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この作品には 〔ガールズラブ要素〕が含まれています。
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先手を取られたヒロインは逃亡する

作者: 高瀬

 わたしはセーラ・ブライトウェル、十六歳。ヴェスター王国のブライトウェル伯爵家の一人娘で今日は王立学園に入学する日なの。得意科目は数学と科学、とっても綺麗なピンクブロンドの髪がお気に入り☆

 実は、わたしにはとっても大きな秘密があって、なんと!別の世界での前世の記憶があるの。その記憶によれば、このアマーリエ大陸は『女神の娘』っていう恋愛小説の舞台で、セーラはその主人公(ヒロイン)なんだ。お話の中で、セーラは学園で素敵な王子様と出会い、やがて恋に落ちて、立ちはだかる様々な障害を乗り越えた末に、遂に二人は結ばれるの!しかも、お話の途中でセーラは聖女としての力に目覚めたりもして、あの聖女のドレスを着た挿絵は綺麗だったな~。

 そんな物語がこれからわたしを待っているということで、ウキウキ気分で初登校しているところなのです。お父様からは「他の貴族にはくれぐれも気を付けるんだよ」と言われて送り出されたのだけど、確かに小説でも王子様との仲を妬んだ他の貴族令嬢にいじめられたりするのよね。特に悪役令嬢ポジションのカリーナの嫌がらせは強烈だったなあ。あんなきつい性格で王子様の婚約者になれるはずないのにね。ちなみにセーラは小さい頃は病気がちで領地に引き籠っていたから貴族社会には馴染みが薄くて、友達もほとんどいないの。半年前に転生したことに気づいて、それから慌てて色々と勉強したのだけど前世とは感覚が違いすぎてまだまだわからないことの方が多いのよね。まあでも原作だと何とかなっていたのだし、きっと大丈夫でしょ!

 そんなことを考えていたら馬車が学園に到着したので、正門近くで降ろしてもらった。学園には馬車用の出入口があるけど、今日はそっちじゃなくて正門から学園に入りたいと頼んでいたのです。正門から校舎へと続く並木道が綺麗なのよね。「女神の木」と呼ばれる、桜みたいな綺麗なピンク色の花を咲かせる木が植えられていて、この入学式の時期がちょうど満開になるの。小説でもセーラはこの光景見たさに正門から入って、入学式が行われる講堂までの道に迷ってしまい、その結果王子様と出会うという流れだった。どのくらい時間をかければ王子様と出会えるのかはわからないけど、セーラとしての感覚に身を任せれば何とかなるはずだわ。入学試験の国語や社会といった前世の知識が役に立たない科目だってセーラとしての感覚に頼れば何とかなったもの。

 そんなわけで、好きなように花を愛でて、そろそろ時間が危ないかも!?という気分になったら講堂へレッツゴー!淑女(レディ)たるもの全力疾走なんてしちゃいけないから、制服のスカートの裾をつまみながら、早足、小走りの程度になるように気を付ける。一応は講堂の位置を気にしながらうろついていたから、小説のセーラみたいに礼儀作法を無視した全力疾走じゃなくても間に合うはずよ。あっ、この生垣の曲がり角の向こうから何か気配を感じるわ。これはきっとヒロインセンサーによるフラグの予感ね!ところで、今更ながら本当に王子様とぶつかっても大丈夫なのかな?ええーい、女は度胸、いざ突撃っ☆


ゴンッッッ!!


 そうやって曲がり角に飛び込んだわたしは人とぶつかるのではなく、何かに弾き飛ばされて、地面に叩きつけられた。

「いたたたたた……もう、一体なによぉ……」

 打ったところをさすりながら顔を上げると、アーサー王子とその側近の騎士ドートン、魔術師スミスの三人がすっごく怖い顔をしてわたしを睨みつけていた。顔が良い男は怒っている顔も素敵ね……って言いたいところだけど、これ絶対そんなこと考えてる場合じゃない時だ!

「ひいっ……す、すみません。わ、わたし、その、道に迷って……入学式に遅れちゃいけないと思って急いでいて……」

 これはフラグどころじゃない感じ!土下座してでも何とかこの場を乗り切らなきゃ!

「王子、これが恐らくカリーナ様の仰っていた例の……」

「ああ、何か魔力を感じるぞ。これが魅了の……」

 必死に頭を下げるわたしを横目に王子様と側近たちは何やら話し合っていて、やがて話がまとまったのかドートン様が声をかけてきた。

「おい、そこの者」

「は、はい!」

「貴様を禁術使用の疑いで逮捕する!」

「ええっ!?ちょ、ちょっと待ってください、わ、わたしは何も……」

「黙れ!王子を待ち伏せし、怪しげな術を使おうとした時点で言い逃れはできぬものと知れ。やれっ!」

 ドートン様の合図で一斉に潜んでいた騎士たちがあらわれて、問答無用でわたしは捕まってしまった。小説通りに行動しただけなのにまさかこんなことになるなんて……これから一体どうなっちゃうの!?


