第21話:マイルはルナに乗れ
「ふぇ……数真……?」
振り返った女性が涙の滲んだ声で財前くんの名前を呼ぶ。
「そんなところにへたり込んでると、他の人に迷惑かかるだろ」
「だって……農林水産省がぁ! あいつらがまた私のお金を取ってたんだもん……取ってったんだもん!」
「え? し、知り合い……?」
二人の会話に割り込んで、財前くんに尋ねる。
そのやり取りからは単なる知り合い以上の親しさを感じた。
「小日向清依。俺の従姉で、未希の実姉」
「あっ、そうなんだ。未希ちゃんの……」
もしかして、このお姉さんのツバメくんだったり……なんて、時代錯誤な危惧は一蹴された。
でも、未希ちゃんのお姉さんかぁ……。
確かに顔の雰囲気は少し似てるけど、それ以外は真逆というか……。
未希ちゃんは年齢以上にしっかりしてたのに、こっちはちょっと……。
地面にへたり込んだまま、半泣きで馬券を握りしめている大人に、口にはできない言葉がいくつか浮かぶ。
「数真。これ、誰?」
「同じクラスの橘」
「は、はじめまして……橘瑠奈です。クラスメイトです……」
短い紹介を受けて、私からも自己紹介をする。
清依さんと呼ばれた彼女は床にくずおれた体勢のまま、私の頭からブーツまでを、じーっと舐めるように見つめている。
涙ぐんだ目が私と財前くんを交互に往復し、やがてニヤリと何かを勘ぐったような下卑た笑みを浮かべた。
「へぇ……数真が女連れなんてめずらしーね……もしかして、カノジョ?」
か、かかっ、彼女……!?
その単語に、口から心臓が飛び出しそうになる。
もちろん、そんなわけはない。
私と財前くんの関係はよく言ってもただの友達……なん、だけど……。
彼がなんて答えるのか、わずかばかりの期待を込めて待つ。
「違うに決まってんだろ」
少しも照れずに即答!?
いや、まあ察してはいたけどね……そうだよね……。
「今日はこいつの社会科見学に来たんだよ。勝負のなんたるかを知ってもらうために」
「ほんとにぃ……」
「本当だっての。橘からも言ってやれよ」
「は、はい……な、なんか連れて来られました……」
「ふ~ん……まっ、気をつけなよ。こいつってば金には汚いし、すぐにめちゃくちゃなこと言い出すから」
ニヤニヤとした笑みを浮かべながら私に向かって言われる。
それは……はい、身に染みてます……。
「この前なんてさ。俺は未来からタイムリープしてきたとかなんとか言って私の一万円をドブに捨てさせたんだから」
「返したんだからいつまでもグチグチ言うなよ。ったく……」
「ただそのまま返しただけで、私の純真が負った深い深~い傷の補償になると思ってんの?」
「んなこと言うなら清依ちゃんだって、俺が中二の時にやった正月麻雀の負債がまだ未払いだろ」
「うわっ! なんでそんなことまだ覚えてんの!? ほら、ねっ? せせこましい男でしょ?」
そんな二人のやり取りに、私は『ははは……』と苦笑いするしかできなかった。
「で、今日は朝からいくら負けてんの?」
「ん~……このくらいかな?」
清依さんはお茶目な口調でそう言いながら私たちに向かって手のひらを開いてみせた。
ま、まさか……五万円ってこと……? 本当にこれが夢と希望なの……?
「あーあ、言わんこっちゃない。どうせ、また食費にも手をつけてんだろ?」
「うるせい! こっからが本当の勝負じゃい! ってことで、次のレースの馬券も買ってくるぜい!」
……と、意気揚々と券売機に走っていったのも束の間――
「ぎゃいーーーっ!!」
十分後には、手を付けちゃいけないお金は外れ馬券という名の紙クズになっていた。
「まったく……今回はどんな馬券を買ったんだよ……どれどれ……」
財前くんがしゃがみ込んで、清依さんの落とした馬券を拾い上げる。
「あーあ……また清依ちゃんはこんなバカみたいな馬券の買い方して……3連単なんて控除率は高いし、分散は大きいしでいいとこないんだって」
「でも、当たったら500倍だもん……」
「当たんないから500倍なんだよ。こんなの金をドブに捨ててるようなもんだよ」
「ふんだ! そんな偉そうなこと言うなら次のレースはあんたが予想してみなよ!」
「しかたねーな。俺が競馬のなんたるかを清依ちゃんに教えてやるよ」
そう言いながら財前くんがシュバッとポケットからスマホを取り出した。
「まず、競馬ってのは勝つ馬を予想するんじゃなくてオッズの歪みを見つけるゲームなんだよ。2回に1回は勝つ強い馬でも倍率が1.5倍だと期待値はマイナス。つまりは……くどくど……」
スマホに出馬表(?)を表示させながら競馬のなんたるかを語っている財前くん。
何を言ってるかは半分も分からないけど、すごい自信を感じる。
な、なんか物語に出てくるデータキャラみたいでかっこいいかも……!
