第35話
田舎での生活が半年ほど過ぎた頃 東京から吉井が遊びに来た。
2店舗目の売り上げも順調に推移し、やっと休みが取れたというのだ。
「吉井さん申し訳ないです・・・・何もかもお任せしてこんなに楽をさせてもらって」
「そんな水臭いこと言わなくていいよ。智宏のデザインがいいから売れてるんだ。
最近の不況で新宿でも潰れる店が出てきてるのに、原宿は今や若者たちのメッカに
成りつつあるんだぜ。俺たちは間違いなくそのきっかけを作ってるんだ」
「原宿に新しい店が出来たんですね。ラフォーレ・・・・だったか。ニュースで
見ましたよ」
「凄い人だよ。オープン以来とんでもない事になってる。これから益々資本家が
投資してくると思う。俺は2号店を出す時に借りるんじゃなくて買ったんだ。
多分、これからは家賃がとんでもなく上昇するはずだから借りるより買った方が得だよ」
この日の吉井のアドバイスを聞き、智宏は今の事務所を返しすぐ傍の店舗を購入する
事に決めた。土地は40坪ほどで駐車場もあり、月の支払いも家賃より少し高い程度で
買うことが出来るというのだ。今の収入なら問題なく返済する事が出来そうだし
既に貯金もかなり貯まっている。原宿に居た頃からこれといってものを買うことも
無かったうえ、山口県ではまったくお金がかからなかった。
吉井は3日ほど泊まり、東京へ帰っていった。
「吉井さん凄く喜んでたなぁ」
「そうね、何であの人結婚しないのかしら・・・・・」
「なんだか聞いた話だと、一度結婚して子供さんも居るらしいよ。どうして別れたとか
何も聞いてないんだけど。本人が言いたくないんだろうから聞かないようにしてるけど」
「へー、そうなんだぁ。全然知らなかった・・・・」
「なあ、佳代子・・・・僕たちもそろそろ籍を入れないか?」
「えっ? そうね・・・そろそろ入れないといけないかもね・・・」
「結婚式は君のお父さんと、うちの両親・・・それに気の合うメンバーだけ集めて」
「あなたのご両親が許してくれるかしら?・・あんな事件があったのに」
「許すも何も・・ボクをあのどん底生活から立ち直らせてくれたのが君なんだから
二人ともは反対なんかしないよ。この前電話した時も君に感謝してるって言ってた」
智宏は生活が安定するようになってから、母親の口座に毎月仕送りをしていた。
それも普通の家庭なら、一家の大黒柱が得る収入に匹敵するほどの額だ。
吉井から毎月智宏の口座に振り込まれる金額は、同世代の月給の7倍近くになっていた。
「今度、僕の実家に二人で行こう」
「そうね・・・・・・」
本来ならこの幸せな会話に佳代子の少し不安げな表情を感じ取る事ができた。
智宏はそれが一連の事件のせいであるのだろう、とこの時は思っていた。