 騎士に捕まったわたしはそのまま騎士団の詰め所に連行されて取り調べを受けることになってしまった。

「なぜあの場所にいた?」

「正門の並木道を散策していたら遅くなってしまって……」

「魅了の術を使った自覚はあるのか?」

「そんな、わたしが使えるのは初歩の魔術だけです。そんな術は使ってませんし、習ったこともありません!」

「ブライトウェル伯爵から指示があったのか?」

「お父様は何の関係ありません。わたしはただ入学式に出ようとしただけなんです!信じて下さい!」

 一日で解放されることはなくて、身分を考慮したのか牢に入れられることはなかったけど、そのまま騎士団の駐屯地の一室で過ごすことになっちゃった。家族との面会も許してもらえないし、わたしはどうなっちゃうんだろう。そして学園生活は一体どこにいっちゃったんだろ……。

 それからしばらく、来る日も来る日も強面の取調官たちに、同じような質問を繰り返し尋ねられた。当然お風呂とかも許されないし、わたしは身も心もどんどんぼろぼろになっていった。やがて日付の感覚も怪しくなってきた頃、処分が決まったと告げられて、外に出された。処分って一体わたしはどうなるんだろう?とは気になったけど、ようやくこの軟禁生活も終わるんだと思うと、泣きそうになるくらい嬉しかった。そして、外に連れ出されたわたしを待っていたのはお父様だった。

「お父様!会いたかったわ!」


ピシャリ


 久しく会っていなかったお父様を見て、思わず駆け寄ったわたしを待っていたのは、抱擁ではなく平手打ちだった。

「お父様……???」

 えっ!?今、叩かれた……?お父様に怒られたことなんて今まで一度もなかったのに?叩かれた頬に手を当て、呆然とするわたしに、お父様は告げてきた。

「セーラ、お前はもうブライトウェル家の者ではない。そしてお前が行くべき場所は修道院だ」

「そんな!わたしは本当に何もしてないのに!」

「すでに馬車も用意されている。こっちに来るんだ」

 そう言ってわたしの手首を掴むとお父様は無理矢理引っ張りだした。

「いやっ、放して!ねえ、お父様!お願い、話を聞いて!」

「お待ちしておりました。こちらの馬車です」

「うむ。ああ、このまま乗せてしまおう」

 その馬車は少しの覗き窓以外は一切隙間もなく、扉にはしっかりした鍵のついた、まさに罪人の護送車という感じの馬車だった。お父様は泣き喚くわたしの声には一切耳を貸さず、そのままわたしを馬車に押し込んだ。

「すまない、これを後で読みなさい」

 そして去り際に小声でそう囁くと、手紙をわたしに押し付けてお父様は馬車から出て行ってしまった。

「お父様!どういうことですか!お父様ー!」

「さあ、出してくれ」

「お別れはこれでよろしいので?かしこまりました」

 お父様だけでなく御者も護衛も、誰もわたしの言葉を、わたしの叫びを聞いてくれないまま、馬車は動き出してしまった。悲しくて悲しくて、わたしはしばらく泣き続けた。


 馬車が王都を出た頃になってようやく少しは気持ちが落ち着いてきたので、お父様が押し付けてきた手紙を開いてみることにした。そこにはわたしの事件が政争に利用されてしまったこと、その争いに負けたことによって事実がどうであれわたしは『王子を禁術で魅了しようとした女』ということになってしまい、家から追放して辺境の修道院に送るしかなくなってしまったことが書かれていた。だから表立っては冷たくあたるしかない、とも。うう、お父様も辛かったのね……。その時、ちょうど覗き窓から段々と遠くなっていく王都が見えたの。さようなら、王都。さようなら、わたしの家族。さようなら、わたしの学園生活。まさか入学式も迎えずにお話が終わるなんて思わなかったよ……。そんな風にまた馬車の中でひとりしくしく泣いていると、突然馬車が停まった。

