素直で我慢強い令嬢はいつの間にか執着系男子に愛される
目にとめていただき、ありがとうございます。婚約破棄ものです。よろしくお願いいたします。
16歳のリリー・カーショーは魔法学園の卒業パーティーの最中、微笑みながらも呆れて果てていた。目の前にいる男爵家嫡男のウィリアム・カークと隣でほくそ笑むプラム・ナイトレイが原因だ。
「つまり、ウィリアム様は私との婚約を破棄して、その方と一緒になると、そういうことですね?」
そう話すリリーの姿はぼんやりとしている。彼女は魔力の強さゆえそれを抑えるために学園など人の多いところでは最も魔力が放出される目を隠すため、偏光レンズ入りの細長いアイカバーをつけているのだが、今日はパーティーのため、もちろん装着している。
それをもってしても、今日は感情の波立ちのために溢れ出る魔力のせいで、彼女の周りはいつも以上に歪み、ハッキリとした形が見えないほどだ。下半分が紺色で上半分がグレーなのはドレスと髪の色、なのだろう。
それでも友人たちは日々学園で学びを共にし、自然豊かな場所や人の少ないところで落ち着いている時のリリーを見ているため、彼女の美しさは知っている。今日だって、美しい紅い瞳は隠れているが、その下にある瞳の美しさは誰もが知るところであり、眼鏡の有無はリリーの何をも損なうものではなかった。
いや、リリーに婚約破棄を突きつけている、ウィリアムとプラム、そして彼らと一緒に授業も受けずにフラフラと遊び歩いている悪友たち以外は、だ。
「しつこいぞ。そう言っているだろう。本当に鈍いやつだ。それに比べてプラムの明るく聡明なこと。魔力だって十分だし、お前と違って制御もできる」
そう言ってリリーの婚約者とその新たな恋人は見つめ合う。
ところで、こんな状況で、またこんなにもリリーが呆れ、腹を立てているのに周りはさほど気にしていないのは、明らかに問題があるのはウィリアムとプラムの二人で、リリーはちっとも悪くないからだ。
友人たちは、何ならもっと早くこの事件が起きるのではないかと予想もしていた。だから今日だったのは遅いくらいだが何とも間が悪い、さすがウィリアムだと変なところで感心していた。
だが、ウィリアムは
「それにリリー、お前のように高飛車で人の心を理解しようとしない魔女に、領地経営ができるわけがない。領民の心を掴むことができないのだからな!そんな女と結婚なんて領民思いの俺には無理だ!」
そう言うと、自分に胸を押し付けている自分と同じ金髪で巻き毛のプラム嬢の手をそっと撫でて
「俺に相応しいのは…このプラムのように優しく、人の心に寄り添う女性だ。ああ、プラムこれまでツラい思いをさせてしまってすまなかった!」
「いいえ、ウィリアム様、いいのです。優しいあなたが婚約を破棄するなんて、言い出せないのは当然です!相手がリリー様であっても…」
プラムはリリーが悪者であるかのように話しているが、傍から見れば変なのはウィリアムであり、世話になりっぱなしのリリーにそんなことを言えるなんてと呆れているし、プラムの芝居がかった物言いにも驚きである。
****
資産が多いことで有名なショーカー子爵家令嬢のリリーはこの4年間カーク家に望まれてウィリアムの婚約者としてすごしてきたが、本当は嫌で嫌で仕方がなかった。なぜなら、こんなに尊敬できない人もめずらしいくらいに、ウィリアムは困った人物だから。
ウィリアムは見目は良いが、勉強はできないし人望もない。なのに謎の万能感から努力せず、どれもこれもそこそこの成績のくせに、努力して成果を上げている友人たちを『必死すぎて笑える』などと馬鹿にするせいだ。
それでもウィリアムが勘違いするくらいには彼の家がまあまあ上手くいっているうちはマシだった。リリーも、現状幸せそうなカーク領民のためには頑張ろうと思えたからだ。
しかし、婚約して1年後にカークの領地を襲った寒波による損害を考慮せずにバカスカお金を使っていたウィリアムと彼の母親のせいでカーク家はすっかり力を失っている。
