3.お前呼ばわりって、何様ですの
青年はしばしぽかんとしていたけれど、やがて気を取り直したようにぐっと顔を引き締めた。
「お前、このレオニスを袖にするつもりか!? 私はこのアルジェ公爵家の傍系にして、当主の甥にあたる者だ。私を夫とすれば、オウリー家と我がアルジェ家とのつながりができる。悪い話ではないだろう」
「あいにくと、間に合っておりますので。我がオウリー家は現状で十分に栄えております。上位の家とのつながりなど、不要ですわ」
ああ、また面倒くさい求婚者が増えた。うんざりした気持ちを隠しつつ、彼の言い分をつぶしていく。
「し、しかし! 私は女遊びもしないし、賭け事にも興味はない。お前が領地を治めるのを、邪魔するつもりもない。どうだ、女当主の伴侶としては悪くないだろう?」
レオニスはまだ食い下がってくる。なんだかやけに必死だなあと思いつつ、次の断り文句を叩きつけようとした。
「それにお前も、いい加減伴侶について真剣に考えるべき年頃だ。お前はそう思っていなくとも、周囲はそう考えている。だからこそ、お前にはアリのように男たちが群がるし、それをねたんだ女たちには冷たい目を向けられる」
確かにその通りではある。けれどそれより先に、言っておかねばならないことがあった。
「そうですわね。ですがそれ以前に!」
声を張り上げて、彼の言葉をさえぎる。
「お前お前と、いったい何様ですの。そもそもわたくしとあなたは初対面でしょう」
レオニスがはっとしたように、目を丸くした。そんな彼に、さらに言葉を投げかける。
「わたくしはリリーベル。あるいはオウリー伯爵。お前ではございませんわ。そして、まだどなたとも結婚するつもりはありませんの」
きっぱりと言い切ると、彼は呆然と立ち尽くした。さっきの偉そうな態度はすっかり鳴りをひそめて、途方に暮れたような顔でなにやらつぶやいている。
「だが……私は、このパーティーで、お前に……さもないと……」
「何だか事情がおありのようですけど、他をあたってくださいませ」
しゅんとしてしまった彼を見ていたら、珍しくも罪悪感のようなものがこみあげてきた。そんな気持ちを押し込めて、彼の隣をすり抜けてこの場を立ち去ろうとする。
しかしその時、意外な人物の声がした。
「お嬢様、ここは私にお任せいただけますかな」
庭にひそんでいたらしいじいやが、ひらりとここ二階のテラスに飛び込んできた。こんな激しい動きをしても、執事服には少しの乱れも見られない。いつもながら、見事そのものの動きだ。
「どうしたの、じいや。こんな場に姿を現すなんて」
「いえ、少々気になったことがありましたので」
いきなりとんでもないところから現れたじいやに、レオニスは声も出ないほど驚いている。そんな彼に、じいやは穏やかな声で話しかけた。
「レオニス様、あなたにも何やら事情があることは理解いたしました。その上で、一度オウリーの家に滞在されてはどうでしょう」
思いもかけない言葉だったのだろう、レオニスは驚きを顔に張りつけたまま何も言えないようだった。というか、わたくしも彼に負けず劣らず驚いているのだけれど。
ぽかんとしているわたくしをよそに、じいやはさらにレオニスに話しかけた。
「お嬢様が普段どのように暮らしているのかを実際に近くでご覧になって、その上で改めて求婚されるか否かを決められてはどうかと、私はそう提案いたします」
「分かった。その条件を飲もう。いつそちらに向かえばいい」
「いつでもよろしゅうございます。ただし、おひとりでいらしてください。従者などは連れてこられないように。あなたの身の周りのお世話は、我が家の者たちが心を込めて行いますので」
わたくしには何も尋ねずに、二人はさっさと話をまとめてしまう。じいやにも考えがあるようだし、彼に任せておいて問題はないのだと思う。
しかし突然、客人を迎えるなんて。じいやも珍しいことを言うものね。
「それと、あなたは将来お嬢様の伴侶となる可能性のあるお方として、私たちもそれ相応の対応を致します。よろしいですね?」
あ、違ったわ。客人扱いではなく、わたくしの伴侶候補ということは……大丈夫かしら。
はらはらしているわたくしをよそに、レオニスはじいやともう二言、三言話していた。それから、わたくしたちに会釈して去っていった。その背中を、じいやと二人見送る。
「……ねえ、じいや。彼、そこまで根性があるようにも、図太いようにも見えないけれど……本当に、伴侶候補として扱うの? 大丈夫かしら?」
わたくしの伴侶。それはすなわち、このとんでもないオウリー家の裏側を知るに足る者であり、かつ当主であるわたくしを陰日向に支えるための能力を備えている者でなくてはならない。
わたくしが中々婿を選べずにいる本当の理由は、こちらだった。こんなとんでもない人間、そうそういない。となると、見込みのありそうな人間を鍛え上げることになる訳で……。
レオニスは、高位の貴族にありがちな、ごく普通の偉そうな青年に見えた。大丈夫かしら。
