42.まだ終わりじゃない
「――遠隔防御魔法!」
俺が自分の誤った判断で、死を覚悟した直後。
詠唱が聴こえた。
聴き馴染みのある、頼りないけど優しい声。
その方向を振り向かずとも、その声の主はもちろんわかっていた。
わかっていて当然だ。
わかっていたからこそ、驚いたのだ。
(はぁ、まったく……)
目の前に展開された防御壁が、赤黒い果実の爆発を防ぐ。
半透明ながら強固なそれは、敵に向かって降下する俺を護っている。おかげで攻撃をなんとか凌いで、赤い刀身をそのままの体勢で大きく振りかぶった。
「はぁっ!」
ガキィン、と鈍い音が石畳の地面に響く。
大雑把な狙いで繰り出した一撃は、敵が瞬時に飛び退いたこともあって空振りに終わった。
空中から落下した衝撃で手足がびりびりと痛む。
『あれ、まだ居たのあんた?』
敵の少女が無表情な流し目をくれた方向――そこにいた相手は。
「逃げません! 私は、もう……!」
なけなしの勇気でその場に留まっていたのは、狐耳の少女。
小さく頼りない両手は、小刻みに震えながらもしっかりと木でできた杖を握っている。自分の敵と改めて向かい合う彼女は、きっと今もこうして両脚で立てていることが不思議なくらいなのだろう。
だがその頼りない立ち姿とは対称的に、フェルトの瞳は強い眼差しを正面に向けていた。
俺自身も初めて見るような、強い意志を持った真っ直ぐな眼差しだった。
『そんな小鹿みたいに怯えてるあんたに、一体何が出来るっていうの? こいつの言う通り、役立たずなあんたは一刻も早く逃げた方がいいわよ』
不敵な笑みを浮かべた少女は、塔の頂上から生やした蔓を再生させてうねらせる。
まるで大蛇のような挙動を見せるそれは、未だこの場に留まり続けた俺たちに再び襲いかかってきた。
迫り来る数本の蔓を跳んでかわし、なるべく根元に近い部分を切り裂いていく。他数本がフェルトのもとへ向かっていくのが視界に入ったが、フォローに入る余裕がない。
視界の奥で目で追っていたフェルトは、その場から一本も動かずに杖を握りしめていた。
そして、何かを振り切ろうとするような口調でフェルトは言う。
「――怯えているかもしれません、役立たずかもしれません、でも私は……自分で選んだ道から逃げたくないんです! たとえ誰かから『危ないから逃げて』なんて言われても、絶対! 私は、甘い道に逃げていた自分を変えたいんです!」
フェルトの周りに広がる防御壁。
敵の攻撃に合わせて分割して展開されたそれは、半円の陣形を描いて使用者を護る。凶暴な動きでフェルトを潰しにかかる蔓を、一本一本的確に。
(でも、あのままじゃまずい……)
フェルトの膨大な魔力を持って生成された防御壁は、たしかに蔓の強撃を受け止めてはいる。
だがそれで一杯になっているところを、本命の爆ぜる果実で追撃されたら。
息が絶え絶えになってきた。
蔓を捌ききって本体を討ち果たすまで、どれだけ手傷を負わずに済むか。
『へぇ〜、小狐ちゃん、あんた意外と硬いわね?』
魔族の少女が、今はフェルトに視線と標準を合わせている。
前線で立ち回っている俺には目もくれない。
彼女の狂気が、フェルトに注がれていく。
「うぅっ……、」
追撃、追撃、追撃。
思わず一歩退きたくなるような蔓の執拗な連撃を、防御壁が破壊されては生成し直してを繰り返し。
苦しい状況の中、次第に彼女の魔力量でも防御に専念することさえ厳しくなっていく。
怯まない彼女の強い意志に、亀裂が走る。
「っ、フェル――」
俺の身体に走った、衝撃。
なんとか立ち回っていたものの、ついにそのツケが回ってきたらしい。
腹部、いや胴体全体に太い蔓の鞭がめり込んだ。
瞬間的に息が止まり、気づいたときには民家の壁に背中を強打していた。
