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1.この程度はいつものこと

「リリーベル、もう我慢できない! 私は、君が欲しいんだ!」


「おやめになって、パーシー様! わたくし、心の準備が!」


 どうにかパーシーから逃れようとしたけれど、彼はしっかりとわたくしの両肩をつかんでしまっていた。そのままわたくしの体が、ソファの上に投げ出される。


 そして抵抗もむなしく、彼の顔がどんどん迫ってきた。




「……わたくしを押し倒そうだなんて、百年早いですわ。しかも真っ昼間から、応接間でなんて。ああもう、はしたないったら」


 ソファの上でうつぶせになって気絶しているパーシーを見下ろしながら、ふんと鼻を鳴らす。手にした小さな香水瓶を、ドレスの隠しポケットにしまいこんだ。


「リリーベルお嬢様、どうやらきちんとご自身の力で切り抜けられたようですね」


 応接間の入り口の扉が開いて、ふっくらとした老女が入ってくる。わたくしの教育係兼薬師のばあやだ。


「ばあやの薬のおかげよ。一吹きしてやったら、すぐに眠ってくれたわ」


 彼女ににっこりと笑いかけたその時、応接間の飾り棚が内側からばんと開いた。その中から、背の高い老人が出てくる。わたくしの世話係兼使用人の頭であるじいやだ。


「万が一睡眠薬が効かなければ、私がこっそりと吹き矢で眠らせるつもりでした。しかし、お嬢様にふらちな真似をしようなど……ナイフを投げてやりたいという気持ちを抑えるので精いっぱいでした」


「じいや、さすがにそれは最後の手段よ。オウリーの城に来た客が謎の怪我をしたなんてことになったら、噂になってしまうわ」


「……そのまま行方知れずになっていただくという手もありますぞ。私たちの力をもってすれば、十分に可能です。執事たちも他の使用人たちも、それは立派に育ちましたからな」


「ふふ、頼もしいわ。でもそれはいざという時に、ね」


 どうやらじいやは、本気でパーシーに怒っているようだった。とんでもないことをしでかさないように、あえてのんびりとした態度で答える。


 その間にも、メイドたちと執事たちがぞろぞろと応接間に入ってきていた。


 メイドたちはソファの横の机に酒瓶とグラスを置き、いかにもついさっきまで酒を酌み交わしていたという状況を作り出している。


 執事たちは慎重にパーシーを動かして、あおむけにさせている。その顔にそっと別の薬を吹きかけると、パーシーの顔がほんのりと赤くなった。


 わたくしと差し向かいで飲んでいたパーシーは、つい飲みすぎて眠りこけてしまった。そんな状況をでっちあげているのだ。これなら、目覚めたパーシーもそう不自然には思わないだろう。


「それにしても、お嬢様にたかる虫を何匹叩きのめせばいいのかしらねえ」


「仕方ありません。このオウリー家も、そしてお嬢様も、彼らにとってはこの上なく美味な果実のように映っているのでしょうから」


 ばあやとじいやが、そろってため息をつく。ため息をつきたいのは、わたくしも同じだった。


 わたくしは、オウリー伯爵家の一人娘だった。跡継ぎとして、ごく普通の生活を送っていた。


 三年前の、あの日までは。


 あの日、両親を乗せた馬車が崖崩れに巻き込まれ、わたくし一人が残された。


 当時まだ十三歳だったわたくしは、いやおうなしに当主の座を継ぐことになったのだ。


 オウリー家が普通の家であれば、それでもこんな苦労をせずに済んでいただろう。けれどオウリー家は、ちょっと、というかかなり特殊な家だった。


 昔々、それこそ百年以上前のオウリー家は、豊富な資源を有するちょっと裕福な貴族に過ぎなかった。


 けれどわたくしのひいおじい様が、思い切った行動に出た。


 ひいおじい様は国内外の優れた職人を多数呼び寄せて、資源を加工してから領外に売りつけ始めたのだ。これによりオウリー領は栄え、その噂を聞きつけてさらに人が集まり、さらに栄えていって。


 いつしか、オウリーの当主が住むこの城を取り囲む城下町は、第二の首都と呼ばれるまでになっていた。一伯爵家に過ぎないオウリー家は、莫大な富を手にしたのだ。


 そんな家を、突然十三歳の小娘が継いだ。当然、他の貴族たちはこう思う。あの小娘をどうにかできれば、あの富は自分のものだ、と。


 わたくしが当主となってすぐに、婚約を申し込む手紙が文字通り山ほど舞い込んできた。のみならず、わたくしの気を引こうとしているのか、贈り物も山のように届いた。


 まだ両親の死から立ち直れていなかったわたくしは、それらを前に途方にくれることしかできなかった。


 そんなわたくしを助けてくれたのが、じいやとばあや、そして使用人のみんなだったのだ。


 じいやの一族は代々オウリー家に仕えていて、様々な格闘術、それに偵察やら隠密やら、そんな技能を身につけているらしい。


 若い頃はクマを素手で倒せたって聞いたけど、さすがに冗談よね? と尋ねたら「今でも倒せますぞ」と涼しい顔で答えてきた。


 そうしてじいやはわたくしに護身術を教えてくれた。わたくしは見た目通りの非力な女性でしかないけれど、それでも不意を突けばそこらの殿方に負けはしない。


 この護身術のおかげで、幾度となく危機を乗り越えてきた。小娘だからとあなどって、力ずくでものにしようとする馬鹿がそこそこいたのだ。ちょうど、さっきのパーシーのように。


