涼介②
遠慮する麻里子を今回もタクシーで送る。確かに高額だが、打ち合わせも出来るし、人目を気にしなくて良いので、元はとれている。自宅玄関まで送り、麻里子の家族にも挨拶をする。明日の時間を再確認して、タクシーに乗り込み、すぐに明日の相手…マフタン夫妻について調べる。確かに大物だった。
ムッシュー・フィリップ=マフタン。企業コンサルタントとしてヨーロッパ各地で働き、20年前に来日。フランス大使館で経済担当の補佐官を務めた後、退官。現役を退いた今は、日本に支社を持つヨーロッパ企業の相談役に就き、まだまだ影響力も発言力も大きい。その妻であるマダム・レア=マフタン。フランス大使館を社交の面から支えた美しき御婦人。ヨーロッパ各地の駐日大使館と深いコネクションを持つ社交界の重鎮。
この二人から孫のように可愛がられていた…麻里子。君は何者なんだ?
日曜日の午前中、午後からのお茶会に備えて、更に情報収集する。麻里子のことも少しだけ…。
麻里子の家は開業医だ。東京郊外にある個人医院で、父親が3代目、兄の駿が4代目の予定で、今は都内の大学病院で研修医をしている。母親も医者で、地元では「何かあったら、先ずは飯田先生に診てもらう」と言われる評判の良い地元密着の家庭医だ。先日と昨日、挨拶の時の様子だと家族仲は良さそうだった。
う~ん、近所というには遠いけど、何か地元の繋がりでもあるのかな…。
それよりも俺の心を占めるのは、昨夜気づいた麻里子への新たな想い…今朝もドレス姿の麻里子を思い出して、冷たいシャワーを浴びてしまった。隠すのは難しいな…と思って、ふと思った。別に隠す必要はないんじゃないかと。歳の差はあるけど、麻里子もこの春から社会人だ。お互いに納得しているのなら社会人の男女が性的な関係を築いても何も問題ないと思うのだが…。となると、麻里子の気持ち次第だな。とりあえず、パートナーの件は継続してもらい、その間に麻里子の気持ちを確認して、同意が得られるようなら性的な関係も結ぶ。この方向で進めていこう。
方向性が決まれば、あとは実行に移すのみ。気持ちが楽になった俺は、麻里子を迎えにいく前に少し高速を走ってこようと、スピードが出るタイプの車に変更して家を出た。付き合うのなら実家を出た方がいいかな…車も自分のを持った方がいいかな…なんて楽しい未来を想像しながらエンジンの回転音を楽しんだ。
麻里子の家から車で15分。閑静な住宅街の中にマフタン夫妻の自宅はあった。着くなり通い慣れている麻里子は、夫人や屋敷の者達の手伝いに行ってしまった。楽しそうな声が聞こえてくる。
「真野自動車の真野君…だったね。君の伯父上とは何度かご一緒させてもらったことがある。今日は突然の誘いに答えてくれてありがとう」
「いえ、こちらこそお招きいただきありがとうございます」
「時間がないから単刀直入に聞くよ。君にとって麻里子はどういう存在なのかな?」
「大切なパートナーです」
ものすごい威圧感だ…二人きりの室内で、傍目には挨拶を交わしているだけに見えるだろうが、力強く握られた手と鋭い目力が、自分が若輩者だと思いしらされる。
夫人も容赦なく攻めてくる。仕事のこと、家族のこと、交友関係。さすがに異性の話になるとムッシュー・マフタンから救いの手が入ったが、丸裸にされる勢いで質問が続く。
「プティ・麻里子。ちょっと手伝ってくれないか?」
ムッシュー・マフタンと共に麻里子が部屋を出ていくと、夫人の瞳に鋭さが増した。
「貴方が麻里子に誠実なことは分かりました。でも、あの子は私達にとって孫のようなもの。常に幸せを願っていることを忘れないでいて」
そう言って昔話をしてくれた。
