2.嫉妬されるのもいつものこと
その日、わたくしは着飾ってパーティーに出ていた。正直、気が重かった。
オウリー伯爵家の当主となってから、こういう場にはほとんど顔を出していなかった。
当主としての仕事をこなすので精いっぱいだったというのもあるし、オウリー家の財産狙いの男たちが群がってくるのが面倒だというのもあった。
けれど今回ばかりは、出席するほかなかった。このパーティーを開いたのは、最上位の貴族である公爵家の当主なのだ。
王家ともつながっている高貴な人たち相手に、余計なもめごとを起こしたくなかった。……万が一もめても、何とかなるという確信はあったけれど。
「リリーベル殿、エスコート役はおられないのですか?」
「よければ私が」
「いえいえ、そこは私にお任せあれ」
「割り込むな、先に申し出たのは私だぞ」
そうしてパーティー会場にたどり着いたわたくしは、あっという間に若い男性たちに囲まれていた。予想通り過ぎて頭が痛い。ああもう、だから来たくなかったのよ。
彼らがさわやかな笑顔で、しかし小声で争っているのをぼんやりと見ながら、こっそりと扇の陰でため息をつく。
当主となってから三年間、わたくしは人間の醜いところをたくさん見る羽目になっていた。
色に金に地位に、そんなものに目の色を変えた人たちを。上品な微笑みの奥に、獣のような欲望を秘めた人たちを。
そんな訳で、わたくしは色恋沙汰にも中々興味を持てずにいた。少なくとも今わたくしの目の前で争っている殿方たちに対して、恋心を抱くことは決してないと断言できる。
色恋といえば、先日ふらちな真似に及ぼうとしたパーシーは、結局生かしておくことになった。笑顔で静かに怒り狂うばあやとじいやをなだめるのが大変だった。
……とはいえ、実は見てしまった。ばあやがとんでもない薬を調合して、じいやに渡していたところを。
いずれあの薬は、何らかの方法でパーシーの口に入るのだろう。二人がその薬をやり取りしているとき、パーシーの名前が聞こえたから。
あの、とんでもない薬……要するに、こう、男性のあちらのほう、というか下のほうの機能を弱らせて使い物にならなくするというか……まあ、ふらちな行いに及びたくても及べなくなってしまう、そんな薬だ。
わたくしが当主になってから、何回か見たことがある。ほんのり光っているのではないかというくらいに鮮やかな黄緑色の、見るからに毒々しい薬だ。
あの薬を盛られてしまえば、たぶんパーシーの社交界における評判が少々……微妙なことになる可能性もあると思うけれど、そこまでは面倒見切れない。
たぶん、彼が十分に反省したと判断したら、ばあやはきちんと解毒剤を作ってくれるだろう。あるいは折を見て、私のほうから頼んでみたほうがいいだろうか。
それでなくても考えることが多いというのに、余計な仕事を増やさないでほしい。ふうと息を吐いて、まだもめている男性たちに向き直る。
「少し、外の空気を吸ってきますわ」
ぴしりと強めに言い放って、その場を離れる。わたくしを取り巻いていた男性たちは、その気迫に押されたのかついてはこなかった。
いったん会場である大広間を出て、テラスに向かうことにする。少し一人でゆっくりしたかったのだ。
とはいえ、同じように会場の外で気分転換している招待客は多い。廊下も、上品なざわめきに満ちていた。
廊下の角に集まっている数人の令嬢たちが、わたくしの姿を見てはっと息をのんでいる。それから見せつけるように顔を寄せ合って、やけに大きな声でひそひそと話し始めた。
「あの方、オウリー家のリリーベル様よね」
「あの年で伯爵家を背負って立つなんて、私には無理だわ」
「ええ。りりしい……というか、たくましいというか、男勝りというか」
「正直、ちょっと怖いですわ」
「でも殿方たちは、いっつもリリーベル様を取り巻いて」
「あれって、オウリー家の財産狙いでしょう? 大変ですわね、たくさんお金があると。あんなふうに不誠実な殿方がわらわらと集まってきて」
「わたしだったら、愛しい殿方一人だけいればいいなあ」
「そうよね。ああ、オウリー家みたいなところに生まれなくてよかった」
彼女たちは分かりやすくちらちらとこちらを見ながら、そんなことをささやき続けている。要するに、陰口だ。まあ、パーシーみたいに実害はないし、好きにさせているけれど。
