オーナーの恐怖の一日 中編
「るりかさんてもしかして名字が酒井さんじゃない?」
とアキラが言った。
るりかは顔をあげてアキラを見た。
悩んでいるような言葉を探しているような表情だった。
「え、ええ、そう、だけど。あたしの事知ってるの?」
アキラはフォークで肉を突き刺した。
いい肉はすっと刺さるからいい。美里は肉の抵抗する力を無理矢理に破壊するのが好きらしいが、アキラは違う。汗はかきたくないし汚れたくもないから一瞬で事切れるのが好きだ。
笹本の出す肉はいい。国産黒毛か何だかは知らないが、すっと刃が通り、口にいれても柔らかく一瞬で溶ける。
るりかは緊張した面持ちでアキラ前の座っていた。フランス料理を個室で食べるのは慣れてないようだ。もっともアキラも別にマナーに詳しいわけでもなく、フランス料理が好きだというわけでもない。笹本の店は便利だから、それだけだ。
アキラが笹本の店にるりかを連れて行った時、ちょっとした騒ぎになった。
笹本の店は食人鬼の巣窟だ。噂では笹本ビルにはそこで料理された肉のポートレートが飾ってある一室があるらしい。それまでやたらに高価だが出身地不明の冷凍肉をありがたがっていた笹本も美里というハンターが来てからは、新鮮な体内のどの部位でも使える人肉一体が手に入るのだ。国産の肉を国産の野菜と国産の調味料を使って料理できる。
るりかはまさしくその第一号だった。きっと一番大きく立派な額に飾られてあるだろうに、そのるりかが再び現れたのだ。
笹本も内心では酷く驚いたに違いないのだが、平静を装い丁寧に接客した。
「姉のだんなの妹が同級生だったらしいんだけど……知らないかな」
「え……と、何ていう人?」
「由美さん」
「あ、ああ、ああ、覚えてるわ。由美ちゃんよね」
「仲良かったの?」
「ええ、そうね、時々遊んだかな」
るりかの挙動はびくびくしている太ったネズミのようだった。
ソーセージのような太い指には豪華な指輪がはまっていた。ぽきんぽきんと折ってやったどうなるだろうな、とアキラは考えた。
「そう、でも、その人死んだって聞いたけど」
「え……誰が死んだの?」
「るりかって人さ。殺されたらしいよ。うなじを自転車のスポークで刺されて」
「……」
「これ、まじで内緒の話ね。行方不明って事になってんだけどさ、本当は死んでるらしいんだよね、でさ、あんた誰? るりかの名前騙ってるといいことないと思うけど?」
るりかの顔は真っ青になっている。
アキラはまた分厚い肉をフォークで突き刺した。
るりかの手は止まってしまい、すっかり食欲もなくなったようだ。
「噂ではねぇ、頭のイカレタ女を怒らせて殺されたってさ。見境なく人を殺すような女でさ、何回でも殺してやるって今でもるりかを探しているらしいよ」
るりかの顔は真っ青になっている。
「あはははは。まあ、都市伝説だよ。気にしないって」
「……」
「るりかの家がいい家柄で金持ちだってのは本当。あんた、るりかのふりして金を引っ張ろうって魂胆? でも、なかなか金かかった身なりしてるじゃん。人気モデルなんだろ? あんたみたいなデブスでもマニアが金出すんだ。女はいいねぇ。俺もあやかりてえ」
るりかはびくびした様子でアキラを見ていたが、心を決めた様子できっとアキラの顔を見て、
「あたしがるりかよ」
と言った。それに対してアキラがどんな反応を示すかと少しばかり目線がきょろきょろしたが、アキラは興味なさそうに、
「ふうん」
と言い、そして、
「じゃあ、死ねば」
と続けた。
「え?」
とるりかが声を発した瞬間に、アキラの投げたナイフがるりかの頬をかすめて飛んだ。
ナイフはるりかの背後の壁に当たって落ちた。
「え……」
るりかの頬が少し切れて、血がにじんできた。
「な、なんなの」
