番外編3 ふたりの小規模な生活(後編)
比較的人が多い市場へと着いた俺たちは、露店で果物や卵、コーヒー豆などを買って回った。コーヒー豆は村に来る行商より高かったものの、質のよいものを買うことができた。
パン屋で厚切りの食パンをレジで会計していたとき、店主に訊かれた。
大柄で、力仕事の似合いそうな若い男だった。
「お子さんですか?」
人当たりの良さそうな笑顔で、俺の服の袖を掴むニアを見て彼は言った。なるほど、やはり傍から見ればそう見えてしまうものなのだろうか。彼女の角が見られていないか、少しどきっとした。
「ええ、まあ⋯⋯」
「いいですね。私もつい最近娘が産まれまして。これから育児で忙しくなりそうです」
「幸せな悩みですね」
「はい。まったくその通りですよ」
幸せそうな笑みを浮かべた彼は、会計を終えると紙袋に入れた食パンを手渡してきた。
「貴方も、どうかお幸せに」
紙袋を受け取り、俺たちは店をあとにした。
そのあと、俺とニアは露天商たちが商品を並べる通りに来ていた。
見たこともない色の石や、高値の付きそうな骨董品などが並ぶ様を歩きながら眺めた。なんとなく、ここでしか買えない珍しいものを探そうとしていたのだった。
俺に付き添うように歩いていたニアに、俺は言った。
「ニアも、何か欲しいものがあったら言ってくれ」
「欲しいもの……?」
言葉の響きに疑問を覚えたように、ニアは小首を傾げた。
「そうだな⋯⋯例えば、光る石とか、ペンダントとか髪飾りとか。何だっていい」
「うーん……」
きっと彼女にとって、こういう選択は初めてなのだろう。
自分の気持ちに素直になるということが、彼女にはまだできていないらしい。
うつむき加減に考えこんでいたニアだったが、ふと気づいたようにその通りの一角へと歩き出した。はぐれないように俺もついていくと、そこには様々な種類のぬいぐるみを並べた老婆がいた。
ただ、余り物の布で作ったのか、そのほとんどが継ぎ接ぎだらけだった。決して歪な訳ではなく、ある種の味と愛嬌を感じられる類のものだ。
ニアはそれらの前でしゃがみこみ、その中から一つぬいぐるみを手にして眺めていた。まるで品定めでもしているかのように見えた。
「それが欲しいのか?」
中腰になって、ニアに訊ねた。彼女が持っていたのは、目の部分にボタンが縫い付けられた犬の形のぬいぐるみだった。
ニアは曖昧にこう答えた。
「欲しい⋯⋯のかは、よくわからない。……けどなんか、いいと思っただけ」
「それは、『好き』とは違うのか?」
「好き⋯⋯? でも、そうかもしれない」
「なら、買って帰ろう。今日はまだ金に余裕がある。ニアも、自分の好みは大事にした方がいい」
それを聞いて満更でもない表情をしたニアを見て、俺は商人の老婆に言った。
「すまない、これを一つくれ」
老婆は「まいどあり」と優しく微笑んで答え、俺の差し出した代金の1000エルドを受け取った。
それであらかたの用事を終えた俺たちは、街を出て家に帰ることにした。
あのぬいぐるみを購入してから、ニアはずっとそれを抱きしめたまま歩いていた。しばらく歩いて進んだところで、ニアが俺の服の袖を掴んで引き止めた。
「ロイファーさん、」
「なんだ?」
「……その、ありがとう」
照れくさそうにニアは言った。それから本当に照れたように目線を逸らして付け足す。
「大事にする、から……」
「ああ。どういたしまして。ニアもきちんとお礼が言えて偉いな」
フード越しにニアの頭を軽く撫でてやる。
それから彼女はなぜか不満げな顔で言った。
「……子供扱いしないで。私だってもう、そんな歳じゃない」
「いや無理があるだろ……」
「子供じゃないもん」
その歳で子供扱いを嫌う子供ってなんなんだ。
まあ彼女も複雑なお年頃だということで納得して、機嫌を損ねてしまったことには少し後悔する。
「⋯⋯わかったよ。じゃあ早く帰ろうか、お嬢さん」
「馬鹿にしてる……」ムッとした顔で言う。
「してないさ」
「うそつき」
それでも、ニアは俺の手を握る代わりに袖を掴んで俺の隣を歩いた。
ニアは終始もどかしそうな表情でぬいぐるみを抱きしめていた。
家に着き、早めに夕食の支度をした。
というのも、ニアが手伝いたいと言い出したからだ。
なので今日は、市場で買ったトマトを使ってカレーリゾットを作ることにした。
切る具材や使う火も少なくて済むからだ。多分。
「これでいい?」
「上出来だ。それは鍋に入れてくれ」
包丁の使い方を簡単に教えると(もちろん猫の手で)、ニアは意外にもすぐにそれを使いこなした。スプーンのときとはえらい違いだ。
鍋でそれらを煮込んで皿に盛り付け、食卓に並べた。決してそれは豪華とは呼べないものの、特別な感じのするものだった。具材が少し大きいものもあったが、味はなかなか上出来だった。
それからニアは先に風呂に入り、自分の寝室に向かった。
この間、ルフトとエルフのハイライトを泊めた部屋だ。
寝る前に彼女の部屋に様子を見に行くと、ニアはベッドであの言語学の本を読んでいた。俺が来たことに気づくと、ニアは本を閉じた。
「もう、寝る時間?」
「いや、ニアが眠くないならまだ勉強していていい」
「ううん、眠いから寝る。続きはまた明日」
眠そうに目を擦って、ニアは枕元に置いてあったぬいぐるみを抱き寄せてベッドで横になった。俺は上から布団をかけてやった。
「じゃあ、おやすみ」
「待って、」
ニアの手に引き止められた。
「やっぱり、行かないで。一人で寝るの、ほんとは怖いから……」
「そうか。なら眠れるまで傍に居よう」
「うん」
忘れたわけではない。ニアもこの前まで、暗い闇の底で一人、淋しさを嘆いていた女の子だ。一人でいることの寂寥感と心細さを思い出させるのは、彼女と一緒にいる以上すべきではない。そう思った。
「本でも読み聞かせてやろうか?」
寂しげな表情をしていたニアに言った。
「うん。……でも、ロイファーさんのお話も聞きたい」
「俺の?」
「シュプリンガーさんとのお話。聞いてみたい」
「わかった。ニアが眠れるまで話そう」
「眠らないよ」
「眠れ」
それから、俺は騎士団時代の昔話を聞かせた。
ニアは話に静かに聞き入っていた様子だった。
だが一時間と経たないうちに、ニアは寝息を立てて眠っていた。
その寝顔は出会った頃よりずっと、不安が打ち消された緩やかな顔だった。
布団をそっとかけ直して、俺は部屋を出る前に言った。
「おやすみ」
そしてまた、俺と彼女の一日が終わっていく。
一生、日常ものだけ書いていたい。