「うわあ、賊だあ」

「命ばかりはお助けを~」

 どうしたのかな?と思ったら、御者や護衛がとてつもなく棒読みの悲鳴をあげるのが聞こえてきた。ちょっと!まさか逃げていったんじゃないよね?こっそりと覗き窓から外を見てみると、黒ずくめの格好をした、いかにも暗殺者ですって集団が馬車を囲んでいた。これって大ピンチなのでは!?そして厳重に鍵をかけられていたはずの馬車の扉はあっさりと開けられ、わたしは腕を掴まれて馬車の外に引き摺り出されてしまった。

「い、痛い、痛いです!手を放してください!わ、わたしをどうするつもりですか!?」

 暗殺者たちはわたしの言葉を無視すると、わたしを地面に押さえつけ、顎を掴んで顔を上げさせて人相をしっかりと確認してきた。よくお話に出てくる犯罪者みたいに「黙れ小娘!」みたいなセリフも言わずに黙々と行動するし、これ本当にガチの暗殺者だ!こわいよ……。そして確認が終わったのか、暗殺者たちは互いに頷きあうとその中の一人が手にした剣を高く掲げた。ああ、そんな、せっかく小説のヒロインに転生したと思ったら、まさかこんなところで終わっちゃうなんて……。

「嫌、いやよ!だれか、誰か、助けて!!!」

 本当のヒロインならこんな場面でも立派な態度をとれるのかもしれないけど、そんなの到底わたしには無理で、ゆっくりと近づいてくる死への恐怖に、目を閉じてただただ泣き喚くことしかできなかった。けれども何故か『その時』は訪れなくて、代わりに何かが刺さる音と、何かが倒れる音が聞こえてきた。閉じていた目を頑張って開けてみると、さっき剣を掲げた男の眉間にナイフが刺さり、地面に倒れていた。何が起こったのかわからなくて呆然としていると、その場に一筋の流星が飛び込んで来た。もちろんこれは比喩ってやつで、実際に飛び込んできたのは一人の剣士だったのだけど、その人の振るう剣は煌めいて見えて、まるで流れ星のように綺麗だったの。暗殺者たちの数は十人を超えていたけど、一瞬の奇襲により、わたしがその剣士の背に守られる形になっていた。

「大丈夫かい?少し待っていて」

「は、はい」

 その剣士の声は思ったよりも高くて、髪は短いけど女性なんだとわかった。わたしには戦いのことはよくわからないけど、アニメキャラみたいに相手の攻撃を優雅に避けながら一撃で一人、また一人と敵を倒してく様子はとてもカッコよくて、彼女が凄腕の剣士なのだと教えてくれていた。

「くっ……退くぞ」

 半分以上の暗殺者が倒れたところで、リーダーらしき男の指示で暗殺者たちは去っていった。えっと、つまり……わたしは助かったのよね?

「さあ、もう大丈夫だよ」

「あ、ありがとうございます。あっ……」

 さっきまでの殺し合いの場から一転して訪れた静寂の中で、振り向いた女剣士に声をかけられ、その顔に見覚えがある……と思った瞬間、緊張の糸が解け、それと同時に周囲に充満する血の匂いにくらっときて、わたしは気を失ってしまった。


 目覚めると、わたしは見知らぬ天井……ではなく、大きな木の根元に寝かされていた。小川のせせらぎの音と、川から流れてくる清涼な空気が心地いい。

「ここは……?」

「ああ、気付いたかい?あの場に留まるのは目立つからね。少し運ばせて貰ったよ。さあ、これでも飲んで落ち着くと良い」

 そういって女剣士は水の入った木製の水筒を差し出してくれた。それを見た瞬間、口の中の渇きが一気に襲ってきて、お礼も忘れて貪るように飲んでしまった。

「あ、あのっ、ありがとうございました」

「気にしないで。女の子が襲われているところを見過ごすなんて出来ないからね。私は……」

「存じております。ユーナ・ナッシュヴィル様ですよね?」

 そう、わたしはこの女剣士を知っている。ユーナ様は小説出てくる主人公の味方の一人で、宰相の娘ながらも近衛騎士として王家に仕えているというキャラだった。パーティーでドレスを汚されたセーラに着替えを貸してくれたり、何よりクライマックスに繋がるカリーナの実家のモズレー家の悪事を捜査してくれるのがこの人なのよね。でも、小説の挿絵だと髪は長かったはずだし、騎士の鎧も着ていないけどどうしたんだろう?