リリーは領民たちのことを考えれば何とかしなくてはという気持ちは湧くが、まだ領主の妻でもないし、その原因である彼への愛情なんて生まれるわけがない。
そんな状態が2年も続いたのだ。
しかもここに来て、ウィリアム絡みの負債は増えている。何故かと言えば、ウィリアムの投資癖のせいである。最初の頃は上手くいっていたようだが、ここのところは失敗続きだという。
その損失を補うために怪しいところからお金を借りたり、友人たちに投資を呼びかけたりしてきたせいで、避けられていることにも気づいていない。
それにしても、どうすればそんなに損失が出るのかと思うが、どうもこのところは宝飾品や茶器に注ぎ込んでいるようだった。
宝飾品などはあまり大きくないものなので、家の中で増えてもよくわからなくなっているのではないかと思われる。どれも似ていて見分けがつきにくいし。
家がそんな状態で妻子を叱りつつも、領地の立て直しに奔走しているウィリアムの父親のアルフレッドは息子がどれくらい悲惨な状況か理解できているのか?と心配になるくらいだった。
そんな未来の義父は『しっかり者のリリーと婚約していて良かった』と感謝しているが、ウィリアムにはそれが理解できておらず、なぜかリリーが自分に惚れていると思い込んでいた。
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それは4年前のラティマー公爵家でのパーティーでの出来事による。
ラティマー家の嫡男、クリストファーが魔女の呪いから解放されたお祝いのパーティーには同年代の子どもたちも何人も招待され、参加していた。悪事を働いて国から追放された魔女が逆恨みして、家格の高いラティマー家を標的にしたのだ。中でも魔力の高い、だがまだ子どもで反撃できないクリストファーが狙われた。
4年の月日をかけて魔女は倒されようやく解呪できたが、呪いのせいでクリストファーは15歳だというのに成長が阻害され、小さく弱々しかった。
そんな、これまで社交できていなかったクリストファーと仲良くできる友人をと思うラティマー公爵の親心から開かれたお茶会である。しかしそこで、ウィリアムは、格上・年上のクリストファーに暴言を吐いたのだ。
「おい、お前、呪いが解けたって割に顔色が悪いな。本当にもう大丈夫なのか?俺達に感染ったりしないだろうな?」
リリーはあまりに驚いたので、思わずウィリアムの腕を引き、
「ね、ねぇ、そこのあなた、あっちにきれいなお庭があるわ。見に行きましょうよ!」
と、その場を離れた。
クリストファーは突然の酷い出来事に何も言えなかったが、チラッと自分を見て頷き、安全なところへ行くようにと合図をしてくれた女の子に感謝した。自分に酷いことを言った男の子をその場から連れ出してくれた、12歳のリリーに。
その場にいたクリストファーの従姉妹のセシルが、リリーの合図に反応して、サッと彼を安全な場所へと移動させてくれたことも良かった。クリストファーはじきに落ち着きを取り戻し、他の招待客と和やかに話すことが出来た。ウィリアムを見張り続けたリリー以外は概ね良い時間を過ごせたといえよう。
さて、セシルは隣国の公爵家に嫁いだクリストファーの叔母の娘である。彼女は従兄弟のクリストファーが落ち着いたと見るや、すぐに母親に、意地の悪いことを言われてクリストファーが大変動揺したこと、その場にいた令嬢が助けてくれたことを伝えた。
「お母様!先程、パーティーでクリスに酷いことを言った子がいたの。なんて子かしら。私、あまりに驚いて何も言えなかったわ。でも、美しい銀髪の子が、その酷い子を追いやってくれたの。とても綺麗で優しい子。それにきっとすごく賢いに違いないわ!」
甥のため、またセシルの留学のために、とはるばる隣国から訪れていたセシルの母親は、その話に憤慨し、翌日カーク家に苦情を入れた。カーク家当主は謝罪し、妻でありウィリアムの母であるグレンダにしっかり叱っておくように言った。