「るりかじゃなかったら生き残れたけど、るりかだったら死ぬ。これが決定事項。藤堂さん神経質でさ、るりかが生きてたなんて知ったらうまいチョコレート作れなくなるかも、なんだよね。るりかのせいで妹が死んだみたいだし。そしたらチョコレートがないと生きてけない美里が怒ってまた殺戮を繰り返すだろ。迷惑な夫婦だよなー」
とアキラがまた別のナイフを弄びながらそう言った。
「全く迷惑なんだよなー。俺、女、殺すの好きだけどね、あんたみたいなのタイプじゃないな。俺、不細工な女嫌い。デブも嫌い。触りたくもねえ」
アキラが顔を歪めて本当に自分の事を汚らわしそうに見るのでるりかの顔は真っ青になった。アキラのように顔の綺麗な男にののしられる事は生きている上でもっとも屈辱的な事だった。最近ではモデルとして人気があり、マニアなファンには女神のように称えられてきたるりかには最大級の恥だった。
自分が醜いという事をようやく思い出したからだ。
「な、何よ。ちょっと自分が綺麗な顔してるからって……ブスだから死ねっていうの?」
「違う、るりかだから死ぬの。例え、るりかが絶世の美女でも死ぬの。美里を怒らせたから死ぬの。ブスが云々は俺の個人的嗜好だから」
「美里って……誰? あたし、知らないわ」
るりかの顔が泣き顔になる。じゃあじゃあと涙が溢れてきて、アイメイクを流して落とした。黒い筋が頬を伝う。
「美里? あー、あれはもう悪魔だな。やばすぎて人間じゃねえよ、あいつ」
と言ってアキラがけっけと笑った。それからまたナイフをるりかに向かって投げた。
ナイフはるりかの頭上をすれすれに通過してまた背後の壁にささった。
「ま、待って」
とるりかが言った。
「あたし、本当はるりかじゃないの!」
アキラはまた新しいナイフを手にした。
るりかは手の甲で顔の涙をぬぐった。
化粧も涙も鼻水もが一緒になって、ぐちゃぐちゃになって糸を引いている。
るりかはそれをテーブルの上のナフキンで拭いた。その様子をアキラは眉をしかめ、細目になって見ているが、嫌悪感がオーラのようにアキラの顔、身体全体に出ている。
『コロシタイコロシタイブサイクナモノハコワシテヤリタイグチャグチャニナッテメノマエカラキエロイキヲスルナミニクイモノハコノヨカラキエロ』
「さ、最初は……ネットですごい高値がついたっていう、るりかってタイトルの写真集の女性に似てるらしくて、間違えられたのね。そんなに世間的に有名じゃないけど、マニアの間で噂になって、ネットでどんどん広がって。それに飛びついた出版社から写真集やPVの話が出て、すごいお金貰って……でも不安になって、ネットの噂をたどったらこの街にたどりついた。るりかさんの家を調べたら大きな家で、それで……本人は行方不明で」
「そんで上手いこと家に入り込んでやろうとしたわけか」
「む、向こうが違う事に気がついたら引き下がるつもりで……本当よ!」
「藤堂さんが間違えるくらいだから、本当によく似てるんだろうけど……有罪だな」
とアキラが言った。
「え?」
「あー、あんまり気にしないで。美里と違って、殺す殺さないの基準が曖昧だから、俺」
「そんな……どうして」
ぐしゅんぐしゅんと泣き続けるるりかに向かってアキラは、
「終了」
と言って、すぐそばにあったガラスのボウルを投げつけた。
がっと音がして、それはるりかの顔面にヒットした。
るりかはぎゃっと叫んで後ろへのけぞり、椅子から落ちた。
「俺にとっちゃ、るりかよりあんたの方が罪が大きいな。藤堂さんにしちゃ、るりかは化け物だろうけど、彼女は頭がおかしいなりに頑張ってたよ。あんたみたいに、自分はたいした罪を犯してないって思う中途半端な人間が一番嫌い」
アキラは立ち上がって、かつんかつんと靴音を響かせながら、るりかに近づいていった。
 




