求められる覚悟
雲一つ無い空に張り巡らされた強固な結界がベイカー本家とロンドン大学を包み込んでいた。
それを見たエドワードが感嘆の声を上げる。
「前回の結界とは段違いの強度だな」
「…この短期間でよくもまぁ…」
エドワードの隣には先日退院したフレデリックがいた。ジェレミーは彼の元気そうな姿を見て安心したのか、表情がいつもよりも柔らかい。
「ジェレミー、魔力量はどうですか?」
ウォルターがこのレベルの結界を張り巡らせた時点での魔力量の残りを尋ねる。するとジェレミーは「まだ9割ほどは残ってます。他の場所もいけますよ」と答えた。
だがこの答えに驚いたのはエドワードとフレデリックだ。
「これで1割の魔力しか使ってないだと…?」
「いやいやいや、どんだけだよ…」
一方、ウォルターはこれまでの訓練の様子から大体予想はついていたのか、小さく頷くと胸ポケットから地図を取り出した。
その地図はロンドン市内のもので、4個所に赤い〇がつけられていた。
「この4個所が『場』ですか?」
ジェレミーがほぼ確信している口調で尋ねると、他の3人が頷いた。
エドワードはもう一度頭上に張られた結界を見上げると、ジェレミーに視線を戻した。
「ジェレミー、この地図に記された全ての場に…結界を張って欲しい」
無茶を言っているのも…それゆえの危うさも全てわかっている。それでも期待してしまう。
彼ならば、と。
「わかりました。ただ、4個所全てを1人で維持するのは少し不安が残ります。だから、残り3個所については保険も兼ねて二重に結界を張るようにしたい」
残り3個所。エドワード、ウォルター、フレデリックの3人それぞれが1個所ずつ受け持ち、結界を張った上にジェレミーの結界を張る。
本家の結界はジェレミーが死守するが、それ以外の場所でも何かあればジェレミーが張りなおす時間ぐらいは稼げるはずだ。
「ウォルター、どうかな?」
自分の提案について彼に意見を求めると、ウォルターは少し考えた後「いいでしょう」と答えた。
「保険は多いに越したことはありませんから」
地図を折りたたんで再び胸ポケットにしまうと、ウォルターは車を手配するべく一旦その場を離れる。
残された3人は暫く無言だったが、やがてフレデリックがジェレミーに向き合うと頭を下げた。
「フレデリック!?」
突然の行動に驚いたジェレミーが慌てたように名前を呼ぶと、フレデリックが頭を下げたまま突然謝罪の言葉を告げる。
「あの日…護り切れなくて悪かった…。そしてあの時助けてくれて…ありがとう」
本当ならばあの日、剣で貫かれた自分はそこで息絶えていてもおかしくなかった。ジェレミーが咄嗟に治癒魔法を掛けてくれなかったら、今自分はここにいない。
「当然のことをしただけだ。そう簡単に死なれちゃ困るんだよ」
苦笑しながら返した言葉にフレデリックが小さく笑う気配がした。そして顔を上げると力強い言葉で「今度は絶対に護り切ってみせる」と言い切った彼の背中をエドワードが軽く叩いた。
「頼りにしてる」
「俺も、少しは役に立てるようになったはずだから…全員で生き残ろうな」
その後、4人はベイカー家の護りを他の者に任せ、残り3個所の『場』に結界を施していく。
アンティークショップはエドワード。
ランガム・ホテルはウォルター。
セント・ジェームズ・ホールはフレデリック。
それぞれが担当する『場』に結界を張ると、それを強化するようにジェレミーが更に結界を施していく。
正直これでダメなら手の打ちようがない。
そう思いながら、4個所目の結界を張り終えた時だった。
「お疲れ様」
レオンの声に全員が一気に臨戦態勢に入る。だがそんな4人の様子を見たレオンが小さく肩を竦める。
「そんなに警戒しなくてもいいのに」
「何の用だ」
いつもより低いエドワードの声がレオンに向けられる。するとレオンの後ろからもう一人の人物が姿を現した。
「あぁ、紹介するよ。彼はセルジュと言ってね。僕の腹心といったところかな。僕と同じくらいの闇魔法の使い手でもある」
最後の一言に全員の緊張が高まる。
レオンだけでも相当強敵だというのに、それに匹敵した人物がもう一人…。
「それで?優秀な腹心とわざわざ挨拶に来たわけじゃないだろう?」
「そうだね。ジェレミーががやっと完璧に魔法を使えるようになったみたいだからさ…」
そこで言葉を区切ったレオンがセルジュに目くばせをする。
「それを利用しない手はないと思って」
これ以上ないほど極上の笑顔を見せたレオンがたった今張った結界に向けて右手を掲げる。それに気づいたジェレミーが咄嗟にレオンを結界の中に閉じ込める。
「へぇ、発動時間、早くなったね?でも無駄だよ」
レオンは張られた結界を全く意に介さず、そのまま魔法を放つ。するとジェレミーの張った結界に黒い霧が纏わりつき、次の瞬間には綺麗に消え失せたのだ。
それをみたエドワードは、以前アンティークショップの結界を一部分だけ綺麗に解除したのもレオンだったことを思い出す。
「流石にあのレベルの結界を壊すのは少し骨が折れるけどね、今ぐらいの結界じゃ僕を止める事なんてできないよ?」
一歩、ジェレミーに向けて足を踏み出したレオンをジェレミーが無言で睨みつける。
「セルジュ、あっちの結界は任せていい?」
「はい、お任せください」
答えると同時に結界に向かって走り出したセルジュを、エドワードの指示でフレデリックとウォルターが追っていった。
残されたレオンが楽しそうにエドワードとジェレミーを見つめる。
「今日、僕が世界を終わらせる」
どこか恍惚とした表情のレオンに二人が嫌悪感を露わにする。
「そんな事はさせない」
エドワードの言葉にジェレミーも迷いなく頷く。
「どうやって?だって、ほら」
レオンが指さした先で先ほど張ったばかりの結界が真っ黒に染まった。
「馬鹿なっ…!」
ジェレミーの声に重なるようにレオンの笑い声が響く。
「ねぇ、ジェレミー。いくら君の魔力が多かろうと、その魔力全てを1つの結界に注げるわけじゃない。それならば、僕たちが逆転する可能性もゼロではない。むしろ…簡単とも言える」
見る者がぞっとするような冷たい笑みを浮かべたレオンがもう一歩、ジェレミーに近づくと、二人の間にエドワードが割って入った。
「エドワード、無駄な抵抗はやめた方がいい。君たちにこれ以上の手がない事など分かっている。せめて世界と一緒に死ぬか、この僕の手で苦しまずに死ぬか選ばせてあげる」
「ふざけるな」
自分の背にジェレミーを庇いながら、エドワードは一歩も引かずにレオンと対峙している。そしてジェレミーはレオンの後ろからレオンをじっと見つめていた。
『最終的には…レオンを倒すしかない』
この力を使いこなすと決め、訓練を開始した自分にエドワードが言った言葉がよみがえる。
結界で『場』を護るだけではこの世界は護れない。
『場』を壊そうとする原因そのものを排除するしかないのだ。
そう…ジェレミーに求められたのは『人を殺す覚悟』だった。