「ふっ……そうだな、かつてはそう呼ばれていた。だが今はただのユーナだ。冒険者をやっている」

「えっ!?あの、いったい何が……?」

「おや、知らないのかい?見たところ君も貴族だと思ったんだけど」

「その、療養のためにこれまでほとんど領地で過ごしていまいしたので。あ、申し遅れました。わたしはセーラ・ブライトウェル……いえ、わたしも家を追われたようなので、ただのセーラということになるのでしょうか」

「ブライトウェル家……なるほど、貴女が襲われていたのはそういうことか」

「何かお心当たりが?」

「そうだな。とはいえまずは私の話をしておこうか。愉快な話ではないが、隠そうとしても調べればすぐにわかる話だからな。簡単に言えば同性愛者の疑いをかけられてしまってね。それを否定できれば良かったのだろうが、どうしても否定はできなくてな。それで騎士への任命も流れてしまったし、家にもだいぶ迷惑をかけてしまって、結局家を抜けることになってしまった」

「そんなことが……その、知らぬこととはいえ、失礼しました。あの、それで、その話からどのようにわたしの話に繋がるのでしょうか?」

「君は……いや、ありがとう。貴女は王都で今一番話題の王子に禁術を使おうとしたというブライトウェル家の娘だろう?実は私が同性愛者だと告発をしてきたのは王子の婚約者の実家であるモズレー家なんだ。それ以来ずっと宮廷内ではハト派のナッシュヴィル家とタカ派のモズレー家による派閥争いが続いている。貴女のブライトウェル家はナッシュヴィル家の派閥でね。今回の事件は伯爵家が娘を利用して王子を自派閥に取り込もうとして起こしたに違いないということで、ブライトウェル伯爵、ひいてはその派閥の主であるナッシュヴィル家の責任追及の声が上がって、結果として私の父は宰相の地位を追われることになったんだ」

「そんなことになっていたなんて……」

 そういえばお父様が政争がどうのって書いていたっけ。って、王子の婚約者!?小説にはそんなのいなかったよ?しかもモズレー家ってことはその婚約者ってひょっとして悪役令嬢のカリーナなの!?

「あの、すみません。王子に婚約者がいらっしゃるなんて知らなかったのですけど……」

「おや、それも知らなかったのかい?ああ、でもそうか、確かに一般にはまだ伏せられていたね。なんでもモズレー家の一人娘のカリーナは数年前から予言の力を授かったという話でな、その力によっていくつもの問題を解決していたのと、古代遺跡で聖女の力に目覚めたのが決め手となって王子の婚約者に決まったんだ。正式な発表は学園卒業後という話だったが……恐らく早まるだろうね」

「そうだったんですね。教えて下さりありがとうございます」

 ええっ、カリーナが聖女!?どういうことなの?古代遺跡ってことは多分小説でセーラが聖女の力に目覚める場所よね。ひょっとしてカリーナも転生者!?わたしの混乱をよそにユーナ様の説明は続いた。

「さて、それで先の話の続きだが、恐らく貴女を襲った暗殺者はモズレー家の手の者だろう。政敵を追い落としたとはいえ、そのきっかけがでっち上げだとわかってしまうとどう転ぶかわからないからね。死人に口なし、殺してしまえば本当に禁術の使い手だったのかどうかなどわからなくなる」

「ひょっとして、わたしはこれからも狙われ続けるのでしょうか?」

「この国に留まる限りはそうなるだろうな」

「そんな……」

 どうしよう?カリーナの正体はわからないけど、多分わたしを排除するために手を回しているっぽいよね?実家は頼れないし、孤児院に入れるような年齢じゃないし、修道院に逃げ込みたくてもどこなら安全かなんてわからないし……。あれこれと考えて黙り込んでしまったわたしにユーナ様が提案を持ち掛けてきた。

「なあ……セーラ嬢。良かったらなんだが、私と一緒に国を出ないか?」

「えっ!?」

「家を出たと言ったが、完全に実家と縁が途切れたわけではなくてな。これまでは良く言えば保護下、悪く言えば監視下に置かれていたんだ。それは別に私にとっても悪いことではなかったからギルドに登録した冒険者になってもほとんど遠征に出ることもなく、王都に住み続けてもっぱら剣の腕を磨き続けてきた。だが今回の政変で実家もそれどころではなくなりそうでな。これを機に国を出ることにしたんだ」

 確かにユーナ様の傍には長旅用の大きな荷物袋が置かれていた。

「その、ありがたいお申し出ですけど、よろしいのですか?わたしはただの貴族令嬢。体力もありませんし、魔法も初級レベルがやっとで、足手まといになるだけなのではないですか?」

「もちろん無茶な提案だとはわかっているよ。ただ、良いところだけ見ればお互いにとって得のある話だとは思っている。一つにはここで見捨てるには後味が悪いという私の気持ちの問題。モズレー家への嫌がらせになるってところも良いね。セーラ嬢の利点としては国外に出れば命を狙われる危険は減るだろうし、何か生きる道が見つかるかもしれない。そして私の利点は一人旅というのは夜間の見張りとか色々と問題があってね、同行者がいれば負担の軽減ができる。私も結局は元貴族令嬢であって世間慣れしているとは言い切れない、考える頭は多い方が良いさ」

