第8話:橘瑠奈の憂鬱
「ん……んんぅ……」
瞼の裏に強い光を感じて意識が覚醒する。
目を開けると、閉じていたカーテンの隙間から日光が室内に差し込んできていた。
私の部屋は家の西側に面している。
つまり、昼間までぐっすりと寝てしまっていたらしい。
……と言っても、それは今日だけに限った話じゃない。
学校に行かなくなってから、もうずっとこんな生活を続けてしまっている。
夜遅くまでゲームをしたり、アニメを見たりして、親が寝静まったらこっそりと部屋を出てシャワーを浴びて翌日の昼過ぎまで寝る。
そんな現状を変えないといけない思いはある。
部屋の外に出て、学校に行って、お母さんやお父さんを安心させたい。
でも、いざ踏み出そうとするとあの時の記憶が蘇って心が萎縮してしまう。
そうして結局、ズルズルと二ヶ月以上も休み続けてしまっている。
一年の頃は真面目に通っていたおかげか、学校としても留年や退学は出したくないのか。
今のところは病気での休学という扱いにはなっているらしい。
でも、このまま行けば学校としても籍を残しておくわけにはいかなくなるだろう。
そんな私に、お母さんは『無理に行かなくてもいい』と言ってくれた。
通信制や定時制の学校への編入についても色々と調べてくれたりもした。
思えば、小さい頃からお母さんにはすごく甘やかされてきた。
お母さんにとって、私は『念願叶って、ようやく生まれてきた我が子』らしい。
昔、親戚のおじさんがそう言っているのを聞いた記憶がある。
なのに、その大事な一人娘がこんなことになってごめんなさい。
何も悪くない両親を悲しませる親不孝者でごめんなさい。
そんな風に罪悪感が募って、今では顔を合わせることもできなくなってしまった。
ベッドから起き上がろうとすると、姿見に自分の姿が映る。
高校デビューで自分を変えたくて、思い切って明るく染めた髪の毛。
今は根本から地毛の黒髪が伸びてきて、まるでプリンみたいになっている。
「変なの……」
鏡に映った自分の姿を自嘲する。
結局、髪の色を変えたくらいで自分は変えられなかった。
私は根暗でコミュ障なオタクで、高校デビューなんて最初から無理だったんだ。
現状は、分を弁えなかった自分への報いなんだと受け入れるしかない。
「うわっ……そろそろあいつが来る時間じゃん……」
ふと時計を見ると、針は午後四時前を示していた。
財前なんとか――最近、委員長の一条さんの代わりに来るようになった変な男子。
いや、変の一言で片付くならまだましだった。
学校をサボって競馬場に入り浸ってるとか、怪しい大学生とつるんでいるとか。
そんな噂は聞いていたけど、まさかあそこまで変わった人だとは思わなかった。
「ぶいちゅーばー? になれとかなんとか……なんなのほんとに……」
読まずに放ってあった資料を拾い上げる。
表紙に“Vtuber『柑橘ルナ』企画提案書”と書かれている。
調べてもよく分からなかったけど、いわゆるネット配信者みたいなものらしい。
一体、何をどう思ったら私がそれに向いていると思えたんだろう。
確かに、前は声で仕事をする人たちに憧れたこともあった。
特に子どもの頃から大好きなアニメやゲームで活躍する声優に憧れて、お母さんにも大学に行きながらでも通える養成所がある話を聞いてもらったりもした。
でも、人前で話したり演技をしたりするなんて根本的に私には向いてなかった。
あんなことがあっただけで、人前で声を出すのも嫌になってしまった私には……。
「何を言われても、こんなの読まないっての……あっ!」
机に向かって放り投げた資料が、飾ってあったフィギュアに当たってしまう。
「レオ様……! ごめんなさい……!」
すぐに駆け寄り、ズレた位置と角度をミリ単位で元へと戻す。
「やっぱり……レオ様のお顔はこの角度じゃないとね……」
私に向かって、鋭利な刃物のような視線を向ける彼にうっとりとする。
レオニール・ルシウス・エインズワース。
乙女ゲーム『アニマ・イン・ステラ』に出てくるヒーローの一人で、私の最推し。
エインズワース侯爵家の嫡男にして、王国を守る星光騎士団の序列一位。
黄金に輝く髪の毛と、まるで獅子を思わせるような鋭い目つきの俺様キャラ。
自分に靡かない主人公を気に入って、『俺のモノになれ』って詰め寄るシーンには何回胸キュンさせられたことか……。
「……なんて考えてたら久しぶりにアニステやりたくなってきちゃったな。でも、もうすぐファイクエの領土戦もあるんだよね……」
前回の領土戦で、私の所属する王国勢力は敵対する帝国勢力に蹂躙された。
個々人の練度の差、単純な全体の戦力不足……。
色々と理由はあるだろうけど、最大の原因は団結力不足。
大手のギルドが自らの取り分を最大化するために、協力を拒みあったことにある。
だから私は次の戦いに備えて大手ギルド間の折衝役として動き、何とか彼らの協力を取り付けた。
その私が、ここで他のゲームの浮気するのはその信頼に傷をつけかねないが……
「よし、今日はレオ様に戦いのなんたるかを学ばさせてもらおう! そうしよう!」
ちょうどよい口実を思いつき、パソコンのスリープを解除しようとした瞬間――
「おーい、橘ー。今日も一条印のノートを持ってきてやったぞー」
入口のドアがノックされ、向こう側から忌々しい声が響く。
あの財前なんとかが、また性懲りもなくやってきた。
「起きてるかー? 起きてるなら返事してくれよなー」
デリカシーもなく、乙女の私室の前で大声を出している。
だけど、私の秘密を握られている以上は単に無視もできない。
もしも、あれを学校で言いふらされたりなんてしたら……と思うだけで胸がキュッと締めつけられたような気分になる。
「……起きてるけど、何?」
「Vtuberやろうぜ! 俺とお前なら絶対に天下を取れるからさ!」
「またそれ……やらないって何度言えば分かるの……?」
もう何回も断ってるのに、しつこすぎ……。
しかも、よりによって私とレオ様の逢瀬を邪魔するなんて……。
久しぶりに怒り心頭。
もう一度、同じことを言ってきたら流石に私も言うことは言ってやる。
そう気持ちを固めて、扉の前で次の言葉を待っていると……。
「……そうか、分かった」
「へ?」
思っていたのとは真逆の言葉に、間の抜けた声が出てしまう。
「よく考えたら……いや、よく考えなくても迷惑だったよな。お前が嫌がってるのに、毎日のように押しかけて……」
「えっ? あ、ああ……うん……分かってくれたなら……別にいいけど……」
いつもとは真逆の殊勝な謝罪の言葉にますます困惑してしまう。
ようやく諦めてくれたんだ……と安堵してる反面、どこか落胆してる自分もいる。
いやいやいや! 安堵だから! 安堵100%だから!
