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前世が勇者だった犬とその飼い主の幼い少女

作者: テル

「わん! わん!」


 ここは一体どこだ?

 暗くてよく見えないが所々何かにぶつかる。

 誰かに閉じ込められているのだろうか。

 

 そもそも私はなぜこんなところにいるのだろうか。

 

 私はそう思い、ほんの少し前にあったことを思い出す。


 ……そうだ、私は最後に病気で死んだのだ。

 魔王を倒した元勇者の私だったが流石に病魔には勝てなかった。

 元勇者ゆえに大勢に看取られて亡くなった。

 恥ずかしいが同時に嬉しくもあった。 


 しかし死んだはずなのだがなぜ意識があるのか。

 ここはもしかして伝説にあった死後の世界というものなのだろうか。


 聞いたことがある、星にかつていた妖精や巨人たちは死後の世界を作り、姿を消した、と。

 

 ともかくまずはここから出してもらわなければ話にならない。


「わん! わんわん!」


 おーい、ここから出してくれ!


 私はそう叫んだ。

 しかしなぜか声が出ない。

 わん、わんとしか叫ぶことができない。


 これではまるで魔物ではないか。


「これ、何? お母さん」

「誕生日プレゼントよ、しーちゃんへのね」


 人間の声が聞こえた、その時に真っ暗だった空間が急に光に覆われた。

 眩しい、そう思って動きを止める。


「うわあ、わんちゃん! 可愛い!」


 再び人間の声がした。

 そして覆われた檻の外には逸話通りの大きな巨人がいた。


 巨人は私を檻から出したと思ったら私を持ち上げる


「わん! わん!(やめろ、離せ!)」

「やった! 今日からあなたの名前はめぐ、よろしくね、めぐ」

「わんわん!(やめてくれえええええ!)」


 私は巨人にいいように弄ばれ、身体中をなんの抵抗も出来ずにいじられた。


 ***

 

「見てみて、めぐ、雪降ってるよ」

「わん」


 飼い主こと新田 椎名(にった しいな)が話しかけてきたので私はただ一声返事をする。


 私がこの世界に来て数年が経った。

 この世界に来て一つ気づいたのが、ここは逸話の世界でもなんでもないということ。

 たしかに人々の姿は大きいが巨人ではないし妖精もいない。


 全く別の世界に別の生き物として転生したらしい。

 正直、前世とは大きくかけ離れた生活を送っているが悪くない。


 今は椎名の太ももの上でだらけている。


 私が思うにここはすごく平和な世界らしい。

 魔王もいなければ、国同士の戦争とも無縁で、飼い主の椎名はいつもニコニコしている。


 前世は役目があったり勇者としての重責だったり、背負うものが多かった。

 だから何の目的もなく生きるのも案外悪くない。


 暇だなと感じることもあるがそれもまたいい。


「めぐ、一緒にお散歩行く?」

「わん!」

「しーちゃん、ついでに買い物を頼んでもいい?」

「いいよ、任せて任せて!」

「ごめんねえ、しーちゃん。ばあば、腰をやってしまって……買うものはそんなに多くないから」


 椎名は「大丈夫!」とニコッと笑って祖母からお金を受け取った。

 そうして雪が降り始めた寒い街を椎名と歩いていく。


「寒いね、めぐは寒くないの?」

「わん!」


 外に出て気分が上がっていた私は勢いよく返事した。


 数年間この世界で暮らしてきたのでこの世界の言語はなんとなくわかる。

 それに椎名がどういう人間なのかも理解している。


 椎名は元気な八歳の少女でおてんば娘だ。

 好奇心旺盛でそれゆえよく私は椎名に振り回されている。

 

 あと割とドジっ子である。

 

 後ろから鈍い音がしたと思って振り返れば、椎名が転んでいた。

 どうやら滑ってしまったらしい。


「わん、わんわん!」

「うっ……だ、大丈夫だよ、めぐ。なんとも……ないんだから」


 私が心配したのも束の間、椎名は立ち上がった。

 目は潤んでいるが口では笑顔を作っている。

 幼いながら強い少女だ。


 とはいえ膝からは血が出てしまっている。

 平気を装ってもいいが、治療は優先すべきだろう。


 私はこれまできた方向の道へと踵を返して一声叫んだ。


「めぐ、散歩はもういいの?」

「わん!」

「そっか、ありがとう」


 そんな少女の右目からは涙が一粒溢れていた。

 やはり帰る選択は正しかったようだ。


 家に帰るとすぐに私は一番に祖母のもとに駆け寄った。

 そして椎名の怪我を知らせようとする。

 祖母が私の誘導で玄関に行くとすぐに、椎名を見て表情を変えた。


「あらあら、大変、すぐに救急箱持ってくるわね。しーちゃん、ここに座ってて」

「ごめん、ばあば、買い物……」

「いいのよ、そんなことは」


 いつも元気な椎名が珍しく落ち込んでいる。

 痛みもあると思うが買い物が行けなかったという悔しさが大きいのだろうか。


 私は椎名の座っている椅子の横の床に座った。

 怪我自体は心配していないが椎名のことは心配だ。

 

「私、ばあばに迷惑いっぱい……」

「いいの、大丈夫。今日は泊まってっていいから、明日になったら帰ってお母さんと仲直り。ね?」

「......うん、わかった」


 椎名は祖母の怪我の治療を大人しく受けた。

 

 この世界には魔法というものが存在しないのでヒールもできずに不便だ。

 しかし前世の世界にはなかった目新しい道具がたくさん存在する。


「はい、これで終わり」

「......うぐっ、うっ、うう」


 椎名は治療を受けた後、とうとう泣き出した。

 私は治療が終わった椎名の膝に飛び乗った。

 そして椎名の元に体を預けた。


 体にポタポタと椎名の涙が落ちて少し濡れる。

 けれども椎名の慰めになるのならそれでよかった。

 元気な椎名の姿が見たい。


「うぐっ……私、何にも出来てない……お母さんにもいっぱい悪いことした……」

「よしよし、お母さんもごめんなさいしたら許してくれるから大丈夫」

「うう、うわああああん」


 そうだ、今世は椎名のことを守る人生にしよう。

 前世は全ての責務を果たせなかった。


 勇者としての責務は果たしても、仲間を守る責務は果たせなかった。

 前世では私の判断ミス一つで、大切な仲間を一人失った。


 だから責務を一つに絞って、椎名の笑顔を守ることに注ぐ。

 

