届けられた本
読めば、父が道ならぬ恋に落ちていたことを容易に察することができた。その日、そこにある10通ほどの手紙にすべて目を通した私は、あまりのショックに震えた。
だが、私は一度たりとも父の裏切りを感じていなかったわけではない。だからこそ、その時の思いも現実のものとなり、母の髪が真っ白になったわけを察したのだった。
そもそも、この手紙の主はだれなのか、男女の機微など感じる事のできない私は、怒りに震えるしかなかった。それくらい、父の男としての部分には、潔癖な年頃でもあった。ただただ、「母が可哀想」という思いしかなかったのである。母が隠したほかの手紙-そう、母はもっとたくさんの手紙の束を自分の足元に置き、毎夜のごとくそれを読み返していた。そんな母の姿を、ふすまの陰からずっと見てきた私は、これ以外の手紙の束がとても気になった。父の事を知りたい、いや、母を苦しみから救いたい、そんな思いに駆られていたのだった。でも、どこにあるのか、その手紙の所在がとても気になって仕方がなかった。
私の妹は父が足を切断した時、なぜ足がなくなったのか、とは決して聞かなかった。それには決して触れまいと必死に父の顔だけをみて、足元に視線を送ることはなかった。そうされることの父の苦しみはいかばかりだったかと思うのだが、今となっては父に聞く術もない。ずいぶん後になって、妹に聞いたのだが、妹もどういう心境だったのか、と言われても答えられないと言っていた。とにかく、「見てはいけない」そう思ったのだそうだ。妹なりの、気の使い方だったのだと思う。
ある日、あれは父が亡くなる前年の夏の暑い日、妹と二人、父の病室にお見舞いに行った時のことだ。 私は偶然、病院の玄関で、父の同僚である堺良二に出会った。父の見舞いに来てくれたのだという。妹を先に病室へやり、まだ中学生になったばかりだったのに、大人のような生意気な口ぶりで、
「父のためにありがとうございます。」
と、頭を下げた。堺は、私の頭をなでながら、
「もう、大人なんだね。」
そう言って、別れた。
実はあの時、堺良二の瞳に映った、ほんの少しの曇りを、私は見過ごさなかったのだけど、結局そのわけを尋ねることは一度もないまま、今に至っている。訊けなかったのだ。自分の思っていることが怖くて。今も確かめられぬままだ。
病室に入ると、そこには、足を失い、ただ、身体をベットに預けながら、大きな窓に向かって悲しげに視線を落とす父がいた。そのわきで、まだ、何も知らぬ妹は、たくさんの本に囲まれ、なんだか嬉しそうにしている。こんなにたくさんの本、どうしたのか?と父に問うと、「お見舞いに届いた本を良二が持ってきてくれたんだ」という。子どもながらに、なぜ、お見舞いが会社に届くのか不思議に思ったが、尋ねることもなく終わった。だけど、検査だと言って父が看護婦さんに連れて行かれてしまい、妹と残された病室で、その本が包まれていたのだろう包装紙の上のあて名書きを、私はごみ箱に一瞬見つけた。
とてもきれいな文字だった。すらすらと書かれたその文字はやさしい、だけど、決して弱くはない、そんなきれいな文字だった。
『ああ、これは、女の人からの父への贈り物なんだな』
と、一瞬のうちに理解した。だけど、その女の人の名前が何だったか私はもう覚えていない。今となっては、その名前を見聞きしたとしても、思い出すことはないだろう。きれいな文字だった。ということだけしか覚えていないのだ。
漠然と、そう、漠然とだけれど、『父には誰かいるのかもしれないな』そう思ったのは、その時が最初だ。だけど、母には言わなかった。何より、確証があるわけでもなく、男女の性について経験はなくとも、知っていた私には、母に話すことにためらいがあったのだ。その日、父のところにたくさんの本のお見舞いがあったことを、妹が話すと、母は、
「お父さんは営業マンだったから、いろいろお付き合いのあった方たちが、会社にお見舞いを送ってくださるのよ。ありがたいわね。」
と、少し微笑んで言った。
そうか、そうだった。精密機器の営業をしていた父には、全国に取引先の人がいるのだ。本くらい送ってくれる人、仮にその人が女の人であっても、それは決して不思議なんかじゃない。
私は、そう思って、その事実を忘れていたのだった。だけど、そのきれいなでも力強さを感じるその文字は、母が読みあさるその文字のように思われてならない。