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彼が人肉パティシエになったワケ。

「約束しただろう? 藤堂君」

 と笹本が言いながら振り返った。その声は震えていて、時折鼻水をすする音がまじる。

 笹本の目は真っ赤で、兄である自分よりも由美の死を悲しんでいると藤堂は思った。

「ええ、笹本さん」

 笹本は棺桶の中の由美の遺体を見下ろしている。

 殴打され、赤黒くなっていた痣はきれいに化粧で隠され、流れ出た血液で汚れていた頭髪も綺麗になでつけられていた。

 眠っているようだ、と藤堂は思った。

 通夜の晩だった。


 父親は幼いころからおらず、苦労して兄妹を育てた母も藤堂が高校を卒業する前に亡くなっていた。残った兄妹は寄り添って生きてきた。

 由美が二十も年上の笹本と恋仲になったと藤堂にうち明けたのは、藤堂がパティシエとして海外修行へ出るかどうかを悩んでいる時期だった。どうしても海外で修行がしたかったが、他に身よりもない妹を残していくのが心残りだった。

 由美は高校を卒業してすぐ、笹本の経営するフレンチレストランで働き始めた。

 そして笹本と恋に落ちた。

 笹本は独身だったが、四十を過ぎていた。

 綺麗で人気者だった妹、高校ではアイドル扱いだった由美が何故、そんな年上の男と、と怒りを覚えた瞬間もあったが、笹本は誠実な男だった。

 二十歳やそこらの藤堂に頭を下げて、妹を大事にするからと約束してくれた。妹の事なら心配するなと海外を望む藤堂の背中を押してくれたのは笹本だった。

 藤堂は笹本に由美を託し、海外へ修行にでた。藤堂の背中を押してくれた笹本の手は温かく、頼もしかった。もし父親がいるならばこんな風に由美を守って、自分を励ましてくれたかもしれない、と藤堂は思った。

 父親を知らない由美が二十も年上の笹本に惹かれたのはそのせいかもしれない。

 笹本と由美が幸せそうだったので、藤堂も安心だった。

 笹本はしゃれっ気のある、愉快な人間だったので、由美がいつも楽しそうに彼の話をするのを藤堂は嬉しく思っていた。海外へ出てもメールや手紙で近況報告をしあうと由美がとても幸せそうなので藤堂は安心していた。

 だが三年ほどたったある日、由美から笹本と別れるというメールが藤堂の元へ来た。

 慌てて問い返すと、笹本の由美へ愛情が消え去ったという。それは笹本の言葉ではなく、由美がそう感じるのだと彼女は言った。笹本からは決して愛情がなくなったわけではなく、今も変わらない愛情を由美に誓うと、いう返事がくる。

 しかし由美は笹本は自分に隠し事をしていると言う。

 遠い海外の事で、お互いのメールを順番に読んでいても仕方がない。藤堂は三年ぶりに休暇をとって、日本へ戻った。

 驚いたのはそれまではささやかなフレンチの家庭料理店だった笹本の店が、大きな自社ビルを構え、一階、二階部分には大々的な創作フランス料理店へと変貌していた事だ。埃一つないぴかぴかに磨き上げられた店内にはぱりっとのりのきいた制服を着こなしたギャルソン、ソムリエ等が行儀良く待ち構えていた。

 上等のテーブルに椅子、笹本の店で働く者達はそつがなく、皆、一応に同じ笑顔で藤堂を迎えた。その雰囲気に違和感を覚えながらも藤堂は笹本と再会した。

 藤堂は笹本の心変わり、もしくは浮気を疑っていたのだが、笹本は誓ってやましい事はない、出会った頃と変わらず由美を愛していると藤堂に語った。

「では、由美に隠している事というのは? 由美にはそれをうち明けられないんですか?」

 藤堂は率直に聞いた。

「何も…隠してなど」

「笹本さん、あなたがそれを由美にうち明ける気がないのであれば、由美は別れると言っています」

「それは…困る。私は由美を愛している。結婚したいと思っているんだ」

「では由美に話してください」

「…由美に知られたら、彼女は私を嫌うだろう」

「しかし、知らなくてもこのままでは別れしかないです」

「知らなくてもいい事がある。知らない方が幸せな事も。藤堂君」

「ですが由美の性格上、あなたの事で自分の知らない事があるのは承知しないと思います。わりとさっぱりしてますからね、教えてくれないなら笹本さんごと切り捨てるでしょう」

