涼介④
風薫る頃、その知らせは俺達の元に届いた。
麻里子が外国語を学ぶきっかけとなったレッスンで、講師を務めた外国人バレリーナによるワークショップが、この夏、神戸で開催されるというのだ。対象は小学生。開催は一日限り。俺は姪の光希を口説き、参加申し込みをした。保護者として麻里子が参加できるように。
ワークショップ当日。麻里子と光希は会場となるバレエ団ヘ、姉は神戸の街を散策してくると出掛け、俺は視察のため神戸支社ヘ行く。この春、経営戦略室のメンバーが入れ替わり、俺は副室長になった。将来的には華子姉の片腕として経営陣に加わることになっているが、今は出来るだけ現場を見て回り、様々な意見を聞いて回るようにしている。
夕食のレストランで、光希は「くたくた~」と言いながらも充実していた様で、楽しそうにワークショップの話をしている。姉も新たな出会いがあった様で、こちらも満足そうだ。また新しい出資先でも見つけたかな…。麻里子はそんな二人の話を笑って聞いている。やっぱり来てよかったな。
「涼介さん、お話したいことがあります」
食後のスイーツとコーヒーを楽しみ、もう部屋ヘ戻ろうか…という頃、麻里子が話し始めた。
「私達は先に戻っていましょうか?」
「いいえ、琴子お姉様にも光希さんにも、一緒に聞いていただきたいです」
姉も光希も一緒ってことは悪い話ではないと思うけど、いつもよりも凛とした雰囲気だし…何だ?
「琴子お姉様、光希さん、涼介さん、今日は本当にありがとうございました。幼い頃からの夢、バレリーナに憧れていた気持ちを思い出し、とても幸せな時間を過ごすことが出来ました。そして、今の夢。子供たちに言葉やバレエを教えること。これは、光希さんやバレエスクールの生徒さんたちのおかげで叶えることが出来ました。今日のワークショップに参加して、まだまだ至らないことばかりだと思いました。これからも学び続けて、さらに大勢の生徒さんたちと一緒に成長していきたいと思いました」
「そして、もう一つ…新しい夢…。涼介さんのお嫁さんになる夢。涼介さん…この夢、叶えてくれますか…?」
心臓が止まるかと思った……。
「麻里子。手を出してくれるかな…?」
俺は右側に座る麻里子の左手を取り、手のひらにキスをした。
「飯田麻里子さん。俺と結婚してください」
「はい…」
左手の薬指にもキスをした。
明日は午前中に観光して、南京町でランチをした後、新幹線で東京に帰る予定になっている。姉は「ランチのお店で待ち合わせしましょう」と言って光希を連れて部屋に戻っていった。俺達は手を握ったまま、もう少しだけ夜景を眺めていた。
翌朝、俺達は初めて同じベッドで朝を迎えた。
その日のうちに麻里子の両親にプロポーズのことを話し、結婚の許可をもらった。お義父さんからは、麻里子を頼む…という言葉と共に、麻里子の家族と俺はこの半年、親交を深めていたが、俺の家族と麻里子はこれから関係を深めていくことになるので、支えてやってほしい…と。そして、俺の両親とも話をたくさんして、両親の俺に対する想いをたくさん聞くように…と言われた。本当に、お義父さんにはかなわないな…。
翌週、麻里子を俺の家に連れていくと、姉と光希と甥と義兄までいた。おかげで麻里子の緊張は緩み、和やかに過ごすことができているが、姉に頭の上がらないネタが次々と増えていくので、義兄にぼやいておいた。
