金曜日は趣味の日 3
その日の仕事はさんざんだったし、本来ならば職場の同僚が死ぬという深い悲しみにくれる場面だったかもしれないけれど、西条さんの「麻衣子の盗癖暴露」で皆の同情が少し消えたようだ。女子社員の間では財布からお金をくすねられたかもしれない、とか、貸したまま返してもらってない物がある、とかの話題で持ちきりだったし、吉崎は男子社員に「お前、まじで盗癖ある娘と結婚するつもりだったのか? スーパーで万引させて生活費浮かせるつもりだったのかよ」と酷い言われようだった。
社内一可愛い娘をゲットしたと評判だった吉崎に嫉妬していた者が多くいて、そんな話題で憂さを晴らしているのだろう。
「西条さん、今日は助かったわ」
退社後、会社を出た彼女を私は追いかけ、信号待ちしているところへ声をかけた。
「いいえ。本当の事ですから」
「でも、いいの? あんなに堂々と社員さんだった人の事を告発して。今後の仕事に……」
「ええ、派遣の契約がもうじき終わりますから辞めるんです。他県へ引っ越す予定ですから。この街は十分に楽しんだし」
と西条さんは笑顔で言った。
「そう……あなたとは友達になれそうだと思ったのに、残念だわ」
信号が青に変わり西条さんが歩き出したので、私も一緒に歩き出した。
「私なんかと友達にならない方がいいですよ」
と西条さんが言った。
「あら、どうして?」
「麻衣子さんは天才的な詐欺師だったけど、私はもっとたちが悪いかもしれないですよ」
「どういう事?」
「いいえ、気にしないでください」
歩きながら話題が途切れ私はつい、
「三木さんは誰に殺されたのかしら……」
とつぶやいた。
「駅裏の公衆トイレで発見されたんですって。顔も身体も刃物で切り刻まれてぐちゃぐちゃだったそうですよ」
と西条さんが言った。
「どうしてそんな事知ってるの?」
「あら、警察の人に聞きませんでした?」
「そんな恐ろしい事、聞いてないわ」
「恨みかもしれないけど、行きずりの犯行の線も強いって言ってましたよ。警察の人が」「そう……気の毒に」
「橘さんっていい人ですね。泥棒の罪を着せられたのに、気の毒と思うなんて」
「だって……殺されるなんて……恐ろしいわ」
「そうかしら?」
「え?」
「麻衣子さんは自分で厄災を呼び込んだんですよ。盗癖があって、嘘つきだもの。ああいう目に合うのはしょうがないわ」
と言って西条さんがうふふと笑ったので、何故だか私は寒くなって鳥肌がたった。
「じゃあ、ここで」
と西条さんが言って立ち止まったので、私も挨拶をした。
「ええ、さようなら。お疲れ様……あ、そうだ、あなたの趣味って何? 金曜日は趣味の日って言ってたじゃない? 私も何か趣味でも始めようかな」
「私の趣味ですか? そんなたいした物じゃないですよ。お疲れ様でした」
と去って行く彼女の背中に、
「ありがとう、あなたのおかげで救われたわ」
と言ったが、彼女は振り返りはしなかった。
ただ少しだけ右腕をあげて合図のように動かした。
「ええ、宝くじが当たったの。え~いくらって? 聞いて驚かないでよ。十万円! 何よ,十万円でも凄いでしょ! うん、朝一番で換金してきた。今日、なんかおごってあげるよ。会わない? うん、じゃあね、今から会おうよ。もう会社終わりでしょ? 分かった」
携帯電話をバッグにしまいながら、美里はそっと背後を伺った。
麻衣子が聞き耳を立てているのは気がついている。
ツーツーと繋がっていない電話での一人芝居だ。
そのまま女子トイレを出て、会社の外へ出る。
退社間際の罠は誰にも連絡させない為だ。
もっとも麻衣子が誰かと金にまつわる話を共有するとも思わないが。
夕暮れ時の退社時刻は誰も彼もが急いでいて、美里と麻衣子を気にする者はいない。
美里はバッグをしっかり持って、駅の方へ歩く。
少しづつ距離をつめながら麻衣子が後からついてくる。
駅を通りすぎると途端に人気が少なくなる。
そして夕暮れが濃くなる時刻だ。
駅裏の方へ歩く美里のすぐ後に麻衣子のヒールの音がする。
「西条さん」
と声をかけられ、美里は振り返った。
「あら、三木さん。こんな所で」
「ねえ、宝くじ当たったって本当?」
いきなりの直球で美里くすっと笑った。
「ええ」
「わ、いいなぁ。ねえ、お金貸してもらえない?」
「三木さん、正社員じゃない。私なんかよりずっとお給料いいでしょ」
「そんな事ないし~、ね、お願い、今月、ピンチなんだ」
美里が歩く横を麻衣子がまとわりつくように歩く。
「いいわ、でも、ちょっと待って、トイレ行きたいの。そこのトイレに付き合ってくれたら貸してあげる」
「いいわ!」
美里は薄暗い公衆トイレに入り口で周囲を振り返った。
トイレの入り口は建物の裏になっている。
人は誰もいない。
「ねえ、中までついてきてよ。怖いわ」
「いいわ。ねえ、いくら貸してくれるの?」
と言いながら麻衣子がトイレの中に入ってきた。
バッグの中に常備している小型の金槌で頭部を殴ると麻衣子は簡単に倒れた。
その身体を個室に押し込んで鍵をかける。
返り血は浴びたくない。部屋まで帰らなければならないからだ。
細く長いアイスピックで心臓を一突きして、少しぐるぐるとかき混ぜる。
麻衣子の身体はびくっとなってそして事切れた。
バッグの中に金槌とアイスピックをしまい、ナイフを取り出す。
折りたたみ式のナイフはぴかぴかだが、少し重い。
自慢らしい綺麗な顔を縦模様に切り刻む。
胸元もはだけて切り刻んでみた。綺麗な白い肌、と予想していたら、意外と黒くて肌がぶつぶつしていたので幻滅だった。
狭い個室での作業は腰が痛くなってしまったので、やめる事にした。
ナイフをしまい、
「私のチョコレートを盗むからよ」
と言って美里は公衆トイレを後にした。
ぶらぶらと駅の方へ戻っていると、とぼとぼと歩く橘章子を見かけた。
「橘さん」
ぽんぽんと肩をたたくと橘章子が振り返って、驚いたような顔をした。
「時間、あったらご飯食べに行きませんか?」
と誘ったのは、何も橘章子のアリバイを作ってやる為ではない。
橘章子のアリバイは、美里のアリバイだ。
それに彼女が気づいているかどうかは分からない。
だけど、と美里は思った。
麻衣子がいなくなったら、少しは橘さんも楽になるんじゃないかしら。
「詐欺師VS殺人鬼……殺人鬼の勝ちね」
うふふふと美里は楽しそうに笑った。 了
「金曜日は趣味の日」は終了しました。ありがとうございました!




