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短編

帰幸の家

作者: かふぇいん

 あの家を思い出すと同時に蘇るのは、白い花の香りだった。手入れの行き届いたイングリッシュガーデンの、隅で咲いていた小さな花だ。次いで思い出されるのは家の中、ダイニングの映像。花瓶にさされた花と、バターの匂い。祖母の顔。

 休暇の前日、母から電話があった。無人になって久しい、祖母の家を見てきてほしいと。善からぬ噂と、噂と違わぬ事象について見てきてほしいと頼まれた。

 ――なんでも、あの家には今、幽霊が出るらしい。

 死んだ祖母にまで再び住民票を出すのかと言ったら、母は咎めるようにこちらを急かして、電話を切った。

 田舎とも都会とも言えぬ町の、中心から少し離れた山間に祖母は住んでいた。祖父が早くに亡くなってからそれでも十年近く、祖母は一人だった。共働きの上、その時こそ家が近かったこともあって、幼い自分は事あるごとに祖母の家に行っていた。それがもう、随分前の話だ。あの家は、両親が老後過ごすのだととってあるが、今は手つかずのまま、おそらく荒れているのだろう。

 祖母の家には遊ぶ物はあまりなかったが、本もいっぱいあったし、登ってもいい木があった。その上に、祖母はよくおやつを作ってくれたから、祖母の家で飢えた記憶がない。中でも、祖母はスコーンをよく作った。代々家の女に継がれてきたというそれは、びっくりするほど不味かった。ジャムと紅茶がびっくりするほど美味しくなければ、食べることができないほどだ。祖母の料理はあらかた母が受け継いでいるが、母はその作り方だけはずっときかなかった。

 不味いのは祖母も知っていた。不味いと不満を言ったこともある。でも、祖母は笑って言うのだ。伝統の味だから、と。不味いものまで引き継がなくてもいいじゃないかと言うと、祖母は首を振った。良いものは引き継がれるけど、悪いものは引き継がないと消えてしまうのだと。悪いものも文化で伝統なのだと。幼い自分にはよくわからなかった。

 車を飛ばして、数時間。案の定祖母の家は荒れていた。美しかったイングリッシュガーデンも、雑草も花も交じってしまって台無しだった。ただ、匂いはちっとも変わらなかった。心は幼い日に戻る。花の砂糖漬けをもらったからか、手当たりしだいに花をとって食べた自分を、祖母は叱った。その花には毒があるのだと。後になって私は不満を言った。毒があるものを何故植えていたのかと。

 床板の軋むダイニングに入り、中をじっと確かめた。おやつをもらった大きなテーブルも埃がつもっていたけれど、花瓶のあの花だけは変わらずにそこにあった。花瓶の下には、古い紙が敷いてあって、やっぱりあのスコーンの作り方が書いてあった。

「美味しくないものを、どうして引き継ぐんだよ、ばあちゃん」

 静かな家。

「悪いものだって、良いところも思い出も、いろいろ詰まっているからね」

 驚いて振り返ると、昔と変わらない祖母の笑顔があった。見合って数瞬、それは消えた。

 帰って作ったスコーンはやはりすごく不味かったけれど、これがあるとジャムも紅茶もやたら美味しく感じるのだから、祖母の言うことはやはり正しかったのだろう。

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