「よって、ここは7番のヴィクトリーステップの単勝に一点張り!」
「ヴィクトリーステップって8番人気じゃん。こんなの勝たないでしょ」
「いや、この馬は前走前々走が同じ距離で5着6着と平凡な成績だけどどちらも1着との差はたったの半馬身差の混戦だったんだよ。順位じゃなくてタイムに目を向ければなかなか良い数字だし、8番人気は過小評価……つまり、オッズが大きく歪み……そこにはエッジが生まれている!」
オッズが表示されたモニターにビシッと指を突きつけ、勝利宣言の如く自信満々に叫ぶ。
いや、これは自信だけじゃない。
緻密なデータと高度な分析によって裏打ちされた確かな戦略なんだ!
やっぱり、財前くんはすごいなぁ……とうっとりしてしまう。
「んじゃ、買ってくる。7番ね」
そして、戦略を授けられた清依さんが再び券売機へと向かい――
「「ぎゃいーーーっ!!」」
十分後、今度は二人同時に断末魔の悲鳴を上げた。
「おいこら数真! あんだけ偉そうに解釈垂れといてどういうこった!」
「お、俺は期待値を追ってるから……短期を切り取って下振れ区間があるのは仕方ないんだよ……」
「けっ! シャバ僧がよぉ! なーにが期待値じゃい! しゃらくせぇ賭け方しやがって!」
「清依ちゃん、いいから次! 次のレースは!?」
「あ、あの……そのくらいでやめといた方が……さっき、食費に手をつけてるって言ってたし……」
全身から負のオーラを発しながら次のレースの予想を始めた二人に親切心から忠告する。
夢や希望どころか、さっきから底なしの絶望しか見ていない。
目の前で人が破滅するところなんて、話の種になるとしても見たくはないんだけど……。
「橘ちゃん」
「は、はい……なんですか?」
「ギャンブルってのは手をつけちゃいけないお金に手をつけたところからが本当の勝負なんだよ」
すごく清らかな表情でそんなこと言われても……。
声には出せず、心の中でツッコんだ。
「さー、次だ次! 次は重賞だからデカい山が動くぞー! 3連単当てて寿司行くぞ! 寿司!」
「気が早いって、まずは出走馬とオッズの確認からしないと」
ともあれ、二人の辞書に撤退の二文字はないらしい。
最後に勝てば勝ちだと言わんばかりに、目を血走らせながら食い入るように画面を見ている。
だったら私は、彼らが破滅へと突き進んでいくのをせめて見送ってあげよう。
……と思ったけど、これはこれで何か私だけ仲間外れにされてるみたいでやだな。
財前くんの方から誘ってくれたんだから、せめてもうちょっと構って欲しいんだけど……。
そんな複雑な想いが行動に現れ、二人の間からチラチラと画面を覗き見してしまう。
「次は芝のマイルか……データ的には内枠の先行馬が有利だけど……」
「だから、データとかしゃらくさいこと言ってんじゃないっての! 競馬は熱! パッションだって!」
「その熱に従って今月の食費まで溶かそうとしてるやつが何言ってんだよ。やっぱり、ここもオッズの歪みを意識してプラスの期待値を……ん? どうした?」
私の構ってオーラに気づいてくれた財前くんが振り返る。
「あっ、え……えーっと……私にも見せてもらえないかなって……。こう見えて、ゲームとか得意だし……」
「ああんっ!? ゲームだぁ!? 馬券はガキの遊びじゃねぇんだぞ!?」
「ひぃ! ご、ごめんなさい!」
「まあまあ、清依ちゃん。外部の意見を取り入れるのも大事だよ。ひょっとしたら競馬慣れした俺らにはない知見を与えてくれるかもしれないし」
完全に目がイッてしまっている清依さんを、財前くんが宥めてくれる。
でも、なんで高校生が競馬慣れしてるんだろう……と思ったのは一旦気にしないでおこう。
「ほら、こっちに来て俺の画面を見ろよ」
「う、うん……失礼します……」
呼ばれるままに彼の横へと移動する。
小さいスマホの画面を隣から覗き込もうとすると、自然と肩と肩が軽く触れ合う。
思ってたのとはちょっと違ったけど、こういうのもいいかも……。
「これが名前で、この数字がスタート位置の順番だ。これが単勝オッズ……この馬一頭に賭けて勝った時、何倍になって戻ってくるかって数字だな」
「な、なるほど……」
隣から文字や数字の意味を一つ一つ丁寧に教えてもらう。
ただ仲間に入れてもらったのはいいものの、どういう理屈で馬を選べばいいかなんてさっぱり分からない。
馬の名前ってカタカナばっかりだけど、決まりがあるのかな……。
オッズの数字が低い馬は人気だから勝つ確率は高いけど、勝ってもあんまりお金は戻ってこないんだよね……。
スタート位置ってどこが有利なんだろう……。
馬連とか馬単とかもイマイチよく分からない……ワイドって何……?