陽菜ちゃんの出産のこともあるので、2週間後に顔合わせも兼ねて内々で結納の食事会を行い、挙式は年明けになった。今時は媒酌人を立てずに行う方が多いが、真野家の立場上、立てた方が良いというので頼むことになったが、縁も所縁もない人に式の時だけ務めてもらうのはと渋ったら、光希の祖父母…姉の義両親…にお願いすることになった。光希がきっかけで俺達が知り合ったのだから、良いのではと。財閥系バンクの頭取夫妻。立場的にも真野家との関係的にもちょうど良いらしい。何か言われたら、孫娘が結びつけた縁のお手伝いと言って、孫が可愛くて仕方ないジジババを演じるそうだ。この辺りの腹芸はまだ俺には無理だ。
夕食には伯父や伯母、華子姉と華子姉の一人息子もやって来て、総勢12人。気づいたら真野家の広間は立食パーティー会場になっていた。甥の和希と華子姉の息子の大樹はひたすら食べながら流行りのゲームの話をしているし、義兄の健人さんと華子姉はヨーロッパの金融市場について見解を話し合っている。姉と光希は母と伯母の前で俺達のプロポーズを再現しながら、キス談義をしている。
「お祖母様、涼介叔父様は手のひらにキスをされたのよ!キスって普通手の甲よね?」
「あらぁまぁ手のひらに…。光希さん、手へのキスは唇を付ける場所によって意味が変わるのよ。確か、手の甲は敬愛、手のひらが求愛だったかしら?」
「求愛…そうか…プロポーズだから手のひらなのね!では、左手の薬指は?」
うっ…他人のプロポーズを勝手に解説しないでくれ…。麻里子は姉にも光希にも同席してもらいたがったけど、やっぱりプロポーズは二人だけがよかったなぁ…。
そして、俺と麻里子は伯父と父親に捕まっている。マフタン夫妻との関係を知りたいらしい。
「先日の海外事業部の案件、涼介が間に入ったと聞いたが…」
「はい。スイス時代の上司がムッシュー・マフタンの元で働いていたことがあると聞きまして、久しぶりに連絡を取ってみたんです。『今、日本でムッシューの元に出入りしている』と。そうしたら返信がありまして…。ちょうどこの案件のデザイナーと以前仕事をしたことがあるというので、紹介を頼み、ウチのエンジニアと繋げてみたら、まとまりました」
「そうか…。麻里子さんはムッシュー・マフタンと仕事の話をすることはあるのかね?」
「いいえ、お仕事の話はほとんどしないですね。以前、マダム・マフタンのご友人がムッシューのことを『お偉いさん』とお呼びしていたので、何か『偉い』お仕事をされていたと思っていますが…。あと、物価とか流通とかのお話をよくされているので、そういう関係の方なのだと思っています」
日本におけるヨーロッパの経済界で、今だに強い発言力を持つムッシュー・マフタンを、ただの『偉い』人だと思っている麻里子の鈍さが、おそらくムッシューには可愛くてたまらない点なのだろう。経営者として、マフタン夫妻と縁を繋げたい父親と伯父の気持ちは分かるが、麻里子個人の交友関係に損得を持ち込みたくはない。一度話しておく必要があるな…。
「それより涼介。結婚後はどこに住むんだ?社の借り上げ物件に入居するなら、総務に掛け合ってやるけど、自分たちで探すか?」
「あぁ…部屋かぁ~」
そうだ。部屋を借りること…忘れてたな。
「涼介さん、お部屋って?」
「あぁ、新居をね。麻里子は希望ある?場所とか広さとか。やっぱり実家に近い方がいい?それともダンススクールのそば?」
「えっっ…ここに住むのではないの?」
「ここ?」
「はい!だって、ここが涼介さんのおうちでしょ?」
ずっと実家暮らしで、祖父母も亡くなるまで一緒に住んでいて、今も兄嫁の陽菜ちゃんが同居している麻里子にとって、家族は一緒に住むもの…なんだそうで…。家に一人でいるのは「淋しい」なんて言うものだから、両親が盛り上がってしまった。
「ちょうどいい。リフォームしよう!」
まぁ、俺は麻里子と一緒ならどこでもいいからかまわないのだけど、さりげなく「慶介お父様」「美賀子お母様」と呼ばせているのは、ちょっとね。姉と同じパターンになりそうだな…。