しかしその指示が通ることはなかった。なぜならグレンダはウィリアムを溺愛していたから。
『可愛い我が子がそんなことをするはずがない、きっと相手が悪くとっただけだわ。だって呪われてずっと閉じこもっていたのよ、可哀想に、常識がないのね』
と思い、彼に何も注意しなかったのだった。
大人たちの間で、そんなことが起きているとはつゆ知らず…
同じく12歳のウィリアムはその時にリリーが自分のことを気に入って、二人きりになりたいと言ったのだと思い込み、『自分を気に入った子がいたようだから、できればこれからも仲良くしてやりたい』などと父親に伝えた。何しろウィリアムは見た目だけは金の髪と青い瞳と色合いが良かったのだから。
運悪くカーク家の当主アルフレッドとリリーの父親であるテレンス・カーショーは若い頃からの友人で、共に魔法学園では剣術で戦い、卒業後はお互いに領地の経営以外に中央で文官として働く同僚でもあった。
アルフレッドは、先日の隣国の公爵家からの苦情に参っていたこともあり、『これはなんとも明るい話だ』と、ウィリアムの言葉の真偽をよく確かめずに、
「どうもリリー嬢はうちのウィリアムを気に入ってくれたようだ。よければこれからも時々会うのはどうか。なんなら婚約させるのはどうだろう」
とテレンスに持ちかけた。
アルフレッドは気のいい奴だったし、男爵家とは言っても領地の経営はまあまあ上手くいっているのはわかっていたので、テレンスもまあいいだろうとそれを受け入れてしまったのだ。
貴族の結婚とは家同士のつながりであり、お互いの人柄をよく知っている自分たちの子ども同士が結婚するのは両者にとって歓迎できることだった。
リリーの母親のイヴリンは驚いたが、アルフレッドのことはよく知っていたので、ウィリアムの母親のグレンダの性格にやや不安を抱きつつも、その提案を了承した。
グレンダは少しばかりウィリアムを大事にしすぎている気がしていたのだ。それでも、大丈夫だろう、と思えるくらいにはアルフレッドは好人物だった。
そうこうするうちに、何度かの会食の後、リリーとウィリアムは婚約の運びとなった。リリーは父親の友人であり同僚のカーク男爵の家族と会食をしているだけのつもりだったので、当たり障りなくウィリアムの相手をしていた。
それが、何故か『我儘なウィリアムを許せるくらい好き』なのだと思われてしまった。
婚約後、リリーは両親に泣いて抗議をしたが、既に書類は提出された後で、両親は彼女に平謝り。母親のイヴリンは『相手に瑕疵があれば婚約をなかったことにできるし、そういうことがおきなければウィリアムもそれほど酷い人物ではないということだから』と宥めた。
母の言葉と、ここでの婚約解消は、まだ小さな弟のためにもならないという考えから、リリーは我慢することにしたのだった。
何より、父親のアルフレッド自身は良い人物だったので、何かあれば彼が諌めるだろうとテレンスは考えていた。しかし、イヴリンの様々な苦言や苦情はグレンダに止められ、ウィリアムやアルフレッドにまで届くことはなかった。
それでもリリーは婚約者としての務めは果たしてきた。領地の視察と必要な支援や社交。時にはウィリアムの代わりにアルフレッドとともにカーク領に隣接する領地に挨拶に行った。
この頃からリリーの魔力は増し、眼鏡をかけるようになった。学園に通って学び、体力がつけばそのうち制御できるようになるからとは言われた。しかしそうなるまでには時間がかかる。
眼鏡は鬱陶しいし、表情で気持ちを伝えることが難しいため、彼女は言葉やジェスチャーなど、他のコミュニケーションの力をつけざるを得なかった。
そうした真面目で努力を惜しまないリリーのカーク領での孤児院や修道院への定期的な慰問は大変感謝された。
領地が苦しい中でも、優しく聡明なカーショー家のリリーが訪れることで、領民は『苦しくてもきっと大丈夫。これからは良くなる』と信じて頑張ることができた。
