人魚のミイラ
「買い取って欲しい物があるんです。
人魚のミイラなんですけど。」
そう言って、私以外に入居者の居ない古い雑居ビルにある私の事務所を訪ねて来た若い男が、事務所の長テーブルの上にテーブルからはみ出る程の大きさの長方形の箱を置いた。
子どもが1人入る位の大きさの真新しい白木で出来た箱を私はまじまじと興味深げに見詰めた。
ミイラが入ってると言われたせいか、白木の箱が急ごしらえの棺に見えなくもない。
「人魚のミイラですか…確かに私は所有者の方の手に余る様ないわく付きの呪物なんかの買い取りもしておりますが……それでも、なるべくトラブルは避けたいので。
人魚のミイラが偽物である事は大前提で、それを入手するに至った経緯を教えて下さい。」
私は所謂ところの『何でも屋』にあたる。
探し物や探し人の捜索……それらも普通の場所には依頼しにくい様な不可解なものを中心に、いわく付きの物品の買い取りや販売なんかもしている、あやかし関連の何でも屋だ。
胡散臭いと言われそうなこんな商売だが、いや、だからこそ信用第一をモットーとしている。
正当な所有者が他に居るような盗品ならば簡単に買い取る事は出来ない。
「偽物だなんて、これは正真正銘の本物の人魚ですよ。」
「今までにも人魚のミイラを買い取りした事はありますが、だいたいが精巧な人形か、サルと魚のミイラを繋ぎ合わせた造形物でして…古く歴史がある物は美術品や芸術品として本物ですが、生物学的に本物の人魚などいまだお目に掛かった事はありません。」
「では、これが初めての本物の人魚との対面ですね。
どうぞ見て下さい。」
青年はそう言って白木の箱の蓋を開いた。
私は首を伸ばし、箱の中を覗き込んだ。
白木の箱の中には真っ白な真綿が敷き詰められており、白い花に埋もれた様に長い髪の少女の人魚のミイラが胸の上で祈るように手を組んで横たわっていた。
少女の顔は頬はこけ目が落ち窪み完全にミイラ化しているが、生前は『人魚姫』と呼ぶに相応しい美しい面持ちをしていたのであろうと分かる。
髪の生え際を見ても、これは作り物にもサルにも見えなかった
大きく折り曲げられた下半身は確かに魚の形をしているが、鱗は干からびて立っており、色も見た目も枯れて開いた松かさの様になっている。
今まで目にした、どの人魚のミイラより人魚らしいソレを、私は注意深く見ていった。
やがて私は少女の臍の下辺りに、僅かな縫合痕を見つけた。
「………改めてお聞き致します。
この少女のミイラを入手した経緯について、お話し下さい。」
犯罪を隠すための偽装にしては大掛かりな気もするが、それにしても不自然な点が多い。
そもそも箱が新しい事にも疑問を抱く。
彼女のミイラは、ずっと箱に入ってない状態で放置または保管されていたのではないかと。
人間の少女の遺体を人魚のように加工した上で見世物にしていた可能性もある。
そして、それの所有者だという男が若い事も不自然極まり無く、人の遺体を作り変え見世物にするような組織か何者かに雇われたからではないかと疑わずにはいられない。
「……………僕と彼女は……海岸で出会いました。」
━━━━えっ…そこから??━━━━
面食らってしまった私は、かなり頓狂な顔をしたのだと思う。
定型文のように『実は実家の蔵で見つけまして』とか言われるかと思っていたが……まさか人魚のミイラを所有した経緯に、生きた彼女との出会いがあるとは思わなかった。
だが作り話にしろ、これは面白いと私は青年の話を聞く事にした。
「ほう…海岸で。どうぞ続けて下さい。」
「……彼女は海岸で佇んでいました。
どうも怪我をした様子で…助けを呼ぶ事も出来ずに途方に暮れているようでした。
僕は彼女を怯えさせないよう細心の注意を払い、近付いて話し掛けました。」
私の頭の中に、海岸での美しい人魚の少女と青年の邂逅が浮かんだ。
頭に浮かんだその光景は一枚の絵画のように美しいものだった。
「ところが彼女には僕の言葉が通じず、不安と恐怖に押し潰されそうになった彼女は涙を浮かべました。
僕は…涙する彼女に恋をしました。
僕だけのものになって欲しいと、守ってあげたいと…。
辺りを見回し、誰も居ないのを確認した僕は彼女を抱き上げました。
僕の家に連れて行き手当てをしようと思ったのです。」
「言葉が通じない彼女と意思の疎通は出来ていなかったのでしょう?
