7.事情は人それぞれですけれど
あまり他人には聞かれたくないというレオニスの希望をくんで、二人一緒にわたくしの寝室に戻る。扉のすぐ外や窓の下には警備の者が控えているけれど、声を抑えて話せば彼らには聞こえない。
寝台に並んで腰を下ろし、レオニスが話し始めるのを待つ。
「……私は、アルジェ公爵家の血を引いてはいる。だが、一族の者は私を一段も二段も下に見ている。というより、あからさまに蔑んでいる」
そうして、彼は事情を語り始めた。話の内容に似つかわしくないほど淡々と。
レオニスはアルジェ公爵家の当主の兄の息子、つまり現当主の甥にあたる。
ただ彼の両親は、大いに訳ありだった。そしてそのことが、レオニスの人生を狂わせてきた。
彼の父は、公爵家の長子であることを鼻にかけてやりたい放題、湯水のように金を使い、目下には威張り散らし、あげく平民たちともめて大騒ぎに……とまあ、とんでもない人物だったらしい。
レオニスの母は平民の、それもどうやら酒場の女性らしい。「俺が公爵家を継いだら、君と結婚しよう」とかなんとか、そういった甘い言葉に引っかかったのだとか。
そうして結局、レオニスの父は跡継ぎの座から放り出された。彼の弟が、公爵家を継ぐことになったのだ。
レオニスの父は金目の物をくすねて、レオニスの母とは違う女と手に手を取って出ていった。それ以降、音信不通になっているらしい。
レオニスの母はアルジェ公爵家の片隅で、たいそう肩身の狭い思いをしながらレオニスを育てていたが、彼が十の歳の時に体を壊して亡くなったのだとか。
「父は私を公爵家に置いていった。連れていくだけの余裕がなかったか、そもそも愛着がなかったのか……。寂しくなかったといえば嘘になるが……それ以上に、父のようにはなりたくないと、幼心に思っていた」
「……あなたはあなたで、苦労してたのね」
「そうかもしれない。アルジェ公爵は、父親のようになったらいつでも放り出すぞと、いつもそう言っていた」
それはどんな幼少期だったのだろうか。想像もできない。
ずっと優しい両親と共に過ごしてきて、両親を亡くした後もじいややばあや、たくさんの使用人のみんなに支えられてきた私には。今の私にとって、じいやたちはみんな家族のようなものだったから。
「……そうして、いつぞやのあのパーティーの直前、アルジェ公爵は私にこう言った。『あのオウリーの当主に取り入ってこい。どうにかして、婿に選ばれるんだ。いいな』と。失敗すれば、私は身一つで家を追い出される」
「……それ、利用されているって言わないかしら……」
「私もそう思う。だが、今まで育ててもらった恩もある。それに私は、貴族の世界しか知らない。公爵家を追い出されたら、どうやって生きていいのか分からないんだ」
ひとまず、これで面識すらない彼がいきなり求婚してきて、しかもこうまで食い下がっている理由は分かった。でももう一つ、分からないままのことがある。
「そう、だったの。……でも、あの求婚の時の態度はなんだったの? あれでは、断ってくださいと言っているも同然よ」
私の問いに、レオニスは恥じらうように目を伏せた。
「実は、その……私は一族の者以外とろくに付き合いがなくて……一族の者が外部の者に頼みごとをする時の口調と態度を、そのまま真似てみたんだ。それこそが、私にとっての『貴族らしいふるまい』だったから」
こちらを見ずに、レオニスがぼそぼそと言う。
「今では、分かっている。あの時の私の態度はおかしかったのだと。……その、もう一度求婚する機会をもらえるのなら、今度こそちゃんとやりとげてみせる」
「ま、まあ考えておくわ。あなたも、なんだかんだで結構頑張っているみたいだし」
レオニスの真剣で誠実な思いが伝わってきて、ものすごくくすぐったくなる。つとめていつもの調子を保とうとしたけれど、ちょっと声がうわずっている。
「……実のところ、三日も持たずに逃げ帰ると踏んでいたのだけれど。じいやの特訓は厳しいし、この城では毎日のようにとんでもないことが起こるし」
「じいやは、私を認めてくれた。その思いに応えたいと思ったら、自然と頑張れていた。確かに驚くようなことばかりだったが、それも新鮮だった。あと」
嬉しそうに語っていたレオニスが、また急に口ごもる。
「それと……できることなら君に認めてもらいたいという、そんな思いもある。アルジェ公爵の思惑とは関係なく、私自身がそう望んでいるんだ」