勉強だと嘘をついて仕事から逃げ回るウィリアムにリリーは
「あなたの領地の民よ?もっと真摯に向き合った方が良いのではない?」
と言いつつも、見てきたことや孤児院の様子などをきちんとまとめてウィリアムに渡してきた。結局のところリリーはどんな相手に対しても酷い態度は取れない性格なのである。
けれどもウィリアムは資料を読むことも、領地のことを考えることもせず、あまり素行の良くない友人や異性との距離感が少しおかしい女の子たちと連れ立って遊ぶばかりだった。
「全くあいつは堅物で面白みに欠ける。一緒にいると気が休まらないよ。しかもあの眼鏡ときたら…目を見ながら話せなければ、何を考えているのかなんて理解し合えるわけがない。全く俺は不幸だよ」
友人たちと過ごす時に、ウィリアムはいつもリリーのことを貶めるようなことばかり言っていた。友人たちの手前、自分の方がリリーよりも立場が上だと示したかったのだ。爵位はカーショーが上だが、二人の関係は違うのだと。
そんなリリーたちの姿に学園の友人たちは
「ねぇ、リリー、本当にウィリアムと結婚するの?」
「お金を払ってでも婚約は破棄させてもらったら?」
そう心配して声をかけた。それでも貴族令嬢として簡単にそうしたいとは言えないと考えるリリーだった。
この学園を実質運営している公爵家の嫡男、クリストファーの婚約者とされる、昔からの友人であるセシルも
「リリーにはウィリアムは合わない気がするわ。うちから圧をかけましょうか?」
と穏やかでない言葉をかけてくれたが、リリーは
「本当に社会的に酷いことをされたら解消して良いと両親から言われているし、そこまでのことをしないのなら、お互いに我慢できるということよ…私達は貴族なのだし」
と半ば諦めムードで答えていた。セシルは『そう?でも何かしらの手は打っておくべきだと私は思うのだけれど…』と不満そうだった。
「そうね、いざという時はお願いしようかしら」
リリーはセシルの気持ちが嬉しかった。
しかし、2年の終わりに、隣国からプラム嬢が留学してきたところから二人の関係は大きく変わった。
プラムは隣国の子爵家の娘で主に宝石を取り扱う領地の出だと聞いている。可愛らしく魔力も強い彼女はひと目見てウィリアムを気に入ったようで、『ウィリアム様〜』と後を追い、いつも一緒に過ごすようになった。
リリーは婚約者として時折ウィリアムをたしなめたが、彼は聞くどころか
「嫉妬か?俺達の間には恋愛感情なんてないのに、そんな風に疑うなんて、心の狭いやつだ。ああ、いやだいやだ」
とリリーを遠ざけようとした。リリーは正直、心の中で『このまま二人が馬鹿なことをしでかしてくれたら婚約破棄できるかもしれないわ。ここにきて婚約者がいなくなるのはちょっとカッコ悪いけど、流石にもう我慢するのも限界だし…』と思うようになっていたので、徐々に距離を置くようになっていった。
それほど、思春期のリリーにとって日々のウィリアムの仕打ちは傷つくものだったし、その期間も長かった。
こうして迎えた最終学年の終わり。
卒業したらそれぞれが更に上の専門の学校等へと進む。リリーもこの先は自分の魔力を制御しつつ活用できるよう、魔法を専門に学ぶ研究機関へ進む予定だ。
ウィリアムとプラムのいちゃつきぶりもさすがに家族の耳に入るところとなった。卒業したら、お互いにまだ選択の余地が残せるよう早目に婚約の解消をしようという話し合いがなされ、アルフレッドは嘆きながらも自分の息子の至らなさに諦めるしかないと腹を括っていた。
もちろん王城での仕事と領地の往復の合間に、何度もグレンダには話していたし、最近では直接ウィリアムを叱責することも増えていた。これでも領地の危機も領民の苦労もわかろうとしないならば、家長として、領主として、二人との別れも覚悟してのことだった。
それなのに、いや、それだから、か。
最後の最後にウィリアムは公衆の面前でやらかしてしまった。
