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第1話

「……ここは?」


 目覚めたらそこは薄暗い一室だった。


 顔を上げた先には小さな卓上鏡があって、そこに映った顔はとても白く美しくて、まだ寝起き半分の赤い瞳と細く綺麗な銀糸の髪が人間離れした造形美を際立たせていた。


 筋肉なんて見当たらない細い腕を枕代わりにして寝ていた少女は、俺の意思と同じように身体を動かして、今の現状を確かめている。


 黒のゴスロリ衣装を身に纏い、ヒラヒラしたカチューシャを恐る恐る触りながら、薄く紅い唇から疑問を漏らすのだ…


「……俺は確か過労で倒れて救急車で運ばれていた筈じゃ…」


 ってな?


 10連勤30時間残業が身に堪えて、デスクに戻る一歩手前で椅子にしがみ付くように倒れた俺は、混濁する意識の中、タンカで運ばれ救急車に乗せられた筈だった。


 1ヶ月ほど前に大好きだった彼女に振られて、あまりにも不釣り合いで非常に見た目の整った彼女に振られて生きる勇気も希望も失った俺は、自棄になって全ての業務を請け負った。


 誰かが用事があって休みたいと言えば「ああ代わりに俺が出勤するよ」と返し、デートだから帰りたいと相談されれば「上司には上手く言っとくから早く帰りなよ」と返し、家に帰っても何もする事なくただ空しい時間を過ごすだけの俺は、自分の身体を疲労知らずのNPCのように酷使し続けた。


『ずっと一緒にいてくれる?』が口癖の彼女に何度気弱にウンと頷いた事だろうか、相手はバツイチで小学生ぐらいの子供がいて、だけど会うのに怖じ気づいて「もう少しだけ待ってくれ」が口癖だった俺に、そんな愛を注いでくれてた彼女は最後に嫌気が差したんだろうなって思う。


 情けねえなって思うかも知れないけど、だけど俺はそんだけ真剣に考えてたって事を分かって貰いたい。

 軽々しく他人の命を背負ってはいけないと悩んでたって事を分かって貰いたい。


 経験人数彼女1人で、ずっと実家から出たことなくて人生経験さえも希薄だった俺が急に色んな物を抱えて生きる恐怖は計り知れないって事を、全員じゃなくても誰か1人で良いから分かって欲しいんだ。


 まあ、そんなこんなで誰かの命を護る覚悟も誰かの愛を受け止める覚悟も何もなかった俺は、自分自身に希望を見出せず、自殺願望に近い感じで仕事にのめり込んだ。


「早くゼンマイ切れねえかな」が口癖となって、「まだ動くのか面倒臭え身体だな」が常に頭の中に纏わりついて、「どうせ将来何も良いことなんかねえのに」と口撃し続けた。


 最近流行りのオーバードーズならぬオーバーワーク中毒だったのかも知れない。

 嫌いな自分と向き合う時間を少しでも減らそうとパソコンと向き合い続けたのかも知れない。


 本当に向き合うべきは彼女だったというのに……


「……なんだ、このノートは?」


 そんな過去の思い出を静かに振り返ってた俺の前に、一冊のノートが開かれている事に気付いた。


 細々(こまごま)と日本語でない文字がビッシリと書かれていて、何故だかそれが理解できてしまう俺は息を呑んでそれを読み始めた。


「えーと…拝啓、反魂の術によりこの身体に宿りし者よ……」


 先ずは最初の一行目を声に出して読んだ俺は、それから暫くの間、古びたアパートの一室のような場所で、英語でもフランス語でもドイツ語でもないような文字を静かに読み進めたのだった。


 ✝˖⁺‧


 ───拝啓、反魂の術によりこの身体に宿りし者よ、さぞや驚いている事じゃろう。


 男の者か女の者か性別は不明であるが、せっかくゆっくりと冥土を楽しんでいた所を、(せわ)しい現世に呼び戻してしまって申し訳ないと思っておる。


 余の名は「グレーシス・サンドラ」、吸血鬼と人間の間に生まれた混血児(ハーフ)である。

 世間一般的にはダンピール等と皮肉を込めて呼ばれておる非常に中途半端な存在じゃ。


 人間でもない吸血鬼でもない余は、中々にこの世界では肩身が狭く、どちら側からも非難の目で見られる事が多かった。


 本来ならば路地裏でひっそりと、日の当たらぬ場所で暮らしていかなければならぬ存在であるが、しかし余は人の生き血を吸うのが苦手なうえ、尚且つ残飯を漁るのも嫌であるから、正体を隠してギルドの受付嬢として働いておった。


