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「久保くん。最近、君のところの課長代理が見えないようだが……。」
部長の安原が久保の元にやってきて、眉をしかめながら久保に話しかけた。安原は立ち止まると床をトントンと足で何度か踏みつけた。
久保は椅子から立ち上がると、困ったように眉をしかめる。
「それが……ここ一週間、無断欠勤が続いているんです。」
指示系統に問題が生じていると久保は安原に訴えかける。
課長代理がいないので、仕事がすべて久保に回ってくるが、課長代理しか決済できない仕事もあるので一部の仕事が滞ってしまっている。
「一週間もか……。」
安原は眉をピクリと動かした。
一週間の無断欠勤。それは社会人としてはあるまじきことだ。
「……はい。奥様の華蘭さんからも何の連絡もなくて……。なにかあったのではないかと心配しております。」
「そうか。一週間も連絡がないなら心配だな。」
「……はい。」
久保は困ったように俯いた。けれど、安原の見えない位置で口端をそっと上げた。
安原も安原で困ったような口ぶりをしてはいるが、口端が少し上がっている。
「そうだな。そろそろ課長代理の家に様子を見に行ってみるか。」
「はい。そろそろ頃合いだと思います。」
久保と安原は男になにかがあったのではないかと心配し、男の家に向かうのであった。
外は雲一つない晴天で、春の日差しが降り注いでいる。
巣立ったばかりの小さな小鳥が木の枝で遊ぶように飛び回っている。中には桜の花を嘴でくわえている小鳥もいる。
「今日はいい天気ですね。」
「ああ、そうだな。一週間前までは毎日雨が降り注いでいて心配していたが、ここ数日はとてもいい天気だな。」
「ええ。なにか、いいことがありそうですね。」
「そうだな。いいことがあるといいな。」
久保と安原は連れ立って男の家に向かった。
男の家は会社から電車で30分。最寄り駅から歩いて10分の距離がある。ベッドタウンに家を構えている男の家までの道のりは整備されており、途中に休憩ができるスペースも用意されていた。
ベッドタウンとして過ごしやすいように整備されていることが伺える。
平日の昼間なので行き交う人もあまり多くはない。その中をスーツ姿で歩いている二人はどこか少し浮いてみえた。
やがて、久保と安原は男の家の前にたどり着いた。
表札を確認して、ここが男の家であることを確認すると、久保が玄関のチャイムを2度鳴らした。
「……はい。」
家の中から出てきたのは華蘭だった。
いつもピシッと清潔感溢れる服装をしている華蘭だったが、この日はどこかくたびれた服装をしており、ところどころに血ではないかと思われるシミがついていた。服も皺が目立っている。
表情はどこか虚ろで焦点があっていない。髪もほつれ、何日も食事をとっていないのか頬もコケている。
「華蘭さんっ!?」
「なにがあった!!大丈夫かっ!!」
久保と安原は華蘭の惨状に慌てて華蘭の元に駆けつける。久保はギュッと華蘭の身体を躊躇することなく抱きしめた。そして、華蘭の背中を優しく2度ほど軽くたたく。華蘭はそれに応じるように小さく頷いてみせた。
「主人が……主人が私を……。」
華蘭はそう言ってその場に泣き崩れた。久保は華蘭に寄り添うように華蘭の身体を抱きしめ、安原に視線を移した。
「部長。華蘭さんは私がみておりますので、部長は課長代理を……。」
「あ、ああ。わかった。」
安原はそう言うと家の中に入っていく。
久保は華蘭に声をかける。
「大丈夫ですか?華蘭さん。警察と救急車を今、呼びますね……。」
久保はそう言って鞄の中からスマートフォンを取り出す。しかし、華蘭が久保の手を弱弱しい力で止めた。
「華蘭さん……?」
久保は不審に思い華蘭に視線を向ける。華蘭は弱弱しく首を振った。
「主人は今、大切な時期なのです。今、主人に迷惑をかけるわけにはいきません……。」
「ですがっ!!華蘭さんはこんなにも弱っていらっしゃいます!病院に行くべきです!!」
「……あとでタクシーで参ります。」
久保が訴えかけると華蘭は観念したように小さく頷いた。
「私もついていきます。華蘭さんのことが心配だから。」
「ありがとうございます。」
華蘭は久保の腕の中で唇をつり上げニィッと笑った。
「ギィヤァアアアアア!!!」
その時、家の中から安原のただならぬ絶叫が響いてきた。