「大体、俺はお前と婚約なんて望んじゃいなかったんだ。なのに親の都合で勝手に婚約なんてさせられて、迷惑だ!」
リリーのこめかみに緊張が走る。これ以上怒ったら魔力が暴走しそうだ。自分を抑えて、微笑みを維持する。周りには見えていないのだけれど。
「そうですか、よくわかりました。皆様方も、お聞きになりましたよね?」
リリーは友人たちに確認する。もちろんみんなは頷く。彼らはずっとリリーを気の毒に思っていたのだ。まあ、リリーの家の資産やリリー自身の魔力の才能や学力、社交のうまさ、人から愛され尊敬されるオーラを考えれば気の毒というより、早く別れられるといいですね、という気持ちだったが。
「では、私達の関係はこれまでということで、ここにいらっしゃる皆さまを証人に婚約を解消いたします。では、プラム様、ウィリアム…いえ、カーク家御子息と末永くお幸せに」
リリーは淑女の微笑みから、満面の笑みへと表情を変えた。ハッキリと表情は見えなかったが雰囲気が変わったことには気付いたプラムはムッとして言い返した。
「な、何よ。そんなことあなたに言われなくても当然よ。あなたこそ婚約者に振られてこれから大変よ?傷物のあなたがどうやって結婚相手を見つけるか、見ててあげるから!」
周囲の学友からは失笑が漏れる。なんたって、リリーの『傷』とは婚約者がウィリアムであるということだけだったのだから。その婚約がウィリアムから破棄されたことは、リリーにとっては歓迎すべきことである。
それでも、みんなが楽しむために開催されている卒業パーティーをこんな茶番の場としたのが、その時はまだ『自分の婚約者だった』ウィリアムが始めたことにリリーは怒っていたし、自分を見下し、得意気なプラムに少しばかり意趣返ししたいとリリーは思った。
ちょっと意地悪な気持ちがあったことは否めないが、これまでのことを思い返すとそれくらいは許してほしいとも思った。そこで、いざという時のためにと友人から助言されて共に準備していたことを行動に移すことにした。
「まぁ、ご心配くださり、感謝に堪えません。でも私も長年の彼の仕打ちに、このままではきっといつか決別の時が来ると考えて準備をしていましたの。ですから大丈夫です!」
その言葉で、セシルがスッとリリーのそばに寄った。
「リリーは私の国へ留学することになっているの。リリーのように優秀な人に来てもらえるなんて光栄だわ。リリーの魔力を使って一緒に研究してほしいって申し出が殺到しているのよ」
それを聞いたプラムは一瞬眉を吊り上げたが、すぐに意地の悪い顔で言った。
「へぇ、研究しているうちに行き遅れにならなきゃ良いわね。ねぇ?ウィリアム様?」
「ああ、全くだ。そんなに知恵をつけて小賢しい女なんて、誰が相手にするっていうんだ」
セシルはキッと二人を睨んだが、すぐに気を取り直し、目を細めて笑顔を作って言った。
「ああ、そう言えば、うちの国では2年前に採掘できなくなった宝石の代わりに偽物を作って売りさばいた挙げ句、行方をくらました家があってね、その痕跡を追うための魔道具が開発されたのよ?リリーの魔力を込めれば起動できるの、って、あらヤダ、私ったらうっかり持って来てしまったわ〜」
その言葉にギクリとしたのはプラムで、さっとウィリアムの陰に隠れたが、セシルが『さあ、リリーちょっと魔力を込めてみて』と話すのを聞いて
「信じられないわ!お祝いのパーティーでそんな泥棒を見つける道具を使おうとするなんて。非常識でしょう?」
と抗議した。
しかし、セシルの『こんな騒動を始めたあなたがそれを言うなんて、面白いわねぇ』という言葉に、ウッと呻く。その間にリリーは魔道具に魔力を込めた。
その魔導具はコンパクト型で、開いた台座部分に調べたい物を置くと光を発して、関わりのある物や人物を指し示すというものだ。台座の中央に偽物の宝石を置くと、それは発光し、そこから一筋の光が真っ直ぐにプラムに向かって伸びた。
「っな、何よこれ!失礼な!」
「プラム?こ、これは、どういうことだ?」
