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銀河コンビニぎゃらくしぃ  作者: てらだ
102/121

上げ潮、下げ潮①

 ホテルのロビー横、喫茶室。

 ゴネて自分の足で動こうとしないラフタを無理矢理引きずった雄大は、彼を猫のサブローと一緒に部屋に放り込んできた。

「重かった……」

 手で汗を拭う雄大にユイが懐中から取り出したハンカチーフを手渡す。

「お疲れ様でした」

 マーガレット、魚住、ユイが同じテーブルでポットに入った紅茶を飲んでいる。その隣では小田島と息子、ユーリがアイスコーヒーをすすって涼を楽しんでいる。リタは牛島のマニピュレーターに身体を支えられながらすうすうと寝息を立てていた。リタは──いや、メアリー・ジーンは──推定10歳前後、同世代の子供と比べて明らかに睡眠時間が長い。彼女は涼風で枝が揺れるさやさやという音と鳥の鳴き声を子守唄代わりに深い眠りについている。

 雄大は汗を拭わずハンカチを鼻に当て、微かに匂うユイのフェロモンをスーハー、スーハーと鼻からめいっぱい吸い込んでいた。

「あの、汗をお拭いにならないと……」

「そんなことしたら俺の匂いがつくでしょ、勿体ない──ありがとう、堪能しました」

 雄大は爽やかな笑顔でハンカチをユイに返却する、釈然としない表情でそれを受け取ったユイは首を傾げながら自分も匂いを嗅いでいた。

「それで……ラフタさんのご機嫌、少しはよくなりましたか?」

「いやそれが、ジト~っと恨めしそうに睨まれちゃって、まあラフタが怒ってもサッパリ怖くはないんだけど……何でそこまで怒るのか正直ちょっと理解に苦しむんだよなぁ……」

 ユイに返答しつつ雄大は首を捻る。ひょっとして宇宙船の外に出たくない重度の引きこもり体質なのか、とも思ったが以前に木星宇宙港で買い出しの手伝いをやっている姿を見た事があるから出不精というわけでも無さそうだ。

「ラフタって重力や酸素濃度の変化に敏感だったりする? ほらいっつもフライトスーツ着てるしさ、なんちゃら症候群……ええと、コロニーシンドロームなんじゃないか?」

 雄大は小田島医師の方を見るが、小田島も困ったように首を傾げた。宇宙暮らしが長いと宇宙船やステーション独特の人工的に制御された環境に身体が慣れきってしまい、大型惑星の未調整な重力や大気圧にうまく適応できない身体になる事があり、自律神経に異常をきたして頭痛に眩暈、吐き気などを引き起こす。

「いえ、これまで長いことラフタさんを検診してましたけど──不気味なほど健康体で環境適応もかなり高いはずです。フライトスーツ着込んで調整しなくてもいいぐらいでコロニーシンドロームの兆候なんて全く……血液型や抗体もマーズⅣ型、つまり一般的な地球(テラ)(オー)型と同じですし」

 ふうん、と一同うなる。火星開拓移民に最も多い血液型、マーズⅠ型を持つ人間は地球型天体の環境だと体調を崩すことが多い。火星の人間が外に出たがらないのにはこういうやむにやまれぬ事情もあるらしい。

「──ラフタって人さ、顔半分隠してるし、隅っこに居るし何かよくわかんない子よね、食堂でたまにすれ違うけど何もしゃべんないし。単に人混みとか賑やかなのが嫌いなんじゃない? ひとりが大好き──みたいなノリは火星東部じゃありがちで特別ヘンなワケじゃいないと思うけど」

 横からユーリが口を出してくる。言われてみればまあ、その通りだと雄大は思った。

「火星東部の住民は自分の星でやってる猫祭りが年々派手になるのを嫌がって祭りに参加しなくなってるらしいじゃん? それと同じでここエウロパのセントクレメンスデーのノリとか肌に合わないんじゃない?」