 私はそう心に決めた。


 ***


『というわけでゲストの……をお呼びしました。こちらになります』


 どれくらい経っただろうか、私は少々眠ってしまっていたらしい。

 テレビの音がだんだんと鮮明に聞こえてくる。

 そして私は目を覚ました。


「あ、めぐ、起きた?」


 椎名に頭を撫でながら私は一声返事をする。

 気づけば私はソファにいて、テレビを見ている椎名の横にいた。


『ええ、そうですね。私も小さい頃は家出をしたものです。祖父の家に三時間くらいかけて……』


 テレビでは芸能人と呼ばれる人たちが話していた。

 前世にはなかった娯楽だ。


 テレビ自体には興味はないが椎名が見ているときは私も一緒に見ている。


「なんか今の私みたいだね。三時間かけて電車乗って……家出して」

 

 椎名は家出したことを後悔しているらしい。

 どういう経緯で家出したかはわからないが私も連れられている。


 私がいるが実質一人でこの歳で家出をするとはなかなかしっかりしていると思う。


「わん!」

「めぐ、もしかして慰めてくれてるの?」

「わんわん!」

「めぐは優しいね。よしよし」


 私はそうして椎名に撫でられる。

 椎名に撫でられるのは非常に心地よい。


 私の前世は勇者だが、今は勇者でもなければ人間でもない。

 故に女児に撫でられるのもまた責務。


 そんなことを思いながら椎名の手の心地よさに甘える。


「しーちゃん、ココア飲む?」

「飲む!」


 椎名は机の上に出されたココアを手に取って、口に運んだ。

 美味しそうに椎名はそれを飲んでいる。


 少し元気が出たのか、椎名の表情は先ほどまでと比べて明るい。

 散歩も十分ではなかったし、後で椎名に遊んでもらおう。


 そんなことを思いつつ、椎名とゆったりしていた時だった。


 テレビから突然、嫌な音が鳴り始めた。

 何かテレビの様子がおかしい。

 

 にしても早く鳴りやんでほしい。

 ふと、椎名のところを見れば慌てた表情で祖母と話していた。


「ば、ばあば?」

「早くめぐとその机の下に隠れなさい、早く!」


 椎名の祖母がそう強く言った時、突然地面がガタガタと揺れ出した。

 そしてその揺れは段々と強くなっていく。


 一体これは何事なのだ。

 この世界には魔王はいないし、平和なはずだ。

 前世でもこんな揺れは経験したことがない。


 椎名を守らなければ!


 そう思うも椎名に抱えられて机の下でじっとするくらいしか出来なかった。

 

 しばらく時間が経って揺れが収まった。


「めぐ……大丈夫?」

「わん!」


 机の周りは家具が散乱していて危なかった。

 私と椎名は机の下の少し空いた隙間から出た。


 立ち上がれば、テレビも絵画も置物も壊れて床に散乱していて家は荒れに荒れていた。


 私は椎名の祖母はどこだろうと辺りを見る。


 すると祖母は倒れたタンスに挟まれて動けなくなっていた。

 

「しーちゃん、めぐと一緒に早く逃げて! 私のことはいいから」

「で、でも......」

「いい? よく聞いて。ばあばが行ってって言ったらめぐと一緒にあの公園に逃げて。ばあばと一緒によく遊んだ公園覚えてる?」

「う、うん、覚えてる」

「しーちゃん、あなたは絶対生きて。お母さんとも仲直りして幸せになりなさい」

「ばあばは......?」

「……ここから抜け出せても多分ばあばは足が骨折してるから逃げれないの」


 椎名の祖母はそう言った後、私の方を見た。

 その目は前世で亡くした仲間の目と同じだった。


「めぐ……しーちゃんと一緒に生きて。しーちゃんが困っていたら助けてあげて」


 これから何が起こるというのか。

 とりあえず逃げなければいけないことはわかる。


 しかしもう何も失いたくない。


 椎名の祖母はそれほど思い入れがある訳ではない。

 けれど行くたびに私に優しくしてくれた。

 何より椎名にとって大切な存在なのだ。


「じゃあしーちゃん、めぐ、行って!」

「わん!」


 椎名は外へ出ようと動き出した。

 しかし私は椎名の祖母の元へ行き、服を噛んで引っ張った。


「めぐ! 何してるの、逃げるよ!」

「わんわん!」


 生きている人が目の前にいて逃げれる訳がなかった。

 けれど祖母は叫んだ。


「めぐは......めぐはしーちゃんを守って! ばあばはもういいの!」


 必死の叫びを聞いて、私は服を噛むのをやめた。


 その目は前世で嫌なほど頭にこびりついた、死を覚悟した人の目だった。

 

 どうして、どうして……!

 

 そして私は椎名と共に家から出た。

 置いていく以外の選択肢は本当になかったのだろうか。

 そんな思いが頭に蔓延る中、椎名を守ってという祖母の言葉が頭に浮かんだ。

 