ウィリアムとプラムが騒ぎ立てる。周囲は冷ややかに見つめている。そのうちにプラムが
「酷いわ!そんなに私のことが憎いのね?ウィリアムが私のことを愛してしまったから。そのために貴方が捨てられたから。なんて醜い心の持ち主なのかしら!本当に魔女そのものね!!」
などと金切り声でそんなことをまだ言うものだから、さすがのリリーも呆れよりも怒りが勝り、『パリン』という音と共にリリーのアイカバーが砕けた。
途端に周囲に溢れ出る魔力の圧に、人々は思わずかがみ込んだ。中には膝をついてしまった者もいるし、どこかで悲鳴も上がった。
その様子に、リリーはハッとして思わず後ずさり、ふらついた。
その時。
「リリー、落ち着いて。大丈夫、ほら、深呼吸だ」
後ろからリリーを優しく支え、手で目隠しをしてくれたのは、クリストファーだった。
「ク、クリストファー様?」
「ああ、僕は君よりも魔力が強いからね。平気だよ。それよりも、深呼吸して。吸って、吐いて…」
突然現れたクリストファーに驚きながらも、その声に合わせて深呼吸をしているうちにリリーは落ち着いてきた。
「ああ良かった。もう大丈夫だね。このまま僕と手を繋いでいればいいよ」
「え?手を?」
焦るリリーの手をキュッと握りながら、クリストファーはプラムに向かって宣言した。
「本当に往生際が悪いな、父親そっくりだ。先に捕らえた君の父親は既に罪を認めているし、君が偽物の宝石に魔力をかけて作った粗悪な宝飾品を売り切るためにこの国に来たことも証言した。衛兵、学園の責任者であるラティマー公爵より、その責務を一時任された私が命じる。プラム・ナイトレイを拘束しろ!」
数名の衛兵が彼女に駆け寄り、捕まえる。我に返ったプラムがジタバタするが時すでに遅し、床に押さえつけられながら大声で悪態をついていたが、猿轡をされ、ウーウー言うばかりになった。
「ウィリアム・カーク、君は彼女に騙されていたってわけだ」
「う、嘘だ…」
「そう思いたいのはわかるが、君が本格的に金策に困るようになったのは彼女が来てからだろう?」
思い当たることがあるのだろう、ウィリアムは床に座り込んでいたが、そのうち怒りを込めた目でプラムを見つめた。
「お前…最初から…」
プラムはプラムでウィリアムを睨みつけていたが、どのような心境の変化か、クッと顎を上げると目元がにやりと笑みの形を作った。
「この野郎!!」
掴みかかろうとしたウィリアムもまた衛兵に押さえつけられる。
「全く…どっちもどっちだな…」
呆れたように言うクリストファーだが、リリーの視線に気付くと、顔を赤らめた。
「ええと、間に合って良かったよ。落ち着いたみたいだし」
確かに、一連の出来事にリリーは自分の怒りを忘れていた。そのせいで、彼女の姿はすっかり見えるようになっていた。
スッキリとしたラインの紺色のドレスはタッサーの織り目が美しい。彼女の背まで流れる銀髪とのコントラストに周囲の令嬢たちは見惚れているし、令息たちはリリーのスタイルの完璧さに胸を撃ち抜かれている。彼女のやや上気した頬はピンク色に染まり、また紅い瞳はルビーのように輝いている。
周囲の男たちの視線に気付いたクリストファーはコホンと咳払いをすると、
「あー、これで君とウィリアム・カークの婚約は完全に解消だね。ということは僕は君に結婚を申し込んでもいいということだ」
と言った。驚いたのはリリーだ。
「え?何を…」
「驚くようなことかな?僕は4年前のパーティーで君に助けられてからずっと君のことが好きなんだ。いつ婚約が解消されるかと待ち望んでいたんだよ?セシルに頼んでずっと見張ってもらって、機会をうかがっていたんだ」
「…!」
「君に警戒されないように、セシルと僕が婚約者なのではという噂も放っておいた。婚約者がいると思えば僕に対して必要以上の距離をとることもないだろうと思ってだよ」
思い返せば、セシルとお出かけする時に、クリストファー様も一緒に来ることがあったけれど、二人は婚約者なのだからと思っていたので、普通に話していた。あれはそういうつもりだったのかと再び驚く。