「なるほど」

「……それとまあ、一人旅は少々寂しくてね」

 聞こえるか聞こえないかくらいの声で、恥ずかし気に少し横を向きながら告げられた最後の一言が恐らくはユーナ様の一番の本音なのかも。

「少し、考えさせていただけますか?」

「もちろん構わないよ。それと、貴女がどんな選択をしようと少なくとも近場の町までは送ろう。だから当面の安全については心配しないで考えて欲しい」

 目を閉じて、気持ちを落ち着かせてしっかりと考える。わたしの直感が、ここが人生における最大の分岐点だと告げている。戦うか、逃げるのか、それを決められるのは今この瞬間だけだ、と。ユーナ様のことは信頼しても大丈夫。何を選択しても多分付き合ってくれる。


…………よし、決めた。逃げよう!!!


 だってだって、いくら前世の知識があるとはいえ、小説のあらすじからはもう思いっきり逸脱しちゃってるし、そうなると元一般人で、今はただの元貴族令嬢に何が出来るって言うの!向こう(カリーナ)は聖女の力を横取りした上でガチでわたしを殺しに来ているみたいだし、戦うなんて無理よ!どこかで誰かがわたしの決断を嘆いた気もするけど、何かして欲しいならちゃんと言ってきてよね!

「ユーナ様、わたし、決めました」

 決心したわたしはそう言ってユーナ様の手を両手で掴んだ。

「わたしも一緒に行きます。どうか、お供させてください」

「本当にそれで良いんだな?」

「はい、何があろうとユーナ様についていきます」

 ユーナ様の確認に、目をしっかりと合わせて頷く。それにしてもユーナ様は挿絵だとどちらかというと頼りになるお姉さんという感じだったけど、こうして少し荒んだ雰囲気で真面目な表情をしていると男装と相まってすごくカッコいいなあ……。おっと、いけないいけない、つい邪念が。

「それと、わたしはこれから……そうですね、セリと名乗ります。少し変えただけですけど、あまり変えすぎると咄嗟に反応できない気がしますから」

 過去を捨てての逃亡にはやはり偽名は必須よね!

「わかった。それじゃあこの国の……いや、隣国に出たらそこの冒険者ギルドでその名前で登録しようか。そうすれば多少は身元の証になるはずだ」

「はい、それではよろしくお願いします」

 こうしてわたしたち二人の旅がはじまった。


 二人の旅は野を越え……

「「「ここは我ら」」」

「チュー」「トリ」「アル」「「「山賊団の縄張りだ!」」」

「命が惜しくば荷物を置いてい……ぐはっ」

「「チューの兄貴がやられた!逃げろー!!!」」

 無事に隣国に渡って冒険者登録を済ませた後も当面は旅を続けることにしたのだけど、女神の恩寵が薄いと言われる地域に入ると、こういった山賊や魔物に襲われる回数が増えたのよね。おかげで血の匂いにもすっかり慣れちゃったよ……。

「はぁ……この辺りは野盗が多いな。セリ嬢、大丈夫か?」

「はい、大丈夫です。あの、ユーナ様……」

「ん、なんだい?」

「そろそろ、その『セリ嬢』って呼ぶのやめてくださいませんか?そりゃまだ全然お役に立てませんけど、わたしも冒険者登録が終わってこうしてパーティーを組んだわけですし、どうかセリとお呼びください」

「確かに、それはもっともだ。セリ、すまなかったね。ただ、それなら私に『様』をつけて敬語でしゃべるのもやめにしないか?だって、私たちはパーティーなんだろう?」

 そう言って悪戯っぽく笑いかけてきたユーナ様の顔はとっても魅力的で、思わずドキッとしちゃった。

「わ、わかりました!そ、それでは、ユーナと呼ばせていただき……じゃなくて、呼ばせてもらいます!それと、えっと、今夜も槍の訓練をお願いします。少しでも早く一人前の冒険者になりたいですから」

 わたしは赤くなった顔を誤魔化すように、一気に勢い込んで返事をした。

「ああ、わかった。その代わり夕食の用意は頼んだよ。まさかほんの少し野生のハーブを入れるだけであそこまで携帯食のスープが美味しくなるとは思わなかったよ」

「あはは、わかりました。どうかお任せください」

 ユーナ様……じゃなかった、ユーナも元貴族令嬢ということで料理はほとんど経験がないみたいなのよね。しかもこの大陸では味を調えるってことをあまりしないみたいで、前世の感覚で香草とかを使って味や匂いを整えたらびっくりされたわ。どこかに落ち着く時がきたら料理人になってみるのも面白いかも。