「えー……」

 ユーリの話を聞けば聞くほどラフタに悪い事をしたかも、と雄大は少し顔色を悪くしながら頭を掻いた。

「ハハハ、雄大さん強引過ぎて嫌われちゃいましたね、まあ後で私が様子を伺っておきますよ」

 ラフタと比較的仲のよい牛島がそう答えるとユイがお願いします、と頭を下げた。無理矢理連れ出した責任のある雄大も一緒に頭を下げた。


「さあ~! 皇配さんも帰ってきたことだし、何する? やっぱビーチかな? 水の惑星エウロパに来たんだから泳がなきゃね」

 

 ユーリのはしゃぎぶりを見たマーガレットが、ふふ、と鼻で笑った。

「──作り物の海で泳ぐのにそんな大喜びしなくても。地球やアラミスの天然の海と違ってエウロパの海なんて少し大きなプールみたいなものでしょ。もっと何か有意義な過ごし方があるのではなくて?」

 年下の少女伯爵に落ち着きの無さを笑われ、気分を害したユーリは少し頬を膨らせて、わざとらしく語尾を上げて僻みっぽくマーガレットに絡む。

「そりゃ~さ、あんたは豊富な水とギラつく太陽燦々なリゾート惑星アラミス出身だし? フレッシュウォーターをたっぷり割り当てられてるし? ご自慢の特製バスルームでミストサウナを楽しんでいるからビーチでもテンションあがりにくいだろーけどさ? あたしらみたいな宇宙暮らしの民間人や貧乏軍人には循環システムの再生水シャワー浴びてる身としたらフツーの水の中で泳ぐだけでも、すっごくテンションの上がる楽しい遊びなんですぅ」

 ユーリの発言内容がよくわからず少女伯爵は驚いたように目を見開いたまま固まった。

「え? そうなの?」

 魚住のほうを見るマーガレット。魚住は「まあその、一般的にはそうでしょうね」と歯切れ悪い返事をする。

「──え? あなたたち一般船室の方々って循環システムの水でお風呂に入っているの? そんな! 信じられない──」

 口を抑え憐れみの眼差しでユーリを見つめるマーガレット。嫌味ではなく割と本気で憐れんでいる。

「ユーリ、貴女週一程ならわたくしのお部屋にお風呂にはいりに来てもよろしくてよ?」

「うわなんかムカつく……」

「私達ばかり贅沢をさせていただいて──誠に申し訳ございません」

 マーガレットの代わりにユイがユーリに謝罪する。マーガレットだけでなくユイも優先的にフレッシュウォーターを割り当てられている。

「いや本気で腹立ててるわけでもないんで、いいよ別に──それよかさ、姫様もどう? あたしらと一緒に泳がない? 彼氏も期待してるっぽいし」

 二ヒヒ、と笑うユーリの視線の先には雄大がいる。


 泳ぐ、着替える、水着、素肌──雄大は思わず喉を鳴らす。

 三度の飯より水着グラビア大好き、ホログラムによる金星アイドル達の水着剥ぎコラージュの技術を磨いてきた雄大の血が騒ぐ。

(遂に、遂にナマ水着──ホログラムデータじゃない、ユイさんの肌に貼り付く濡れたスイムウェアを直接観察できる機会が──遂に!)

 ぐぐぐっ、と雄大は前のめりになりユイの下乳から脇の辺りに熱っぽい視線を這わせた。

「雄大さんって本当に裏表がない素直な性格をしていらっしゃいますね、今も考えていることが手に取るようで──」

 ユイはハア、と呆れたようにため息をもらす。

「えっ? 俺、いまヘンな顔してます?」

「顔に出てますね、煩悩が──生で水着を鑑賞出来るチャンスの到来に、喜びで打ち震えてしまっている──ってところですか?」

「げっ?」

 牛島にズバリ言い当てられて驚く雄大、思わず顔を隠す。ユーリは雄大を指差してゲラゲラ笑い出した。

 笑いが収まると、ユイは立ち上がり改まって一同に頭を下げる。

「私も海は久しぶりですから是非ともご一緒したいところですが……私はこの後、打ち合わせがあるのでメガフロートシティの市長さんのところ、市庁舎まで行かねばなりません」