 さらに、じいやは城の使用人たちをも鍛え上げている。今この城にいる人間だけで、軍隊の一つくらいは楽々叩きのめせるらしい。そんな事態にならないことを切に祈る。


 そしてばあやの一族も、同じように代々オウリー家に仕えてくれている。こちらの一族は、様々な薬の知識を受け継いでいるのだ。


 普段はわたくしの健康管理をしてくれているばあやだが、同時に身を守るための様々な薬を調合してくれている。さっきパーシーを眠らせたのも、その一つだ。


 あと、わたくしにとてもしつこく付きまとっていた貴族が、突然体調を崩してしまうことも何回かあった。


 もしかしてばあやが何かしたのではないかと、そう尋ねてみたらはぐらかされてしまった。「あらまあ、怖いお話ですわねえ」などと言って。


 ともかく、そうやってみんなの手を借りて、わたくしはどうにかこうにか当主を務めることができていた。


 しつこい求婚をはねのけて、小娘とあなどって不利な商取引を持ち掛けてくる相手を追い払って。


 この三年間、忙しかった。両親の死をいたむ暇すらないくらいに。


 そんなことを思い出していると、背後からじいやとばあやのひそひそ声がした。


「ところで……こちらの方は、いかがしましょう」


「そうねえ……お嬢様に手を出そうとしたのは、これで二回目。懲りない方のようですし……そろそろ、強引に退場していただくしかないかしら」


「ええ、私も同感です。今日はこのままお帰りいただくとして……今後は、出入り禁止といたしましょうか」


「それでは手ぬるいわ。お嬢様は私たちがお守りできるけれど、この方を野放しにしておいたら、他のお嬢さんがひどい目にあわないとも限らないもの」


「ふむ、では徹底して……ですかな」


「徹底して、秘密裏に、オウリーとの関係を悟られぬように、ですわ。私の得意分野で何とかしますから、協力、お願いしますね」


 何だか、たいそう不穏な方向に話が進んでいるような気がする。おそるおそる、二人に声をかけてみた。


「ねえ、じいや、ばあや。あなたたちはパーシー様を……その、どうするつもりなのかしら?」


「内緒ですな」


「お嬢様はそんな細かいことを気にしなくてもいいのですよ。当主らしく、どんと構えていてくださいな」


「少なくともあの方がこれ以上お嬢様をわずらわせることは、もうないでしょうから」


 そう答える二人の目が、笑っていない。嫌な予感しかしない。


「あ、あの、ね!」


 どうにかこの二人を止めなくては。パーシーは確かに考えなしで軽薄で自分に酔っていて面倒くさい人だけれど、かといって死ねばいいとは、さすがに思わない。


「わたくしも、もう当主になって三年でしょう。わたくしをずっと支えてきてくれたあなたたちの働きについて、もっとしっかりと知っておきたいの。あなたたちの主として」


 とっさにこしらえたそんな言い訳を聞いた二人は、同時に目を見開いた。それから同時にハンカチを取り出して、同時に目元に当てる。


「ああ、お嬢様がすっかり立派になられて……」


「そうね、本当に素晴らしい当主になられたわ……」


「と、ともかく、パーシー様をどうするかについての話し合いには、わたくしも参加します。いいわね?」


 その時、二人の視線が同時に動いた。その先には、眠ったまま身じろぎしているパーシーの姿。


「……もうそろそろ、目覚めそうですわね。それではお嬢様、私たちはいったん下がります。いつものように、うまくごまかしてくださいね」


「私は引き続き、こちらに待機していましょう」


 そんな言葉と共に、ばあやは扉から出ていった。メイドたちと執事たちは既に作業を終えて、応接間を後にしている。そしてじいやは飾り棚に入り込んで、器用に内側から扉を閉めた。


「……さあて、ここからはわたくしの演技力の見せ場ですわね。一緒にお酒を飲んでいたのだと思わせて、さっきのことは酔って見ていた夢なのだと信じさせる。……ああ、面倒だわ」


 パーシーが眠っているソファの向かいの椅子に腰を下ろし、深々とため息をついた。パーシーがゆっくりと目を開けるのを、うんざりした気分で眺めながら。

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