祭祀場襲撃事件 延長戦02
強敵の頭領を討ち果たした四季崎は、仲間を救った聖騎士の亡骸に敬意を払い、重傷の司祭のもとへ駆け寄る。
司祭は最後の力で今回の襲撃の真実を託し、四季崎の手に羊皮紙を残して息絶える。
一方、銀鏡は襲撃者の死体から手がかりを探すが得られず、増援の危険を察して気絶した伊勢の撤退を提案。
四季崎は伊勢を背負い街道へ向かうが、黒マントの男に襲われる。
老執事長・相模が間一髪で救援し、四季崎は伊勢を連れて逃走。
相模と銀鏡が敵を足止めし、四季崎は司祭の遺志を胸に夜の街道を走り抜けた。
相模と猫夜が激しく打ち合い、一瞬、両者の距離が開いた。
銀鏡はその刹那の好機を見逃さなかった。研ぎ澄まされた集中力で放たれた矢は、正確に猫夜の右肩を捉え、深々と突き刺さる。
「グッ……!」
短い呻きと共に、猫夜の動きが僅かに止まった。そして次の瞬間、凄まじいまでの殺気が、まるで物理的な圧力となって銀鏡を襲った。
「……鬱陶しい蠅が……。ただ飛び回っているだけならまだしも、邪魔をするというのなら……殺す……!」
猫夜の姿が一瞬にして掻き消えた。
銀鏡が殺気の方角に意識を向けた瞬間、猫夜は既に右側面に肉薄し、振りかぶった足が必殺の蹴りを放とうとしていた。一瞬の判断で、銀鏡は大岩の上から背中から落下する形で身を投げた。危険は承知の上だったが、猫夜の蹴りを避けるにはこれしかなかった。地面に激しく叩きつけられ、肺の空気が一気に抜けていく。
激しく咳き込み、視界が霞む。その朦朧とした意識の中、頭上から追い打ちをかけるように猫夜が迫ってくるのが見えた。両手の鋭利な爪が、銀鏡の喉笛を食い破らんと煌めいている。
(……ここまで、か……)
半ば諦めが脳裏をよぎった、その時。まるで疾風のように、二人の間に相模が滑り込んだ。
「エルフィコス流剣術――『浮揚』!」
落下してくる猫夜の勢いを逆手に取るように、相模の剣が天を衝く。強烈な突き上げは猫夜の体勢を再び宙へと跳ね上げた。返す刀で、相模は流れるように剣を振り下ろし、追撃の斬撃を放つ。
「エルフィコス流剣術――『落葉』!」
先ほどよりも遥かに鋭く、速い斬撃。猫夜は空中で体勢を立て直しながら、焦りの色を浮かべて両手を顔の前に構えた。
「――喰らい尽くせッ!」
《閃光滅実》!
猫夜が叫びと共に両の手を合わせると、彼の前に不可視の障壁が展開されたかのようだった。
しかし、目に見える変化は何もない。だが、飛来した相模の斬撃は、あたかも透明な何かに衝突したかのように虚空で弾け、霧散した。
猫夜は音もなく華麗に着地すると、肩で息をしながらも、その瞳は未だ戦意を失っていない。ただ、その身体は先ほどまでのような尋常ならざる動きはなく、どこか不安定に揺らいでいた。
「……あの魔法、何かを打ち消す……いや、空間ごと消滅させる類のものか」
相模は忌々しげな表情で呟くと、すぐさま銀鏡へ向き直った。
「銀鏡殿、わずかな時間で結構。どのような手段でも構いませぬゆえ、奴の動きを一瞬でも止めていただきたい!」
その言葉を言い終わるか否か、相模は再び猫夜へと疾駆した。
(何でもいいから、動きを……か)
銀鏡は激しく打ち合う二人を視界に捉えながら、必死に思考を巡らせる。
(四季崎のような派手なことはできないが……試してみる価値はあるはずだ)
銀鏡は背中の矢筒に手を伸ばし、残りの矢の本数を確認する。指先に触れたのは僅か三本。地面に落ちている一本を拾い上げても、使える矢はそれだけだ。
他は先ほどの攻防で既に折れたり、砕けたりしていた。
銀鏡は手にした矢の一本一本に慎重に魔力を込めると、猫夜の注意を引くように、あえて狙いを定めず立て続けに放った。
二本の矢は猫夜に容易く回避され、最後の一本は猫夜が手で払い除けた際に呆気なく折れ、虚しく地面に突き刺さった。
だが、それは銀鏡の計算通り。彼は素早く走り、最初に猫夜が捨てた、魔力を込めていない矢を拾い上げると、弓に番え、全神経を集中させて狙いを澄ます。
そして放たれた矢は、猫夜の身体を掠めるようにして通り過ぎ、先ほど地面に突き刺さった魔力封入済みの矢のすぐ近くに深々と突き立った。
すれ違い様に、相模にだけ聞こえるよう小声で「あの矢の傍へ誘導を」と告げると、銀鏡は即座に魔法の詠唱を開始した。
(……並列詠唱は得意ではないのだが、やるしかない……!)