なんとかついていこうと、出走表を見ていた私の目にふとある文字列が飛び込んできた。
「あっ、この3番のステラブルーって馬!」
「なになに!? 橘ちゃん! なんか見つけた!」
「名前がすっごくかわいい!」
「ああぁん!? アイドルのコンサート気分かテメェ!」
「ひぃ! ご、ごめんなさい!」
「まあまあ、清依ちゃん。初心者の意見なんだからそう目くじらを立てないでよ」
怒れる清依さんを、財前くんがまた宥めてくれる。
うぅ……優しい……。
「それに、どうせ無茶な買い方するんだから適当にフォーメーションの端っこに加えてくれるくらいはいいじゃん」
「え~……でもステラブルーって、14番人気じゃん。昔は多少ブイブイ言わせたみたいだけど、もう7歳間近でピークはとっくに過ぎて下り坂の馬でしょ。しかも、典型的な追い込み馬だし。こんなの絶対来ないって」
「そ、そうなんですか……」
「そうそう。こんなの買ったってお金の無駄だよ」
「じゃあ、金は俺が出すよ」
「えっ!? お、お金って、そんなの悪いって!」
ズボンのポケットから財布を取り出そうとする財前くんを制止する。
流石に私の適当な思いつきにも満たない予想にお金を出してもらうなんて申し訳ない。
ていうか、そもそも法的に何か問題がありそうな気もする。
「気にすんなって。そもそも、今日は俺が誘ったんだから。それに、勝負の熱を直に味わえば体験談にも厚みが出て、配信でも使いやすくなるだろ」
「えぇ……でもぉ……」
「いいからいいから。ほら、清依ちゃん。100円」
あっ、100円なんだ……。
引け目が少しだけ薄まってしまった。
「しかたないなぁ……でも、もしも当たったら私のお金ね。じゃないと未成年の代理購入扱いになっちゃうから」
「ほんとに清依ちゃんはちゃっかりしてるなぁ……」
苦笑する財前くんを他所に、清依さんがまた馬券を買いに行く。
そうしてまた次のレースが始まり、モニターに多くの馬が並んだスタート地点が映し出される。
「どれが私が選んだ馬?」
「えーっと……3番だからあの騎手が青の帽子を被ってるやつだな……」
「へぇ~……あっ、なんか顔も瞳がつぶらでかわいいかも」
「だめだめ。戦う顔をしてないよ、あれは。逆に私の大本命、ミッキーホースちゃんは気合十分って面構えだ! こりゃもらったね!」
確かに馬も緊張するのか、こころなしか落ち着きがないように見える。
なんとなく、初配信に臨む前の自分を見ているようで親近感が湧いた。
手をギュっと握り、心の中で『頑張れー』とエールを送る。
「さあ、はじまるぞー! ミッキーちゃんミッキーちゃんお願いしますよ~!」
清依さんがそう言った直後に、ゲートが開いて各馬が一斉にスタートを切った。
「よしっ! 最高のスタート!」
隣で清依さんが弾んだ声で叫ぶ。
「ざ、財前くん! 私の馬は!? ステラブルーは!?」
「ん~……馬群に包まれてるなぁ……」
私の質問に、隣の財前くんが険しげな表情で言う。
「そ、それってあんまり良くないってこと!?」
「まあ、有り体に言えばそうだな。脚質的にまだ前に出る必要はないんだけど、比較的短い距離だから進路が開いてくれないとこのままじゃと持ち味の追い込みが活かせずに終わるかもな」
「えぇ~……終わるって、なんとかならないの……?」
「無理に出ようとすると、それはそれで余計な体力を使うからな……なんとか開いてくれるのも祈るしか……」
つまり、一言で言えば『かなり絶望的な状況』らしい。
「が、がんばれ~……!」
なんとか応援の声を振り絞るものの――
「いけいけいけ! ぶっ差せー!」
「西浦ー! 男見せろ!」
「前出ろ! タケ! お前、何年乗ってんだ! 競馬下手か!」
大きいレースだけあって、周りの声がすごすぎて簡単にかき消されてしまった。
そうしてあっという間にレースは最終コーナーを周り、最後の直線に入っていく。
私の選んだ青い帽子は、まだ馬群の真ん中で身動きができずにいる。
周りの人たちの熱量は更に盛り上がり、フロア全体が狂気の宴と化していた。
お金を賭けているからとはいえ、ここまで盛り上がれるのはすごいな……と素直に感心する。
思えば、私はここまで何かに熱くなれたことはなかったかもしれない。
声優を目指してた時も恥ずかしくて誰にも言えなかったし、それが原因で不登校にもなってしまった。
ゲームだって、そんな辛い現実から逃げるためにのめり込んだだけだ。
