第7話
智弘とマネキンの生活は、智弘に新しい生活スタイルを与えた。
マネキンの服を作るための生地代が必要になり、時々アルバイトに出る事にしたのだ。
近くの染色工場に週に2回だが勤めることが出来た。出産で辞めたパートタイマーの
代わりに採用されたのだ。仕事は仕上がりの検査だった。内容はそれほどキツイ
ものではないうえ一言も喋らなくても良かった。検反機に向かっているだけで慣れて
くれば、マネキンの服のアイディアを考えたりする余裕もあった。そして智弘にとって
最もありがたかったのは、B反とよばれる不良品や廃棄品を持って帰ることが出来た
からだ。出勤日は月曜と木曜なので、翌日は一日中生地と格闘していた。
久しぶりに充実した毎日を過している、そんな感じがした。
「マーちゃん。今度は、ほらこの生地だ。これは輸出用で高価なものらしい。
ここんとこに小さな筋が見えるだろ?これでアウトって訳さ。こりゃいいワンピースが
出来そうだ」そう言いながら先日バイト代で買った高級なハサミを滑らせた。
智弘がマネキンのために作った服は既に20着を超えていた。最初の頃の物はさすがに
素人丸出しでお世辞にも出来が良いとは言えないが、10着目辺りからは縫製も細かく
ミシンで仕上げたようなで出来映えである。
デザインはその頃の流行からは少しズレていたが、色使いなどは中々のものであった。
その日は新しいワンピースのボタンを買うため、吉祥寺にある手芸品店に訪れていた。
「お客さん時々いらっしゃいますね?仕立て屋さんかしら?」店の40代の女性
店員がニコニコしながら話しかけてきた。
「あっ・・・いえ・・・違います」気分が良かったので話をしたかったが、あれこれ
自分のことを聞かれそうなのでそれ以上は話さなかった。
ピンク色の大きなボタンとレースのリボンを数本買い、駅の方に向かって歩いていると
智弘の前から一人の少女が歩いてきた。
智弘は自分の心臓が止まるのでは無いかというほどの驚きの中、呆然と少女を
見ていた。肩まで垂らした栗色の髪が歩みにあわせリズミカルに揺れ、その先には
細く長い腕・・・・小さな顔立ちの中で一際目立つ黒い瞳がなんとも魅力的だ。
しかし、智弘を固まらせたのはその美しさだけではなかった。
彼女のスタイルが部屋に置いてあるマネキンその物であったのだ。
少女は、金縛りにあったように立ちすくむ智弘の横をすれ違いざま、少し首を傾け
会釈をした。少女が立ち去って暫らく智弘はその場所を動けないでいた。
やっと冷静さを取り戻すと、今度は少女が歩いていった方向に走り出した。
もう一度見たかった。出来れば話したいと思った。
智弘は暗くなるまで周辺を探し回ったが、結局少女を見つけることは出来なかった。
「なあ・・・マーちゃん。こんなことってあるのかな? 今日君にそっくりの女の子を
見かけたんだ。ホント髪型まで同じだった・・・彼女、何ていう名前なんだろう?」
食事中もこの調子で話し続けていた。
「彼女の格好ときたら・・コレが全然似合って無い! 俺ならばもっと綺麗にして
やれるさ。そうだなこれから春だし・・・この生地なんてどう?若草色でバッグも
同じ色にして・・・アクセントはこれを・・・」
深夜の3時ごろまで、デッサンを書きながら楽しそうに洋服の話をしていた。
智弘は次の日も、昨日と同じ時間に吉祥寺の駅付記をウロウロとした。
もちろん目的はあの少女だ。ただ、もし出会ったからと言って話しかける勇気が
あるはずも無かったのだが・・・・