 それから、二人の旅は山を越え……

「ふう、街に入るのが大分と遅くなってしまったな」

「衛兵に訊いてみましたけど、この時間からでも泊まれて女だけで泊まっても安心な宿屋はここだけみたいです」

「それじゃあ入ってみようか……すまない、二人で泊まりたいのだが」

 宿に入るとおばあさんが受付に座っていた。

「おやまあ……運が良いね。素泊まりなら一部屋だけ空いてるよ。ただ、ベッドは一つしかないヨ」

「……わかった、その部屋を頼む」

 良かった、部屋が空いていて。もし空いてなかったら町の中で野宿だったよ……。さすがにあやしい木賃宿に泊まるのは無理だものね。

「さて、私は床で寝る。セリがベッドで寝てくれ」

「え?いや、二人用のベッドなんですし二人で寝れば良いのでは?」

 部屋について荷物の整理をしていると突然ユーナがそんなことを言ってきた。そういえばこれまではベッドが一つだけの部屋に泊まったことはなかったっけ。

「忘れたのか?私は同性愛を疑われて否定しなかった女だぞ?少しは警戒しろ」

「いやー、着替えとかのタイミングをずらすのでひょっとして、とは思っていましたが、そのことを気にしていたんですね。これまでだってベッドは違っても同じ部屋で寝ていたりしたんですし、今更じゃないですか?」

「それはそうかもしれないが……」

「それに、わたしはざっくりとした話を聞いただけなので詳しい話は知らないですし。よければ話してくれませんか?」

「そうだな……国を離れてここまで来てしまっては調べればわかることだとは言えないか」

 そう言ってユーナはベッドに腰かけるとゆっくりと過去に何があったかを語りはじめた。

「まずはそうだな、前提として私の学園時代のことを話しておこう。私の学園時代からこんな性格でな。異性よりも同性から人気があったんだ。そして学園時代にはとても仲の良い友人がいてね。私の髪は白に近い銀髪だろう?友人は黒髪のかなり女性らしい人でね。白黒で色々な意味で対になっていると持て囃されたものさ」

 あー、昔から王子様キャラだったってことね。しかも王子様とお姫様が揃っていた、と。それは間違いなく女子人気もすごかったんだろうな。

「本当に、彼女とは学園では何をするでも一緒でね。勉学もそして行事も、たくさんの時を共に過ごしたものさ。そしてその頃は私も今より未熟でね、彼女や周囲に求められるままに愛を囁いていたんだ。もちろん、私も周囲もそれは子供のお遊びだと思っていた……少なくともそのはずだったんだけどね」

 学園時代のことを語るユーナ様の顔はとても穏やかで、それでいてとても寂し気だった。

「そんな彼女との別れは突然だった。学園の卒業後に騎士になるためには色々と試験を受ける必要があってね、中には長期に及ぶ試験もあるんだ。私がその最後の試験に挑んでいる最中に、病が悪化して……死んだんだ。もともと彼女は病弱なところがあって、試験の前に体調を崩したと聞いて見舞いに行ったんだが、風邪をうつすといけないからと言われてドア越しに話したのが最後の会話だった。試験から戻って訃報を聞いた時は最初は信じられなくて、事実だとわかってからは女神を恨んだよ。そのまま部屋に閉じこもって数日間泣き明かしたものさ。ただ、そんな私を立ち直らせてくれたのも彼女だった。私のところに彼女からの手紙が届いてね、その手紙のおかげで私は立ち直って、そして騎士として人々を助けていこうと改めて決心したのさ」

 そこまで話すとユーナは一息ついた。なるほど、それでユーナは小説でも今世でもわたしを、というよりも困っている人を助けてくれたのね。

「そして私は無事に学園を卒業し、あとは騎士に任命されるのを待つだけとなった。ところが、だ。任命式の前日に突然王宮に呼び出されてね。そこで審問官から同性愛の疑いがある故に身の潔白を証明せよと言われたんだ。埃をかぶった、誰も覚えていないような古い規定の中に同性愛者が騎士になることを禁じる一文があるという理由でね。そしてその場で証拠として見せられたのがもう一通の彼女の手紙だった」

