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17.少女と狂騒

 目が覚めたとき、俺は浮いていた。

 いや違う。ここには地面がないのだ。


「あ、夢か⋯⋯」


 俺は今、自分が夢の中にいるという事実に気づいている。

 これがいわゆる『明晰夢』というやつなのか。不思議なものだ。


 でもこれが本当に『明晰夢』ならば、俺はこの夢の世界を自在に変えることができるということだ。だったら少し好き勝手してみるか。


 とはいったものの⋯⋯

 俺がいるのは、果てしなく真っ黒な底なし沼。


 それ以外に目に入るものはない。

 と、思った矢先のことだった。


 背後で微かな音――いや声がした。


「⋯⋯?」


 振り返って見てみると、そこにはしゃがみこんでうずくまる少女がいた。


 その小さな体躯からして年齢的には俺より幼いとように見える。少女は顔を上げることなく、腕の中に顔を埋めて泣いていた。少女のすすり泣く声だけが頭で反響する。


 不思議なことに、俺は彼女のような少女とはまったく面識がなかった。

 俺の夢の中――俺が漁っている記憶の中――だというのに、妙だ。


 不穏な雰囲気を感じ取った俺は、とりあえずその少女に話しかけてみることにした。


「君は⋯⋯誰?」


 待ってみても返事らしい言葉は聞こえてこなかった。

 代わりに彼女が発したのは、こんな言葉だった。


「おとうさん⋯⋯おかあさん⋯⋯」

「?」

「⋯⋯ひとりに、しないで」


 涙声で掠れているものの、彼女の声はやけにはっきりと認識できた。

 その声もまた、俺の知らない声だ。


「君は⋯⋯一人なのか?」


 彼女の姿に、俺はある面影を感じていたのだと思う。

 その正体は紛れもなく、きっと俺自身だ。


 でもそれを認めたくはなかった。

 出来損ないの俺を見放した家族のことだって、役立たずの俺を見捨てたパーティのヤツらのことだって、俺は綺麗に記憶から抹消して生きてきたはずなのだ。


 それなのに、俺は――


「⋯⋯来ないで」


 暗闇の中、少女に歩み寄っていた俺の足が止まる。

 彼女のその言葉のニュアンスを考えるまでもなく、俺は直感的に歩みを止めていた。全身が「近づくな」と俺の頭に訴えかけているようだった。


 ふと気づく。少女から発せられたのは言葉だけではない。


「これは⋯⋯魔力⋯⋯?」


 彼女の小さな身体を、巨大な紫色の炎が包み込む。


 やがてその炎の揺らめきは強まっていき、彼女の哀しみを体現するように燃え盛る。普段敵の魔力なんて見る余裕もない俺がその目で捉えたのは、そんな悲壮的な揺らめきだった。


「来ないで!!」


 ビリッと身体に電撃が走る。

 いつの間にか少女は立ち上がり、涙目のまま俺を睨んでいた。


「来ちゃだめ⋯⋯」


 威勢よく立ち上がったかと思えば、彼女は自分の肩を抱いてまたうずくまった。そしてまた泣き始める。そして彼女は最後にこう言った。


 ――「助けて」と。



  ***



 飛び起きた。

 そして、俺の直感がこう言うのだった。


 ――「彼女を助けに行け」と。


 机を跳ねのけるように椅子から立ち上がった俺は、咄嗟に壁に立てかけてあった自分の剣を掴んで装備し、ベッドで一人すーすー寝ていた先輩を揺すり起こした。


「先輩! 起きてください!」

「ぬぁ⋯⋯もう朝〜?」

「助けに行くんです! あの子を⋯⋯いや、シュプリンガーさんを!」



   ***



 ――同時刻。


 気づけば俺は、馴染みの()()を手に彼の墓石の前まで来ていた。


 彼の亡霊が現れるのは毎晩ではなく、その周期もよくわかっていない。だが今日は、そんな理屈は後回しにして俺はここに向かっていた。眠りに就こうにも、胸騒ぎが止まなかったのだ。


 青白い月が仄かに照らす草道を歩いた。


 彼の亡霊が現れるようになって約一ヶ月、毎晩のように歩いた道だ。

 彼の故郷であるここに立てられた、彼の墓石へ続く道。


 夜風が吹き、近くの草木が揺れるのがわかった。

 一歩踏み出す度、背中に担いだ数本の矢が筒の中で音を立てた。


 林を通り抜けた先にある彼の墓石の前に着くと、やはり今日も彼が立っていた。

 生前の雰囲気とは真逆な、幽玄な佇まいで。


「今日も、お前は俺を見てはくれないんだな」


 俺の視線の先にいる彼は、『彼』であって『彼』ではない。


 確かに、その姿形は生前のあいつとそっくりなのだ。


 鮮やかな金髪に一筋混じった黒髪も、敵にすら慈悲を見せていたあの瞳も、剣士らしく勇敢ながらどこか憂いを帯びたその立ち姿も、すべて。


 いつの間にか抜刀していたその西洋剣に入った傷の付き方もすべて、同じだというのに。


「本当に、どうしてなんだ⋯⋯」


 ――どうしてお前は、俺の知るお前じゃないんだ。


 シュプリンガー――本当のお前なら絶対に、出会い頭に俺に斬りかかってきたりはしないだろう。「久々の再会だね」とか言いながら、いつものように憎たらしいほど爽やかな笑みで俺との再会を喜んだりするんだろう。それなら、どれほど良かっただろうか。


