30.なんでもない朝
“朝チュンは逃げ”らしい。
ところで、異世界にすずめなんているんでしょうか?
それはさておき、記念すべき第三十話です。
朝。小鳥のさえずりで目が覚めた。
これが俗に言う朝チュンだろうか?
「……違うか」
意味深な始まり方になってしまったけど、特に俺は何ともない。
ただ、俺が目覚めたのは見慣れない部屋のベッドだった。
部屋に差し込む朝日が眩しい。
大きく伸びをして眠気を払い、部屋を見渡してみる。
そうか、昨日はこのパン屋に泊まることになったんだっけ。
それにしても、空き部屋にしては片付いているし、ベッドも寝心地がよかった。
寝ぼけ目で階段を降り、一階の洗面台へ向かった。
洗面台の位置は昨日から把握していた。
楕円形の鏡には寝癖だらけの俺の顔が写っている。
寝癖は気にせず俺は顔を洗う。それでやっと目が覚めた。
自前のタオルで顔を拭きながら思う。
こういう朝は、久しぶりだ。
朝日で健康的な目覚めを迎えて、寝ぼけ目で階段を降りて洗面台で顔を洗う。そんな誰かにとっては当たり前の朝の日常が、俺にとってはいつからか貴重なものになっていた。
冒険者として旅に出るということは当然、家庭的な日常を捨てるということでもある。
それと同時に思う。
これが冒険者になった俺の感想ならば、これから冒険者を目指すフェルトもこれと同じようなことを思うのではないか。彼女を冒険者にするということは、彼女からこうした日常を奪うことになるのではないか。
どの道、俺が案ずる必要はなさそうだけど。
二階から足音が降りてきて、一階の床を踏んだ。
廊下を歩いてやってきたのは、パジャマ姿のフェルトだった。
さっきの俺と同じく寝ぼけ目を擦っている。
「ん、おはようフェルト」
「ふぇあ? あ、おはようございま……」
……。
謎の沈黙。
「おおおおお兄さん!? ど、どうしてここにいるんですか――!?」
近くの壁にさささっと隠れた彼女は、早口で言った。
「どうしてって……俺昨日から泊まってたから」
「と、泊まっ!? き、聞いてないですよ!?」
聞いてない?
ああ、そうか。嵌められたのか。
・・・
「もう、変なドッキリ仕掛けないでもらえます?」
朝ごはんにフレンチトーストを食べながら、俺は店長さんに不満をぶちまけた。
不満というか、叱責に近い。
「あらあら、ごめんなさい。うっかりフェルトちゃんに伝え忘れちゃったのよ〜」
「うっかり?」
「そう。うっかり。そうしたら面白いことになるかなって」
「計画的犯行ですよ、それ」
まったく、何がうっかりだ。
お陰でこっちは大混乱で目がぐるぐるのフェルトに色々説明させられる羽目になったというのに。いい迷惑だ。
両手を合わせた謝罪のポーズをやめて開店の準備に取り掛かった店長さんを見て、俺は言った。
「何か、俺に手伝えることあります? 何でもいいですよ」
「悪いわよ、そんなの。ルフトくんだってお客さんなのに」
「タダ飯ばっか頂いてちゃ、こっちだって申し訳ないですよ。本当に何でもいいですから」
「そうね……じゃあ、簡単に店内を掃き掃除してくれるかしら?」
「了解です」
フレンチトーストを牛乳で流し込んで優雅な朝食を終えた俺は、カウンターの裏にあったホウキとチリトリを手に掃除を始めた。といっても、床はこまめに掃除されているらしくゴミは少なかった。
ホコリっぽいものを集めながら、店内を掃いた。
ちりとりで集めたゴミをゴミ箱に捨てて、掃除は完了した。
「ありがとう~。助かったわ」
「いえいえ」
掃除用具をしまって、一息ついた。
今日は確か、街の衛兵たちの対策会議に呼ばれてるんだった。
魔族が街に潜んでいるとなっては彼らも大変だ。
俺はこんなにのんびりしていてよろしいのだろうか。
ふと思って、店長さんに訊ねた。
「あの、フェルトって今どこにいるかわかりますか?」
「たぶん、厨房ね。朝の分のパンを焼いてると思うわ」
「わかりました。ありがとうございます」
どうせだったら、フェルトにも訊いてみよう。
店の奥にある厨房に続く狭い通路を通って、その入り口が見えた。
通路には謎の木箱やら木の板やらが並べられており、ここだけはなぜか狭い。
入り口から中を覗く。
そこにいたフェルトに、俺は呼びかけた。
「フェルト、ちょっといい?」
「は、はい!」
不意打ちを食らって驚いた彼女は、びくりと身体を震わせながら振り向いた。
もふもふのしっぽもそれにつられてぴん、と動く。感情豊かなしっぽだ。
「あのさ……」
