第8話 炎と煙の魔術師 “ヤニカス” vs デス畳
和室突入組の先頭に立ち、きこえた悲鳴に急ぎ引き戸をあけた“カタブツ”であったが、思わぬ光景にかたずをのんだ。
あらためて見れば、実に凄惨な現場である。
あたりには血や肉が飛び散り、赤黒い血液で床の間までぬれているかと思えば、壁には自身のナワバリを誇負するかのごとく「デス畳」という血文字が浮かんでいる。
こうした惨劇のただなかで目をさました“ふくよかな尻”が、おぼえず「助けて」と悲鳴をあげたのも道理であろう。
さらに、デス畳が「タミ、タミ」と鳴き声をあげながら、“ふくよかな尻”へと向かい、パタパタと鳥がくちばしを開閉するような調子で何度も2枚の畳を重ね合わせていた。
まるで、動物の求愛行動のごときものにも見える。
「“ふくよかな尻”……! いま助ける、そこを動かないでくれ!」
“カタブツ”はさけびながらも、部屋全体にサッと視線を走らせた。
四畳半のため、通常の長方形の畳が4枚と、半分のサイズの正方形の半畳が1枚ある。
いわゆる不祝儀敷きと呼ばれる敷き方で、このうち入口にもっとも近い畳と、そのとなりの2枚がデス畳である。
人間ではありえぬほどに高く吊りあがった右目と左目が、それぞれの畳に浮かんでおり、そのふたつがセットの証のようにも思われる。
“ふくよかな尻”が身を縮めているのは、デス畳よりも奥の、壁際にある1枚であった。
「なあ、あれ……デス畳、さっきあの位置だったか? なにか角度がちがうような……」
“カタブツ”が小声で問うと、“わけ知り顔”がクイッとメガネをあげる。
「いえ、あんな感じでしたでしょう。それよりいまは早く“ふくよかな尻”さんを助けないと。“ヤニカス”さん、おねがいします!」
「ワイのこの活躍でタバコの地位が向上するってもんやなぁ……」
呼ばれた“ヤニカス”は、ひきつづき8本ものタバコを口にくわえ、極上の美食を味わっているかのような恍惚の表情でまえへと進み出た。
そのタバコを、両手の指のまたへと一本ずつはさんでいく。
「これはワイからのはなむけや……デス畳。あの世で、あんじょう喫いや。ほな、さいなら」
デス畳へ別れのことばを告げながら、指にはさんだタバコを、煙をモクモクと吐き出しながらデス畳の上へポトポト落としていく。
さながら「炎と煙の魔術師」というセルフイメージに酔ってでもいるかのような所作であった。
が、畳には難燃性というものがあり、タバコの先端にくすぶる火がすぐさま畳へとうつるかと思いきや、そんなに簡単に燃え広がるようなものではない。
デス畳は人間でいえば眉間のあたりをうろんげにひそめると、「タミ!」と叱るような声を発して、ピンボールよろしくポンと自身に載るタバコを“ヤニカス”へとはね返してみせた。
「アツッ! なんやワレ、あつぅ、熱い!」
かなりの勢いがついていたため、はじき返されたタバコのうち二本が額と耳とに根性焼きのごとくあたり、“ヤニカス”がとり乱していると、デス畳は「タミ!」とすかさず床をすべるように水平移動し、そのカドで足払いをくらわせる。
「あっ! もしかしてキミ電子タバコ派やった……?」
“ヤニカス”は丁重におうかがいを立てながらデス畳の上へとたおれていき、
バグンッ
無惨にも血をまきちらして、肉塊となった。
「そんな、“ヤニカス”さぁぁぁん!! 自信満々だから秘策でもあるのかと思ったら、なんもないんかい!」
“わけ知り顔”が関西弁の影響を受けつつ絶叫するかたわらに、その血が汚れた肺のかたちに飛散し「No Smoking!」という文字がそえられた。
しかしそうして“ヤニカス”がデス畳の気を引いてくれていたため、“カタブツ”、“お嬢さま”、“玉袋デカ男”の3人は壁際にそって移動し“ふくよかな尻”のもとまで到達していた。
「だいじょうぶ、“ふくよかな尻”!? さあ、ここにのって」
デス畳が奇怪ににじりよってきたショックでなかば意識を失いかけている“ふくよかな尻”へ、“玉袋デカ男”がおのれの玉袋をタンカのように広げてさし出す。
「ああ、やっぱり、わるい夢だったのね……」
ふわりと玉袋の上にのせられた“ふくよかな尻”は、そのあまりのふんわり感に自宅のベッドにいるとかんちがいしたものらしく、朦朧と夢見ごこちでつぶやいた。
そのひと言を受けた“玉袋デカ男”は、恥ずかしそうに、
「なんのためにこんなつらい修行をしているんだろうとくじけそうになるときもあったけれど、ボクはきょう、この日のためだったんだって、はじめて胸をはって、ううん玉袋を広げて言えるよ……」
と、玉袋を巨大化させるための過酷な鍛錬の日々を思い浮かべるように、やさしげなまなざしを“ふくよかな尻”へとむける。
“カタブツ”と“お嬢さま”は、緊急事態でもあり、特段なにもコメントをせず脇から玉袋を支えて(むろん、特注ズボンの布地越しにである)一団となりこの部屋を脱出しようとした。
すると――
「タミ!」
“ふくよかな尻”の異変に気がついたのか、デス畳が目をことさらに吊りあげて怒声を発し、バグンバグンと二枚の畳を重ね合わせることで自身をずらしつつ、猛然と4人へ近づいていく。
「あぶない!」
“玉袋デカ男”はさけびながら両手でさらに玉袋を広げ、おのれの上半身ごと“ふくよかな尻”をおおい隠すことで、身命を賭して想い人をかばおうとした。
そこへ、手に入らぬのなら、いっそふたりとものみこんでしまおうとでも言うかのように、無情にもデス畳の両の畳が迫る――
「よいしょお!」
そぐわぬ気合が発せられたのは、そのときであった。
“玉袋デカ男”のとなりにいた“お嬢さま”が、すくいあげるように彼の尻をもちあげ、その肉体ごとかろやかにひっくりかえしたのだ。
さらには勢いそのままに、まるで竜巻のごとく宙を舞い、デス畳にあいさつ代わりのまわし蹴りを喰らわせてみせる。
「わたくし、たしなむ程度ですけれど、お血を吐くぐらいには武術を仕込まれておりましてよ……リードしてくださるなら、ダンスのお相手にいかがかしら」
“お嬢さま”は古武術らしき堂に入ったかまえをとりつつ、ふたつの縦ロールをかれいにゆらしてみせるが、虚勢にすぎぬのか、余人からは見えないその背なかにはじんわりと汗がにじんでいる。
「“お嬢さま”……ヤツと正対するのはあまりにも危険だ!」
空中で反転した“玉袋デカ男”と、その玉袋につつまれた“ふくよかな尻”が床に直撃せぬようスライディングをし、緩衝材のように全身で衝撃を受けとめてうめきつつ“カタブツ”がさけんだ。
デス畳は「小娘の華奢な体躯で弄する武術など、わが圧倒的な暴力のまえでは一夜の余興にさえなりはしない」という意味をこめたのかはだれも知らないが、蹴られた勢いを利用して垂直に立ちあがると「タミ」と嘲弄のひと声をあげる。
そしてクジラが海の小舟を波ごとのみこむがごとく、両の畳を広げて“お嬢さま”を急襲する――
ドスリ。
デス畳の咀嚼音とは思えぬ音がひびいたのは、そのときだった。