 いくら不死に近い身体と言っても空腹に耐えるのは5日が限度であるからのう…

 金を稼がねば雨を凌げる場所も胃袋を満たす食事にもありつけぬのじゃから、余は渋々と汗臭い冒険者どもに笑顔を振り撒いておったのじゃ…


 細々(ほそぼそ)、細々と、職場で会う同僚と仲良くなる事もなく、毎日をただ平淡に、たった1人で過ごしておった。

 このまま寿命まで余は寂しく生きていくのかと常日頃思っておったのじゃ…


 時たま見上げる空には誰の姿も思い浮かばぬ…

 何十年という遥か昔に、余を置いて旅立ってしまった人間である母君の姿も思い浮かばぬ…

 余と母君を置いて姿を消した父君の姿でさえも思い浮かばぬ…


 余は「何の為に生まれてきたんじゃろうなぁ」と毎日のように思っておった。


 そんなある日の事じゃった。

 余の心臓に病が見付かったのは、そんなある日の事じゃった。


 急にドクンッと、強烈に鼓動を鳴らしたかと思えば、大きくズキンッと痛みだし、暫くのあいだ呼吸もままならぬ状態で部屋の扉の前で踞った。


 無遅刻無欠勤が誇りであった余は、その日初めてギルドを休み、医者を呼んで病状を問い質した。

「虚血性心疾患」というやつで、慢性的な血液不足により血管が狭くなり心不全を引き起こしやすくなる病気であると、余命は僅か五年であると、よく知った医者に告げられたのじゃ。


 余は不思議と悲しくも何ともなかった。

 ただ「ああそうなのか…」と、早めに来る寿命に身を委ねる事に恐れを抱かなかった。


 だが少し寂しい思いがしてしまってのう…

 魂は新しい世界に旅立てるのじゃが、何もさせてやれなかった身体が可哀想になってしまってのう…

 じゃから余は反魂の術を使い、取り残される肉体に世界を楽しませてやりたいと、勝手ながらに冥界を彷徨う誰かを引き寄せたのじゃ。


 安心せい、図書館の奥に眠っておった古い文献によれば、反魂の術を使えば再び活力を取り戻し、肉体は以前のように活発に動き出すと書かれておった。


 己が命と引き換えに術を唱えれば、肉体は再生し再び同じ時を生き続けられると…

 新しい魂の受け皿として満足の出来る物になり得ると…


 他にもどうにか生きる術を探そうかと思ったが、余は疲れてしまった。

 存命して何があるんじゃと思ってしまった。

 再び虚空を眺める日々に戻るくらいなら、空に溶け込んだ方がマシじゃと思ってしまった。


 だからスマンのう…名も知らぬ冥界の旅人よ…

 悪人ではない魂を選んだつもりじゃから、その身体を悪用したりはせんと思うが、どうか出来るなら余の代わりに世界を眺めさせてやってはくれぬだろうか…


 突然過ぎる申し出で困惑しておるかも知れぬが、勝手すぎる願いで怒りが込み上げてきてしまっているかも知れぬが、どうかそこは余の命に免じて許して欲しい。

 いつか其方が再び冥界に訪れた時には、正式な謝罪をするが故に、どうか余の代わりに世界を歩む楽しさをその身体に教えてやってはくれぬだろうか……


 ✝˖⁺‧


「……頼む相手が間違ってるんじゃないか?」


 最後の方は尻すぼみになって2ページに渡って書かれた文章を読み終えた俺は、虚空じゃなく古びた天井を見上げそんな事を呟いた。


 視線を戻した先には相変わらず綺麗な少女の姿があって、鏡の中の彼女は呆れたように頬杖を付いている。


 パラリと捲った次のページには、この世界での生き方がまた細かく記されており、その中の1つに服はゴスロリ衣装しか持っていないと、それ以外はアレルギーで着られないと、また訳の分からない事が書かれてあった。


 ギルドとか半吸血鬼(ダンピール)だとかがその前のページに書かれていたから、恐らくここは異世界であると目測が付くが、ぼんやりとしかその概要を知らない俺は、ただただ戸惑うばかりだ。


「……(おへ)だって(べふ)に、大した人間じゃないんだぞ?」


 口の端を指で持ち上げて「いーっ」とした俺は、鏡に映る牙の生えた見目麗しい十代にしか見えない少女に向かって、寧ろこっちが謝りたい気分になった。


 飯塚(いいづか)孝弘(たかひろ)37歳独身、過労で倒れて恐らくそのまま亡くなった俺は、何故か異世界で「グレーシス・サンドラ」という名の半吸血鬼(ダンピール)とかいう謎の種族プラス女性の身体になって、世界を歩む楽しさとやらを探す羽目になったのだ。

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