毎日のように来てたのがようやく来なくなって清々するとしか思ってないから!
「でも、最後に1つだけ頼みがある」
「た、頼み……?」
その言葉に、ゴクリと唾を呑む。
最後にかこつけて、何かとんでもないことを頼んでくるんじゃないの……?
あんなこととか……こんなこととか……。
一体、何を言われるのか……とまた身構えるが――
「前に渡した資料。あれだけ返してくれないか? また別で使うかもしれないから」
「え?」
想像とは真逆の簡単な頼みに、また少し呆気に取られてしまう。
「あっ……資料、資料ね……」
すぐに正気に戻り、さっき机の上に放った資料を手に取る。
そのまま受け取った時と同じように、ドアの隙間から返そうとするが――
「あ、あれ……? 入んない……」
何かに引っかかっているのか、押し込んでも上手く向こう側に通らない。
受け取った時はすんなりと通ってた気がするのに、おかしいなぁ……。
「どうした?」
「いや、なんか……通んなくて……」
両手でしっかりと持って、力いっぱい押し込んでもグニャっと曲がるだけ。
雑に扱って紙が歪んだせいで、隙間を通れなくなってしまったのかもしれない。
……どうしよう。
雑に扱ってしまった落ち度があったからだろうか。
私はそこで、本来の自分なら絶対に取らない選択肢を取ってしまった。
そのほんの些細な選択が、後の人生に重大な影響を与えるとも知らずに。
「ど、ドア……」
「ん? 何か言ったか?」
「ど、ドアを少し開けて渡すから……受け取って……」
「あー……分かった」
自分の心と同じように、もう絶対に誰にも開かないと決めていたはずの扉。
閉じていた鍵を開けて、ドアノブに手をかける。
音が鳴らないようにゆっくりと回し、ほんの少しだけ開いた隙間に資料を差し込む。
これで、この厄介な男が諦めて来なくなる……はずだった。
「やっと、開いたな。手間かけさせやがって」
資料を差し込んだ隙間の上から差し込まれた手が外枠をガッと掴む。
「――っ!?」
驚いた私が扉を閉めようとするよりも早く、今度は膝が捩じ込まれる。
ただ、彼のそんな行動よりも隙間から私を見下ろす顔に目を取られてしまっていた。
黄金を思わせるような金髪に、私を見下ろしながら不敵に笑う鋭い目つき。
真っ暗な室内から見るそれは、普通よりも殊更に輝いてみえた。
「れ、レオ様……?」
激似……というほどではないけど、その特徴は確かに私の最推しと相似していた。
「は? レオ様? 誰だよそれ」
廊下の逆光を背負い、黄金の髪が怪しく輝く。
その鋭い眼光に見下ろされた瞬間、私の心臓が大きく跳ねた。
「はっ……! いや、いやいやいやありえないから! 何してんの!? 資料返すだけって言ったじゃん! 無理やり入ってくるとかまじで信じられないんだけど!」
すぐに正気に戻り、向こうの非礼を徹底的に糾弾する。
似てない似てない! 全ッッ然、似てないから!
確かに金髪で、目つきが鋭くて、ちょっと……いや、かなり強引なところはあるけどレオ様はもっと高貴だし、それに主人公のことを心から愛してくれてるもん!
それとこんな強引なだけのノンデリ男と一緒にしちゃうなんて不覚も不覚ぅ……!
まあ、確かに一章で初対面の時のレオ様は主人公の都合なんて全く気にせず、ひたすら『お前が必要だ』『俺のモノになれ』ってしつこいところがあったけど……。
いや、とにかく似てない! 全ッ然似てない!
似てるか似てないかで言えば、似てる寄りではあるけど全然似てないから!
……と思いつつも、もうその顔をまともに見られなくなってしまっていた。
「で、出てってよ! もう諦めるんでしょ!? ほら早く!」
ワケがわからないことになってる情緒を誤魔化すためにひたすら捲し立てる。
こんな変な男とレオ様を同一視しかけるなんて、本当にどうにかしちゃってる。
さっさと追い払って、本物のレオ様に癒やしてもらわらないと……。
「諦めるって言ったのは嘘だ。そうでもしないと開けてくれなかっただろ?」
「まじで最低……なんでそこまでして……」
「なんで? もう何度も言っただろ? 俺には、お前が必要なんだよ」
レオ様の個別ルート第3章最終幕の決め台詞だああああああ!