 私は椎名を守ることを優先する他なかった。


 気づかなかったが家の外ではサイレンがスピーカーから鳴り響いていた。


「めぐ、こっち走るよ」

「わん!」


 私は椎名と共に必死に走る。

 無我夢中でただ椎名の祖母に言われた公園を目指した。


 無論、道は荒れていて、倒壊していた家もあった。

 そして「助けてくれ!」という瓦礫に挟まれた人々の声が何度も聞こえた。


 しかし椎名を守るという使命がある以上、私は椎名と走り続けた。


「はあはあはあ......」


 公園には数分程度で着いた。

 しかし坂道もあった上に全力疾走だったので疲労が凄まじい。


「めぐ、大丈夫?」

「わん!」


 私は勢いよく返事する。


 公園にはすでに何人もの人が中央の方にいた。


 息を整えた私はふと、街の方を見た。

 ここの公園は標高が高いので街の眺めが良いのだ。


 しかし私はその選択をすぐに後悔した。


 海が、海が街を喰っていた。


 倒壊した街を洗い流すかのように黒い波は押し寄せている。

 前世の世界にも海はあった。

 海を渡って旅をしたこともあった。


 しかしこれはなんだ、なんだこのおぞましい光景は。

 悪夢のような現実で信じられなかった。


 ということは祖母も、助けを乞いた人々はもうすでに......。


「うっ、うぐっ、ばあば......ばあばあああああ」


 椎名はまた泣き出した。

 ボタボタと涙が次々落ちてくる。


 今の私は何て無力なのだろう。

 何も救えずに、何もできずにただ生きている。

 私はたしかにもう勇者ではない。


 けれどなぜ私は椎名に寄り添うことしかできないのだろうか。


 私は自分の非力さを嘆く以外にできることがなかった。


 ***


「めぐはあったかいね」


 その日の夜、私は椎名に抱き抱えられながらお互いに体を温める。


 私たちはあの後、すぐ近くにあった小学校に移動した。

 そこが『避難所』になっていたからだ。


 避難所での生活は思った以上に大変だった。

 何も避難用品を持ってきていなかったので生活に必要なものが足りなかった。


 それ以前に私と椎名だけで避難所生活を送るのは困難だ。

 なので面識のある祖母の親戚に匿ってもらった。


 親戚に「おばあちゃんはどうしたの?」と椎名は聞かれていた。

 椎名は祖母を置いて逃げたことを正直に言うと「そっか」と淡白な返事だけをした。

 

「星、見えるかな?」

「わん!」

「ちょっと見にいこ、めぐ」


 私は椎名とともに体育館の中から外に出た。

 体育館の外に出ると皮肉なことに、綺麗な星が空を埋め尽くしていた。

 

「うぐっ、うう……お母さん、お父さん……ごめんなさい、家出してごめんなさい……」


 椎名は突然、そんなことを言いながら涙を流し出した。

 上を見上げて堪えていたものが爆発したらしい。


 この経験は八歳の少女には荷が重すぎる。


「うぐっ……私がばあばの家行かなかったらばあば……生きてたのかな」


 私はそんな椎名の足に顔を擦った。

 言葉をかけれる訳でもないのでこれくらいしかできない。


「お母さん……お父さん……」


 椎名の母と父の安否もわからない。

 

 隣の人のラジオで言っていたのを聞いたが、多くの地域でこの災害は起こっているらしい。

 なら二人もこの災害を受けているはずだ。


「椎名ちゃん、そこにいたら風邪ひくよ?」


 椎名がしばらく泣いていた時、親戚の人が声をかけてくる。

 自分の裾で涙を拭った後、椎名は親戚の方を向いた。


「大丈夫、ちょっと星見てただけ」

「そう、じゃあ中入ってそろそろ寝よう」

「うん! わかった」


 椎名は強い少女だ。

 周りに心配をかけないように笑顔を振り撒いている。


 けれどまだ八歳の少女なのだ。

 私は彼女のために何をすればいい、こんな私に何ができる。


 それから椎名が「お母さんとお父さんに会いに行こう」と言うまで数日も掛からなかった。


『椎名ちゃん、かわいそうね……あんな経験……』

『両親も、今頃……あの地域、映像見たけど避難間に合ってるかどうか…… 』

『安否がわからない以上、なんともいえないんだけれどね』


 私と椎名は親戚のそんな会話を聞いてしまった。

 そしてその日の夜だった。


 椎名は何者かに襲われた。

 物の窃盗が目的か、椎名が目的かはわからない。

 

 ただ、親戚が外に出たタイミングで入ってきたあたり、故意犯ではある。

 

 私は椎名と一緒にいたのでその人物に向かって反撃した。

 正直、自分より大きいといっても元勇者、人間一人くらいは慣れない体でも余裕だった。

 

 戦って相手にいくつか傷をつけた頃、騒ぎを聞きつけた周りの人がやってきた。

 おかげで椎名には何の被害もなかった。


「お父さん、お母さん会いたいよ……」


 辛い思いをして、怖い思いをして、それなのにも関わらず両親に頼れない。

 そうして行動力のある椎名は私に提案した。

 

「……めぐ、お父さんとお母さんに会いに行かない?」

「わん、わんわん!」

「やっぱり、めぐは嫌……?」


 椎名は言葉は喋れなくても私の感情を読み当てた。

 

 両親に会いたいという感情は当然の感情である。

 生きているかどうか確認したいというのもあるのだろう。

 しかしあまりにも遠い上にあまりにも危険だ。


 一日歩いて着くという訳でもない。

 おそらく何日もかけて歩かなければならないだろう。

 それなら状況が良くなるまで待って、両親と連絡を取るほうがいい。


 もうすぐ避難所に支援が来るだろう、そんな話も親戚はしていた。


「……ううん、行こう、めぐ。行って、確かめなきゃ。お母さん、死んでないもん。生きてるもん。絶対……仲直りするもん」

 

 そんな椎名からは固い決意が感じられた。

 子供ゆえに視野が狭いところがあるのかもしれない。

 けれど過酷な旅になることくらいはわかっているはずだ。

 

 椎名の祖母から私は椎名を守れと言われた。

 それは私の責務で、前世で果たせなかった責務でもある。

 故に私の選択は決まっている。


「わん!」

「ありがとう、めぐ」


 私は椎名についていくことを決めた。


 ***


「勇者様、勇者様、見てください、綺麗な鳥が飛んでいます!」


 私の前世は勇者だった。

 辺境の村で生まれて、剣士の使命を全うしているといつの間にか勇者になっていた。

 剣術は好きで努力していたのでその能力を国王に認められた。


 村を守るという使命が、世界を守るという使命に変わって魔王を倒すために私は動いていた。

 この時、私はまだ二十歳にもなっていない。


 そして私が仲間集めをしている時だった。

 