「もう一通の手紙?」

「ああ、どうやら彼女は私宛の手紙以外にもう一通、自分自身に宛てた手紙を残していたらしい。そこには彼女が私と過ごした時間に何を感じたのか、私の言葉がどれほど嬉しかったのか、そして……私をどれほど愛しているのかが綴られていた。手紙というよりは日記に近いものだな。自分の棺の中に入れるよう家族に頼んでいたようで、父親の子爵も確かに提出されたものと同じ封筒を棺の中に入れたと証言していた」

「そんなものがどうして……」

「わからない。告発者であるモズレー家が証拠として提出してきたらしい。そして審問官は同性愛者であることを否定するのなら、その証としてその手紙をその場で破り捨て、燃やすよう要求してきた。私はもちろんそんなことはできないと断った。その上で同性愛者であることを否定しようとした……したのだが、できなかったんだ……」

 そこまで話すとユーナは俯き、顔を手で覆った。

「そう、私にはできなかったんだ。他愛無い遊びだったはずの愛の囁きを彼女がどんな気持ちで聞いたのか、二人だけで過ごす時間を彼女がどう感じていたのか、それが全て手紙には書かれていた。そしてそれを知ってしまったら、彼女への言葉はただの遊びでしかなかったなんて、そんなことはとても言えなかったんだ。それに、私は確かに彼女にはただの友情とは違う感情を抱いて……つまり、彼女を愛してはいたんだ。その愛になんて名前を付ければ良いのかはわからないけれども。私は……私は……」

 自分の感情に名前を付けられず戸惑うその様子は、いつもの凛とした姿とはかけ離れていて、まるで迷子の子羊のようで、はじめてユーナの心の奥に触れた気がした。

「大丈夫、大丈夫ですよ。無理に自分の気持ちに名前を付けなくても良いんですよ。男が好きとか、女が好きとか、そんなのどうでも良いじゃないですか。好きな人が好き、それだけで十分じゃないですか。わたしはユーナに命を助けられて、今ここにいます。それだけじゃなくて、冒険者として必要なことをたくさん教えてくれましたよね。そんな優しいユーナがわたしは大好きです。それに、わたしたちはもうとっくに国を出たじゃないですか。過去に捕らわれずに、好きに生きていきましょうよ。わたしは、一生ユーナに付いていきますから」

 そう言ってわたしはユーナをそっと抱きしめた。そして、その夜はそのままの格好で二人とも眠ってしまった。翌朝、目が覚めてからそのことに気付いて、その朝はなんだかお互いに気恥ずかしくてうまく顔を合わせることができなかった。ただ、この日の出来事のおかげでユーナが変に遠慮することはなくなり、二人の距離がぐっと近づいたように思う。その代わり、着替えとか水浴びの時にユーナの様子が挙動不審になることがある気がするのだけれど、どうしたのかしら?


 そして、二人の旅は谷を越え……

 国を出てから数年経ってもまだわたしたちの旅は続いていた。わたしも冒険者としての活動に慣れてきて、ユーナに頼り切りというわけではなくなっていた。でも、逆にそのことが二人揃って油断する瞬間を作ってしまったんだと思う。

「セリ、危ない!」

「えっ!?」

 不意を突かれ、わたしを庇ってユーナが蛇の魔物に噛まれてしまった。魔物は撃退したものの、毒があったのか、しばらくするとユーナは熱を出し、苦しみ始めた。ひとまず岩陰で横になってもらって、手持ちの薬を飲んでもらったけど、一向に良くならず、顔色もどんどん悪くなっていった。

「どうしよう、どうしよう……」

「だい、じょうぶ。薬は飲んだんだ。そのうち、回復するさ……くっ」

 ユーナは強がってみせるけど、かなり辛いのは様子を見れば明らかだった。こういう時に限って付近を通りかかる人は誰も見当たらない。街は遠くてとてもわたしが支えて歩ける距離じゃないし、かといって一人ここに残していくこともできないし……ああ、どうしよう、どうすればいいんだろう。このままじゃ、ユーナが、ユーナが!

 パニックに陥る中で、ふと小説のとある場面が頭をよぎった。それは、ヒロインが聖女の力に目覚める瞬間。ヒロインと王子たちが古代遺跡を探索していたところ、ヒロインを罠から庇った王子が重傷を負って、そこでヒロインが奇跡を願うと、古代遺跡に満ちていた謎の力が呼応して聖女の癒しの力を使えるようになるのよね。……カリーナが聖女の力に目覚めたという話だったけれども、ひょっとして、もしかしたら、わたしも聖女の力を使えたりしないかな?お願い、女神様!今だけで構わないから、どうか力を、大切な人(ユーナ)を助ける力を!

