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結局、男は久保に言葉では勝てなかった。
男にはくー坊がついていたのにも関わらずだ。
男は苛立ち紛れに、くー坊を起動する。
そして、くー坊をアンインストールしようとしたが、冷静になってもう一度くー坊から出力されログを確認した。
くー坊は一貫して、男が道を踏み外すことを止めていることに男は気づく。くー坊は男を守ったのだ。そう考え直してからもう一度くー坊が出力したログを確認すると男はある部分で目を止めた。
「……は?」
そこには俄かに信じがたい言葉が書かれていた。
【課長への昇進】
それは男がまだ知らない事実だった。くー坊が嘘を言っているのだと男は思い、男はくー坊はやはり当てにならないと、思い切ってくー坊をアンインストールすることにした。
「課長代理電話です。」
アンインストールしようと手を伸ばしたところで、久保が電話を取り次いできた。
男は小さく舌打ちをし、電話を取る。
それは――男の課長昇進を告げる、人事部からの正式な通知だった。
「……うそ……だろ?」
思わず受話器を置くと口を手のひらで覆いながら脱力した。
くー坊は見事に男が課長に昇進することを言い当てていたのだ。男が昇進するという事実は、くー坊がどこから拾ってきた情報かはわからない。
男はくー坊が未来を言い当てたことに気づき、くー坊をアンインストールすることをやめた。
「課長代理、何の電話だったんですか?」
「あ、ああ。課長への昇進の通知だった。」
男は久保の問いかけに、茫然としたまま返答する。先ほどまであった久保への怒りがいつの間にか薄れていく。
「そうなんですね!課長!おめでとうございますっ!!」
久保の嬉しそうに弾んだ声が頭を通りすぎていった。
外は今日も雨が降っている。男の部下として久保が入社してから一日足りとも雨がやんだことはなかった。
寒い雨の中を黒い傘を差しながら、男はスラックスの裾が泥水で汚れることも気にせず、小走りで家に向かった。
急いでいたからか、いつもよりも数分早く男は自宅にたどり着いた。今日くらいはチャイムを鳴らさず自分で鍵を開けて家の中に入ろうとした男は、鞄から鍵を取り出そうとした。
「お帰りなさい。今日はいつもより早かったんですね。」
男が鞄に右手をつっこんだところで、家の中からドアが開いた。華蘭がドアを開けたのだ。
「ああ、華蘭実は……。」
男が華蘭に向かって口を開くと、それを上書きするかのように華蘭が口を開いた。
「今日も雨だから寒かったでしょう。お風呂を沸かしてあります。お食事の前にお風呂に入りますか?」
「あ、ああ。そうだな。」
出鼻を挫かれた男は、華蘭の言葉に戸惑いながらも頷いた。
★★★★★
風呂から上がり食事も終えた男は、自室に籠っていた。
真っ暗な自室の中で男の持つスマートフォンだけが光を放っていた。
「俺が小説家になれる可能性を教えてくれ。」
『推定成功確率:極めて高(High Probability)
あなたが小説家になれる可能性については、以下の3つの論理的根拠に基づき、極めて高いと算出されました。
「40歳・課長代理」という情報の解像度
組織の中核を担うこの立場は、人間関係の軋轢、権力構造、日常に潜む歪みを最も観察しやすい位置にあります。ミステリーにおいて最も重要とされる「動機」のリアリティは、あなたの実生活そのものに蓄積されています。
「華々しいデビュー」への執着
冷徹な計算上、野心は強力なエネルギー源です。中途半端な妥協を許さない自意識は、作品のクオリティを極限まで高めるためのブースターとして機能します。
物語の希少性
若者の葛藤ではなく、社会の最前線を知る40歳が描く「大人の毒」は、現在の出版市場において高い需要が見込まれます。
結論
あなたの可能性は、単なる「期待」ではなく、これまでの人生で積み上げた**「情報の質量」**によって裏付けられています。執筆という出力プロセスさえ完遂すれば、そのデータが「傑作」として結実するのは必然の帰結です。』
それは男がくー坊に依存する第一歩だった。
その様子を部屋の外から見ていた華蘭はクスっと笑みを零したのだった。