 かなりドジっ子な魔法使いに会った。

 名をセフィリアと言った。


「確かにきれいだけど、その鳥、近づきすぎるとと強い風魔法を放つから......」

「っ......いっててて」

「......言わんこっちゃない」


 セフィリアとは冒険者ギルドで会った。

 好奇心旺盛な私より一個下の少女だった。

 

 魔法の腕は確かなのだがそれ以外の知識は乏しく、ドジを踏むことが多い。

 けれどその信念は確かなものだった。


 私から誘った訳ではなく、セフィリアから勇者パーティーになりたいと来た。

 センス的には申し分ないものの、まだ未来ある魔法使い。

 危険な旅に同行させるには惜しいと感じた。


 故に最初は断ったのだがどうしてもというセフィリアの願いを私は汲んだ。


 私とセフィリアはパーティー内で一番歳が近かったこともあり、仲が良かった。


「レオ、魔王倒したらどうするの?」

「魔王を倒して得た賞金で生まれ育った村に恩返しする」

「いいね、そのあとは?」

「寿命が来るまでゆったりと生きる」

「じゃあさ、この旅が終わったら二人で住まない?」

「セフィリアと? どうして?」

「うーんと、両親いないから家ないし一人だと寂しいから......ってなんか恥ずかしいな」


 二人きりでいる時、セフィリアとよくそんな会話をした。

 セフィリアは大変な毎日でもよく笑った。

 私はそんなセフィリアの笑う顔が好きだった。


 多分、私はセフィリアに恋をしていたのだろう。

 ただ、大変な毎日のせいで自身の感情に気づくのが遅れた。


 結果、私はセフィリアを失った。


 私の判断ミスだった。

 

 魔物討伐の最中、私は誤って魔王幹部の領地に入ってしまった。

 そこまではまだ良かった。

 しかし私は引き返さずにこのまま討伐する判断で動いた。


 それが命取りだった。

 魔王の幹部は予想を遥かに超える圧倒的な強さだった。


 魔法も強力で、隙がなく、守りも硬い。

 私たちがまだ挑んでいい段階ではなかった。


「皆さん、私を置いて逃げてください。私一人で食い止めてみます」

「セフィリア......」

「私一人でも皆さんの逃げるくらいの時間は稼げます......皆さんとの旅はとても楽しかったです。少し早いですけど、私決めました」


 セフィリアはそう言って一歩前に出た。

 彼女の震えながらも魔王幹部に向かって歩き出す姿は今でも鮮明に覚えている。


 そしてセフィリアは最後、私に耳元で呟いた。


「レオ、元気でね」


 今でもたまに思い出す。

 あの言葉、あの声色、あの表情を、あの死を覚悟したまっすぐな瞳を。


 私はひどく悔やんだ。

 大事な仲間を守れなかった。


 それから私は全てを背負って、毎日を命懸けで過ごした。

 約七年にも及ぶ旅の末に、魔王は最終的に討伐された。

 セフィリア以外犠牲者は誰一人として出なかった。


 しかし後悔が残るばかりだった。


 セフィリアが生きていたら、そんな妄想を何度もした。

 やがて現実を受け入れ始めた頃には、私はもう生きれる体ではなかった。


 そのまま私は勇者として生きた人生に幕を閉じた。


 ***


「めぐ、居眠りしてないで行くよ」


 昼頃、昼寝をしていると椎名から起こされる。

 そうだ、寝ている場合ではない。

 少しでも歩く距離を伸ばさなければならないのだ。

 

 今日の早朝、私は椎名と一緒に避難所を出て、父と母がいるであろう地域に向かってただ歩いていた。

 時刻は午後十三時、めぐは朝の五時ごろに出発したのでだいぶ時間が経っている。


 めぐは『携帯』は持っておらず、キッズ携帯のみ持っている。

 あの災害の影響か、連絡はなぜか取れないらしいが、時間確認などないよりはあったほうがマシだ。


「わん!」

「あと、どれくらいだろうね」

「わんわん!」

「めぐに聞いてもわかんないか」


 椎名の顔からは疲れが見て取れる。

 それでも私と椎名は二人で線路の上を歩いていく。


「……そっちじゃないよ。めぐ、こっち」


 災害後はやはり荒れていて、線路の上も木が倒れていた。

 被害の大きさと広さがわかる。


 私たちが地図もない中、歩けているのはある程度線路に沿って歩いているからだ。

 分かれ道もあるがそれは記憶と勘を頼りに歩いている。

 間違っているなら引き返す、それを繰り返した。


 そんなことが通用するのは最初だけだろう。

 後の方になってくるとわからなくなる。

 

 しかしそれでも進むしかない。

 もしわからなくなったら両親の家がある南に向かってずっと歩いてもいい。

 そうすればひとまず椎名の見知った地域には着くことができる。

 

「……めぐ、ちょっと休憩」


 しばらく歩いていると椎名の休憩のスピードが早くなってきた。

 少し限界が近づいてきたのだろうか。


 そんな自分を誤魔化すためか、一人であることがやはり怖くて寂しいのか。

 椎名はかなりの頻度で私に話しかけていた。


 そしてやがて日が落ち始める。

 歩いて十数時間、椎名もそのことに気づいたのか一度足を止める。


「めぐ、今日はもうやめよっか」

「わん!」


 そうして二人はトンネルの中に入ることにした。

 トンネルの真ん中まで歩いて、そこに二人は座る。


 その日の二人の夕食は質素なものだった。

 チョコクッキーとビスケット、たったそれだけだった。


 やがて一日目が終了した。

 夜中、歩いている最中一度も泣かなかった椎名は「お母さん、お父さん……」と寝言を言って泣いていた。

 私はそんな椎名の懐に行った。

 

 椎名を守るためにしばらく睡魔に抗っていた。

 しかし冷えた夜の中、唯一暖かい椎名の懐の心地よさには勝てなかった。

 私はやがて睡魔に負けた。


 ***


「見て! めぐ、住宅街!」


 二日目の午前中、椎名は荒れ果てた街に向かって指を指す。

 

