白鬼となった母
父が死んで、母の髪はあっという間に真っ白になった。まだ40を少し超えたばかりの母だった。小学校を卒業したばかりの私と妹には決して弱みを見せなかった母だったが、父が亡くなった後は、やはり違っていた。
父が骨肉腫だと、母から聞いたとき、私は目の前が真っ暗になったのだけど、母はもっと苦しんでいた。父の足を片方、根元から切断するのだという。そして、再発の陰におびえながら、身障者として生きてゆくその父の姿を、隣にいる母さんだけでは支えて行けそうにないから、
「香澄、あなたも力を貸してちょうだい。」
そう、言われたのは信州の遅い春がやってきて、蓼科の聖光寺の桜がもう少しで見ごろを迎える頃だった。
母と相談して、妹にはしばらく、黙っていようということになったのだが、もうすぐ、足を失ってしまうことをどうやって話したらいいのかと、私はかなり落ち込んだ。母は気丈に頑張り通したと思う。
そんなこんなで大騒ぎしていた1年が過ぎ、やっぱり父は、片方の足を失った挙句に、今度は命を失った。
父が亡くなった時、母は泣かなかった。妹はそんな母を責めた。私も、薄情だと思ったりもした。
だけど、その薄情とも思える母の態度は、女としての虚栄心だったのかと今は思う。
母の髪があっという間に真っ白になり、何かに取り憑かれたかのようにひたすら昔の手紙を読みあさるようになった時、その手紙がなんなのか、こっそり盗み読みをした。
母に
「何かあったの?」
と、聞いても母は決して答えず、あるいは、答えても、
「何もないわ」で、終わってしまう。だけど、言葉通りには受け取れず、母のその態度が、どうしても理解できなかったのだ。父が亡くなった後、何やかやと母を助けてくれていた、父の同僚である堺良二に会ってくるからと、度々出かけてゆく母の後ろ姿に、私は、嫌な予感を感じていた。
「出かけてくるから。」
その日も、父が好きだった結城紬の着物を着た母は、父の墓前に供えるのだといって、庭で咲いたリンドウの花を手に出かけて行った。
父と母の部屋に入る。そこは、一人の主を失って、部屋の温もりすらなくしたように冷え切った虚無な空間があった。母は、いつも鏡台の引き出しの中にあるたくさんの手紙を、毎日のように読みあさっていた。そっと、鏡台の引き出しに手をやる。
「あった…」
それは、父宛ての手紙で、封筒の汚れが、経年を感じさせるものだった。そこには、10通ほどの手紙があった。でも、母が読んでいた手紙はもっとたくさんあったように思う。残りは、どこかに母が隠しておいてあるのだろう。
一番上の手紙の差出人を見る。封筒には何も書かれていない。積み重ねられたその手紙には、どれも差出人がなかった。消印は、「東京新宿」とある。切手は50円が貼られている。ずいぶん昔のもののようだ、などと思いながら、私は、父へのその手紙を読んでしまった。
「元気にしていますか。あれから、電話する勇気がありません。
ふと、あなたの生活を垣間見てしまう、というのは、どうということもなく、過ぎてゆくものだと思っていましたが、私にはかなりの衝撃を残しています。
当たり前のことですが、やはり不倫の恋など、テレビのようにきれいごとでは済まないのですね。
貴方に守るべきものがあることを私は理解していましたが、そのものを目にしてしまったことで、今まで目をそむけてきた罪悪感が目を覚ましてしまったようです。
貴方から離れるという選択肢を私は持っているのだと、貴方は言いましたね。
その意味を少し考えてみようと思います。しばらく、離れてみましょうか…」
その手紙は、中学生の私にも、父が道ならぬ恋をして、現実の生活との狭間に揺れ動いていることが読み取れる。本当に父?。これは一体何?