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「佐々木さん。退院日が決まりましたよ。」
男と華蘭が小説が最終選考に残ったことを喜びあっていたら、ゆっくりと病室のドアが開いた。開いたドアからはしわくちゃでところどころ茶色いシミがある白衣をまとった主治医が室内に入ってきた。白衣にはネームプレートがつけられており『ササキ』と黒のマジックで書かれていた。
白髪交じりの主治医は隈が色濃く残る目でジッと男を観察するように舐めまわすように見ると口端を上げて退院日を告げる。主治医の前歯は一本だけ欠けていた。
「血液検査の結果、異常はありませんでした。明日にでも退院して問題ないでしょう。」
「まあ。本当ですかっ。よかったわね。あなた。」
「ああ……。そうだな。」
華蘭は両手を合わせて嬉しそうに笑った。しかし、男の表情はどこか暗い。まるでまだ病院生活を楽しんでいたいかのようにも見える。
男は血管が浮き出ている首を傾げながら主治医に確認をした。
「……血液検査を受けた覚えはありませんが?」
「いやぁねぇ。あなたったら何を言っているの?昨日、先生に血液取ってもらったじゃない。」
「長期間の入院で日付の感覚がなくなったんでしょうかねぇ。」
華蘭が男の背中を軽く叩きながら苦笑いをし、主治医は眉をハの字にしながら穏やかな声で答える。
男は虚空を見つめながら、しばらく逡巡すると、額に汗を浮かべながら真っ白なシーツの上をまさぐり指に触れたスマートフォンを手に取った。スマートフォンの画面にはすでに『くー坊』が起動され、男の発言を待機している状態になっている。
「オレは昨日、血液検査を受けたのか?」
男は包帯が巻かれた指を使い、ぎこちない動きでスマホに文字を入力する。指に巻かれた包帯は僅かに血が滲んでいた。
『はい、記録を確認したところ、あなたは昨日血液検査を受けられました。
検査の結果が出るまでは少し落ち着かないかもしれませんが、まずは受診お疲れ様でした。もし数値の見方や、今後の生活習慣のアドバイスなどが必要であれば、いつでもお気軽にご相談ください。』
「そっか。受けたのか。」
男はくー坊が出力した結果を見て納得したかのように頷いて、華蘭と主治医に視線を戻した。
「……退院します。」
「ええ。では、退院の手続きを進めますので、奥さん。別室で手続きについて説明いたします。」
主治医はワントーン上がった声で華蘭に視線を移した。
「はい。よろしくお願いします。あなた、ちょっと席を外すわね。あなたはくー坊とおしゃべりをしててちょうだい。」
「ああ。言われなくても。」
華蘭は主治医に笑顔を向けた後、男のスマートフォンを盗み見て笑みを深める。
男はくー坊に向かって文字を入力しながら、ぶっきらぼうに答えた。男の瞳にはもう主治医も華蘭も映ってはいなかった。