 そうやって必死に願っていると、突然、体の奥からこれまでとは違う、不思議な魔力が湧き出てくるのを感じた。この力を使えば、きっとできるはず!小説の場面を思い出して、手をかざし、祈りながら言葉を紡ぐ。

「われは癒し手。女神(アマーリエ)の名においてこの者に癒しを齎さん」

 わたしの手から光がユーナの体に降り注ぎ、それと同時にごっそり体から魔力が抜けていくのを感じた。やがて光が収まり、魔力の消耗による倦怠感を必死に堪えてユーナの様子を確かめると、さっきまで高熱に苦しんていたのが嘘のように汗も引いて普段通りの顔色に戻っていた。

「良かった……本当に良かった」

 涙ぐむわたしの前で、ゆっくりとユーナがまぶたを開いた。

「私は……助かった、のか?」

「体の調子はどうですか?どこか違和感があったりしませんか?」

 わたしはユーナの顔を覗き込みながらそう尋ねた。

「いや……大丈夫だ。むしろ前より調子が良いくらいだ。一体何をしたんだい?」

「わたしが癒しました。多分、これが本当の聖女の力なんだと思います」

「聖女の力?」

「ねえ、ユーナ。お願い、無茶をしないで。あなたを失うかと思ったらわたし……わたし……」

 ユーナの無事がわかると、気付くとそんな言葉がわたしの口から零れていた。至近距離で見つめあいながら目を潤ませ、そんなお願いしたわたしに、ユーナはそっと唇を重ねると、応えてくれた。

「わかった。約束しよう。その代わりにセリも無茶をしないと約束してくれ。何をしたのかわからないが、かなり魔力を使ったんだろう?こんなにも震えているじゃないか」

「ち、ちがいますよ。これはユーナが無事なのが嬉しくて……でも、わかりました。約束します……ユーナ、大好きですよ」

 そう言って今度はわたしからユーナに口づけのお返しをした。

「……なあ、ここまで、旅の中でいくつもの季節が廻り、いくつもの国を通り抜けてきたな。草原を越え、荒野を越え、砂漠を越えて、大陸の果ても近い。そろそろどこかに居場所を見つけて、そこで一緒に暮らさないか?」

「……ええ、そうしましょう。ユーナ、前にも言いましたけど、わたしは一生あなたに付いていきますよ」

「セリ、愛しているよ」

 わたしたちは返事の代わりに、もう一度口づけを交わした。


 最後に、わたしたちは海を……越えなかった

 交易都市ポルトーラ。大陸の西端に位置し、他大陸との交流の窓口にもなっている港街。大陸の内外から人や物が集まり、誰がどこから来たのかなんて誰も気にしない街。この街にわたしとユーナは落ち着くことを決めた。今はユーナが冒険者として獲物や材料を集め、私が調理する、そんな形でこじんまりとした食堂を営んでいる。あの日の出来事から長い時間が経ったけど、心配していたヴェスター王国からの追手と遭遇することは結局一度もなかった。わたしたちが旅に出てから少しして、タカ派が政権を握ったヴェスター王国は隣国への侵攻を開始。隣国を併合すると国号をヴェスター帝国と改め、アーサー王子が初代皇帝に即位し、その傍には皇妃としてカリーナがいたみたい。そしてそのまま大陸制覇を唱えて周辺諸国との戦争を開始したものの、十年を越える戦争の果てに敗北し、アーサー王子もカリーナも歴史の中に消えていったらしい。あの時、わたしが逃げ出さなかったら何か変わったのだろうか。

「セリ、ただいま」

 何となく過去を振り返っていたらユーナが帰ってきた。

「おかえりなさい、ユーナ。今日は何が採れましたか?」

「今日は鳥を何羽か仕留めてきたよ。それと、貝が安かったので買ってきんだ」

「ありがとう。貝はスープの具材にでもしましょうか」

「はは、それは楽しみだ。それじゃあ今日のメニューに書いておくよ」

 旅を終えると、まるで役目は果たしたとでも言うように聖女の力も消えてしまい、わたしはただの元冒険者として食堂のおかみをやっている。幸いなことにこの食堂は一風変わった料理を出してくれる店としてそれなりに繁盛しており、忙しいけれども穏やかな日常をユーナと二人で過ごせている。ドレスや宝石には縁のないありふれた生活だけど、わたしにとっては十分に幸せで、だから、あの日ユーナの手を取ったことに後悔はない。

「ねえ、ユーナ」

「ん、なんだい?」

「愛していますよ」

「ふふ、いきなりどうしたんだい?私も愛しているよ、セリ」

 そっと、二人の影が重なった。

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