「そんな」

 笹本は苦渋の表情でしばらく考えていたが、やがて意を決して藤堂を厨房の奥へと連れて行った。

「由美に伝えるかどうかは君に任せよう。彼女が事態を受け入れられないと思うなら、別れる方向で話を進めてくれて構わない」

「はあ」

 笹本は厨房の奥にあるミニキッチンの小部屋へと藤堂を誘った。

 厨房とはまた別に壁一面のフリーザー、そしてぴかぴかに磨かれたシンク台。その辺りは綺麗に清掃されて、清潔そうなごくふつうの調理台だった。

「これ…!」

 藤堂の目をひいたのは、そのまだ奥の薄暗い倉庫。

 太いチェーンが天井からぶら下がっている。その先には大きな肉塊が。

 だがその肉塊は豚でも牛でも鳥でもない。

 どう割り引いて見ても、それは両腕をつり下げられた人、のような形の肉塊だった。

 まだ、血がしたたり落ちていてそれは新鮮な肉のようだった。

 チューブが胸の辺りに差し込まれていて、そこから血液が流れて出ているらしく、垂れ下がった管の先は足下のビンの中だ。

 剥がれた皮と頭髪がこびりついた頭部が床に転がっている。

 足から先のような形状の物が何本もバケツにささっている。

「な、なんです? これ」

「それは…見たとおりさ。藤堂君。人だよ。元人間だったものさ」

 藤堂は笹本を見た。笹本の口元には笑みが浮かんでいる。

 藤堂はこれは笹本の食材だと考えた。

「笹本さん、人間まで料理するんですか」

「そうなんだ。私は何でも料理したいんだ。うまく工夫して、素晴らしい創作料理を作りたいんだ」

 取り乱す事もなく聞いた藤堂に笹本はほっと息をついて答えた。

「でも、需要があるんですか?」

「あるとも、藤堂君。私の店がこの三年で自社ビルを建てられるほどに成長したのは何故だと思う?」

「この街にそんなに客がいるんですか?」

「ああ、いるね。まあ、食材が高価だから、値段の設定も牛や豚よりやや高めだがね。それにこの街の愛好家がよそからも客を呼んでくれる。彼らはうまい食事にありつくためには値段に糸目はつけないって種類の人間でね。もちろん、今はまだ日本一とは言えないよ。私もそこまでうぬぼれていない。よその街には凄腕のシェフがいる。高級な顧客を持つシェフがね。でもそのうち私も名をあげてみせる。この街には笹本がいると、日本中で噂されるようなシェフにね」

「はあ、しかし、食材はどこから? まさか殺して?」

 笹本は顔をしかめた。

「そこまではね、私も出来ないよ。よその街には凄腕のハンターがいて、必要な時に新鮮な食材を調達してくれるらしいんだ。うらやましい話さ。ハンターがいない我が街では、冷凍物の粗末な食材を工夫するしかない。人の足下を見て、飛び上がるくらい高価な冷凍物をさ。ま、その粗末な食材をいかに工夫しうまい物に蘇らせるか、の探求も楽しいがね」

「はあ」

「由美が疑っている私の秘密はこんなもんさ。彼女はこれを理解できると思うかい?」

「いや…その…」

「君は私の気持ちが理解出来るだろうと思うよ。料理するという欲求は食材を選ばないんだ。君も何か楽しいデザートを考案してみないか?」

 そう言われると、藤堂は笹本に思ったほどの不快感は抱かなかった。どんな料理になるのか見てみたいと思ったほどだ。デザートを考えるのも楽しそうだ。

 だが。

「由美はどうでしょうね」

「駄目…だろうな。由美の為にやめるという決断をすぐには出来ない。私はシェフなんだ」

 笹本は大きくため息をついて、肩を落とした。


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