「ではわたくしもご一緒させていただきますわ」

 マーガレットは待ってました、とばかりに立ち上がる。

「メグちゃんごめんなさい、先方へは私と魚住のふたりだけで伺う事になっていますから……」

「あの、それでは護衛という形でお供を」

「マーガレット・ワイズ伯爵──」

 改まった口調でユイはマーガレットに声を掛けた。ユイがマーガレットのことを愛称ではなくフルネームで呼ぶ時は友人としてではなく臣下としての役割を期待する時である。

「はい殿下」

 マーガレットは慌てて床に片膝をついて頭を垂れた。

「我々は休暇で訪れているのですから、伯爵もどうぞ普段の責務を忘れゆるりとされるがよろしいかと。地球圏と違ってエウロパはファルシナ王家を全面的に支持してくれていますから……過度の警護は不要ですよ」

「しかし──ここは場所柄、多種多様な立場の人間が集まる場所、観光客の中に紛れて不逞の輩が紛れ込んでいる可能性があります」

「いえ、高級リゾートだけあってセキュリティーレベルは相当に高いと思いますから──」

「殿下の支援者だった宇宙軍の元帥閣下が不自然な事故でお亡くなりになられたばかりなんですよ? 殿下自ら気を引き締めないと、とつい先日おっしゃったばかりなのに、どうしてわたくしの同行を拒まれるのです?」

「え? あ、それはその……」

 真剣な表情で食い下がってくるマーガレットにユイが気圧され始めている、かなり旗色が悪い。雄大はマーガレットに気晴らしをさせてやって欲しいとユイから頼まれている事もあり、早々に助け船を出す事にした。

「まあまあマーガレット、おまえもたまには休め、ってユイさんが気を遣ってくれてるんだから……ここは素直に云う通りにしてみないか? そんなに気を張らなくても大丈夫だって」

「──っ、あんたが──その」

 マーガレットは反論しようとして反射的に雄大を指差して何か文句を付けようとしたがパクパクと口を開くだけで言葉が出て来ないようだった。確かにユイの言う通り、最近のマーガレットは雄大の意見を何よりも尊重する傾向にある。

(これ、出会ったばかりの頃だったら問答無用で張り倒されて『あんた如き一般人が口を出していい問題じゃないわ、しばらく黙っていなさい!』ぐらいは言われたんだろうな)

「こ、皇配殿下までそうおっしゃるなら……」

 マーガレットは少し口を尖らせつつも引き下がった。

 雄大の発言力が増しているのは木星帝国への貢献度的な面で信頼を勝ち取ってきたおかげもあるだろうが、マーガレットが女性として雄大に強く惹かれているから、というのが大きいだろう──惚れた弱み、というところか。

 ユイはホッと胸を撫で下ろすと雄大に目配せしてくる。この調子でよろしくお願いします、という意味合いなのだろう、雄大は無言で頷いた。


◇◇◇◇


 ホテルアンヌンの宿泊客に開放されているプライベートビーチは潮の流れも緩やかでのんびりとした風情だった。ラフないでたちの男女が空の色より少し濃い透明度の高いブルーの海で存分に泳ぎ、屋外に設けられた休憩所を兼ねたバーカウンターで静かにカクテルを楽しんでいる。反対側の一角では新鮮な海の幸山の幸を使った野趣溢れるバーベキューが無料で振る舞われている。

 こういうサービス料はホテルの宿泊費に組み込まれているためわざわざ追加料金を払う必要はない。

 ビールで乾杯をしているのはハダムと雄大といった男性陣、美しい景色を眺めながら一杯やりつつ香ばしい山海の珍味を味わう、休暇の正しい過ごし方と言える。


「ねえねえねえ、伯爵閣下も水着に着替えなってば。水着無いなら買えばいいし、レンタルの水着だってあるみたいだよ」

 嫌がるマーガレットをユーリがせっつく。ユイと一緒に行動するつもりだったマーガレットは予定が狂って途方に暮れている最中だった。

「誰が着たかもわからないような服を着るなんて有り得ない、それになんでいちいち屋外で下々に肌をさらさなきゃいけないの? はしたないことこの上ないわ」

「いやここプライベートビーチだからさ、下々なんて居ないってば。誰か居たとしてもこのホテルに泊まってる上流階級とかブルジョワばっかで──みんなあんたが好きなお上品な人達ばっかだと思うよ?」