「がっ、ぁ……」
飛びかけた意識をすんでのところで保ちながらも、痛みで身体は動かない。
喉から血が嘔吐物のように逆流し、吐血した。
目が、頭全体が掻き回されているようだ。
情けなく膝から地面に崩れ落ち、倒れ込んだ俺はそれでも腕で這うように前へ進もうとする。
「お、お兄さんっ……!!」
俺を呼ぶ声。ぼやけた視界に映った、さらに巨大な蔓。
「にげ、ろ……」
声が、うまく出せない……
張り合いのない俺の忠告は、フェルトの耳には届かない。
フェルトの背後、地面を突き破って出現した最大クラスの蔓。正面での防御に集中していたフェルトは、突然の不意打ちに完全な防御壁を張る判断が遅れてしまう。
「……ぁ」
その場しのぎで生成した薄い防御壁は、無惨にも一瞬にして蔓に打ち砕かれ。
フェルトのすぐ足下の地面を強かに叩きつけた。
伝播する振動と衝撃で、踏ん張りの効かなくなったフェルトの身体は宙に投げ出される。
フェルトの細い体躯が石畳に叩きつけられる直前、一本の蔓が彼女の身体に巻き付きつく。
奇しくも彼女の落下を助ける形となったものの、蔓はその見かけにはよらず確かな殺意と狂気を持って、彼女の身体を締め上げていく。
「うぅっ……!!」
為す術なく拘束を許してしまったフェルトは、苦悶の表情を浮かべて呻く。
手に握っていた初心者用の木の杖は、まるで小枝のように容易くへし折られてしまう。
フェルトの華奢な肉体をあと少しのところで壊してしまうというところで、蔓は締める強さを変えずに空中で静止していた。
『アハハハッ!! どう? 痛いわよね? もっと聴かせてちょうだい、あんたの叫び――絶望に満ちた絶叫を!!』
その様子を、まるで喜劇でも見ているかのように無邪気な笑みで眺める少女。
少女の目にフェルトの苦しみは、単なる愉悦としか映っていないことだろう。
だがもう、彼女の『遊び』も終わる。
「くっ、そ……」
声がうまく出せない。立ち上がれない。
動け、と脳で命じたところで身体は言うことを全く聞かない。
心底思う、役立たずな身体だ。
今日もまた俺は軟弱で脆弱な自分を、恨んでしまうのか。
――やっぱり無理だったんだよ。
もう一人の自分に、そう言われた気がした。
冷ややかな声が、視線が、深い暗闇の中から直接心の中に容赦なく浴びせかけられる。
冷めきった瞳。人を嘲笑うような口調。
――馬鹿か、もう諦めろよ。
今度は本当に嘲笑われた。闇の中から笑い声が響く。
本当に鬱陶しい。黙れよ。これ以上俺を惨めにさせないでくれ。
自分が弱いのは分かってる。
それを忌み嫌う自分が居るのも分かってる。変えたいと思ってる。
けど、それでも変わらないことだって、分かってたはずなんだ。
仲間に見放された自分が嫌になって逃げ出して、馬鹿みたいにギャンブルに溺れてボロボロになって。
それまでも俺は、どの時点の自分も好きじゃなかった。
好きになれなかった。嫌いだった。
でも、生きたい。死にたくない。
自分を嫌いなまま死んだら、あとでどこかで絶対後悔する。
そこは天国かもしれないし、地獄かもしれない。
――もう死んじゃえよ。
今度はあいつが、誘うような薄気味悪い笑みを貼り付けて。
気味の悪いほど青白いその手を差し伸べてくる。
生気のないその手に、今の俺はどうしようもなく魅了されてしまう。
何故か?簡単だ。
俺が今、諦めかけているからだ。
俺は自分の手を伸ばした。青白い手を、指を、ゆっくりと握ろうとしていた。
楽になれる。もうこれ以上、苦しまなくても、自分を呪わなくても済む。甘い蜜を求めて、もがき続けた。
その手を俺が握りかけた、そのとき。
ほんの僅かな思いで俺は思いとどまった。
「捨てて、いいのか……?」
