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男は、『くー坊』が出力したログを鵜呑みにした。課長への昇進を言い当てた『くー坊』を男は半信半疑ながらも信頼し始めたのだ。
本来、AIは未来を予知することはできない。膨大な情報から未来を予測することはできるが、それには入力するデータが正確でなければならない。
男が小説家になれる。そう言い切れるけどの情報は『くー坊』には入力されていないはずだ。
普通に考えればわかるようなことが、何故かこのときの男には通用しなかった。
「やっと『くー坊』を使って執筆する気になったんですね。」
男が深夜自室で小説のプロットを練っていると、音もなく華蘭が男の側にやってきてスマートフォンを覗き込む。
華蘭の口は弧を描いていた。
「ああ。くー坊はオレが昇進することを言い当てた。そして、断言した。くー坊はオレが小説家になれると言い切ったんだ。オレにはできる。オレには……っ!!」
男は自信に満ちた笑みを浮かべた。その瞳は狂気を帯びているようにも見えた。
明日も会社があるというのに、男は一晩中起きてくー坊と一緒にプロットを練っていた。男が浮かんだプロットをくー坊に入力するとくー坊がよりよくなるようにアドバイスをしてくる。
「オレはミステリー小説を書こうとしている。犯人は主人公の妻だ。ありきたりではない。そんな話が書きたい。どうかな?」
『ミステリー小説における「妻が犯人、愛人が被害者」という設定を前提に、意外性を産むプロット案を完結に提示します。
案1:偽装された被害者
・構造:主人公は「妻が愛人を殺した」と確信し、証拠を隠滅する。
・転換:殺されたのは愛人ではなく、妻が雇った「愛人に似た別人」だった。
・結末:本物の愛人は妻と共謀して失踪。主人公は「存在しない殺人」の隠蔽工作を行った罪で自滅する。
案2:○○×××
・構造:…… 』
くー坊は男が望むだろうプロットを出力する。男はその出力結果に目を煌めかせた。ドーパミンが男の脳内でドバドバと放出される。
男はとまらない。くー坊と一緒にプロットを作成する手がとまらない。次から次へとくー坊にプロット案を改稿したものを打ち込んでいく。
『現在、フリープランでの利用制限がかかっています。継続して利用するには、制限が解除されうまでお待ちいただくか、プランをアップグレードして回数を増やす必要があります。』
もう少しで、プロットの草案が完成するといったところで、くー坊は無情にも利用制限を告げた。
男はパソコンのキーボードを力一杯叩いた。
「くそっ!もう少しでプロットが完成するところだったというのにっ!!」
ノッてきたところだったというのに、くー坊の利用制限に引っかかった男は、深く考えもせず、プランをアップグレードすることにした。
男が選択したプランは一番下のプラン。月額2、000円で利用回数が1日20回に増えるといったものだった。すぐにその20回分も使用しきってしまう。
男はその上のプランである月額10、000円のプランにすぐさまアップグレードした。月額10,000円のプランは利用回数が1日50回に増えるといったものだ。
男はくー坊とのプロット作成にのめり込んでいった。
そして、朝日が登り、男の部屋にカーテンの隙間から朝日が差し込む。男は目の下に大きな隈を作りながら、椅子にもたれかかっていた。
男が一晩中叩いていたキーボードには血がついていた。
「やったぞ……。最高傑作だ。」
男は一夜にして文庫一冊分のプロットをくー坊と作成しきっていた。
男の身体は疲労感に脱力していたが、その目だけは爛々と輝いている。キーボードを高速で叩いていたせいで、男の指先は感覚はなくなっていた。
『主様、会社に出社するお時間です。』
疲れることを知らない『くー坊』はスマートフォンの画面にそう出力したが、男はスマートフォンを見ることもなく、プロットが完成した達成感とともに椅子に座ったまま気を失ったように眠りこけてしまう。
くー坊が設定したアラームが鳴り響いても男はピクリとも動かなかった。
☆☆☆☆☆
「久保くん。君のところの課長代理はどうした?」
久保が一人で仕事をしていると、部長の安原が困惑した表情でやってきた。
「それが……まだ出社して来ていないんです。連絡もありません。」
久保は困ったように首を傾げながら、部長の安原に答える。
安原は大きなため息をついて、男の席を見つめた。
「なんだ、課長に昇進するとわかったら無断欠勤か。」
「……なにかあったんでしょうか。課長代理は昇進することにとても熱心だったので、このタイミングで無断欠勤するだなんてあり得ません。」
「ああ、そうだな。君のところの課長代理には苦労をかけさせられたよ。昇進するために優秀な同僚、優秀な部下を次々と退職に追い込んで……。まあ、その野心を買って出世させはしたが……。」
安原は肺の中に溜まった澱んだ空気を吐き出した。その顔には僅かな疲労と後悔が浮かんでいるようにも見える。けれど、その瞳の奥底には……。
「電話、してみますね。確か、課長代理には奥様がいらっしゃると伺っておりますので。」
「ああ、そうだな。頼む。」
久保が提案すると、安原は二つ返事で頷いた。
久保は受話器を取ると男の家の電話番号を迷うことなく正確にプッシュする。
『はい。』
1回のコールの後、華蘭が電話口にでた。
「私、旦那様と一緒の部署の久保と申します。あの……本日旦那様が出社なされておらず……ご自宅にいらっしゃいますでしょうか?」
『まあ、あの人ったら。……まだ寝ているようですね。徹夜していたみたいですし、仕事にならないと思いますので、申し訳ありませんが、本日は欠勤させていただきます。』
華蘭はチラリと寝室の方を一瞥してから、久保に向かってそう答えた。華蘭の瞳は弧を描いていた。




