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彼が人肉パティシエになったワケ2

 由美は兄が自宅へ戻るのをじっと待っていた。台所の椅子に座って、ただじっと一点を見つめていた。

 季節は秋、肌寒さが増していく季節だった。

 兄妹の暮らしはそう裕福でなかったが、母親が一人で子供二人を育てていた時期よりはましだった。ぼろい長屋で三人で寄り添って眠ってい

たあの頃よりは贅沢も出来る。

 健康な身体さえあれば自分一人の働きで生活は十分出来る。恋人である笹本は何故だか最近金回りがよく、由美に贅沢をさせてくれる。それはそれで嬉しいのだが、贅沢とか裕福とかはあまり由美には必要なかった。由美が一番贅沢だと思うことは誰かが側にいてくれる時間だ。母は仕事を掛け持ちしていたので、いつも子供達の側にはいられなかった。たった一人、由美の側にいてくれた兄は今は遠い海外だ。例え遠く離ればなれになっても、兄の将来を応援するのが正しい行いだと分かっていた。淋しさを我慢しても。

 由美の淋しさを癒してくれたのは笹本だ。

 今でも側にいてくれる。だが笹本が自分に隠し事をしているのが気に入らなかった。

 愛する人のすべてを知りたいと思うのは傲慢だろうか?

 そんな由美を笹本は嫌になるだろうか?

 だが知らない振りをして、偽りの幸せを手に入れるつもりはない。

 笹本が他の女を愛してしまったのなら、自分は笹本と別れる。

 すがるつもりはない。

 すべてかゼロかだ。それしか由美にはなかった。

 由美は兄を待っていた。

 笹本の答えを持った兄を。



 カチャッと音がした。ドアが開く音だ。由美は玄関の方を振り返った。

 狭いアパートは玄関を入ってすぐに小さい台所だ。通路を挟んでバス、トイレ。

 奥の二部屋を藤堂と由美が使っている。

「お兄ちゃん」

 由美は立ち上がって、

「どうだったの? 一樹さん、何て言ったの? やっぱり誰かいい人がいるの?」

「いや…違う。そうじゃない。でも、笹本さんの事はあきらめたほうがいい」

「どうして?」

 藤堂は台所の椅子をひいて座った。

 由美もまたその前に座る。藤堂を睨むようにしてじっと見つめる。

「はっきり言ってよ。他に女が出来たのね!」

「違う、笹本さんの気持ちはお前にある」

「だったら、あの人は何を隠してるの?」

 藤堂は一息ついてから、

「笹本さんはシェフだ。身も心もね。あの人はシェフである自分に誇りを持っている。常に何かを料理したいと思っているんだ。変わった食材があれば手を出さずにいられないんだ。そして変わった食材は金になる。この街にはその食材で作った料理を求める嗜好の客が大勢いて、笹本さんは期待されてるんだ」と言った。

「変わった食材って何? ゲテモノ? トカゲとか?」

「…つまり…それは」

「ゴキブリとか? はっきり言ってよ! それくらいで一樹さんをあきらめなきゃいけないの?」

 由美は綺麗な眉をひそめて藤堂に詰め寄った。

「…人間だ」

「え?」

 藤堂は由美の顔から視線を外して、もう一度、

「その食材は人間なんだ」と言った。

「人間?」

「そうだ。調達先までは詳しく聞いてないけど、多分、どこかでそういうのを調達する組織があるんだろうな。そこから超高価な冷凍死体を買ってるみたいだ。で、それを料理して特別な客に出す。この街には結構な数の客がいるらしい。笹本さんの料理を食う為にはいくらでも金を出す客が。で、結果儲かる。自社ビルも建つ。お前を幸せにも出来る。でもお前には知られたくはなかったってさ」

「お兄ちゃん! 嘘言わないでよ! あり得ないわ。人間を!なんて」

「嘘じゃないさ。疑うなら厨房の奥の秘密の小部屋を見せてもらえよ。そしたら納得できる」

「…確かに、厨房の奥の部屋はいつも鍵がかかってる。一樹さん、絶対に誰も入るなって言ってるわ」

「で? どうする? 笹本さんはお前を失いたくはないが、シェフとしての願望を捨て去るのも難しい、と。由美がどうしても受け入れられないなら、お前をあきらめるしかないって」 

「お兄ちゃん、どう思う?…やっぱおかしいわよね? そういうの」

「まあ、俺としてはお前には幸せになってもらいたいと思ってる。笹本さんはいい人だけどなぁ。出来たら普通の男と結婚してもらいたい」

「そうよね。おかしいわよね…そんな事」

 由美は小声でつぶやきながら、机の上で指をからませたりほどいたりしている。

 藤堂はそんな由美の顔をしばらく眺めていたが、

「だけど」と言った。由美が顔を上げた。

「笹本さんの気持ちも分からないでもない。変わった食材ってのは料理人には魅力的なもんだ。いかにして工夫して美味しい料理に、あるいはデザートになるか、それを求める気持ちは理解出来る」

「お兄ちゃん…人間っておいしいのかしら?」

「さあな、由美が望むなら振る舞ってくれるらしいけど? 試してみるか?」

「お兄ちゃんも一緒に食べてくれる?」

「そうだな」

 由美は背中を押してもらいたがっていた。

 笹本を肯定してくれる味方を欲していた。

 笹本が食人、そして人肉シェフであっても、彼女の心は笹本に寄り添っているのだ。

 兄として、喜ぶべきか、反対すべきか。

 だが、あくまでも藤堂は妹の幸せだけが望みだった。

「俺がこっちでいられるうちに笹本さんにごちそうしてもらおう」

 と藤堂は言ってから、携帯電話を取り出した。

 


 藤堂はスーツ姿で、由美はとっておきのワンピースを着ている。

 いつもの気軽に出入りしている店であるが、客として訪れるとやけに照明がまぶしく、出迎えるギャルソンも気取っているように見える。

 その日は定休日であったのにもかかわらず、店中のスタッフがそろっていた。

 皆が藤堂と由美を祝福したような笑顔で迎えた。

 この店の人間は皆、笹本と同じ嗜好だったのだ、と藤堂も由美も考えた。

 知らなかったのは、知らされていなかったのは由美だけだったのだろう。

 その由美が定休日に兄を伴って店に訪れた。

 それは彼らにとって記念すべき出来事なのだ。

 

 誰もが訳知り顔で二人を迎え、そして予約席へと二人を案内した。

 食前酒が運ばれ、緊張した二人の前に笹本が姿を現した。

 コックコートを着て腕まくりをしている。

 真っ白いコックコートを着た笹本は三割増しの男前に見えると由美が言っていたのを藤堂は思い出した。確かに、笹本はシェフという感じがした。

「前菜は生ハムとトマトのカプレーゼ、チーズと燻製にした瞼肉を添えて」

 と言いながら、笹本が白い皿を二人の前に置いた。

(まぶた肉…)と藤堂は思ったが、由美は聞き逃したのか興味津々の顔で皿を見ている。 

生ハムとトマト、そしてドレッシングは美味かった。

 藤堂は意を決してチーズとともに瞼肉の燻製を口に入れた。

(美味い…といえば…美味いような気もする)

「あら、美味しいわ、これ」と由美が言った。

 笹本は満足したような顔で厨房へ引っ込んだ。そして次の料理を運んでくる。

「カボチャと脳みその冷製スープ」

「頬肉とフォアグラのパイ包み焼き」

「フレッシュブラッドソルベ」

「腿肉の備長炭火焼き」

「デザート」

「コーヒー」


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