「大丈夫だと思いますよ。彼は確かに公爵家の人間だけあって尊大ですが、根は純粋でまっすぐです。今時珍しいくらいに。それに、頭も悪くないようです。もしかしたら、いい拾い物になるかもしれませんよ」
「じいやがそこまで言うのなら……任せるわ。心配だけれど」
「はい、任されましてございます」
そうしてじいやは、いつものとっても優雅なお辞儀をした。
その日は、パーティー会場となったアルジェ公爵の屋敷に泊まった。
というのも、オウリーの城からこの屋敷は微妙に遠いからだ。わたくしの他にも、遠方からきた客人が何人も泊まっている。
でも、わたくしにはゆっくり眠る暇すらなかった。
「はい、これで三人目ですわね。まったく、こんなところまで縄を持ってくるはめになって、しかもそれが役立つなんて。これなら徹夜してでも、まっすぐにオウリーの城に帰っておけばよかったわ」
すっかり静かになった深夜。わたくしは荒縄でぐるぐる巻きにされて芋虫のようになった不審者を、客室の入り口から廊下に蹴り飛ばしていた。寝間着のまま。
「妙齢の女性の寝所に、自分勝手に忍び込んでいくとは……同じ男性として、恥ずかしゅうございますね」
憤りを隠せない声でそう答えながら、じいやが転がってきた縄芋虫、もとい不審者を担ぎ上げていた。
家から連れてきた執事たちが不審者を受け取って、どこかへ運び出していく。
「……これは、どういう状況だ?」
「あら、レオニス。こんばんは。まだ眠っていなかったの?」
そうこうしていたら、レオニスがひょっこりと顔を出した。
彼はこのアルジェ公爵家に連なる者ということだし、様とか何とか、敬称をつけるべきだということは分かっていた。でもどうにも、そういう気分にならなかった。
わたくしにとっては、彼もまたわたくしの夫の座を狙う面倒な男性の一人でしかなく、敬う気持ちがこれっぽっちもわいてこなかったのだ。じいやは彼に何かの可能性を見出しているようだけれど。
だからもう、形ばかりの礼儀は投げ捨てることにした。それでごちゃごちゃ言うようなら、退場してもらうまでだ。
「どうにも眠れなくて、外の風を吸おうと廊下に出たら……物音がしたような、そんな気がした」
しかしレオニスは呼び捨てにされたことを気にしていないらしい。眉間にくっきりとしわを刻んで、難しい顔で尋ねてくる。
「それより、おま……君は寝間着姿でなぜか縄を手にしているし、今しがた運ばれていったのは、確か男爵家の子息だったような……どういう状況なのだろうか」
あら、彼はわたくしの呼び方を『お前』から『君』へ変えている。わたくしの注意を受け入れるつもりはあるらしい。
その気配りに敬意を払って、答えてあげましょうか。彼の疑問に。
「ええ。あれは、夜這いに来た不届き者をつまみ出しただけよ」
「よっ、よばい……」
どうやらその言葉は、レオニスには刺激が強かったらしい。彼はわたくしより少し年上に見えるのに、何ともうぶなことだ。
「わたくしはこの細腕で、とびきり豊かなオウリー家を支えているの。そんなわたくしを力ずくでどうにかしてしまえば、わたくしとオウリー家を同時に手にできると、まあそんな浅はかな考えを起こす殿方が後を絶たなくって」
世間話をしているような軽い口調でさらりとそう言うと、なぜかレオニスはちょっと苦しそうな顔をした。もしかして、同情されているのだろうか。
「もっとも、おとなしく押し倒されるつもりは毛頭ないわ。ふらちで礼儀知らずな方には、それ相応のもてなしをして差し上げることにしているの。ちなみに、さっきの方で今晩三人目よ」
「三人目……それは、何というか……」
とびきり苦い薬でも飲みこんだような顔をして、レオニスが何やら考え込んでいる。やがて彼は顔を上げて、わたくしをまっすぐに見つめた。
「それでは、君もおちおち眠っていられないだろう。……その、私でよければ、警護を務めようか」
「いえ、間に合っているわ。見ての通りね」
「なぜだ!?」
彼なりに、考えての提案だったのだろう。あっさり断られて、彼は本気で驚いている。
しかしわたくしは彼のことをそこまで信用していないし、実際に警護の手は足りている。
「今晩ふらちな真似に出そうな方々は、もうみな片付いたわ。それに警護なら、じいやと執事たちだけで十分なの。むしろ今のあなたでは、足手まといになりかねないのよ」
そのままの事実を、歯に衣着せずに叩きつける。いい加減眠くて、わたくしもいらだち始めていたのだ。
「それではわたくし、そろそろちゃんと眠らなくては……どうぞ、お引き取りを。話があるというのでしたらまた後日、オウリーの城に来てからにしてちょうだいな」
そう言って一礼し、ゆっくりと寝台に向かって歩いてみせる。背後から、レオニスの「失礼した!」という焦った声が聞こえてきた。遠ざかる足音と、扉の閉まる音も。
確かに彼は、見込みがあるほうかもしれない。眠くてうまく動かない頭でそんなことを考えながら、寝台にもぐりこんだ。
枕の下に隠してある、ばあや特製の眠り薬の入った香水瓶をしっかりと握りしめて。