彼女には相当な恐怖だったかと思いますよ。」
怪我をした少女を助けたいとの行動だと思えば善行だが、海から離れ強引に自宅に連れ帰ったとなると…人間で言えば間違いなく誘拐であり拉致監禁だ。
「最初はそうだったかも知れない。
だが僕以外に頼れる者の現れない場所で、彼女は僕に心を開いてくれたのです。
言葉が通じなくても、僕たちは互いの心を通わせる事が出来た。愛し合えたのです。」
「………愛し合えた………のですか。」
私は熱にうかされた様に彼女との愛の軌跡を話す青年に、一瞬侮蔑の眼差しを向けてしまった。
彼以外に頼れる者が居ない場所で彼女は、彼に服従するしか無かったのでは?それを心を開いたと都合よく解釈しただけでは…いや、これは彼の創作に過ぎないのだった。
私はすぐに表情を戻し、取り繕うように軽く微笑んではみたが、先ほどまでの美しい絵画の様なシーンを頭に描く事はもう無かった。
「だけど…彼女の怪我は思ったより酷かった。
僕にはもう、彼女を救う事は出来なかった。
人魚は生命力が強い…でも彼女は馴染む事が出来ず、亡くなってしまった。」
話しながら青年の声に嗚咽が混ざる。
涙を浮かべ悦に浸る彼が白々しく見えた私は、これ以上彼の身の上話を聞きたくないと思った。
例え作り話だとしても、彼はその愛しい彼女を売りに来たのだから。
拐った上に人の生活に馴染まなかったと吐き捨て、怪我をした彼女を見殺しにした━━けど愛していたと。
そんな不快な作り話をもう聞きたくはない。
「こうなるまで手元に置いていた彼女を、なぜ今になって売ろうと?」
「いつか海に帰るかもと思って…ですが、もういいかなと。」
「よく分かりました、もういいです。
お引き取り願いましょう。」
海に帰る?もういいかな?意味がよく分からないが…
愛する彼女とやらを幾らで売るつもりなのか分からないが、高い金を払ってリスクを背負うのはごめんだ。
おかしな組織に変なエピソード付きの商品を奪ったなどと狙われたりしても困る。
「いや、ホント!僕にはお金が必要なんです!
彼女をここに運ぶのにタクシーを使ったら、もう所持金が底を尽きまして!
百万!いや、10万で…!」
さすがに10万は無いだろうと呆れもした━━が、その安さに私は人魚を買い取ってしまった。
愛する彼女、しかも人魚をたった10万で売り払うとは…いや、もはや何も言うまい。
どうやって入手したのか結局は謎のままだが、そういう設定な彼女の処分をしたかったのかも知れない。
世の中には呪物やいわく付きの物を好む蒐集家もいる。
例え本物の人間の遺体を使った偽物であっても、蒐集癖という病気を持った金持ちには『人魚』を高い金を払ってでも欲しがる者が居るだろう。
リスクはあるが大きな利益に繋がるなら、まぁ良しとしよう。
私は自身の財布から10万円を出して裸のまま男に渡した。
男は受け取った札をピッピッと指で弾いて枚数を数え、すぐ懐にしまい込むと、私に向け軽く頭を下げドアに向かった。
見送るつもりはなく、私はソファに座ったままドアを開いた男の方に目を向けた。
男は思い出したかのように「あ」と声を漏らし、部屋を出てからドアを閉める寸前に私に忠告をしていった。
「ああ、くれぐれも濡らしたりしないで下さいね。
なんせミイラなんですから。」
ドアの隙間でニッと笑った口が見えたが一瞬だった。
パタンとドアが閉まり、男の足音が遠ざかる。
「人魚ね…いつ、どこで暮らしていたお嬢さんか分からないが見た感じではミイラになって10年以上経ってるっぽいな。
日本人かも分からないが、アジア系の黒髪の少女か。」
売り物にする以上、もう少し見た目を整える必要がある。
箱の中で無理矢理曲げられていた下半身の魚体部分も、えらく大きく長さがあり何の魚を利用したのだろうかと興味もある。
私は部下を呼び白木の箱を台車に乗せ、処置をするため別室に運ばせた。
私は彼女に向け一回手を合わせ、その後棺からそっと彼女を取り出して寝台の上に乗せた。
全体的にくすんだ茶色で、特に魚体部分は劣化が顕著で鱗が逆立っており元の姿が想像出来ない。
これもミイラらしい味と言ってしまえばそうだが、若い女性なのだから、もう少しこう…滑らかさという感じが欲しい。
「濡らさないでくれと言っていたな。」
するなと言われれば、したくなるもの。
いや普段の私ならば、こんな商品の価値を下げる様な馬鹿げた悪戯なんかしようとも思わなかった。
現実離れした彼女の存在が私にそんな気を起こさせたのだろうか…とは言い訳だが、私はスプーン一杯程度の水をミイラの鱗に落とした。
ポタ……
雫がカラカラの鱗の上に落ちた瞬間、渇いた土が水を吸うように素早く水滴が魚体に吸収された。
逆立った松かさの様に開いた鱗は、ドミノが倒れるが如くパタパタと倒れてゆき、エメラルドの様な光沢が入る美しい銀鱗に変わる。
「なっ……!!うわっ!」
息を吹き返した魚体は激しくうねり始め、甲板に揚げられたばかりの魚の様にビチビチと大きく跳ね上がり寝台の上で暴れ出した。
寝台は大きく揺れ動き、人魚が寝台から落ちた。
床に叩きつけられた人魚の身体は継ぎ目からポッキリと折れ、微動だにしないミイラのままの上半身と、活きの良い魚の様な下半身に分かれた。
ビタンビタンと尾を床に打ち激しく暴れ回る魚体をおとなしくさせる為に私は部下を呼び、雑居ビルの入り口まで走らせ、水害対策用の重たい土嚢を持ってこさせた。
効果があるか分からないが、と私は土嚢の中の砂を魚体にふりかけた。
生気を与えた水分を奪って欲しいとの行動だったが有効だったようだ。
魚体は砂浜に揚げられ死を待つばかりの魚みたいに、生々しく艷やかな鱗のままではあるが、とりあえず動かなくはなった。
私と部下はハァハァと荒い呼吸を繰り返し、嵐が去った後のような処置室で床にへたり込んだ。
「まさか本当に人魚…?いや、しかし………
上半身の少女の方はミイラのままで…」
私は動かなくなった魚体に近付き、その断面と少女のミイラの断面を見た。
縫合して無理やりくっつけていたようだが、こんな雑な結合手術など成功するワケが無い。
そもそも彼女は普通の人間で……
では、この下半身の魚体は誰の…………
「…………いや、まさか………そんな……」
私は、魚体に男性の生殖器のような痕跡を見つけた。
退化したように小さく目立たなくなってはいるが…。
私は、もう一度青年の悦に入った自分語りを思い出そうとした。
海岸で出会った2人…怪我をしていた人魚の彼女と、彼女を保護した優しい人間の青年。
そう思い込んでいたが逆だったのでは?
