彼が人肉パティシエになったワケ4
それからだった。
藤堂は自分のケーキやチョコレートを考える合間に、笹本の為に人肉デザートを考案し始めた。由美が幸せになれるなら、笹本の為に力になるのは苦ではなかった。
思いついた物をつくってみる。まずくて食えない物もあったが、それを三人で笑い合うのも楽しかった。
笹本と由美が結婚まで時間がかかったのは、
「一流のパティシエになったお兄ちゃんに、ウエディングケーキをつくってもらう」
というのが由美の夢だったからだ。
藤堂が日本へ戻って自分の店を持ち、そしてようやく由美の為に大きなウエディングケーキをつくってやれる時になった。
だが、由美はもういない。
固く狭苦しそうな箱の中で眠っている。
笹本が嗚咽をもらしながら、由美にすがりついている。
「由美…約束は守るよ。藤堂君もそうだろう?」
笹本が藤堂の方へ振り返った。
「ええ、笹本さん」
藤堂は笹本の横へ並んで由美を見下ろした。
「綺麗な顔は傷つけたくないんだ」
と笹本が言った。
「ええ」
「私は…眼球と、胸と腹の肉。君は?」
笹本が藤堂へ聞いた。
「そうですね。俺は由美の指が欲しいです」
「私も左手が欲しい。左手は料理しない。指輪をはめたまま置いておきたいんだ。いいかな?」
「ええ、俺は右腕肘から先で結構です」
葬祭場の通夜の場には藤堂と笹本しかいなかった。身寄りがない藤堂兄妹だったので、通夜に訪れる親族はいない。人気者だった由美を慕う友人や店の仲間はたくさん来たが、すでに帰った後だ。
時間は午前三時。
付添うのは兄と婚約者だけだ。
そして、二人は由美との約束を忠実に守ろうとしていた。
「もし、私が二人よりも先に死んだら、一樹さんが私を料理して、お兄ちゃんが私をデザートにして二人で食べてね。そうしたら、私はずっと二人と一緒にいられるわ。そうでしょ?」
由美はそう言って笑った。
誰もが憧れる美しい優しい妹だった。
そして藤堂と笹本はその言葉を忠実に守った。
葬祭場の係員に気づかれないように、由美の身体を切断した。ほとんど血は出ない。
死後硬直で固くなった腕や肉を切り取り、元の通りに白い着物を着せておく。
美しい顔だけは切り取るのが出来ずそのままだが、笹本は由美の眼球を丁寧に取り出した。後には綿を詰めて膨らませておくと、目を閉じているので誰にも気づかれない。
切り取った肉や眼球はクーラーボックスに入れた。
「じゃあ、私はこれを店に持っていくよ。すぐに冷凍しておいた方がいい。置いたらまたすぐに来るから」
「はい」
藤堂は笹本を見送って、由美と二人っきりになった。
ふがいない兄ですまないと詫びた。守ってやれなかった。
たった一人で逝かせてしまった。すまない、由美。
由美を殺したとされる容疑者はいる。
逮捕されるかどうかはまだ分からない。
その男が犯人だったら、俺がそいつを殺してやるからな、と藤堂はつぶやいた。
だが、市長の息子はいつまでたっても逮捕されなかった。
犯人かどうかがグレーだった。後輩で警官になった安田は市長の息子は絶対に怪しいと断言していた。確かにクズの中のクズのような男だったのは藤堂も知っていた。
由美に誘いをかけていたのも知っていた。
だが、もし違ったら、と思うと行動できない。
もし市長の息子ではなく、他に犯人がいたら?
その後、市長夫妻が笹本の店へ出入りするようになった。
彼らは夫婦で立派な食人鬼だった。
笹本の人肉料理を絶賛し、いくらでも金をつぎ込んだ。藤堂の人肉デザートも褒めちぎり、彼らは笹本の店で至福の時を過ごしていた。
その姿に煮え湯を飲まされる思いがしていた。クズの息子は相変わらず、馬鹿な事をしては親の名前で問題をもみ消し、時には地元の暴力団を使う時もある。
市長の息子が由美を殺した犯人でなくても、あいつを殺したら街中の人間に感謝されるかもしれないと思う時すらあった。
そんな時に、彼女に会った。
天使か女神かと思った。
西条美里はこの街に来てすぐに、藤堂を長年苦しめていたるりかをあっさり殺してくれた。あのるりかを殺せる人間が、しかも女、がこの世にいたのだ。
彼女はまるで、顔を洗ったり、朝ご飯を食べたり、そんな普段の中の動作の一つ、という感じでるりかを殺した。
そして、「あら、困ったわ」という顔をした。
藤堂はガラスのこちらからそれを見ていて、月の光に照らされた美里にまさに一目惚れだった。るりかが死んだ瞬間に、藤堂の肩や頭や胃や、とにかく身体中から重い嫌な何かが消え去ったのは事実だった。それは本当に衝撃的だった。
るりかがどんなに藤堂の精神を圧迫していたかはもう語るまでもない。
せめて由美を殺した犯人が捕まるまでは街を出ないと決めた思いすら砕けそうになる日もあった。復讐の前に自分がるりかを殺してしまうかもしれない、と思っていた。
だが、嫌だ。るりかを見るのも触るのも嫌だった。
復讐とるりか、この二つの問題で藤堂は頭がおかしくなってしまいそうだったのだ。
だが美里はあっさりとるりかを殺した。
多分、自分に難癖をつけてきたから、という理由だけで。
そんな理由で美里はるりかを殺したのだ。そして美里の中には一片の哀れみも後悔もないのだろう。るりかの存在すらもう忘れているかもしれない。
ぶんぶんと飛ぶ蚊をたたき潰したくらいの気持ちなのかもしれない。
由美を殺した犯人に復讐をするという思いは忘れていないが、美里となら一緒に前を向いて歩いていけるかもしれないと思った。
と思って美里を口説いていたら、クリスマス直前のケーキ屋には死ぬほど忙しい時に、市長の息子を殺してしまったんですけど、と美里から電話がかかった。
もう三日も徹夜同然で売り物のケーキやチョコレートをつくっていた時だった。
は? 忙しすぎて頭がおかしくなったのか? 俺、と思った。
妹を殺した犯人を見つけたらこうしてやる、と藤堂が思い描いていたような姿で市長の息子とその仲間は殺されていた。
美里は「恋人になんかならなくても、ただハンティングして欲しいって言えばよかったのに」と言った。
「違う、そんなつもりで君に近づいたわけじゃない」と答えると、
「そうね、私が趣味を楽しんだだけよ」と笑った。
その優しい笑顔に、藤堂は自分の一生は彼女に捧げよう、と思った。
了
彼が人肉パティシエになったワケ。は終了しました。
ありがとうございました。