やっぱり、私は何をやってもダメダメなダメ女だ……と、がっくり視線を落とすが……。
「おっ、なんか3番が前に出てきてるぞ」
群衆の中から微かに、そんな声が聞こえてきた。
反応して顔を上げると、モニターにはさっきよりも前に出ているステラブルーの姿が映っていた。
馬群に包まれて身動きが取れない状況だと言っていたはずが、ゴールに向けて徐々に加速し始めている。
「えっ!? どういうこと!? 前に出られないんじゃなかったの!?」
慌てて、財前くんに状況を聞く。
「いや、完全に馬群に包まれてたはずなんだけどな……なんか狭い隙間を上手い具合にスルスルって抜け出して……馬と騎手の息がぴったりと合った熟練の技っていうか……これは、まさかがあるかもしれないぞ」
「ほ、ほんとに……!?」
財前くんの言葉に、消えかけていた希望の炎が再び燃え上がる。
モニターの中のステラブルーは、馬と馬のわずかな隙間を縫うようにして、さらに加速していく。
「い、行け……! 行け……!」
最初は小さかった私の声も周りの熱気に当てられて、次第に大きくなっていく。
『大外からミッキーホース! ミッキーホース先頭か! しかし、内からもう一頭! 狭いところを突いて、3番のステラブルーも来ている!』
「ミッキー! 粘れ! 粘れ! ネバーギブアアアアアアアップ!」
隣で清依さんが鼓膜が張り裂けそうなくらいの大声を張り上げている。
「ステラブルー! 頑張れ! 行け!」
モニターの向こう側ではステラブルーが頑張っている。
私も負けじと声を張り上げて、必死に応援する。
『残り100メートル! 逃げるミッキーホースに追う四頭! ステラブルーが抜き出るか! 速い! グングン加速する! ミッキーホース逃げ切れるか! ステラブルー! ミッキーホース!』
「いけえええええええ!! 差せええええええええええ!!」
腕を大きく振り上げて、喉が潰れそうなくらいに大きく声を張り上げる。
『1着! 3番ステラブルー! なんと14番人気のステラブルーが凄まじい追い込みを見せて1着となりました!』
「や、やった……! やったやった、やったぁああああ!!」
アナウンサーの人が勝った馬の名前を告げたのと同時に、私もその場で歓喜に飛び上がる。
「勝った! 私のステラブルーが勝ったよ! 財前くん!」
「いやぁ……ビギナーズラックってのはあるもんだな……」
「ほんとに! なんかすっごい嬉しいんだけど! ほら、財前くん財前くん! いえーい!」
最高潮なテンションのままに、彼にハイタッチを求めると流れのままに応じてくれた。
あっ、普通に手と手で触っちゃった……でも、まあいっか。
普段なら心拍数が爆上がりしそうなシチュも、今はデフォがそうなってるから気にならない。
なんか、本当に自分が勝ったみたいにすごく嬉しい。
そっか、財前くんはこれを私に感じてもらうために連れてきてくれたんだ……。
『大本命ミッキーホースは最後の最後で惜しくも失速! 4着でゴールとなりました! 場内には、大きなため息が響いています』
少しずつ興奮が冷めてくると、さっきから清依さんが随分と静かなことに気がついた。
また泣き喚いて地面を叩くのかと思ったら、そんな元気もないのか馬券を片手に立ち尽くしている。
「あーあ、清依ちゃん。やっちまったなぁ。大人しく橘に乗っておけば、今頃収支プラスに捲れてたかもしんねーのに」
「ざ、財前くん……あんまり死人に鞭を打つようなことは……」
躊躇なく煽り言葉を口にする財前くんを今度は私が諌める。
死人扱いするのもどうかと思ったけど、他に言葉が見つからなかった。
「いいんだよ。あんだけ大見得切ったんだからこのくら――」
「あ、当たってる……」
財前くんの言葉を遮って、清依さんが震える声で呟く。
「なんだ当たってんのかよ。複勝? それともワイド? でも、100円じゃガミってるだろ?」
「ううん、3連単……橘ちゃんの選んだ3番と……私の誕生日で適当に買った3連単……」
「ま、まじで……!? こんだけ荒れたレースで、14番人気が頭の3連単って……」
財前くんがゴクリと喉を鳴らすくらいに驚いているが、私はまだイマイチ事態を飲み込めていない。
一体どういうことなんだろうと、一人だけきょとんと首を傾げていると――
「ご、五千倍……五十万馬券、当たった……!」
清依さんが肺の奥からなんとか絞り出したような声で言った。




