29.見守る側
「ただいま」
パン屋のドアを開けると、チャイムが心地よい音を立てて俺を出迎えてくれた。
「あら、ルフトくんじゃない」
会計のカウンター前に立っていたのは、フェルトではなくエプロン姿の店長さんだった。店長さんは俺を見てしばらくの間、無言でニコニコしていた。
「な、なんですか?」
「ううん、おかえり。ルフトくん」
おかえり? パン屋でおかえりっておかしくないか?
あれ、俺さっき「ただいま」って……
「い、今のはちょっと言い間違えただけですから! だから、別に深い意味はないんで……」
「ふふ、これからも、たまにはこうして帰ってきてもいいのよ。私も……もちろんフェルトちゃんだって、大歓迎なんだから」
「……考えときます」
何をだろう。そもそもフェルトは冒険者を目指してここから旅立つわけだし、もうあんまり帰ってくる機会もなくなるはずなんだけど。
「あの、余ってるパンってあります? 夕飯それにしようかと思って」
「あるわよ、もちろん。でもいいの? 外に食べに行かなくて」
「先輩はまだ捕まったままですし、一人で食いに行くのはなんか変でしょう」
「ルフトくんって、意外と寂しがり屋なのね」
「違いますよ」
違うからな。絶対に。
もし俺が寂しがり屋だったら、追放された時点でとっくに寂しさで死んでる。
そう、ウサギのごとく。
店に並んでいたいくつかのパンを適当にトレイに載せ、カウンターに出した。日中でほとんどのパンは売り切れてしまっていたらしい。それでも、選り好みする権利はないのはわかりきってる。
「合計で820エルドね。ルフトくん、ここで食べてくでしょう?」
「ええ、まあ」
アイテムボックスから麻袋に入れたコインを取り出し、彼女に手渡した。
「今夜泊まる宿は、もう予約してるの?」
「まだですけど」
「やっぱり。それなら!」
なぜか興奮気味な店長さんに、若干嫌な予感がした俺だった。
どことなく、ハイル先輩のあのテンションに近いものを感じ取ってしまう。
「今夜は、うちに泊まっていかない?」
「ここに、ですか?」
「そう。私とフェルトちゃんが住んでる部屋以外に、お客さん用の部屋が一つ余ってるの。どう?」
パン屋に泊まるお客さんとやらが本当に居るのかどうかは別として、お代を取らないのならいい話だと思った。
でも、店長さんがさっきからニマニマしてるのも結構気になる。
「まあ、無料ならお言葉に甘えて……」
「よし。そうこなくっちゃね!」
「はい……?」
「そうと決まったら、ちょっとお部屋の準備してこなくっちゃ。ルフトくんはパンでも食べてちょっと待ってて」
「わかりました」
あれは多分、何かを企んでる顔なんだろうなー。
……なんて思いつつ、何を企んでるのかは全く読めないまま俺はイートインスペースで買ったパンをもそもそと食べ始めていた。パンうめぇ。
椅子に座って改めて店内を見てみる。
確かに、建物というか外観的には普通の古民家だ。
カウンターの奥の通路には階段があったことも、今まで気づかなかった。
もしかしたら、パン屋として営業する前は普通の一軒家だったのかもしれない。
「はいお待たせ、紅茶よ」
「早っ。てか頼んでないですよ」
数分も経たずに戻ってきた彼女に驚く。
「コーヒーの方がよかったかしら?」
「いや紅茶でいいです……」
頼む前から入れるのか、紅茶を。
でもまあ、パンだけだと喉が渇くからちょうどいい。
窓の外が暗くなり、店長さんは閉店の準備を始めていた。
閉められていく店内を眺めながら、俺はふと思ったことを訊いてみた。
「フェルトって、ここに住んでたんですね」
店長さんが振り返って、俺の質問が珍しいとでも言いたそうな顔をする。
見返り美人。
「そうよ。それも結構前からね」
「前からって……大丈夫なんですか? 親御さんとかは」
「あら、言ってなかったかしら? 彼女、親御さんどっちも亡くなってるのよ」
喉が詰まった。
飲み込むのをしくじって、喉でパンが詰まって咳が出た。
俺の咳が収まると、沈黙が続いた。
「……戦災孤児、ですか?」
「そうね。ルフトくんもそう?」
「まあ……そんなもんです」
俺の場合、親が魔族に殺されたとかそういうありふれたものじゃないけど。
でも俺の話をこの場でするのは場違いだろう。
店の片付けを終えた店長さんは、近くのスツールに腰掛けてぽつぽつと話し始めた。
「フェルトちゃんはね、そういう経験があるからなのか、たまにこの間みたいなことを言ったりするの。自分を顧みないっていうか……ときどきなんだけどね」
「それって、魔族に明確な復讐心がある……みたいなことですか?」
「さあ?」
「さあって……」
質問を質問で返さないでほしいのだが。
「あの子はいい子だから、表に出さないようにしてるのかもしれないわね。でも、私が思うには、彼女は『私はきっとこうするべきだ』っていう観念に駆られてるんだと思うの。ほら、魔族に親を殺された子供が復讐のために冒険者を目指すっていうお話、よくあることでしょう?」
だから自分も冒険者を目指すべきだ、彼女はそう思ってるわけか。
けどそれは単なる固定観念からくる強迫であって、彼女の本心じゃない。
周りに合わせて自分の進む道を軌道修正しようとする、一種の人間の習性だ。
同調圧力、ってやつ?
「人の役に立たなくちゃ、って思うのは仕方ないことね。でもあの子は実際に戦うことそのものを心のどこかでは望んでいるのかもしれない。だから私は、今までこう言って諭してたの」
「?」
「――こうして、自分が作ったパンを食べてくれた人たちが戦ってくれてるなら、あなたは十分それと闘ってる。ってね」
いたずらっぽく彼女は言った。
俺は紅茶を飲んでその話を聞いていた。
「そう思ってるなら、止めないんですか?」
俺は訊ねた。わかり切った質問だった。
「……止められるものなら、もう止めてるわよ。でも私はあの子の母親でもないし、親戚でもない。赤の他人よ。それに、あの子のやりたいことに口うるさく反論できるほど私は頑固じゃないわ」
やるせない、そんな感情が読み取れる表情だった。
二人の間にある距離感がどんなに温かくても、同時にほぼ絶対的に縮まらないものでもあることを、俺は悟ってしまった。
「私は不安だし、やっぱり寂しい。だから最後に宿題を課したの。私を安心させてから旅に出なさい、って。……また戻ってこなかったらどうしよう、って思って。こんなの、自己満足よね」
「じゃあ、俺の宿題って……」
「その一環ね。強い人があの子の傍に居てくれたら、私も安心するわ」
「なるほど……善処します」
「ふふ、頑張ってね」
その微笑みはやっぱり、寂しそうだった。
寂しがり屋なのは、彼女の方だと思った。




