第5話
智弘は完全に大学へ行く意味を失っていた。
学業に関してはそもそもほとんど関心が無かったし、同好会や部活動にも参加して
いなかったので、1年の後半からは和江の存在だけが智弘を学校に向かわせる、唯一の
理由だったのだ。
その彼女の存在が無い今、無気力以外に彼を表現する言葉が無いほどダラダラと日々を
重ねていた。両親はよもや彼が大学に行っていないとなどということは考えもせず
毎月仕送りをしていてくれている。スーパーの安売りで、インスタント食材を大量に
買いだめしご飯を炊けば、それこそほとんど家から外に出ることも無く生きてゆくことが
出来た。
智弘の部屋には狭いが風呂があったので、銭湯に出かけなければならない煩わしさも
無かったのだ。それはまさに自由な城そのものだった。
そんな生活が1年半ほどした頃、両親が突然アパートを訪ねてきた。
万年床はひいてあるものの比較的部屋は綺麗にしていたので、それほど取り乱すことなく
部屋に迎え入れることが出来た。
「やあ、どうしたの急に?」
「智弘・・・お前学校に行ってないのか?」彼の父親が少し怒り気味な表情で質問してきた。
「・・・・・・最近少し行って無いかな・・・・」
「試験を受けていないそうだな? 大学から連絡が入った。これだ」
そう言って封筒を差し出した。中に目を通すと保護者懇談をしたいとの内容である。
このままでは履修制限のため単位習得が不可能となり、卒業が出来ないとの警告だった。
「お前どうする気なんだ・・・折角入った大学を卒業しないのか?」
「・・・・・あの大学に行く気がしないんだ・・・お坊ちゃまお嬢さんばかりで
見得の張り合いみたいで・・・できれば国立に編入しようかと考えてる。その方が
学費も少しは安くなるし・・・」とっさに出た嘘とはいえ我ながら良く考えたものである。
暫らくの問答はあったが、何とか両親を説得させ帰らせることが出来た。
もちろん編入の意志などまったくなかったのだが・・・・
智弘の生活はいたって単純だった。昼の1時頃起床してインスタントのラーメンと
ご飯を食べる。釜には2日分程のご飯が炊いてある。以前これをもう少し多めに炊いて
腐らせたことがあった。だから面倒だがこの量に決めている。
食事をしながらテレビを観ていると、日本で起こっている大まかな流れを感じる
ことが出来た。ワイドショーから教育テレビまで自分に興味が湧くものだけを観ていた。
テレビに飽きるとマンガを読んだ。本も時々は読むのだが、マンガのように途中で
止めるのが難しいので、真剣に読む気力がある時だけにしていた。
3日に一度くらいは買い物のため夕方から出かけた。
魚や肉、それに野菜など栄養の事も少しは考えており、見切り価格を待って買っている。
夜はラジオを流していた。特に深夜放送はよく聴いており、ハガキを送ることもあった。
自分の書いたメッセージを読まれたときなどは暫らく気分がいいものだ。
自分でもこんな生活は良くない事はわかっていた。
確かに楽しい・・・いや楽しいわけではない。ただ楽なだけだ。
それが抜け出せない理由なのだ。
その日も食料の買出しに商店街へ出かけた。そこで普段とは見慣れぬ光景を目にした。
衣料品店の前に大きなトラックが停まっており店の中の商品を積み出していた。
どうやら倒産したようである。債権者達が強引に引き上げているのであろう。
ふと見るとシャッターの前にマネキン人形が倒されていた。
少し汚れたマネキンは価値が無いのか、誰も持ち帰ろうとはしていなかった。
その時はそのまま買い物を済ませ家に戻ったが、深夜になって妙にマネキンの事が
気になりだした。社会から取り残されている自分と倒れたマネキンが重なって見えた。
セーターを着込むとアパートの階段を駆け下りた。もう無いかもしれない・・・
きっと誰かが持っていただろう。そう考えながらも商店街に向かう足は速くなっていた。
「あった・・・・」
ガラスが割られた衣料品店のシャッターの前に、さっきと同じ姿勢でそれは置かれていた。
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