……というか、うっかりここでわたくしが傷ついたなどと愚痴ろうものなら、あの過保護のじいやとばあやが何をするか分からない。
必要に応じてあきれるくらいに様々な薬を作ることができるばあやと、どこへでも忍び込むことができて、様々な工作を行えるじいやと執事たち。彼女たちはその気になれば、それこそ王の暗殺だってやってのけそうで怖い。
わたくしは二人の大切なお嬢様で、そして二人の主だ。二人のようにぶっ飛んだ能力を持たないわたくしだけれど、この二人をどうにかなだめつつ領地を統治していくのは、きっとわたくしにしかできない仕事だ。
誰にも弱音を吐けないのは少し辛くもあるけれど、それでもオウリーの家を守っていくためだから、これくらいは耐えてみせる。
「ごきげんよう、みなさま。今日はとっても素敵な日ですわね。それでは、ごきげんよう」
だからことさらに上品に笑って、令嬢たちのそばを通り抜けた。彼女たちはみなとっても気まずそうな顔で、視線をそらしていた。
やがて、目的のテラスにたどり着いた。パーティー会場である大広間からは一番遠いテラスに来たということもあって、他に人はいなかった。
ここに来る途中にあったテラスはどれもこれも男女の逢引の場になっていて、とても休める状況ではなかった。どうにかこうにか静かな場所を見つけることができて、本当に良かった。
テラスの端まで歩いていき、手すりにもたれてふうとため息をつく。目の下には、美しい庭が広がっていた。
「まったく、なんとも居心地の悪いパーティーですわ……誰も彼も、恋だの愛だのに浮かれて……かと思えば、富に目がくらんでいたり、口さがない噂話に興じていたり」
そうぼやきつつも、少しだけうらやましかった。そんな風に浮かれられるということが。
私だって、まともな殿方と知り合うことさえできれば。そう思うものの、どうにもわたくしの周りに素敵な出会いは落ちていないようだった。城のみんなはとても頼りになるし信頼しているけれど、城の外にはろくな人がいない。
「……とはいえ、いつかはわたくしも婿を取らないといけませんし……いつまでも殿方を遠ざけている訳にはいきませんわね……」
しかし、どうやって選んだものか。いっそ、ばあやとじいやに丸投げしてしまったほうが早い気もする。
「今のオウリー家の状況からすれば、婿はより取り見取りなのでしょうけど……多すぎて、どう選んだらいいのか分からない……」
婿、募集してます。そんなことを公表すれば、それはもうとんでもない数の希望者が集まるだろう。想像して寒気がした。
「それにわたくしの性格では、燃えるような恋など望みようがないし……ちょっぴり、憧れはするけれど」
はあ、ともう一度ため息をついた時、背後に気配を感じた。
誰かがテラスの入り口に立って、こちらをのぞき込んでいる。じいやに護身術を叩き込まれているので、わたくしも一応気配くらいは読める。
その気配が、こちらに近づいてきた。テラスの石の床に、こつんこつんと足音が響く。あのゆったりとした足取りは貴族だろうか。殺意は感じない。
それでも一応、いざという時に備えて隠しポケットから睡眠薬の入った香水瓶を取り出し、そっと手の中に握って隠す。
まあ、じいやの命により執事や使用人が数人、わたくしの護衛としてその辺の物陰にひそんでいるので、たとえ襲われたとしても最初の一撃をやりすごせば何とかなる。
こんな用心をしておかなくてはならないくらいに、ここ三年のわたくしの生活は過酷だった。どうやら遠い親戚に雇われたらしい暗殺者にも、何回か出くわしたし。
そんなことを考えている間にも、背後の人物はどんどん近づいてきていた。少し離れたところでぴたりと立ち止まり、小さく息を吐いている。
「リリーベル・オウリーだな」
まだ若い、凛とした男性の声。振り返ると、中々に上品な、整った顔の貴族の青年が立っていた。妙に気品があるのはいいとして、やけに切羽詰まった様子だ。
知らない顔だけれど、私にいったい何の用だろうか。そんなことを思いながら、スカートをつまんで優雅にお辞儀をする。
「はい、わたくしがリリーベル・オウリーにございます」
すると彼は尊大につんとあごを上げて、一気に言い放った。
「お前、私を夫にしろ」
「嫌です」
「なぜ!?」
間髪を入れずに断ると、彼は呆然と立ち尽くしてしまった。