「あのパーティーで君がその男から僕を守ってくれた時から、僕はずっと君が好きだった。どうか、僕との結婚を真剣に考えてほしい」
リリーだってクリストファーはいい人だと思っている。けれども、自分には婚約者もいたし、そんな気持ちで見てはいなかったので戸惑うのは当然だ。けれど、セシルがニッコリして、
「クリスったら、やっと告白できてよかったわね。しかもこの先ライバルが現れないようにここで大々的に言うなんて…本当に執着心が…いえ、愛が深いわぁ。ねえリリー、クリスはずっと貴方に恋していたのよ。それこそ私の言うことは何でも聞くからリリーの側で見守っていてほしい、できることなら自分の近況や良いところをさりげなくアピールしてほしいって言ってね」
言うものだから、リリーは顔が熱くなってしまった。クリストファーは『っセ、セシルっ…!』と慌てているが、セシルはどこ吹く風だ。
「今回のことだって、リリーに何かあっては大変だからって、本当は私じゃなくクリスが全部計画していたのよ。やらずに済むならそれでいいって。どうせ正式に解消されることは明らかなんだから、そうなったらすぐに自分が結婚を申込みに行くって。私はまだるっこしいからさっさとカークの当主に叔父様から命令してもらえばって言ったのに」
隣国の公爵令嬢であるセシルの叔父様はこの国の王様だ。それはそれで大変なことになりそうだった…。
「でも、私、婚約者に振られるような情けない人で…」
固唾をのんで成り行きを見守っていた周りの友人たちは、ブンブンと首を横に振る。誰もそんなことは思っていない。
「それに、さっきだって我慢できずに少し意地悪な気持ちでプラムさんに…」
またもや周りはブンブンと首を振る。あんなの生温い、もっとやっていいくらいだと思っている。なのでクリストファーの
「あんなこと、これまで君がされてきたことを考えたら、子どものデコピンくらいの仕返しだよ。僕ならあれくらいで許しはしない。そこで唸っている二人共、この後覚悟しておけ」
という言葉に、今度はみんながウンウンと首を縦に振っていた。
いつの間にかプラム同様猿轡をされているウィリアムは、クリストファーに驚くほど冷たい声で『君は友人に持ちかけた投資の件で罪を償うことになるよ』『カーク男爵は君と奥方について、大きな決断を下すだろう』と言われて真っ青になり、下半身から水音を響かせた。良識ある友人たちは気付かない振りをしたが、パーティーの再開時には掃除が必要だろう。
どんな顔をして良いのか戸惑うリリーに、最後と言わんばかりにクリストファーが優しく、けれどもキッパリと話す。
「急だし、動揺しているのは分かっているから返事は今じゃなくていい。君はまだこれから学ぶ段階にあるんだし、心も体もまだ大人とは言えないだろう。君が心から僕を選んでくれるまで待つよ。もう4年も待ったんだ、今更少し伸びたって平気さ。でも、もう君はフリーだ。他の者も名乗りを上げるかもしれない。だから、余りに待たされたら…焦って、我慢できなくて、僕は君を隣国まで攫いに行ってしまうかもしれない。その可能性があることはわかっていてほしい」
クリストファーはそう言ってリリーの前に跪き、その手を取ると指先に口付けた。リリーは、小さな声で
「は…はい。あの、両親とも相談してお返事いたします…」
と答えたが、クリストファーが『ああ、それならもう、リリーの気持ちに任せると言ってもらえたから大丈夫だよ』と笑顔で言ったので、リリーは真っ赤になってしまった。友人たちはキャーキャー、ウォーウォー、ヤンヤヤンヤで大盛り上がりだが、セシルは
「ホンっとクリスって、怖いわぁ…」
と顔を引きつらせていた。そして、
「でも、こんなにリリーが焦っても魔力が暴走しないのはクリスの魔力のおかげだし、きっと二人は上手くいくわね」
とホッとしてもいた。
長きに渡っての役目を終えることになりそうで、セシルはクリストファーにどんなお願い事をしようかウキウキし始めた。
