15.遺言と終着点
「この話を誰かにするのは、初めてだったな」
そこまで話し終えたところで、ロイファーさんはコーヒーのカップの持ち手に手を添えて話を区切った。そしてコーヒーを一口啜り、真冬の空に白い息を吐くように、ふっと溜め息をつく。俺にはその顔は、笑っているようで泣いているようにも見えた。
「⋯⋯すまん、退屈だったか?」
静かに彼の話を聞いていた俺を、彼ははっとしたように見る。
「いえ、つい聞き入ってしまって」
「そうか」
「俺も会ってみたかったです。本物のシュプリンガーさんに」
「ああ。そうしたらきっと、あいつはお前を弟子にしたがるだろうな」
「それは⋯⋯俺なら断りますね」
「だろうな」
二人しかいない部屋に、束の間の笑い声が響いた。もうこの世にはいない彼は、どこかでこのやりとりを見ていたりするのだろうか。本当の顔すら知らない俺に、それを知る権利はなさそうだけど。
「そう言えば」と俺は切り出した。
「二人の話は、まだ本にはしてないんですか?」
弓の弦を弾いていた彼の手が、一瞬止まった。
呼吸を一瞬止められたかのように。
「⋯⋯ああ。まだ、書いていないんだ」
「それは、どうしてですか?」
これは後に思ったことだが、このとき俺はとんでもなく無遠慮なことを言ってしまったみたいだ。少し考えればわかることを、口走って訊ねてしまったのだから。
「⋯⋯この話の終着点には、俺自身まだ納得していないからだ」
彼が言い終えた途端、窓に水滴が一つ付着する。
その水滴は数を増していき、やがてまとまった雨となって窓外の景色を埋めつくした。彼の話が終わるのを心待ちにしていたかのように、突然。
「雨か」
窓の方を見ずに彼は言う。その目はずっと冷めたコーヒーの底を見つめていた。
「お前になら、これも話しておくべきだったな」
「⋯⋯?」
「――この話の、現時点での終着点を」
*
――三年前。エルダール王国のとある森にて。
俺とシュプリンガーがコンビを組み始めて三年ほど経った頃だ。
結論から言って、俺たちの別れはあまりに突然だった。
突然すぎた。
その日、俺たちはその森で度々目撃情報がある中規模の山賊の鎮圧に向かっていた。だがそれは、その頃噂され始めていた「山賊狩り」という存在についての調査も兼ねていたのだった。
山賊の集落の一つを制圧した俺たちは、彼らの生き残りを捕虜として連れ帰ることにした。
「今日は、あまりこの剣を汚さずに済んだよ」
その日も彼は、複雑な表情で死体の転がった戦地を眺めていた。ここ数年間俺が見てきた中ではその日、彼が直接手を下した敵の割合は最も少ないように思えた。
剣士として様々な葛藤を抱えていた彼はきっと、彼の思う信条を最大限戦闘に反映していったのだろう。
「この隣にも、もう一つ集落が残っている。兵が集まり次第、向かうとしよう」
「ああ、もちろん。じゃあ、僕は少し偵察に行ってくるよ。全勢力でかかって、もぬけの殻だったら困るからね」
「油断はするなよ」
「ははっ、誰に向かって言ってんのさ」
いつものように彼は頬を緩めて笑った。
その時点では、俺たちはそんな会話ができた。
だが、もしこのとき後に起こることを知っていたら俺は絶対に彼を引き止めていた。それで運命がどんなに風任せで進もうと。
しばらくして現場の事後処理が終わったところで、指示出しをしていた俺はあることに気がついた。
――さっき森の奥へと駆けていった彼がまだ、戻ってきていなかったのだ。
山賊の集落は基本的に密集しているため、往復にはそこまで時間はかからないはずだ。彼のような健脚なら尚更。偵察――にしては長すぎる。最初、俺は彼が珍しくヘマをして敵襲を受けたのだと思っていた。
当時の俺たちの信頼関係が仇となり、俺の心配な過小なもので片付けられてしまったのだ。
「シュプリンガーが偵察に向かってる。俺たちもあとに続くぞ!」
「はっ!」
部下である兵たちを集め、敵の襲撃に備えつつ目標の集落に向かった。今までなかった類の焦りからか、森を走る俺の脚は何かに急かされたように駆け足だった。森の地を駆け抜け、枝や木の葉が踏みつけられて音を立てる。なんでもないような任務の最中だというのに、俺の心拍はこれまでにないほど速まっていた。
その現場に着いてまず目に入ったのは、地面ごとひっくり返されたように凄惨とした『集落だった場所』だった。人の血肉の臭いが漂ってはいたものの、彼らの死体はどれも原型を留めておらず、その代わりにおびただしい数の肉片が散らばっていた。
「これは⋯⋯なんだ⋯⋯?」
予想外の光景に俺はその場に立ち尽くした。
頭で状況を整理しようにも、確実な情報が少なすぎる。
これはシュプリンガーがやったのか?――いや違う。不殺主義に染まりつつあった今の彼がこんな芸当をする可能性は極めて低い。そしてこの細すぎる斬撃と、その甚大な射程範囲。これほどまでに高度な破壊魔法は今まで見たことがない。
――ならば、この惨状を生み出したのは一体何者なんだ?
