藤堂君は意外と鬼畜4
美里と藤堂は笹本の店へ到着して、予約していた個室へ案内された。
すでに個室には陽子が座って待っていたので、美里は笑った。
陽子の装いはあまり上品とは言い難く、若い子に混じって厚化粧でごまかしてる年配のキャバクラ嬢のように見えた。
美里が少し大きめのバッグを持って入ってきて、それを部屋のすみの方へ置いたので、
「ずいぶんと大荷物ねぇ」と陽子が言った。
「ええ、服が汚れるかもしれないでしょう?」
と美里が言った。
丸いテーブルに三方に腰をかける。
今日のメニューもワインも笹本へ任せてある。
「凄いお店ねえ。あたし、こんなちゃんとした店に来るの初めてよ~。何か緊張しちゃう」
と陽子が言った。
「個室なんだし、そう緊張しなくてもいいですよ」
と藤堂が言い、美里がそれに合わせて笑った。
主人と食事に行くんです、というセリフを言ってきかせただけなのに、ちゃっかりと先に来て座っている、陽子の行動は予測がつきすぎて笑えた。もしかして陽子が来なかったら、今回はやめようと美里は思っていたのだが。
彼女は自分で選択したのだ。
前菜、スープが運ばれてきた辺りで美里はもううんざりしていた。
緊張しちゃう~と言いながら、陽子は少しも配慮をしない人間だった。
美里自身、そう上流の育ちではないので、フランス料理の正式なマナーは知らない。
だがマナーとは、同席した人間に不快感を与えない、事が最重要事項だと思うのだ。
ナイフとフォークの使い方云々よりも、音を立てない、汚らしい咀嚼をしない、物を口に含んだまま話をしない、というのはフランス料理以前に家庭で親がしつける問題である。
陽子は口いっぱいにムニエルを入れて、右手にはワイングラスを持っている。
噛むのと飲みこむのと水分を喉に通すのが同時で、
「あら、これ、おいひいわ。もっとほひいわ」
とよく聞き取れないような言葉を発した。
美里がバッグから何かを出して、陽子と自分の間に置いた。
それは三味線の撥に似ていた。
だが材質は金属で、つやを消したような銀色をしていた。
持ち手の部分は分厚いゴムのグリップが付いている。
先の方は広がっている。両端は尖っていて、ナイフの先のように光っていた。
陽子はそれを見たが何かも分からないし、興味もなかった。やたらと藤堂へ色っぽい視線を送るのと、豪華な食事を平らげる事に必死だった。
「陽子さんがね、あなたと再婚したいんですって。で、私に林さんを薦めるのよ。子供達もみんな私にくれるんですって」
と美里が藤堂へ言った。
「それは困ったな」
と藤堂が苦笑した。
「ねえ、いいじゃない。どう?」
と陽子が言った。
「本気で言ってるんですか?」
と藤堂が聞き返すと、
「ええ、あたしもまだまだ捨てたもんじゃないでしょ」
と言った。藤堂は肩をすくめて美里を見た。
「陽子さんを見てると、私の母を思い出すわ」
と、美里が言ったので、藤堂がちらっと美里を見た。
美里の母親の話など、藤堂も知らない事だった。
「え? そう?」と陽子が興味なさそうに言ってから、藤堂にまた笑顔を向けた。
「ええ、うちの母もね、あなたみたいなクズだったの」
と美里がさわやかな笑顔で言ったので陽子は一瞬、きょとんとなった。
「母もあなたみたいに男好きで、自分の欲求の為なら子供さえ売りに出そうかっていうほどのクズだったわ。一度、そういう人に聞いてみたかったんだけど、子供嫌いなのにどうして生むの? 堕ろすっていう選択もあったんじゃないの?」
「な…何よ! あたしの勝手でしょ!」
「だって不思議だもの。よくニュースでもやってるじゃない? 虐待の上に放置して死ぬ子供。殺すならどうして生むのかしら? クズだから考えないのかしら? 考えないからクズなのかしら?」
「ちょっと! あんた! 黙って聞いてれば!」
「思うんだけどね、優秀な人、愛情深い人は何人子供産んでもいいと思うの。そういう遺伝子が増えればもっと人間優しくなれるし、優秀なDNAは未来を考える人になれると思うの。でも、あなたみたいなクズはもう子供作っちゃいけないわ。あなたの子供が林さんの遺伝子を濃く引き継いでいればまだましだけど、あなたの遺伝子はもう必要ないと思うの。日本にクズを増やすだけだわ。そしてそんなクズが同士でくっついて、また不幸なクズを生み増やすのよ。そういう人間、いらないでしょう? あなたの事もきっとご近所中がいらないと思ってるわよ? 林さんだって本当はいらないと思ってるんじゃない?」
がたっと陽子が立ち上がった。
「このクソが!!!!」
怒号とともに美里につかみかかる。
美里はさっと先ほどテーブルの上に置いたものを取り上げて、逆手に持った。
つかみかかって来る陽子の顔めがけて、斜め下から上へ切り裂いた。
「ぎゃーーーーーーーーーーーーー」
と叫んで、陽子が顔を押さえた。
陽子の顔に右顎下から鼻を通過し左目を潰して斜めに裂けた傷が入った。
「これね、スクレーパーっていうの。軽くて、持ちやすくて扱いが簡単なの。いろいろ試したけど、これが一番切れ味がよくて、頑丈なの。やっぱり、有名メーカーのがしっかりしてるわ。本当は粘着したシートやテープなんかをこそげ取る道具なんだけどね」
と美里が言った。
「な、何なの、あんた」
陽子が床に蹲って、美里を見上げた。両手で顔を押さえている。
美里が一歩足を進めたので陽子は「ひいっ」と言いながら後ずさった。
藤堂の方へ向いて、
「ちょ、ちょっと、助けてよ! あの女、頭おかしいわよ!」と言った。
藤堂は肩をすくめて、
「粘着する嫌な奴をこそげ取るって、こういう意味か! 世の中、便利な道具があるもんだな。君はそういうの見つけるのうまいな。尊敬する」
と藤堂が美里に言った。
「ドイツ製の工具のお店にはいつ連れてってくれるの?」
と、美里が笑顔で答えた。
「じゃあ、今度の休みにでも行こう」
「な、なんなの、あんたたち…おかしいわよ。気が狂ってる」
陽子の身体は少しずつ後ろへ下がって、狭い個室の壁際に追い込まれた。
「私達は確かに少しあれだけど、あなたの様に他人に迷惑をかけたりしないわ。あなたみたいな人って本当に自分の事は見えないのね。ねえ、もう林さんを自由にしてあげたら? あなたの子供も遺伝子的には少し不安だけど、林さんに育てられたらまだましじゃないかと思うの。いらないのは子供達じゃなくて、あなたなの。分かった?」
「ちょ…どうする、あたしをどうするつもりなの…」
「どうしようかしら? うちの母みたいにしようかしら?」
「え…何よ…それ」
美里はうふふと笑って、「内緒」と言った。