 間近で街を見るのは久しぶりだった。

 なぜならずっと森の中だったり、橋の上だったりしたからだ。

 

 線路は住宅街の中をずっと続いていた。

 壊れた建物の瓦礫が線路の上にあるのである程度迂回しなければならないらしい。


「ここはどこだろうね……これなんて漢字だろう。読めないや」

 

 地名らしき文字が書かれたボロボロの看板が落ちていたが、椎名も読めなかった。

 もし読めても、目的地までどれくらいあるかはわからないだろう。

 

「でも私、ここ来たことあるかも……お母さんと一緒に来たっけ」


 看板を見ながら椎名はそう呟く。


 そんな椎名は悲しげな表情をしながらも目は真っ直ぐとした目だった。

 椎名は自分の手をぎゅっと握って、再び歩き出す。


「っ……」


 住宅街の中を歩き始めてしばらく経った時だった。

 地面が一瞬だけぐらっと揺れた。


 椎名はすぐさまその場にしゃがみ込む。


 それと同時に大きな音がした。

 先の災害ではないだろうかと思ったが、揺れは数秒も続かなかった。

 おそらく何か建物が崩壊したのだろう。


 私が周囲の状況を確認しているとあるものが目に入る。

 それから目を背けて私は椎名の方を見た。


 椎名はその場にしゃがみ込んで動いていなかった。


「……わん!」

「め、めぐ、ごめんね。なんでもないから。行こっか」


 私は椎名の元に駆け寄る。

 あるものを見てしまった私はそれがある反対方向に椎名の視線を誘導した。


 ただ、そんな工作も無駄だった。


「きゃあ!」


 椎名はまたすぐにしゃがみ込んで、顔を伏せる。


 あるものとは人の死体だった。

 まだ幼い椎名でもそれを理解できる年齢ゆえに、精神的ダメージが大きかったと思う。


 椎名はその場でただすすり泣く。

 大声を出して泣くわけではなく、鼻水を啜りながら静かにえずく。


「……お母さんに絶対会うんだ」


 しばらく経って椎名は立ち上がった。

 

 正直、立ち上がると思っていなかった。

 そんな姿にどこか既視感を覚えてしまう自分がいた。


 ***


「勇者様……見ていてください。絶対、絶対に倒しますから……!」


 私がセフィリアをパーティーに入れたのは間違いなくあの一件だろう。


 私はセフィリアと同じパーティーになって、ギルドで任務を受けていた。

 しかしそんな中、任務レベルと逸脱する格段に強い魔物が出現してしまった。

 結果、私とセフィリア以外戦闘不能、逃げ道なし、全滅の危機に陥ったことがあった。


 私も死を覚悟していたわけだが、セフィリアだけはどんな状況でも諦めていなかった。

 瀕死の仲間、圧倒的強さ、死の恐怖、どんな壁の前でも彼女は立ち上がった。

 泣きながらでも諦めることを彼女は知らなかった。

 

「はあ、はあ、すぐに……ここを出て街に戻りましょう。ある程度ヒールはしましたが気は抜けません」

「わかった」


 結果的に魔物は倒せた。

 正直、セフィリアは全く役に立っていなかった。

 魔物に魔法耐性があり、魔法使いでは流石に分が悪かったからだ。


 しかしセフィリアは間違いなく私に立ち向かう勇気をくれた。


「言ったでしょう? 勇者様。魔法使いだけど根性あるって。どうです? パーティーに入れてくれる気になりました?」

「……はは、考えとくよ」


 彼女の諦めないところが私は好きだった。

 椎名もまた諦めないというのか。


 私は椎名にセフィリアと似たものを感じてしまった。


 ***


「げほっげほっ……」


 旅をして三日目の朝だった。

 椎名が熱を出した。


 ひどい高熱で、椎名の体は尋常じゃないほど熱かった。

 呼吸も早くなっていて、言葉もうまく話せないらしかった。


「め……ぐ、ごめんね……もうちょっとしたら……起きるから……」

「わんわんわん!」


 私はそのまま安静にしていろという意味を込めて、椎名に寄った。

 しかし椎名は無理をして立ち上がった。


 体が震えているではないか。

 それに顔色も悪い。


「……行こう、めぐ。行かなきゃ」

 

 椎名はふらふらとしながら歩き出す。

 けれど歩いてすぐに、座り込み、そのまま横に倒れた。


「あれ、足が……なんで……」


 椎名はポロリと涙を流す。

 しかしそれだけだった。


 悔しさに泣く気力さえ、椎名には残っていないようだった。


 足も消耗していて、体も熱で、動けるわけがない。

 

 風邪を引いたのはおそらく寒い中、満足に防寒できなかったことだろう。

 リュックに入った小さい毛布一枚とジャケットのみ。

 かいた汗を拭くタオルもなく、ポケットにある小さいハンカチのみ。

 

 私はひとまず水分を取らせようと、リュックから水を取り出すことにした。

 うまいこと椎名のリュックのチャックを歯で開けて、水を取り出す。


「めぐ……水持ってきてくれたの?」

「わん!」

「ありがと、でももう水ないんだよ」


 私はその言葉を聞いてかなり焦り始める。

 今がどこかわからないが水がないのはかなり危機的状況である。


 それに加えて椎名の現状を解決できる方法もない。


 どうすればいい、一体どうすればいい。


 おそらくこのままだと椎名は弱って、最悪の事態にまで発展する。

 

 絶対に嫌だ、椎名をなくすことだけは絶対に!

 もう誰も失いたくない。

 何もできずにただただ人が目の前で消えていくのはもう散々だ!