さて、再開されたパーティーでリリーは『魔力が暴走してはいけないから』とずっとクリストファーに手を握られながら、友人たちにお祝いの言葉を贈られた。リリーは『え?え?まだ私、返事をしていないわよね?』と思ったが、隣でクリストファーは
「ありがとう。君は確か植物の研究でリリーと一緒に頑張っていたね。卒業後は土壌の研究をするとか。これからもリリーと仲良くしてほしい」
「ああ、君はウィリアムの嫌味からよくリリーをかばってくれていたよね。ありがとう、良ければうちに遊びに来てくれたまえ」
などと笑顔で友人たちと話している。
『あら?クリストファー様は3歳年上で、私とは一緒に学園には通っていなかったのに…上の学校で魔法と経済を学んでいて、この後は公爵家のお仕事をしながらお城で働くはずで…なのに、どうしてこんなに私の友人について詳しいのかしら?』
混乱しているリリーに、セシルが近付き、
「ごめんねリリー。こんなことになってしまって。外堀を埋めるのが早すぎよ…でもウィリアムと結婚するよりずっと幸せになることは確かだわ。言ったでしょ?クリスはずっとリリーが好きだったの。重すぎる愛だけど、頑張って受け止めてあげてね」
と微妙な笑顔を浮かべて飲み物を手渡してくれた。
リリーは、やれやれという顔のセシルを見送り、隣のクリストファーを見上げた。4年前とは変わって逞しく成長した、彼の優しい、けれど熱のこもった瞳がリリーを見つめている。
何と言って良いのかわからず見つめ合っていると、やっとリリーの両親とウィリアムの父親がやってきた。先に既に連行されたウィリアムには会って話をつけてきたようだ。
人払いされた小部屋で、アルフレッドはカーク家当主としてショーカー家の3人に謝罪し、ウィリアムは労働で罪を償わせること、グレンダとは離婚することを伝えた。グレンダはおそらく実家から幽閉施設のある修道院へ送られるだろうということだ。
「そうですか…ウィリアムは耐えられるかしら…」
リリーの言葉に、アルフレッドは涙を浮かべてお礼を言った。このような状況でも息子を心配してくれる彼女に感謝しつつ、『自分の罪は自分で償わなければならない。改心してくれれば家に呼び戻すこともあるかもしれないが、そうでなければ、家は弟の家の子どもに任せるつもりだ』と語った。
「大体、原因は私にもあるんだ…いや、私のせいだな。妻にいろいろと任せっぱなしにしていた私の責任だ。頑張っているつもりだったが、足元が見えていなかった。私自身、これからのことを考えなくてはならないと考えているよ」
彼の言葉を、カーショーの3人は黙って受け止めた。
「ところで、お父様、お母様、その…クリストファー様のことですけれど…」
アルフレッドが退席した後、当然のように部屋に一緒にいてリリーの手を握っている彼をちらりと見た彼女の問いに
「ああ、だいぶ前から打診があってね、でも婚約中にはそんな話はできないから、だいぶ待ってもらうことになってしまったよ」
「本当、もう4年ですもの、ごめんなさいね?」
「そんな、いいんです。あの茶会の日にすぐに申し込むべきだったのに、遅れをとった自分が悪いのです。これからは何事も迅速にを心がけます。お義父さん、お義母さん、どうぞよろしくお願いいたします」
という会話が繰り広げられた。
リリーは呆気に取られたが、不思議とウィリアムの時のような嫌悪感は無かった。セシルのこれまでの作戦、そして誰がどう見てもわかるくらい、リリーへの熱い思いを隠しきれない、いや、隠す気もないクリストファーの態度のせいだろう。
嬉しそうなクリストファーの笑顔、自分に向けられる瞳の輝き。
リリーは、また自分の頬が熱くなるのを感じ、自分がクリストファーを好きになるのはそう遠くないと予感した。そしてそれは見事というか当然、当たるのだが、それはまた別のお話である。
おしまい
お読みくださり、どうもありがとうございました。