父の死
ある、秋の日。父のお見舞いに行くと、病室に父の姿がなかった。看護婦さんに尋ねると、父は
「車いすにのって、携帯電話を持って、屋上に行ったみたいよ。」
と言われた。
何も疑わず、父の後を追うように屋上に行くと、そこには携帯を握ったまま遠くを見つめる父がいた。「お父さん、寒くない?風邪ひくよ。」
そう言ったのだが、
「もう少しここにいる。」と、父は言ったのだった。
「誰かから電話がかかってくるの?」
そう言うと、さびしそうに笑って、
「いや、もう終わった。」
と、呟いた。
今にして思えば、父が誰か女の人からの電話を待っていたことは簡単に察することができるのだが、
疑いたくなかった私の心は、父の言葉をそのまま信じてしまった。父のいう終わったの意味を、単純に「電話は終わった」と考えたのだった。
「じゃ、戻ろう」
そう言って、車いすを押したときだった。
「お父さん、軽くなったね…」そう口に出そうになって、あわててやめた。再発の恐怖に私は震えたのだった。
季節がもう一度桜の季節になりかけた時、父はあっけなく逝ってしまった。
その春はいつもの春よりとても速くて、東京では4月を待たずに桜は散り始めたのだという。でも、ここは、5月まで満開とはならなかった。そんな遅い桜の季節を待てずに、父は逝ってしまった。号泣する妹の手をぎゅっとしっかり握り、母は、気丈なまでに凛として、決して泣くことはなかった。淡々と父の葬儀を執り行った。
だが、それからしばらくして、母の髪は真っ白になった。周りはみんな、「疲れたんだろう。ゆっくりさせておあげ。」と、私に言った。でも、本当の理由は、あの手紙なんじゃないかと思っていた。母が父の遺品を整理し始め、そうして、急に白髪となった。いろんなことが重なって、とも思ったが、どう考えても、やはり、気持ちはあの手紙の束に行きついてしまうのだ。
あれから、母は毎夜のごとく手紙を読みあさり、何かを思いつめては、庭の花を切って、父の墓へと出向いてゆく。そうして、時折、堺良二と会っているようだ。母は、何を隠しているのだろう。
死んだ父が自分あての女からの手紙を、母の目につくようなところに残して、病魔にやられた。私は心の中で、そのことがずっと引っかかっていた。どうして、父はそんなことをしたのだろう。訊ける相手は堺良二しかいなかった。
父の七回忌を前にして、ちょうど高校を卒業したばかりの妹が、『妊娠している』と言い出した。もう5カ月だという。東京にでて暮らしていた私は母を責めた。なぜ気がつかなかったのか、と。妹にも相手の名前を言うように、と言ったのだが、決して口にすることはなかった。
言えない相手の子どもなのだ。結婚できない相手なのだろう。妹は妹なりの決心があるようで、働きながら、育てる。と言ってきかない。もう堕胎もできない月齢で、結局、妹の涙に、母も私も根負けしてしまい、妹の出産を認めることになった。妹の女としての成長に、私は嫌悪した。