「め、めぐ……待って、め……ぐ……」


 私は椎名の元を離れて、走れるところをただ走った。

 ここは住宅地だ、なら人がいてもおかしくはない。

 

 災害後で荒れた街とはいえ、復興する人はいるだろう。


 私の勘は当たっていて、一人の男が壊れた家の前で立っていた。

 男は嫌な思い出が記憶に新しいが今は頼るしかない。

 

 私はその男に向かってたくさん吠えた。

 

「犬……野良犬か? 生きてたんだな」

「わんわんわんわんわん! わんわん!」

「おうおう、元気なことだな。こっち来な」


 男は腕を差し出した。

 しかしそんなことのために来たのではない。

 私は吠えながら男の周りをくるくると回って、男の注意を誘った。


 そして私が来た道へと走る。


「どうした? そっちに何かあるのか」

「わんわん!」

「……怪我した他の犬ととかもな。行くか」


 私は男の注意を引くことに成功して、男は私の後をついてきた。

 そうして私は椎名の元まで男を連れて行った。


「これは……お、おい、大丈夫か?」

「う……あ……」

「……ひどい熱だ。今すぐ安静にさせないと」


 男は椎名の額に手を当てる。

 すると慌てた様子で手に持っていたバッグからタオルを取り出した。


「体を冷やしたらだめだ。水、あるか?」


 椎名が首を振ると男は、バッグから水筒も取り出す。

 そして椎名の体をゆっくりと起こして、それを飲ました。


「俺の背中に乗れ。避難所まで連れていくから」


 椎名は男の背中に乗った。

 そして男は歩き出した。

 

 私も男に合わせて、壊れた街の中を歩いた。

 大きく見えた椎名の背中もこの時ばかりは小さな体に思えた。


 ***


「ほら、おいで、わんちゃん」


 私は比較的若い女性にそう誘われるも、動かない。

 

 椎名は大人たちに連れて行かれて、私はこの女性に面倒を見られている。

 ただ遊ぶ気も起きないので、外の芝生で丸まって寝転がっていた。


 避難所は私たちがいた場所より多くの人が集まっていた。

 その人たちはなぜか人々は笑顔だった。

 

 もしかしたら私たちが旅をしている間に、人々は立ち直ったのかもしれない。

 ご飯も多くの人々の手元にあって、美味しそうに頬張っている。


 私はそこで思ってしまった。

 これ以上、旅を続ける意味はあるのだろうか。


 前の避難所を出る判断は否定しない。

 椎名も襲われかけて、気持ちの整理がついてない中、周りの人の目も辛かったと思う。

 しかしここは多分大丈夫と言える。


 ここは笑顔で活気に満ちている。

 だからここで過ごして両親に会えるようになるまで待てばいい。


 椎名もきっとそう判断してくれるだろう。


「本当、大人しい犬だね……うーん、そうだ、何か食べる?」

「わん!」

「お、食いついた。じゃあここで待っててね……ドッグフードとかあったっけな」


 女性はそうしてご飯を取りに行った。


 とりあえず、今日はゆっくり休まさせてもらおう。

 私も少し、疲れた。


 ***

 

「よしよし、これで君も綺麗になったね」


 昼食後、私は先ほどから側につけられている女性に体を拭かれる。

 予想以上に私の体は汚かったらしく、すっきりとできた。


「あ、そうだ、あの子に会いに行きたい?」

「わんわん!」

「さっきまでお風呂嫌そうだったのに、急に嬉しそうな顔をするね……言葉わかってるのかな」


 この女性の言う通り、私は言葉がわかる。

 そしてお風呂が嫌だったのではなく、見知らぬ女性に体を洗われるのが嫌だっただけだ。


 とはいえ椎名に会えるとなればそんなものはどうでも良い。


「じゃあこっち行こっか」


 思っていたことだが、この施設はしっかりとしている。

 他の避難所も多くがこんな感じなのだろうか。

 それともこの施設が良いだけなのだろうか。


 大きなホールに、多くの部屋、さらには二階建てときた。

 ピアノもあってたまに綺麗な音色が聞こえる。

 

 そんなことを考えながら施設を歩いていく。

 するとある部屋の前で女性は止まった。


「ここで横になってる。会っても飛び付かないでねー」


 女性は部屋のドアを開ける。

 そしてベッドで横になっている椎名が私の視界に入ってきた。


「めぐ!」

「わんわんわん!」


 飛びつくなと言われていたものの、私は椎名に飛びついた。

 元気そうにしていたので、安心してしまったのだ。


「ごめんね、めぐ。もう大丈夫だから」

「わん!」

「めぐが呼んでくれたんだよね……ありがとう、めぐ」


 椎名はニコッと笑った。

 久しぶりに見る、椎名の心からの笑顔だった。


「椎名ちゃん、どう、体調は」

「うん、大丈夫……です」

「熱も下がってきたし、顔色も良いね」


 女性は椎名の額に手を当てて、何回か小さく頷く。

 朝はどうなることかと思ったが、明日にはいつもの椎名が見れるだろう。


「椎名ちゃん、ご家族の方はいるの?」

「お母さん、お父さんは離れたところにいて……ばあばは……」

「言わなくていいよ。ごめんね、辛いこと聞いちゃったね」


 女性は椎名の頭を優しく撫でる。

 この女性は心が綺麗で温かい人間らしい。


 椎名の強張った表情も緩んでいた。


「じゃあ椎名ちゃん一人だけ?」

「めぐもです」

「そうだったね。めぐと椎名ちゃんの二人だけ……椎名ちゃん、ここの避難所いなかったよね。今まで何してたの?」

「……」


 椎名は女性に答えたくないであろう質問をされて、しばらく黙り込む。

 おそらく椎名自身も怒られるようなことであることがわかっているのだろう。


 しかし椎名はしばらくして口を開いた。

 