 そんな願いを捨てられないから、俺は。

 偽物のお前との、こんな無意味で孤独な闘いを止められないんだろう。


「馬鹿野郎⋯⋯」


 そんな俺の小さな呟きすら切り裂くような速度で、彼の剣は俺へと向かってくる。


 俺が素早く身をかわすと、彼の剣は虚空を斬った。


 その剣は実体をもって俺に斬りかかってくるが、彼の体は実体を持たない。

 俺がどれだけこいつを本気相手しようと、それは不毛で一方的な消耗戦で終わるのだ。


 だがそれで充分なのだ。彼の面影を引き継いでいるこいつと、夜のささやかな暇つぶしのような立ち回りを演じることができれば、それで。


 ――楽しい。


 一心不乱に振り回される彼の剣を予測をつけながらかわし、その隙に俺が一発二発と鉄の矢を撃ち込んでいく。その矢は彼の身体に当たることはなく、すり抜けて地面や木に刺さる。


 そして再び彼が斬りかかり、近接戦に持ち込まれた俺がそれを矢で弾きながら立ち回る。息切れを誤魔化すように、自分でも気づかぬうちに歪な笑みがこぼれる。


 こんなことはまったくもって無意味だが、無意味な中にその「楽しさ」があるのかもしれない。この独り善がりな闘いに、俺はあの頃とは違った面白みを感じていた。


 矢の残弾はあと五発。

 やがてそれがゼロになるまで、俺は踊り続ける。



   ***



「もぉ⋯⋯なんでまたこんな夜中にぃ⋯⋯」


 俺の少し後を走る彼女は、悪態をつきながら欠伸をする。

 本当に深夜から朝にかけてはクソザコなんだよな、先輩は。


 でも今は先輩の力が必要になる状況になるやもしれないので、先輩には頑張ってほしい。


「この辺り⋯⋯のはず」


 ロイファーさんの家から随分と走って、俺はセルロ村のかなり端のあたりまで来ていた。


 辺りは古びた家屋が建ち並んでおり、人気はまったくない。元々この辺りには人は住んでいないようだ。不気味に揺れる木々の音に急かされながら、俺は『あの少女』の居所を探っていた。


 そう、俺の夢の中に突如として現れたあの少女だ。


 ――助けて。誰でもいいから。


 そんな声の残響が頭でリフレインする。

 いや、今も俺の頭の中に語りかけているんだろう。


 時折、黒い炎に包まれた少女の姿が脳でチラつく。

 頭を刺すような痛みと共に、彼女は俺に何かを訴えかけているのだ。


 そして、俺がただがむしゃらに走り続けていくうちにその叫びは大きくなっていく。ある場所に辿り着いたとき、その『叫び』は最大になった。


「ここだ⋯⋯」


 ――そこは村のはずれにあった、ボヤ騒ぎのあったらしい例の古い洋館だった。


 壁は炭で黒く染まり、屋根はほとんどが焼け落ちていた。


 庭だった場所には雑草が刈り取られることなく伸びきっており、人気のなさを感じるには充分すぎる立地だ。


 ――そう、ここは昼間に来たあの屋敷だ。


「ここってもしかして、昼間に来た?」


 立ち止まった俺を不思議そうに見つめながら、ハイル先輩は訊ねた。


「ですね。あと、ここが一番『声』がよく聞こえます」

「ふむ……じゃあ、あの操り人形を作り出した本人は、ここにいるってわけだね」

「はい⋯⋯でも、」

「ん?」

「……なんでもないです。慎重に行きましょう」


 だがもしこの先にいる彼女が本当に、あの()()を操っている本人ならば、俺に助けを求めているのはなぜなのか。それが一つ、俺の頭で引っかかっていたのだ。




「にしてもまあ、気味の悪い屋敷だよねー」


 文句を垂れ流しながら、先輩は屋敷へと足を踏み入れていく。昼間はあれだけ怖がっていたというのに、どういうわけか今の彼女からは恐怖は一切感じられなかった。


「先輩、もう平気なんですか?」

「なにが?」何食わない顔で返される。


幽霊(ゴースト)ですよ。昼間あんだけ怖がってたのに」

「それわざわざ今聞く〜? まあ、ここには幽霊(ゴースト)はいないから大丈夫なんだよ」

「いない?」


 やけにはっきりと断言した彼女の言葉に、俺は引っかかりを覚えた。

 たしか、先輩はそういうものは信じないと言っていたけど……


「人の頭に直接訴えかけるなんて、魔術ぐらいでしかできないことだよ。でも、魔術を使える人間なんてそうそういないし、幽霊(ゴースト)にももちろんそんなことできない」

「それじゃあ、相手は……」

()()だろうね。それも、敵対したら厄介なタイプだよ」


 朽ち果てた木の床を、彼女と俺は進んでいく。声がするのはどうやら二階の方らしいので、必然的にそこまで登って行かなければいけないわけだが、やはりここの床は足場としては最悪だ。


 ギシギシと軋みまくる階段を昇り、やっとのことで奥の部屋までたどり着いた。


「ねえ、本当にここで合ってるの?」

「はい……何となくですけど」

「ていうか君、なんでここって分かるわけ?」

「何となくですよ」


 本当にそれだけだ。俺は意外と感覚主義。

 先輩は「ふーん」と半目で唸ったあと、そのドアのドアノブを握った。


「じゃあ、開けるよ。準備はいい?」

「⋯⋯はい。俺は大丈夫です」


 ゆっくりと彼女はドアを開いた。

 そして、そのドアの先――


「――っ、」


 俺は息を思わず呑んだ。

 あの少女は、確かにそこに居た。


 一面に広がる炎の海のなかに、彼女はうずくまっていた。


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