「ユーリ、あなたね、木星帝国を馬鹿にしてるでしょ? ファルシナ王家に連なる栄えあるワイズ伯爵家から見れば大抵の家は、勘違いしたにわか成金の集まりに過ぎないわ──だいたいプライベートビーチって言うならわたくし達だけの貸切にしなさいな」

「そんなつれないこと言ってないでさぁ」

 ビーチにマーガレットを連れて行こうと必死で誘うユーリ。

「そんなに泳ぎたいならおひとりでどうぞ、わたくしは付き合えないわ。なんでそんなに必死なのよ?」

「姫様かあんたが居てくれないと寄ってくる男のグレードがググッと下がっちゃうじゃん?」

「ハァ?」

 心底呆れた、という顔でユーリを睨むマーガレット。

「最高の出逢いのために『最高級の撒き餌』を用意したいのよ」

 撒き餌扱いされたマーガレットは眉間に皺を寄せる。

「撒き餌に釣られてのこのこやってくるような軽薄な男性と付き合っても後悔するのではなくて?」

「いいのよ軽薄でも、出逢いがまったく無いよりマシよ。実力主義と思って飛び込んだ軍隊では地球閥が威張り散らすしさ、あたしなんて今まで生きてきて何にも良いことなかったんだからここらへんで良い男つかまえて人生逆転したいじゃないのさ。近くにいる男はゴリラやジャガイモやキノコって感じで微妙だし」

 ユーリは横目で色気より食い気の同僚達、エルロイやハダム、そして雄大を見る。

「……えっ、俺キノコ?」

「いや、宮城……あんたはアレだ、女のスカートの中に首を突っ込む盛りのついたダックスフント……」

「キノコでいいです……」

 ユーリは雄大の正面に立ちはだかるとパーカーのジッパーを下ろす。青の水着に包まれた胸が露わになる。肉薄の小振りで谷間が出来るほと豊かではないが形良く膨らんだ胸はユーリの切れ味鋭いスレンダーボディーの魅力をよく引き出している。パレオの裾をちょいと持ち上げるとよく鍛え上げられた腰が露わになる。

「ほーら、ワンちゃん? どうかな?」

「おお……」

 食い入るようにユーリの水着姿に魅入る雄大。

「ホラ、やっぱり盛りのついた犬じゃん?」

「犬でいいです……」

「ちょ、ちょっと!?」

 マーガレットは鼻の下をのばした雄大をドンと突き飛ばすとユーリの着衣の乱れを直す。

「やン」

「あなたふざけ過ぎよ! 宮城は仮にもユイ様の婚約者、そういう誘惑をしていい相手じゃないんだから」

「大丈夫大丈夫、宮城は好みじゃないから、盗ったりしないから安心しなって」

「冗談でも止めて!」

 顔を真っ赤にして怒るマーガレットをよそに、ユーリはほくそ笑む。

「よしよし、美人を見慣れてる宮城が食いつくんだからあたしもまだ捨てたもんじゃないってことよね、ウン、ちょっと自信わいてきたかも」

 


「おーいお待たせ~……!」


 どたどたと騒々しい足音、その主は元から健康的な色気を発散している伯爵閣下の弟子、ブリジットだった。

 その恵体と地黒の褐色肌は、心地好い陽光降り注ぐ常夏の楽園であるこのメガフロートシティにぴったりマッチしている。

「ジャーン! 素潜りの道具一式借りて来ましたァ~! 皆で潜りっこしようよ!」

 可愛らしいデザインのブラには不釣り合いの、今にもはちきれそうな立派なバストを抱えたブリジットが一行の前に姿を現す。明らかに水着が小さくてパッツンパッツンに乳房に張り付いていて紐が今にも千切れそうで見ていてヒヤヒヤする。