「お父さんとお母さんに会いに……歩いてました」

「歩いていた? どこから」

「……市です」

「うーん、どこかわからないけど……あ、ちょっと待ってね。ここら辺にたしか……」


 女性は部屋の隅にあった棚の扉を開ける。

 中にはいくつかの書物が入っていた。

 どれも古そうで使われている気がしない。


 しかしその中に日本地図があったようで、女性はそれを手に取った。


「何ページにあるかな……あ、ここだ。どこか指差してくれる?」


 女性は私たちが今いる地域の拡大地図のページを開けた。

 そこで椎名は以前いた場所を指差す。


「ここ……です」

「うっ……そ。え、だって……県違うし、本当に?」

「ごめん……なさい」

「ああ、いや、別に怒ってないんだけど……二人で歩いてきたの?」

「お母さんと……喧嘩して家出したんです。でもあれが起きて……お母さんと仲直りしたくて……うぐっ……」

「ご、ごめんね、泣かせるつもりはなくて。その……頑張ったね」


 女性は再び椎名の頭を撫でた。

 そんな彼女の暖かさに、椎名はひたすらに泣いていた。


 椎名はその後、また眠ってしまった。

 体の疲労が多く溜まっていたのだろう。


 私も椎名と一緒に寝ようと考えた。

 しかし最近は嫌な夢ばかり見るので寝るのをやめた。


 私はあの女性がドアを完全に締め切っていないことに気づいた。

 故にそこからドアを開けて外に出ることにした。


 無論、椎名を守るために部屋が目に入る範囲でだ。


 外に出るとピアノ周辺で子供たちが集っていた。

 元気な子供達だ、椎名より幼い。


 ふと、ピアノスペースとは反対にあるスペースで椎名の名前が耳に入った。

 私はそれに耳を傾ける。


「椎名ちゃん、飼い犬と二人で......ってところから......水もなかったし」

「近くに人がいなかったら......でも......だし、どうしようかしら」


 会話は途切れ途切れしか聞こえない。

 しかしあの女性の声と少し歳のある女性の声が聞こえた。


「とりあえずは椎名ちゃんが両親の元に帰れるまで、しばらくここにいさせましょう」


 あの女性はそうはっきりと言う。


 たしかに電車で三時間の距離を一人で歩くなど、無謀に近い。


 私は椎名の意見を尊重する。

 何を選ぼうと私は椎名についていく。


 ただできることなら、これ以上無茶はしてほしくなかった。


 寝る前に椎名は「あとちょっとで着くと思う。早くお母さんとお父さんに会いたいよ......めぐ」と言った。

 椎名は旅を続ける気だった。

 

 あとちょっとと言ってもどれくらいの距離になるのだろうか。

 そして椎名が危ない時、今の私はしっかりと助けられるのだろうか。


 まず両親が無事という保証もできない。


 私は何もせず、ただゆっくりと部屋に戻った。

 椎名の側にいながら、何もできない。

 前世に抱いたときと同じ感情が渦巻くばかりだった。


 ***


「めぐ、そろそろ行くよ」


 旅をしてから四日目、朝早くのことだった。

 共に寝ていた椎名に私は起こされる。


 椎名は旅を続ける判断をしたようだった。

 荷物はすでにまとめられていて、バッグがパンパンになっていた。

 水や食料などを補充したのだろう。


「今からめぐは出るまでしーっね。わかった?」


 私は椎名にそう指示され、返事をしない。

 椎名が「良い子良い子」と私を撫でたあと、椎名はドアノブに手をかけた。


「準備はいい?」


 私は、どうすればいい。

 止めるべきなのか、それとも旅を続けるべきなのか。


 旅を止める以外に、今の私に椎名を守る手段はない。

 それに両親が生きている保証もない。

 この旅には何の得もない。


 それに怖い、判断ミスで椎名の命を奪ってしまうのが怖い。

 

 もし私がここで椎名を止めなかったせいで椎名も守れなかったら?


 そう思うと私は動けずにいた。

 

 ふと、私は椎名の足を見た。

 すると椎名の足はわずかだが震えていて緊張している様子だった。


 私はそんな椎名の足に擦り寄る。


「めぐ、どうしたの? もしかして……」


 椎名はドアを開ける前に、しゃがんで私の頭を撫でる。

 そうされることで余計に私の心に迷いが生じた。


「めぐは優しいね。私ね、今すごく怖いの。けどお母さんとお父さんに早く会って安心させたいの。今まで心配しかかけてないから……会いに行くの、絶対に」


 椎名の目は驚くほどまっすぐとしていた。

 

 まだ八歳の少女、何が彼女をここまで行動させるのだろうか。

 

「私ね、めぐとならどこにでも行けそうなんだ」


 椎名は私に向かってニコッと笑う。

 そんな笑顔は私の迷いを取り去った。

 

 私は知っている、危険で大変な旅を辞めなかった人物を。

 ただ目標のためにまっすぐに走り続けた人物を。

 

「じゃあ行こう、めぐ」


 私は椎名の言葉に対して心の中で大きく一声返事した。

 そして施設の外へ出た。


 準備をし直して出た旅は私が思っていた以上に過酷ではなかった。


 古いが周辺の地図などを持ってきていたのでまず道にはあまり迷わなかった。

 椎名がわからなければ私が地図を見て案内をした。


 水も補充され、ご飯も持ち出してきていた。

 防寒グッズも施設からもらったものを椎名は使った。

 旅の質は間違いなく改善されたと思う。


 そうして五日目に入った。

 

 この日が私の命日になった。


 ***

 

「……めぐ、もうすぐだよ。もうすぐ着くから」


 旅をして五日が経った。

 私と椎名はやっと、椎名が住んでいる地域の近くに着いた。

 

 椎名の目を見れば潤んでいて、けれど口角は上がっていた。


 五日、と言ってもたったの五日とは言えない。

 様々な困難があって、今に至っている。


「お母さん、お父さん……」

「わん!」

「あ、ごめん、めぐ。まだ遠いもんね」


 私は休憩を最後にしたのが数時間前だと気づき、足を止める。

 

 この景色には確かに見覚えがある。

 街は変わらず荒れ果てているが雰囲気や緑と相まった景観は変わらなかった。


 目的の場所が近いのだろう。

 と言ってもまだ距離があるので休憩は取らなければならない。

 