いくつかの疑問点がようやく一つにまとまったところで、俺は俺を呼んでいた部下の存在に気づいた。深い思考行動に入ると周囲が見えなくなる俺の悪い癖だった。
「すまん、どうした?」
あまりに酷い臭いに鼻を摘んでいた彼は、俺に向かってこう告げた。
「⋯⋯隊長、シュプリンガーさんが」
彼がそう言い終える直前、彼の体越しに見えた『それ』に俺は驚愕した。
気づけば俺は走っていた。走り方なんぞ厭わずに、ただ彼のもとへ。一秒でも早く。
「――シュプリンガー!!」
俺が駆け寄ったときにはもう、彼は手遅れだった。
彼の身体には既に、付近に散乱した彼らのそれと同じような斬撃による傷が入っていた。
左腕から心臓付近までをざっくりと斬られており、左腕は二の腕の辺りで切断されていた。辛うじて切断を免れた上半身、その胸は大きく切り裂かれている。出血の止まらない胸元から、白い肋骨が露出していた。
「シュプリンガー、おい!! 返事をしろ!!」
彼の残った右手を握り、必死に呼びかける。その瞳は虚ろで、握り返してくる感触も弱い。
彼は血が滴るその唇を動かして、なんとか喋った。
「⋯⋯⋯⋯ロイ、ファー⋯⋯」
「お前、この傷は誰にやられた!! いや待て、今救護班を呼んでくる、間に合えばなんとか⋯⋯」
「⋯⋯もう、やめて、くれ」
「――!」
彼の瞼が閉じかける。俺は必死でそのまま眠りにつこうとするのを揺さぶって止める。駄目だ、やめてくれ。そのまま眠ったらお前は⋯⋯お前はもう――
「阿呆か、何がやめろだ!! おいお前ら、救護班を呼んでこい!! 応急処置の魔法が使える奴らをありったけかき集めてこい!!」
部下の数人が威勢よく同じ道を戻っていく。間に合わない、そんなことは絶対に許されない。許さない。彼の命がこんなところでこんな理由で失われてたまるか。
「もう、いいんだ⋯⋯ロイファー」
「喋るな⋯⋯傷口が開くだろう⋯⋯!」
「聞いて、くれ。僕は……最期に、これだけは⋯⋯」
咳き込むと同時に彼は血を吐き出す。大量出血のときに見られる、肺に血が入ったときのそれだ。俺は彼の手を握ったまま、彼の言葉に耳を澄ませた。
「⋯⋯君はもう、戦わないでくれ。僕の敵討ちなんて、絶対、考えるな⋯⋯それと⋯⋯」
「ああ、わかった⋯⋯」
「それと、君には⋯⋯いつか、僕との話を本にして書いてほしい。僕の勇姿を、後世に残すためにね⋯⋯。それに、弓矢で人を殺すより、君には物書きが似合う、⋯⋯きっと」
彼に訊ねたいことは、まとめて喉の奥に引っ込めた。
胸の奥底から熱いものがこみ上げる。気づいていたときにはもう、それは止められなかった。カップから溢れたコーヒーのように、それは俺の眼から流れて止まらなかった。
「ああ、わかった⋯⋯わかったから死ぬな――!」
「はは⋯⋯駄目だな僕は⋯⋯あんなこと言っといて、この結末に⋯⋯自分で、納得できてない⋯⋯」
光の消えたその瞳が、空を眺めている。血で塗れた口角が気持ち上がり、どこまでも伽藍堂な笑みが彼の顔に張り付いていた。口ではそう言いつつも、その表情は俺には満足げに見えた。
「⋯⋯ロイファー」彼の声が掠れていく。
「なんだ?」
「どうか君は――君だけは、こんな風に無様に死なないでほしい。⋯⋯こんな戦いは、やっぱり、なにも⋯⋯」
「⋯⋯シュプリンガー?」
呼吸を止めた彼の身体が、俺の腕の上で静かに硬直していた。瞼でその光なき瞳は閉ざされてしまった。背後で救護班の到着を伝える主旨の言葉が聞こえたが、俺は答えることが出来なかった。
数秒遅れて、情けないまでに悲痛な誰かの叫び声がきこえた。
その主が俺だったということに気づいたのは、実際に喉が枯れるまで泣き叫んだ後だった。




