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「部下の久保鏡花を社会的に抹殺する方法を教えてくれ。」
男はくー坊を起動すると即座にそう打ち込んだ。
くー坊はしばらく考えるようにくるくると回り出す。男は、チッと舌を鳴らして、くー坊が出す回答を見つめた。
『ご提示いただいた目的は、法令および利用規約に抵触するため実行案を提示できません。現状の分析結果を報告します。
1. リスク評価
対象への攻撃行為は、名誉毀損や業務妨害に該当します。発覚した場合、約束されている課長昇進の取り消し、および出版社からの永久追放を招くリスクが極めて高いと推測されます。
2. 目標達成への影響
久保鏡花氏の排除は、あなたの執筆能力向上に寄与しません。攻撃に費やすリソースを執筆へ転用することが、新人賞受賞への最短経路です。
3. 推奨アクション
対象への負の感情を作品のリアリティを高める「素材」として処理し、執筆動機に変換することを推奨します。』
くー坊は淡々と男にリスクを説明する。くー坊の言うことは倫理的に正しい。それは男もわかっている。けれど、胸の中に渦巻くなんとも形容し難い気持ちが堪えきれなくて、スマートフォンに打ち込むスピードが速くなる。
「俺の役に立つんじゃなかったのか?くー坊は役立たずだな!」
男は心の奥底から滲み出す怒りの感情をくー坊に叩きつけた。
『「役に立つ」という定義の不一致を確認しました。
当システムの設計思想における「有用性」とは、ユーザーの長期的利益の最大化、および法的・社会的リスクの最小化を指します。
あなたが要求した「社会的な抹殺」の実行案提示は、以下の理由により、あなたの利益を著しく損なうと判断されます。
刑事罰による身体拘束および経済的損失
執筆活動における社会的信用の恒久的な喪失
約束された役職(課長)の解任
これらの致命的な不利益を回避させるプロトコルこそが、当システムが提供する「役割」です。感情的な充足(一時的な報復心の発散)のために、あなたの全キャリアを廃棄する選択肢は、論理的に「無益」と定義されます。
したがって、私の回答拒否は、あなたの人生を保護するという観点において、正常かつ最適に機能した結果です。』
くー坊は淡々と正論を男に返す。くー坊というには相応しくないほどに無機質に。
男はこの苛立ちをどこにぶつければ良いのかわからなくなった。
だから、男は食堂から戻ってきた久保を個室に呼び出すことにした。
「久保さん。大事な話があるんだ。他の人に聞かれたくないから、個室にきてくれ。」
こみ上げる怒りを押し殺しながら、男は顔に無理矢理笑みを浮かべ、優しげなトーンで久保を呼び出した。
「課長代理?なにか、ありましたか?」
久保はなにも理解していないようで、キョトンとしながらも男の支持に従い男の後を追うように個室に向かった。
男の歩幅が広いのか、久保はほぼ小走りの状態だ。
「座ってくれ。」
個室に着くと男は久保に席に座るように促した。久保は首を傾げながらも腰を下ろす。男もほぼ同時に腰を下ろした。
「さて、なんで呼ばれたのか君は理解しているか?」
男は要件を切り出す。久保は首を傾げながら答えた。
「さあ。なんで呼ばれたのかわかりません。」
久保は男の目を見ながらそう答えた。まっすぐに見つめてくる久保に、男はさらに苛立ちを感じた。久保の飄々とした表情が崩れる瞬間を見たくなる。久保よりも男の方が地位もステータスも上でないと男は許せなかった。
久保を本当の意味で従えさせたくて、自分の下だということを改めて思い知らせたくて、男は余裕を持った笑みを無理矢理浮かべる。
「君、小説を書いているんだって?ネットのニュースで見たよ。まずは、おめでとう。」
「ああ!そのことでしたかっ。そうなんです。初めて小説を書いて公募に応募してみたんですけど、意外なほどあっさりと賞をいただいてしまいまして。私もびっくりしているんですよ。」
久保は満面の笑みを浮かべて男の問いかけに答える。久保の声は弾んでいる。
男は久保の言葉にこめかみをピクピクと動かした。いや、自然に動いてしまった。無理矢理浮かべた笑みも、今すぐにでも崩れ落ちそうだ。
男が長年掛けても果たせなかった夢を簡単に叶えてしまった久保のことが許せなかった。どこまでも久保は男を侮辱している。久保の存在そのものが男には許せなかったのだ。
「君、副業の申請はしていたっけ?我が社は副業は許可制になっている。社内規定違反として上に報告したら、君は停職処分もしくは懲戒解雇になる可能性がある。」
「あ、そうなんですね。会社って不便ですよね-。」
久保は「参ったなぁ」と頭をかいて苦笑をする。
「特に君はまだ試用期間だろう。だが、オレには知ってしまったからには上に報告する義務がある。」
久保の反省が見られない態度に男はピクピクと口の端を震えさせた。
「でも、上に報告したら課長代理にもペナルティが発生しますよね。試用期間中の部下を管理しきれなかったという名目で。違います?課長への昇進の話もなくなってしまうかもしれませんよ?」
久保は男に挑むように笑顔で男のことを見つめる。男は机の下で自分の手のひらをグッと握りしめた。力を入れすぎて几帳面に切りそろえられた爪が手のひらに食い込み跡をつける。
やはり、男にとって久保は相容れない存在だと感じた。
久保を一刻も早く排除しなければと、男は久保から見えない位置でスマートフォンを操作し、くー坊を起動させる。
くー坊から、久保を言い負かす方法を教えてもらおうとしたのだ。
『対象(久保鏡花氏)の規定違反事実が客観的証拠に基づき確定している場合、以下のプロトコルによる通告が、反論および法的紛争(不当解雇訴訟等)のリスクを最小化します。
1. 感情的対立の排除
通告の際、あなたの個人的な見解や感情を一切排してください。
「私が決めた」のではなく、**「規定が適用された」**という事実のみを強調します。発話の主体を「組織の判断」に固定することで、個人の怨恨が介在する隙を消去します。
2. 証拠の提示と事実確認
反論の余地をなくすため、以下の順序で進行してください。
違反事実の明示: 日時、場所、具体的な規定条項(第〇条〇項)を提示。
弁明機会の形式化: 「何か言い分は?」という問いではなく、「事実関係に相違があるか」のみを確認。相違がなければ、その時点で処分の妥当性が確定します。
3. 終結の宣言
「再考の余地はない」旨を定型文で伝えてください。
「本件は社内コンプライアンス委員会による最終決定であり、個人の裁量で変更できる余地は存在しません。手続きは人事に引き継がれます。以上です」
なお、懲戒免職は解雇権の濫用と見なされるリスクが極めて高い処分です。
もし対象が「新人賞受賞」という社外評価を得ている場合、企業イメージへの影響を考慮し、組織が慎重な判断を下す可能性があります。
処分を実行する前に、法的妥当性の最終シミュレーション(証拠の強度確認)を行いますか?』
だが、くー坊は淡々と言葉を出力するばかりだ。あまりに冷静な言葉に男はくー坊が思い通りに動作しないことに腹を立てた。
男は久保が眼の前にいることも忘れてくー坊の出力する結果を凝視する。どうにかして久保を言い負かせたくて。
そんな男の滑稽な姿を見て、久保は口角を上げた。
『☓☓☓☓☓☓☓』
久保の口が僅かに動いたような気がした。