目的のことを訊ねようと思ったが、心の中で葛藤が起きた。気まずそうに頬を赤らめるフェルトに今言うべきは、それじゃないはずだ。と、俺の脳内で天使が言う。ちなみに悪魔は始めからいない。
「さっきは、ごめん」
「……え、あ、謝らないでください!」
「でも、元々俺が言ってなかったのが悪いから」
「いえ、私こそそれくらい把握しておくべきでした。あと、私の気が勝手に動転してしまったのが悪いんです……その、寝起きを見られて恥ずかしくて……」
最後の方が小声でよく聞き取れなかったけど、ひとまず彼女が気を悪くしていなかったので一安心した。
「今度から、泊まるときはちゃんと言うよ」
「はい! こ、今度から、ですね……」
一悶着あって、俺は本命の話題の方を振る。
「それで、今日時間ある?」
「時間、ですか? お店の準備が終わったら少しありますけど……」
「領主様に昨日の件で対策会議に呼ばれてるんだけど、フェルトも来ればいいかなって。ほら、冒険者になるんだったら本物の魔法とか見といた方が色々、勉強になるし」
本音を言うと、堅苦しそうなあの場所で俺一人部外者っぽく扱われるのが嫌だったからだけど。それにもう、フェルトの意思を俺も尊重していいと思っていた。
俺の誘いに、フェルトは嬉々とした表情で言った。
「行きます! ぜひ、ご一緒させてください!」
***
朝から昼前にかけての売り出しのピークを過ぎたパン屋を店長に任せたあと、午後に俺とフェルトは身支度をして町外れにある兵団の本部に足を運んでいた。
ここと兵団の本部は城壁の中でほぼ対極にあるので、歩いていくにはいささか遠い。だから俺たちは大通りで客を探していたタクシー(というかリヤカーを使った人力車)を捕まえて目的地を目指した。
「お兄さんたち、冒険者なのにギルドじゃなくて兵団本部に用があるのかい?」
道中、俺たちを乗せたリヤカーの運転手が訊ねてきた。
短髪の頭にハチマキをした、腕力のある気の良さそうな男だった。
「はい、ちょっと野暮用で」
「ハハッ、冒険者様の野暮用となっちゃ、運転手の端くれには追及できませんな」
「そうしてくれると助かります」
ただでさえ、情報を街の人に漏らすと厄介な状況なのだ。
メイレスタを突っ切る大通りを、リヤカーは走っていく。
街の市場にいた通行人たちを何人も追い越しながら。
大通りの市場の活気はまったくと言っていいほど失われておらず、いつも通りだった。
むしろいつも通りなのが怖いくらいだ。
「皆さん、今日もいつも通りですね」
リヤカーの荷台、俺の斜向かいに座るフェルトがぽつりと言った。
俺は内心、心を読まれてドキッとする。
「これだけ人がいれば、きっと大半の人は些細なことじゃ振り向きもしないよ」
街の雑音に、俺の声はかき消される。
「でも逆に、大事になったら大半の人が混乱して……」
フェルトは自分の膝を抱え、憂いを帯びた表情で座り込んでいた。これから起こることを憂いているというよりは、それに自らが怯えているようにすら見える、そんな弱々しい表情だった。
リヤカーが角を曲がったところで、運転手が口を開いた。
「最近は何かと物騒ですよねぇ。この間なんか街中で切りつけ騒ぎなんてあったりして。非常識にも程がありますよ」
非常識って言われてるぞ、あの人。
今度会ったら言ってやろう。
街の人々から見たらやっぱりそんなもんなんだろうか。
非常識なエルフがいきなり通行人をぶった斬って捕まった。
それが世間一般の認識なんだ。
俺はその場しのぎで話を合わせた。
「ほんとですね。冒険者の俺でも、旅先が物騒だと落ち着きませんよ」
「でしょう? いつもはこんなこと滅多にないんですけどねぇ。なんたってほら、うちの領主様は代々ご聡明だし、立派な城壁と、それから強力な魔力結界もある。こんなに安全な街、この国じゃ少ないですよ」
「確かに、この街は普段はとても穏やかですよね。街の人たちも優しい人が多いですし……」
「お嬢さんもそう思いますかぁ。まあ、普通の老人ばっかりの村じゃお嬢さんみたいな獣人族は歓迎されませんしねぇ」
道の先に目的地が見えてきた。運転手の男がリヤカーを減速する。
「おっと、目的地の兵団本部ですね。それじゃあお二人さん、心ゆくまでデートを楽しんできてくだせぇ」
「で、デートじゃありません!」
最後の最後で爆弾を投下してきた運転手にきっちりお代の500エルドを支払って、俺たちはそこで降ろされた。
……こんな物騒な場所で、デートなんかしたくない。
今回のお話に出てきたリヤカーですが、現実では自転車と同じ軽車両に分類されるそうです。
なので、荷台に人を乗せて公道を走ったら道交法違反ですね。気をつけましょう(何を)