「麻里子が初めてこの家に来たのは、あの子が8歳の時でした。私の友人が『主治医の娘さんがフランス語の先生を探している』と連れてきたの。踊ることが大好きで、バレリーナになりたい!と瞳をキラキラ輝かせて話すの。せっかく大きなバレエ団の特別レッスンに参加したのに、先生の話している言葉が分からなくて充分に踊れなかったから、悔しかった…って言うのよ。通訳もいたはずだから問題ないのでは?と聞くと、教えてもらいたいことがいっぱいあるから直接話したい…人の言葉を挟むとイメージが変わることがあるし、何よりも時間がもったいない!って。笑ったわ…なんて純粋なんでしょう!って」
「だから、ここに遊びにいらっしゃい!って誘ったの。大使館関係者のお嬢さんに、マナーや社交術を教えていたから、そのついでに言葉も教えましょうってね。可愛かったわ…素直で熱心で…負けず嫌いで…。あの子…怪我のことは、もう話したの?」
「いいえ。聞いたことはありませんが、姪が以前、『麻里子先生は怪我をして踊れなくなったことがある』と話していたことがあります。関係ありますか?」
「ええ…詳しいことはあの子から聞いた方がいいわね。きっと貴方になら話すでしょうから…。怪我をしてバレリーナの夢を諦めなくてはならない…麻里子の周りであの子の夢を応援していない人なんていなかった…それくらい、夢中で踊っていたの。でも踊れなくなった…でも、麻里子は自分で自分を作り直した。心も身体も夢も。今は新しい夢に向かって進んでいるわ」
「何にでも一生懸命なのに、男性とのお付き合いには興味を示さなくてね…友人のお知り合いの男性を紹介したこともあるのだけど、全く進展しなくて…。まぁ、私達もあの子がいつまでも幼い子供のままだと思っていたこともあるのでしょう。そんな麻里子が、着飾って男性にエスコートされているのですもの!驚いたわ…。色々と不躾なことを聞いてしまって申し訳なかったわね。男女のことですもの…この先、貴方と麻里子がどのようなことになっても、私達には関係ないと理解はしているの。でも、私達の可愛い麻里子が傷つくところは見たくないと思っている、この年寄りの気持ちは、心のどこかに残しておいてくださらないかしら?お願いするわ…」
お願い…と言いながら、脅しだろ…と受け取れる目力で俺を見つめる。
「まだ知り合ったばかりで、この先どのような関係になるのかは分かりません。ですが、私は麻里子を大切なパートナーだと思っています。出来たら、永く続く関係になりたいとも思っていますし、麻里子にも、私を大切に思ってもらえるように努力したいと思っています」
ストレートに話した方が伝わると思い、今の俺の気持ちを飾らずに伝える。
「あらっ、それなら大丈夫よ!あの子、貴方のこと好きよ!」
えっ…。
「貴方の顔を見て赤くなったり、恥ずかしそうに視線を外したり。もぉ、恋する女の子の顔してるの!初めて見たわ。可愛いわよね。それに、このクッキー…」
テーブルの上のクッキーを一つ摘まむ。麻里子がこのお茶会のために焼いて持ってきたものだ。
「あの子の自信作なのよ!怪我をした後、あの子、色々なことに挑戦してね。お菓子作りやお料理もそのうちの一つなのだけど、最初は上手くいかなくてね。でも続けていたらとても上達して、今ではクッキーやパウンドケーキはなかなかの出来よ。その中でも、このクッキーは評判が良くて、ここぞ!という時に作って持ってくるの。今日は貴方に食べてほしかったのでしょうね」
アーモンド味のホロホロと口の中で溶けるクッキー。「美味しい!」と伝えると笑ってくれた。その笑顔が可愛かった…と思い出していると…
「ふふっ、貴方もあの子のこと、好きなのね」
あぁ…そうか…俺、麻里子のこと、好きなんだ…。