「ほらほらー、みんなのぶんもあるぞ~!」

 ハダムの前でぴょんと跳ねた拍子にブリジットの胸がぶるん、と大きく弾む。勢いに耐えきれなくなった水着の金具が勢い良く弾け飛んだ。

「あ」

 小ぶりのスイカほどの大きさの豊乳が揺れる。

 バーベキューとビールに舌鼓を打っていたエルロイとハダムの前で豊かな膨らみがぽろんとまろびでる。泰然自若としてあまり動じないハダム大尉もこれには平常心でいられなくなりビールを盛大に噴き出した。

「はゃ、ひゃああ!?」

 普段からがさつが過ぎて女っぽさとは無縁のブリジットが珍しく恥じらって胸を押さえて弱々しくしゃがみこむ姿は男性陣の嗜虐心をぐぐっと刺激する。

(割と可愛い声……)

(あ、こんな声出せるんだ……)

「見た?」

「ば、ばっちり……」

 エルロイは無意識のうちに口元が弛んでだらしない顔つきになっていた、女として見ていない相手のおっぱいでも、なんだかんだ言って嬉しくなってしまうのが悲しくも正常な男の性というものなのか。

「そ、そこは見えてたとしても見てない、って言って欲しかったかも~!?」

「見えちゃったんだから仕方無いでしょうが」

「もー馬鹿! 変態! なんで見るんだよぉ!」

「見せたのはそっちだと思うけど!?」

「な、なんでまだ見てるのさー! あっち向いててよ!」

 ブリジットは涙目でシュノーケルを胸に押し当てて必死で隠そうとするが、弾力のある胸が黒いゴム筒に押し合いへし合いムギュムギュと変形する様子は結果的に卑猥な妄想を掻き立ててしまい完全に逆効果になっていた。

 周囲の男性客がはやし立てるように口笛を吹いた。

「ストップストップ! 益々大変な絵面になってっから!?」

 ちょっと騒ぎが大きくなってやや遠くにいた他の宿泊客まてブリジットに注目し始めた。冷やかしにきた男たちを追い返すと、ユーリはブリジットに自分の着ていたパーカーを着せてやった。

「ひーん……せっかく可愛いの見つけたのにぃ」

 泣く泣く水着を拾い上げて壊れた金具を直そうとするブリジット。

「もう~! あんたは水着のデザインよりもサイズ選びを優先しなさいな! 人騒がせなんだから!」

 マーガレットは弟子の頭をパチンと叩く。

「す、すびばせん閣下……でもわざとじゃなくて」

 雄大はマーガレットから視界を塞がれてしまったため、ひとりだけこのハプニングを目撃出来ずにいた。解放された頃にはブリジットは着衣を整えてしまっている。

「ああああ、なんて事を──マーガレットおまえ──せっかくの……水着が乳圧に耐えきれずに弾けるなんてそんな冗談みたいな嬉しいハプニング、滅多にお目にかかれるもんじゃないんだぞ、一生に一度あるかないか……」

「せっかくの──なんですって?」

 マーガレットの顔筋がピクピクと引きつり、雄大の肩に指が食い込む。

「あ、いえ、何でも……」

「と、とにかく! わたくしこんな不愉快なとこには居られません! 自室で瞑想でもしていたほうがマシだわ! ブリジット、あんた後でお仕置きだから覚悟しておきなさい! ほんと伯爵家の恥なんだから」

 あんまりだぁ、とわんわん泣き喚くブリジットを残してマーガレットは屋内へと戻っていった。

 

◇◇◇◇◇


 大理石で出来た床を踏み壊さんばかりの勢いでマーガレットは怒りに震えながら大股に歩を進める。

「ああもう! 皆して弛み過ぎよ──特にブリジットあの子……この間からはしゃぎ過ぎなのよ、ロンドンの晩餐会でもなんか脱いでたし、露出癖でもあるのかしら──伯爵家に関わりのある人間にあるまじき悪癖……あああ、ユイ様の品位まで落としかねないわ」

 マーガレットは恥をかいたブリジット本人以上に先刻のハプニングを恥ずかしく思っていた。

「まあまあ……気にいってた水着は壊れるわ、不特定多数に胸を見られるわ、師匠のおまえに怒られるわでブリジットさん本人が一番ショック受けてるだろうから、むしろ後で慰めてあげないと。もしおまえがブリジットさんと同じように水着が取れて誰かに見られたらショックデカいだろ?」

