃厚なキスをしていたので、やっかみ半分に小石か何かを投げつけられたのだろう。
ポーッと頬を薄桃色に染めていた、マーガレットはディープキスのとろけるような余韻に浸っていた。
「すごかった──まだふわふわしてる」
両手で頬を抑えて身を揺らす。
「ねえ、ユイ様には内緒にしてね、ねっ?」
「怖くて言えません」
我に返った雄大の心中は罪悪感でいっぱいになっていた。ユイと交わした口付けよりも官能的で心地良かったとは、口が裂けても言えないだろう。
「あんたは気にしなくて良いのよ、悪いのはキスをおねだりしたこっちなんだから、ふふ」
(浮気してる背徳感のせい、ということであってもらわないと困る──ユイさんともああいう刺激的なキスが出来るといいんだけど)
「素敵なキスをありがとう──一生の思い出にするね」
マーガレットは感動を身体全体で表現するように大きく背伸びをする。
「いやまあ、確かにその、良かったよね、うん──」
油断している雄大の頬に軽く口付けする。
「うわっ」
「またいつか、さっきみたいな大人のキス、してくださるかしら?」
「だ、ダメダメ、今のはちょっとやり過ぎ、想定外だから──!」
◇◇◇◇
すっかり陽も落ちて辺りは暗くなっていた。
もう戻らないとユイ達が心配するだろうと思い、雄大達は夜景を眺めるのもそこそこにホテルへと引き返す事にした。
「帰りもロボットカーが良かったな──運転してるから抱きつけない」
「それが狙いです」
「もう、何か警戒しちゃって──つまんないの──」
「あんまり俺を困らせないでくれよ。ただでさえ女の子とふたりっきりで出掛けるなんてほぼ初体験、免疫なんて無いんだからな」
「あんたも初デートだったの?」
「そうだよ雪山の別荘でも初日から散々な目にあって実質なんもなかったしな──厳密にいうとデート初体験……なんだよ悪いか?」
へ~、とマーガレットは訝しげに雄大を眺める。
「あんた本当にモテなかったの? わたくし達の宇宙暮らしが長くて世間知らずなのを良いことにウソついてモノにしてようとか考えてたりしない?」
「あのな~──お前、俺に対しての第一印象思い出してみろよな……」
「……あら、わたくしは最初から割とあんたの事かっこいいと思っていたわよ、知らなかった?」
「真顔で嘘をつくな! 俺はおまえとの初対面時に腹を殴られたこと忘れてないからな? 根に持つタイプだぞ俺は?」
「そ、そうだっけ?」
「こ、こいつ、自分に都合の悪いことだけ忘れやがって」
そうやってわいわいと他愛もない言い合いをしながらレンタカーを駆ってホテルへ向かっていたところ、100メートルほど前を走行する車がたまにふらふらと左右に大きく膨れて蛇行するなど怪しい挙動を始めている。
「あれ? 前の車、何か変ね?」
「あっ!? 危ない!」
雄大達の前を走る車はカーブにさしかかっても減速をしなかった。大きく膨れて隣の車線を走っていた車と接触、接触された側は反対車線にはじき出されてしまう。
「あの車──ブレーキが効かないか──ドライバーの意識が無いんだ!」
雄大はすぐにその車の異常を看破した。
「ちょっと飛ばすぞ!」
「え? ねえあんたまさか──」
雄大は問答無用でアクセルを踏んだ、前方の暴走車に追い付く気だ。
「ちょっと! 余計な事に首突っ込まないで! 危険だわ!」
「この先は大きな交差点だ、早く何とかしないと大事故になるぞ!」
「あんたね? 仮にも皇配殿下なんだから、ちょっとは自重しなさいよ! 何かあったらユイ様が悲しむだけじゃなくて帝国全体の損失に──」
「車を寄せるからおまえは運転手の様子と、車に何かおかしなところが無いかを確認してくれ!」
まったく聞く耳を持たない。
こういう時の雄大は頼もしくもあるが、言い換えれば無謀、自信過剰の命知らずだ。
(わたくしとユイ様って、案外男運が悪いのかしら?)
マーガレットはやれやれと溜め息をつくと自らも覚悟を決めて、浮かれ気分を邪魔なスカートと一緒に脱ぎ捨てた。
「そうね、デートは終わり!」