『我の影を追う悪夢よ、その足を止めよ』
一旦そこで詠唱を区切り、銀鏡は相模と猫夜の目まぐるしい攻防に意識を集中させた。
相模は銀鏡の意図を正確に汲み取り、猫夜との激しい剣戟を繰り広げながらも、巧みに岩場を移動し、徐々に目標地点へと誘導していく。しかし、猫夜も警戒しているのか、なかなか思うように罠へと近づかない。
「――喰らい尽くせ!」
猫夜が再びあの魔法を発動させる構えに入ったのを見て、相模は咄嗟に追撃を中断し、回避行動に移った。
《閃光滅実》
猫夜の手が合わさると同時に、相模は空中で華麗な宙返りを打ち、その攻撃を紙一重で避ける。しかし、翻った燕尾服の裾の先端が、まるで何かに喰いちぎられたかのように虚空に消えた。
相模は計算通り、銀鏡が指定した地点――二本の矢が突き刺さる場所――に着地し、あえて隙を見せるようにして猫夜を誘い込む。
猫夜は一瞬、罠ではないかと眉をひそめたが、目の前の獲物への渇望が勝ったのか、雄叫びを上げて一直線に突っ込んできた。
そして、猫夜の影が、地面に突き刺さる魔力を込めた矢の影と重なった、その瞬間――!
「――《影縫い》!」
銀鏡の鋭い声と共に術が完成し、猫夜の足元の影から無数の黒い棘が突き出し、彼の動きを一瞬にして完全に封じ込めた。
千載一遇の好機。
相模は深く腰を落とし、剣を中段に構え、静かに呼吸を整える。彼の周囲の空間が、まるで強大な重力に押し潰されるかのように歪み、空気が重く圧し掛かるのを感じる。
その瞳は、もはや淡い水色ではなく、燃えるような蒼光を湛えていた。
「エルフィコス流剣術――奥義『颪』!!」
凝縮された絶大な魔力と共に放たれた斬撃は、もはや単なる剣技ではなかった。
それは荒れ狂う一陣の暴風そのものとなり、周囲の岩々を粉砕しながら猫夜へと殺到する。高濃度の風の魔力を纏った斬撃は、まるで両翼を広げた巨大な猛禽――鷲のような姿を形作っていた。
猫夜は死に物狂いで影の束縛から抜け出すと、反射的に近くにあった巨大な岩盤を片手で掴み上げ、盾にしようと斬撃に投げつけた。
しかし、その岩盤はまるで脆い硝子細工のように容易く切断され、勢いの衰えない颪は、猫夜が岩を投げた右腕ごと吹き飛ばした。
「ガァッ……!?」
凄まじい衝撃と激痛に、猫夜はよろめきながら数歩後退し、辛うじて残った左腕で、地面に転がる自身の右腕を拾い上げた。
その瞬間、猫夜の身体を中心に、禍々しくもどこか神々しさすら感じさせる、膨大な魔力の奔流が渦を巻いて溢れ出してきた。
それは先ほどまでとは比較にならないほどの、純粋な破壊の意志そのものだった。
「…………殺す…………」
地響きのような低い声と共に放たれた、凝縮された殺意。銀鏡はその圧倒的なプレッシャーに一瞬意識を刈り取られそうになり、膝が崩れ落ちそうになる。
咄嗟に相模が彼の前に立ち、その殺意の濁流から庇った。相模自身も、その額には嫌な汗が滲み、全身でその途方もない圧力に耐えているのが見て取れた。
「――よせ」
突如、凛とした、しかし有無を言わせぬ声が響いた。気づくと、暴走寸前の猫夜の眼前に、いつの間にか別の黒い外套を纏った男が立ちはだかっていた。
「鳥進……! テメェ、何しやがった!!」
怒りに我を忘れて叫ぶ猫夜の首を、鳥進と名乗られた男は無造作に鷲掴みにし、ギリギリと締め上げた。
「不用意にこちらの名を出すな、愚か者め。この場で貴様の首をへし折られたいか」
骨がきしむような嫌な音が、静まり返った戦場に響き渡る。猫夜は苦悶の表情を浮かべながらも、みるみるうちに大人しくなり、鳥進がその手を離すと、
まるで躾けられた獣のように静かになった。鳥進は猫夜の頭を軽く撫でる。
「……良い子だ。腕は後で治してやろう」
鳥進はフードを深く被っており、その表情は窺い知れない。しかし、その視線が明確に相模と銀鏡に向けられたのが分かった。
「ここは引かせてもらう。手土産としては、我らの組織での呼称だけでも十分であろう。……それでもなお事を構えるというのであれば――」
鳥進がそう言った瞬間、彼からも猫夜と同質、いや、それ以上の濃密で禍々しい魔力が噴出した。それは、戦うならば相応の覚悟をしろという、明確な威嚇だった。
「……これはこちらにとっても、願ってもない申し出でございますな。銀鏡殿、それでよろしいですかな?」
相模は平静を装いつつも、内心の警戒を隠さずに銀鏡に同意を求めた。
銀鏡は「……まぁ、異存はない」と、まだ痺れの残る身体で、できる限りの虚勢を張って答えた。
鳥進と猫夜、二人の黒い影が闇に溶けるように姿を消すと、ようやくその場を支配していた息詰まるような重圧から解放され、銀鏡は堪えきれずにその場にへたり込んでしまった。
相模もまた、深く長い息を吐き出し、張り詰めていた緊張を解いた。
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