海岸に怪我をした人間の少女がおり、それを見た人魚の青年が彼女を海に拐った…それは恐らく10年以上前で、当時の青年はまだ日本語を話せなかった。
人間の少女では脱出が出来ないような場所に連れて行き言葉が通じないままの彼女と暮らし、やがて力尽きた彼女と自身の下半身を交換した。
青年の言った「馴染む事が出来ず」は、人の暮らしにではなく、恐らく肉体の事を言っていたのだろう。
死んだ少女に魚体の下半身は融合しなかった。
だが人魚の上半身である青年は、人魚特有の生命力の強さゆえか奪った彼女の下半身と上手く馴染んで融合した。
『いつか海に帰るかもと思って…ですが、もういいかなと。』
この言葉は、自分が海に帰る可能性があった事を言っているのだろう。
いつでも人魚に戻れるように、彼女のミイラの一部となった魚体を側に置いて保管していたのだ。
そして言葉を覚え、人間社会にも上手く馴染んだ青年は、海に帰らずに陸の上で人として生きていく事を選んだ。
「一体、何年前から……………」
呟いて、私はひとつの依頼を思い出した。
机の引き出しから古ぼけた手帳を取り出し、携帯電話に固定電話の番号を打ち込む。
もう繋がらないかも、と思ったが呼び出し音が鳴り、一分ほどベルが鳴った所で先方が電話を取った。
『もしもし………どなたかね…?』
かなり、しわがれた老人が訝しげに此方をうかがって来る。
「お久しぶりです、貴方から20年前に依頼を受けた者です。
父親の貴方の目の前で男に拐われ海に消えた娘さんと思しき少女が見つかりました。
貴方が誰も信じてくれないと仰った、男と共に海に消えた娘さんです。」
20年前、私はある資産家から行方不明となった娘さんの捜索を依頼された。
その資産家は自身の目の前で、当時15歳だった娘さんを誘拐された。
彼が見た娘さんの最期の状況は、海から助けを呼ぶ娘さんと、海の中で娘さんを抱きかかえた若い男。
この2人が波間に姿を消した。
娘を失った彼の証言は、錯乱しているのだろうと警察にも家族にも、誰にも相手にしてもらえなかった。
若い男にかどわかされたか、海で溺れて亡くなったか、そのどちらかだろうと。
まさか誘拐犯が男の人魚だなんて、思い付くわけが無い。
それで彼は私に仕事を依頼したのだ。20年前に。
「残念ですが…娘さんは既に亡くなっておられます。
ご遺体は半分しか無く…………
ところで話は変わるのですが、雄ですが生きた人魚に興味はありませんか?
コレクションとしても研究材料としてもかなり価値があるかと。
ああ、報酬は情報料として二千万頂きたいです。
お高いですか?ですがこれは娘さんの仇討ちにもなります。それに、奴は娘さんのお身体の半分を自分の肉体として持ってます。それを取り戻すためにも。」
電話の向こう側で、狂気じみた歓喜の声が上がる。
彼は私が言わんとした事を理解してくれたようだ。
青年の居場所は部下に後をつけさせたからすぐに分かる。
青年を捕らえたならば、その下半身を切り落として少女のミイラと共に父親のもとに帰してやろう。
そして下半身を失った青年には、私の持つ魚体の下半身を繋げよう。
生命力の強い人魚ならば、そう簡単には死なないだろう。
なぁに、彼なら自分の身体にはすぐ馴染んで、再び立派な人魚に戻ってくれるだろうさ。
その後の彼の境遇には、少しは同情するがね━━
━━終━━