「──生きていけないわ──見た相手を全員殺すか、さもなくばわたくしが死ぬかよ──」

「おまえが言うと洒落にならんから殺すとか言わんでくれ……」

「それぐらいショック、ってことよ……愛する人以外に素肌を晒すなんて考えただけでゾッとするわ」

「さっきも言ったけどおまえブリジットさんの師匠なんだし、もう少し優しくしてやれよな。叱るだけが上に立つ者に相応しい態度じゃないだろ」

「宮城、あんたはあのブリジットがどういう人間かよくわかってないみたいだけど、あんなお調子者はいないわよ? 褒めたら褒めただけ馬鹿をやるんだから──誰かが厳しく躾をして頭を抑えつけていないと『フェンリル狼』なんて物騒な渾名で呼ばれてた、とんでもない乱暴者に戻ってしまうわ」

「そ、そうなのか? そうは見えないけどなぁ」

「六郎に聞いてみなさい。そう言えば姿が見えないけど……わたくしの部下はなんでこうも素行が悪いのかしら──」

 スタスタと足早に喫茶室へ戻ろうとするマーガレットは不意に振り返って雄大を眺める。

「……」

「どうした?」

 マーガレットはジィっと雄大の顔を見上げる。

「ねえ、ちょっと──あんたはいま、何してるの?」

「俺? いや俺は別に。おまえと一緒にいようと思って」

「え……?」

 わかりやすく少女の耳から首筋の白い肌に朱がさして薄桃色になっていく。

「──ら、ラフタのとこに行ってやらないの?」

「あ、いや~ちょっと強引にやりすぎて恨まれてるから、しぱらく顔を見せないほうがいいかな、って」

「か、鏑木林檎は? あんた、あの娘の保護者でしょ?」

「ああ、林檎はな、陣馬や小田島先生達と一緒にホテルの中を探検するんだってさ。とにかくこういうでっかい建物が珍しくて楽しいみたい──まあどっちかというと陣馬のほうが心配なんだよな」

 マーガレットはキョロキョロと周囲を見回す。

 その他のクルー達は早々にビーチで泳いだりアンヌンの敷地内のショッピングモールを物色しているらしく、姿が見えない。

(──ふたりっきり?)

 

「………予定とか、あ、空いてるんだ?」

「まあね、空いてるというか空けてる、おまえに付き合ってやろうと思ってさ。ユイさんにフラれた者同士、楽しくやろうじゃないか」

 苦笑いする雄大を見て少女は、ひゃっ、と小さくしゃっくりをしたように息を飲む。

「わたくし──と? 休暇を?」

「あ、嫌と言われても付いていくからな」

 驚いて横隔膜がおかしくなる。とんとんとん、と胸骨を叩いてなんとか正常に戻す。


(嫌だなんてとんでもない、エスコート喜んでお受け致しますわ)


 ──と声に出して言いたかったマーガレットだったが実際に出た返事は素っ気ないものだった「勝手にすれば?」と半ば捨て台詞気味に吐き捨てる。


(そ、そうじゃない──今の、今の無し!)


「まあその……せっかくユイさんの身辺警護をやろうと張り切ってたところ、必要無いと言われてむくれる気持ちはわかるけど、機嫌直して行こうぜ? なあ、取り敢えずどっか行きたいとこないのか?」

「え、その──ええと、じゃあそこの喫茶室でお茶を──」

 マーガレットは雄大を男性として意識し始めてからあれこれ妄想してはいるが咄嗟に二人だけの時間がすごせると言われてもなかなか良い案を思い付かなかった。

「う、うーん……まあお茶ならお茶でもいいけど、せっかくだからどこか見物に行かないか──俺はエウロパ初めてじゃないから色々珍しいとこ案内出来ると思うぞ?」

「そうなの? じゃ、じゃあ任せるわ──ちゃ、ちゃんと楽しませなさいよね!?」

 命令口調ではあるが声が裏返っておかしなイントネーションになっている。マーガレットはどうにかして平常心を取り戻そうと躍起になっていたが足掻けば足掻くほど底なし沼の奥へ奥へと深くはまっていくようだった。

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