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チョコレート・ハウス 外伝  作者: 猫又
第七章

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金曜日は趣味の日 1

 酷い男だ。そんな男に騙された私が馬鹿だった。運がなかった。これ以上、嫌な思いをしない為にはさっさと忘れて、前を向いて歩いていくしかなかった。

 頭では分かっていた。

 でも男とも、浮気相手とも……ああ、今となっては私がただの遊び相手だったんだ。

 私も二人も同じ会社で毎日顔を合わせるなんて。

 男はハンサムで仕事も出来て、女は若くて可愛い新入社員。

 誰が見てもお似合いのカップルだ。 

 でも私は信じていた。ずっと彼の愛情が私にあることを。

 彼と結婚できると思っていた。

 彼は26歳、私は30歳。年上だけど、そんなに不釣り合いじゃないと思ってた。

 料理だって、部屋の掃除だって、美人じゃないけど身だしなみも気を遣っていた。

 お金だって……ずいぶんと渡したわ。車だって買ってあげた。

 でも彼、吉崎が結婚しますと発表したのは23歳の三木麻衣子だった。

 アイドル人形みたいな顔で、お洒落で、ふわふわした砂糖菓子みたいな女の子。

 でも吉崎とのメールでは私の事を意地悪いお局だとか、あの顔じゃ無理、とか書いてきていた。彼も私とは金目当てみたいなメールを彼女に送っていた。

 そう、メールを盗み見したのよ。下品な女だと思う? ついでに彼の携帯電話二つに折って壊してやったわ。だからもう彼に電話もメールも出来ない。 

 麻衣子は顔を合わせる度に自慢げな顔で私を見る。

「ふふん。ブサイクな年上の女がみっともない」という感じかしら。

 麻衣子は同僚にも上司にも受けがよかった。

 吉崎と麻衣子と、その取り巻きの間では、私が彼に横恋慕して、ストーカーのようにつきまとい、まるで凶女のようにまとわりついて迷惑している、みたいな話になっていた。

 私の携帯には毎日のように、誰かは知らないけど、いろんなメールアドレスから二人を擁護し私をののしるメールが届く。

 私が会社を辞めればいい。

 そうしたら、忘れられるのかしら。

 吉崎の事。この悔しい気持ち。

 あんなやつら死ねばいいのに、って思ってしまう嫌な自分。

 でも一生懸命勉強して入った会社だもの。辞めるのは嫌だった。

 くやしい、くやしい。

 いっそあの女を殺して、私も死のうかしら。

 でも、そんな事をしたら……家族が悲しむ。

 父も母も姉もその子供達も。

 そうだ、今度、甥っ子と姪っ子と映画を見に行く約束をしてたんだ。

 家族の顔を思い出すと少しがんばれる。

 


「あら、このチョコレート、すっごい高いやつじゃない?」

 と麻衣子が言った。

 最近入ったバイトの人が使っている机の横にバッグを提げてあるのだが、そのバッグから高価そうな箱がにゅっと突き出て見えていた。

「一粒五百円くらいするのよ。わ、二十個入りだって」

 麻衣子は厚かましくもバイトさんのバッグから箱を抜き出し、ぱかっと蓋をあけた。

「一個、もらっちゃおうっ」

 と言ってチョコレートを一粒自分の口の中に入れた。

 いくら何でも、勝手に人の私物を開けて中の物を食べるなんて……と思ったが、私は何も言えなかった。麻衣子が私を見てまた、「ふふん」と笑ったからだ。

 私が何を言っても、麻衣子には負け惜しみにしか聞こえない。麻衣子だけではない、その取り巻きも、上司だって。

 心がくじけそうになる。泣いてわめいて、恨みの言葉を吐きながらあの窓から飛び降りたら楽になるだろうか。少しはこの女もあの男も反省するだろうか。私を遠まきに冷たい目で見る同僚や上司にも一矢報いてやれるだろうか。

「おいし~い」

 と女が言った瞬間に、持ち主が部屋に入ってきた。

 彼女は大人しくて無口だったが、仕事は真面目にする人だった。

 今はバイトだがOL生活も経験あるらしく、事務作業やパソコン操作も慣れたもので、麻衣子よりはよほどに役に立つ人だった。

 彼女が入ってきた瞬間に麻衣子が、

「あ、ごちそうさまでした。橘さん」

 と言って私の手に箱を押しつけた。

「え?」

「おいしかったです。どこで買ったんですかぁ?」

「え、何、ちが……」 

「それ、私のですよね」

 とバイトの西条さんが私を見て言った。

「え? やだ、橘さんったら、西条さんのチョコを自分の物みたいに言ってたんですか? 信じられない~」

 西条さんは私を見て、それから麻衣子を見た。

「ち、違うの。西条さん」

「返してください」

 私は急いで彼女の手に箱を渡した。

「西条さん、違うのよ」

 西条さんは私をじっとみつめてから、

「罰ってあると思うんですよね。人の物を盗むような汚い人間にはそのうちにね」

 そう言ってからチョコの箱をまたバッグに突っ込んだ。

 そのままバッグを持って、

「お昼に行ってきます」

 と言って部屋を出て行った。 

「西条さん……」

「誰も信じませんよ。橘さん、評判悪いですもん。人の彼氏にストーキングしたり、みんなに嫌われてるのに、まだ会社に居座る意地汚さとか、あたしだったら耐えられないな」

 きゃははと麻衣子は笑った。

 その瞬間からどうやって退社時間まで過ごしたのか、記憶がない。

 気がついた時には就業時間は過ぎていた。

 身体中が重くてだるかった。

 もう辞めよう、と思った。明日にでも辞表を出そう。

 探せばまたいい職場があるに違いない。

 口べたなのは遺伝だ。父も母も無口で、大人しい。思った事の半分も伝えられないのははがゆいが仕方ない。

 言おうと思っても、顔が真っ赤になって頭の中が真っ白になるだけだ。

会社を出て、駅までの道で肩を叩かれた。

「西条さん」

 振り返ると西条さんが立っていた。

「今、帰りですか。遅くないですか?」

 西条さんが腕時計を見たので、私もつられて自分の時計を見た。七時半を過ぎていた。

「え、ああ、あの、ぼーっとしてたら、こんな時間に」

「そうですか」

「西条さんは?」

「今日は金曜日だから趣味の日なんです」

 と言って西条さんが笑った。

「趣味の日?」

「ええ、橘さん、今から時間あったら、ご飯食べに行きませんか?」

「え、ええ、時間はたくさんあるわ。でも、あの……あなたのチョコレートを盗んだのは私じゃないの!」

 と私はそれだけ必死に伝えた。

「ええ、知ってます。あの娘、三木さんでしょ? あっという間に橘さんに罪を着せて、天才的な詐欺師ですよね」

 と言って西条さんは笑った。

「知ってたの?」

「ええ、初めてじゃないんです。盗み食いは前からなんですよ。バイトの私物を漁らなくても、正社員なんだから給料も私なんかよりだいぶんいいでしょうに」

「そうなの……注意したの?」

「ああいう人間は口で言っても分かりませんよ」

 と言ってからまた西条さんは笑った。

 

 その後、西条さんと夕ご飯を食べてから別れた。

 ファミリーレストランの安いメニューだったけど、とてもおいしかった。

 会社の中に友人はいない。同期で入った人もすでに寿退社でいない。

 後輩も皆が麻衣子の味方で私にはつらくあたる。

 私には久しぶりの楽しい時間だった。


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