「……めぐ、私ね、時々変な夢見るの」


 椎名が階段に座って、間食を摂っているとそんなことを言い出す。

 私は大抵、椎名の聞き相手になっているので耳を傾けた。


「めぐはいないんだけどね、私とあと四人くらい人がいてね。森の中だったり街だったりを冒険するの」


 そう語る椎名の目はキラキラと輝いている。

 夢の中の出来事がよっぽど楽しかったのだろうか。


「変な生き物とかもたくさんいてね。危ないこととかいっぱいあるんだけど、でも楽しいなって……だからめぐといっぱい歩くのすごく楽しいよ」


 椎名は私に向かってニコッと笑う。

 あの避難所に行ってから、椎名の笑顔が格段に増えている。


 私は椎名の役に少しでも経っているのだろうか。


 そんな疑問は笑顔の椎名によって解消されていった。


 椎名はしばらく話して、また歩き出す。


 あと少しで着く、それは嬉しいようで少し寂しいものだった。

 この世界にはまだ私の知らないものがたくさんある。

 

 それをもっと椎名と見に行きたい。

 もはや前世の職業病とも言える。


 しかしとりあえず、あの暖かな家庭に戻りたい。

 戻って椎名とゆっくりしたい。

 両親に会って笑顔が戻った椎名が見たい。


 そんなことを考えていた時だった。


 地面が強く揺れ出した。

 揺れは段々と強くなっていき、激しさを増す。


 一週間前の揺れほどではないが、そこそこ大きく地面が揺れた。


 しばらく、私と椎名は隠れる場所がなくその場でしゃがんでいると、やがて揺れが収まる。

 そして椎名はゆっくりと立ち上がる。


 純粋に怖かったからか、過去のことを思い出してしまったのか、椎名の表情は青ざめていた。

 

 もしかしたらまた海の波が来るかもしれない。

 私は椎名に呼びかけた。


「わんわん!」

「ちょっと高いところ行こっか」


 椎名は歩き始める。

 

 私も椎名に続いて歩こうとした。

 しかし嫌な音がした。


 上を見上げれば、今にも建物の瓦礫や破片が落ちそうになっている光景が視界に入った。


 そしてその下にいるのは椎名だった。


「わんわんわん!」


 崩れる!


 そう思った時には私の体は勝手に動いていた。

 

 私は椎名の背中に向かって体当たりをする。

 気づけば私は椎名の代わりに瓦礫に押し潰され、私の視界は闇に染まった。


 そうか、ここで終わりか。


 私はそう直感的に悟る。

 もう体も動かせない上に、何もできない。

 痛みといった感覚すらなかった。


 この人生も、悪くはなかった。

 

 ふと、私の中で椎名との記憶が一気に流れ込む。

 走馬灯というものだろう。


 死というのは呆気ないものだな。

 

 また、未練を残して……死ぬ……のか。


 椎名ともっと一緒に……。

 

 ダメだ、思考がまとまらなく……なって……。


「めぐ! めぐ!」


 薄れていた意識の中、椎名が私の名前を呼ぶ声がわずかな意識を繋ぎ止める。

 やがて視界にも椎名の泣きじゃくる表情が映った。


 最後の挨拶のためか、意識が少しずつ鮮明になっていく。


「嫌だよ、めぐ! 死なないで! めぐ!」


 そんなに泣かないでほしい。

 椎名は笑っている時の顔が一番だ。


 ただ、そんな感謝の言葉を伝えたくても私は伝えることができない。


 私は最後の力を使って前足を動かす。

 そして椎名の頬にそれを当てる。


 最大限の感謝の意だ。


「死んじゃ嫌だ! 嫌だよ、めぐ!」


 段々と椎名の声も遠くなっていく。


 私は薄れいく意識の中、ふとセフィリアと椎名の笑顔が重なって浮かんだ。


 ああ、そうか......私は前世で成し得なかった責務を果たせたのだろうか。


 消えていく後悔と共に私の意識も薄くなっていく。


 大切なひとを守れて、よかった。

 

 ***


「そんなことも......あったな」


 朝、私はゆっくりと体を起こして自分の頬に伝った涙を拭う。


 あれからもう十数年が経つ。

 今でもたまに夢を見ることがある。


 子供の頃から見ているファンタジーのような夢とめぐとの旅の記憶の夢。


 変な話、あの頃はめぐと一緒ならどこでも行けた気がした。

 そして小学二年生ながら一人で数日間歩いて、両親の元に会いにいった。


 結果、めぐを死なせてしまった。


 母と父には再会できた。

 両親のどちらとも生きていた。


 けれど母と父には今までにないくらい怒られて、たくさん泣かれた。

 

 それはそうだろう。

 小学二年生が一人で荒れた地の中、数日歩いて会いに行ったなんて危険すぎたし無謀すぎた。

 死んでいてもおかしくはない。

 

 しかしめぐが命を繋いでくれた。

 めぐが私の命を繋いでくれたおかげで両親に会って、仲直りできた。


「椎名、ちょっと待って」

「あ、ごめん、お母さん。起こしちゃった?」

「起きたのよ。今日からいよいよ留学ね......忘れ物ない?」

「うん、大丈夫」

「少し家が寂しくなるわね」

「一年なんてあっという間だよ。時々連絡入れるから」

「それもそうね、じゃあ気をつけて。いってらっしゃい」

「うん、いってきます」


 私が旅になんて行かなければ、今でもそう思う。

 けれどめぐと一緒にした旅は過酷だったけど楽しい時もあった。


 将来、何をしよう。


 大学生になった私はそんなことに悩まされている。

 ただ、もっと色々な世界が見たい。


 だから私はめぐが繋いでくれたこの命で、また旅をしたい。

 

「めぐ......見ててね」


 私は写真に写っためぐに「行ってきます」と言って、ドアを開けた。


最後まで読んでいただきありがとうございました。


もし後悔を払拭できたら、過去のやり直しができたら、次に繋ぐチャンスがあったら。


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― 新着の感想 ―
良い物語をありがとうございます! 動物モノは涙腺が緩むんじゃよ… でもコレだけは気になりました。 >あれからもう数十年が経つ。  今でもたまに夢を見ることがある。 いやいや、当時小2で現在大学生なら…
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