「でも、私と一緒になってもいいことなんてほとんどないわよ? 金と引き換えに、命を狙われるのだし。求婚者のみなさまは、オウリー家の財産に目がくらんで気づいていないみたいだけど」
「だからなおのこと、君のそばにいて力になりたい。そう、思った」
熱心な彼の言葉に、どんどん恥ずかしさがつのっていく。耳が熱くなっていくのを悟られないように、軽くうつむいてふるふると首を横に振った。
「と、とにかく今日はもう寝ましょう! そしてまた明日から、一緒に頑張りましょう、ね?」
レオニスはとても柔らかく、穏やかに笑った。またしても心臓が一つ、大きく跳ねた。
そんなことがあってからも、わたくしたちは大体同じような日々を過ごしていた。
ただ……わたくしとレオニスの距離が、ちょっと近くなった以外は。
「こうやって庭を歩くのも、いいものね。普段はどうしても気を張ってしまうから。あなたがいてくれると、ほんの少しだけ肩の力が抜ける気がする」
その日わたくしとレオニスは、庭を歩いていた。バラの花が特に見事に咲いたから、ぜひお嬢様に見てほしいと、庭師がそう言ってきたのだ。
でもたぶん、彼にそのせりふを言わせたのはじいやとばあやではないかという気がしているけれど。
じいやは忙しいからと言って、わたくしの護衛の仕事をレオニスに押しつけたし、ばあやはばあやで新作の香水をわたくしに吹きかけていた。花ともハーブともつかない、でも不思議とほっとするような香りだった。
見事に咲き誇ったバラに囲まれて、二人並んで歩く。と、レオニスが不意に足を止めた。恥じらうような表情だ。
「……私は、君を守るつもりではある。だがもし、私が君によからぬ行いに出たら……とは、考えないのだろうか。その、こんな風に二人きりになっていいのか、と……」
「大丈夫よ。わたくしによからぬ行いをした時点で、全力で反撃するから。……でも、わたくしを押し倒そうとするのはお勧めしないわ。それが原因で、ばあやの怒りを買った殿方がいて……ばあやのほうが、怒らせると怖いのよ……」
思い出していたのはパーシーのことだ。わたくしを二回も押し倒そうとした彼は、こんな下半身野獣を放置しておいたら他に被害者が出るだろうというじいやとばあやの決断により、ちょっと特殊な薬を盛られてしまった。
それ以来、彼はすっかり引きこもっているらしい。なんでも彼はわたくしに求婚している裏で、さらにもう三人ほどよその令嬢に手を出していたとかで、そちらの令嬢経由で噂が広まってしまったのだ。
パーシー様、あっちのほうはすっかり役立たずになられたみたいよ。
あらいやだ、だったら結婚しても子作りできないじゃない。そんな人を婿にはできないわ。
それ以前に、あちらが役立たずな伴侶なんて……ねえ。
容赦のない令嬢たちは、そんなことをあっちこっちで喋りまくった。元々色男として浮き名を流していた彼にとって、その噂は死刑宣告と同様に感じられたらしい。
でも、まだばあやの怒りは解けていない。あの感じだと、たぶんあと半年くらいはこのまんまだろう。
わたくしの考えていることは分からなくても、表情から何かを察したのだろう。レオニスは神妙な顔でうなずいた。
「……そうか。肝に銘じよう」
「でもあなた、初対面でこそ偉そうだったけれど、その時も、それからもずっと紳士的よね?」
「そう……だろうか」
「ええ。どうしても婿にならなくてはという悲痛な感じはあったけれど、無礼なところはなかったわね」
「……だとしたら、嬉しい」
周りには、色とりどりのバラ。ふくよかな香りが、わたくしたちを包んでいる。
「こんな風に、殿方と一緒に花を見て歩くのが楽しいなんて……こんな風に思えたのは、初めてよ」
言ってしまってから、ちょっと照れ臭くなった。でもその照れ臭さは、何とも言えない胸の高鳴りに変わっていく。
レオニスが泣き笑いのような顔で、こちらを見つめていたから。
「私も、楽しい。ありがとう、リリーベル」
この上なく優しく、愛おしげに名前を呼ばれた。たったそれだけのことなのに、どきどきしてしまって言葉が返せない。
困り果てていたら、レオニスがすっと手を差し出してきた。女性をエスコートする時の動きだ。
ためらいながら、その手を取る。毎日じいやにしごかれているせいか、貴族とは思えないほど皮の固い、しっかりと筋肉のついた手だった。
エスコートされることなんて慣れているのに、不思議なくらいに落ち着かなかった。隣のレオニスも同じような気分なのか、頬を赤らめて視線をそらしていた。
結局わたくしたちは、そんなぎこちない状態のまま、庭を何周も歩き回っていたのだった。