俺を死から遠ざけようとする、ほんの僅かな光。
ほんの僅かな希望。だけどそれは思えば思うほど、俺の中で強くなっていく。
「俺は、先輩に、ハイル先輩に助けられたんだ……」
あの日。オークに食べられかけた、あのとき。
見ず知らずの彼女に、命を救われた。
それも一度や二度じゃない。
人攫いに遭ったときだって、先輩は何も言わずに助けに来てくれた。
彼女のくれた無償の優しさに、俺はただただ戸惑っていた。
だけどその優しさに救われたのは、事実なんだ。
先輩がいたから。そばに居ると言ってくれたから。
月明かりの差す一室で、一緒に強くなろうと約束したから。
「それなのに、俺は……」
ハイル先輩だけじゃない。
フェルトだって、心のどこかで俺を気にかけてくれていた。
俺のパンに対する雑な感想も、フェルトは嬉しそうに聞いてくれた。
俺たちと一緒に戦うことを自分で選んだ。
そして。
今こうして、フェルトは勇気を振り絞って敵に立ち向かっている。
たとえ怖気付いていても、怯むことなく踏みとどまって。
俺よりも遥かに実戦経験も少ないであろう彼女が、誰に強いられることもなく、自分の意志で戦場で闘っている。この街を魔族から守るため、自分の選んだ道を一歩ずつ進むため。
そこまで頑張っているフェルトが隣で戦ってくれているのに、俺は。
俺は、戦わずに地面に伏していていいのか?
目の前で殺されかけているフェルトを、助けないまま死んでいいのか?
見殺しに、していいのか?
――答えは全部、『ノー』だ。
「いいわけあるか、馬鹿野郎!! 俺はっ……!」
動け。足掻け。走れ。痛みなんか関係ない。
見捨てるなんて許されない。許さない。
どんなに辛い状況でも、自分を信じてそばに居続けてくれた人を見捨てるなんて、人としてクズだ。
自分が一度見た光はもう、二度と手放しちゃ駄目なんだ。
前だけ向いて進め。
フェルトを助けるんだろ。
怪我なんて、後でどうにでもなるじゃないか。
『ほら、君も立って。立ち上がるんでしょ、ここから』
立ち上がる。何度でも。
一度見つけた光を、もう二度と逃さないために。
「っ、フェルト……!」
崩れかけた右脚に、最初で最後、最大限の力を込めて。
この一歩があれば、もう迷わない。見失わない。
意識を集中して、深く息を吸って吐く。
クリアになった視界に、自分の目の敵である蔓を映す。
そのほんの僅かな時間。
左手から落としかけた真紅の剣を、両手で握り直す。
刃先を自分の背後に大きく振りかぶり、上半身をねじるように構え。
最後の余力を振り絞って、柄を強く握る。
「【神々の威光よ、我が剣に宿りて】――」
素早く、正確に、俺は歌を紡ぐ。
「【常闇を照らす紅き灯火となり、光と影をもたらさん】――」
紅緋の炎が、刃に宿った。
そして、真紅の刀身は熱を持つ。
一か八か、この一撃に全てを賭ける。
ただの魔法付与を超えた、俺ができる最大限の一撃。
敢えて名前をつけるとしたら――
かつて本で読んだ、魔物の蔓延る地獄を終わらせたと云われる英雄の使う、炎の剣の名からとって。
「――〈灼炎の剣〉!!」
瞬時、纏う赤い炎は色を変えて蒼い光を放つ。
まるで人魂のような、青白い炎。
持てる魔力を存分に注ぎ込んだその一撃に、すべてを賭けて。
大地を踏み切って、突撃。
全体力を攻撃と瞬発力に全振りした、捨て身の一閃。
一瞬にして目標――フェルトを締め付ける巨大な蔓まで飛躍した。
斬るべきものは、もう目の前だ。
「――あああああああああああぁぁぁっ!!」
突進の勢いにのせて、捻った上半身を半回転。
剣先――燃え盛る青白い炎が、弧を描く。
半円を描いた刃は、文字通り蔓を焼き切った。
鮮やかな蒼炎の一閃だった。




