1.譲位(2)名前①
受付で病室を聞いて階段へと方向転換すると、後ろから「三国」と雲雀くんの声がした。振り向けば、桜井くんも一緒にいる。
「……おはよ。蛍さん達だよね?」
「ああ」
雲雀くんが頷いただけで、桜井くんは無言だった。いつも明るい桜井くんらしくない態度だったけれど、その態度は昨日連絡を受けたときから変わっていない。お陰で私達三人にしては珍しく、無言で病室へ向かうことになった。
蛍さん達が入院しているのは大部屋で、全員揃って同じ部屋にいるらしい。蛍さん達も仲間で固まっていたいのはそうだろうし、お見舞いに行く側にとっても、そして他の患者さん達にとっても、群青メンバーが同じ部屋に収容されているというのは都合がいい。
その大部屋のある階で、案内板で部屋番号を確認していたとき、ひとつの部屋の扉が開き……、ぬっと、大柄な人が出てきた。その人に次いで2、3人部屋を出てきたのを見て、最初に出てきた大柄な人が服部先輩だと気付いた。服部先輩達もすぐに私達に気が付く。
「……おはようございます」
私に続いて桜井くんと雲雀くんも挨拶をしたけれど、服部先輩達は無言だった。いつもどおり、鋭い目つきで私達を一瞥しただけで、すれ違いざまにも声すらかけてくれなかった。
「……服部先輩、なんか笑ってなかった?」
「え?」
先輩達が階段を降りた後、桜井くんが訝しげに眉を顰めた。
「笑っ……てたかな……全然気づかなかった」
「俺もなんも思わなかったけど」
「……んじゃ気のせいかな。なんか微妙に口がな、そんな気がしたんだけど」
首を傾げながら「まいいや、永人さん達のとこ行こ」と先導される。……もし服部先輩が笑っていたのだとしたら、それはまさしく今回の件に関与していますという告白にほかならない。
なにより、今回怪我をしたのは、いわゆる“蛍派”だけだ。
その疑念は、きっと蛍さん達も抱いているのだろう。桜井くんが病室の扉に手をかけた瞬間、ひゅっ、と妙な音が聞こえた気がした。
「帰れつってんだろ!」
そして扉が開くより先に、怒鳴り声と一緒にガシャンッと壁に何かが投げられた音が響き、私は思わず首を竦ませると同時に雲雀くんの服の裾を掴んでしまった。
「……永人さん、コップ割れてる」
「……なんだ桜井かよ」
きっと、服部先輩と勘違いしたのだろう。ただ、入って来たのが私達だと気付いても、蛍さんの声は苛立っていた。そしてそんな衝撃音と怒鳴り声がすれば看護師さんが飛んでくるのも当然で、でも蛍さん達が問題児だと認識しているのか、手早くガラスの破片を片付けると、口数少なく注意をしてすぐに出て行った。
そして、部屋の一番奥に寝ている蛍さんを前に、私達は一度閉口する。大木のように太く包帯を巻かれた足を投げ出し、辛うじて自由になる右腕を頭の後ろにやって、患者とは思えないほど横柄な態度で横になっている。初めて会ったときにアイドルみたいだと思ったきれいな顔は、見るだけで痛々しいほど腫れていた。
病室にいる他の先輩達も概ね似たような有様だったけれど、蛍さんが一番満身創痍だった。入って来たのが私達だと気付いても謝らなかった、それくらい苛立っていても仕方がないと納得できてしまうほどの怪我だ。
「……ツクミン先輩は?」
妙に静かだと思ったら、九十三先輩はどこにも寝ていない。でもベッドがひとつ空いていて、蛍さんが「いま売店」と投げやりに答えたのも聞けば、少なくとも蛍さんと違って歩ける程度の怪我だということは分かる。
「……まあ、三国らも座れよ。そこらへんの椅子使っていい」
蛍さんと同じく足を投げ出している常盤先輩が、顎で窓際を示す。パイプ椅子が1つ置かれ、2つ畳まれていた。それを見て、九十三先輩だけでなく能勢さんもいないことに気が付く。
空いているベッドはひとつだけ、そしてこの部屋に能勢さんがいない。ということは、能勢さんだけは軽傷……なんて考えながら座り込む私の隣で、雲雀くんが「で、なんですかこの惨状」とややぶっきらぼうに尋ねる。でも蛍さんは不機嫌そうに口を閉ざしているだけだし、蛍さんが何も喋らなければ他の先輩達も口を開かなかった。
「ただいまー」
そこに、九十三先輩の声がして扉が開く。後ろには能勢さんもいて、ピンとはりつめた糸のように背筋を伸ばしてしまったけれど、能勢さんの姿を見た瞬間に面食らってしまう。
九十三先輩は私服で、患者服を着ているのは能勢さんだった。そして、腕や足が折れている大怪我とはいわないものの、頭をはじめとして複数個所に包帯が巻かれている。顔にだって青黒い痣ができていた。
そして、九十三先輩は、顔にガーゼが貼られていたけれど、それと腕以外には特に怪我は見当たらなかった。どうやら蛍派の主要メンバーで唯一の軽傷は九十三先輩らしい。
これが能勢さんなら、能勢さんが仕組んだに違いないのに。
「あれ、三国ちゃんじゃん。お見舞い?」
「……そんな感じで。どうぞ」
椅子が3つしかないので、私達が座っていると九十三先輩が座れない。そのために立ち上がったけれど、九十三先輩は「あ、俺の膝の上に乗る?」と能勢さんのベッドに座り、いつもの軽口を叩きながら膝を叩く。いつもは蛍さんが殴るけれど、今日は誰も何もツッコミを入れなかった。
「……辛気臭いよなあ」その様子に辟易しているのか、九十三先輩は頬杖をつきながら「散々にやられたからって、むっつり黙り込んで何やってんだか。可愛い後輩が見舞いに来てんのにさ」
「元気なのは九十三先輩くらいですよ。精神も身体もね」
そういう能勢さんの声もいつものとおり飄々として聞こえたけれど、患者服でベッドに寝ているとあまり元気には見えなかった。
「……で、これ、何があったんすか」
「や、昨日電話したとおり。常盤だっけ、電話入れたの?」
「……ですね」
「……昨日私達が常盤先輩から聞いたのは、海に来るなってことだけですよ」
詳しいことは何も聞いていない、と暗に告げる。九十三先輩は肩を竦めて蛍さんに視線をやるけれど、蛍さんは無言だ。
「……相手が誰かは知らないけど襲われた。そんだけ」
代わりに口を開いたのは常盤先輩だった。桜井くんと雲雀くんはその短い説明に顔を見合わせる。
「昨日って海行ってただけじゃん? そんで先輩らがこんだけやられるって、そんなことある?」
「しかも蛍さんが一番酷い怪我っすよね。蛍さんを狙って袋叩きにしたとしか思えないんすけど」
……本当に、そのとおりだ。仮に幹部を狙うのが定石だとしたら、九十三先輩が比較的軽傷で済んでいるはずがない。九十三先輩は喧嘩に強いからそれで済んだ、という視点もなくはないけれど、蛍さんと常盤先輩だって決して弱くはない。それなのにここまで極端な差があるのは……。
「つか、黒烏の指定した日が明後日で、そんで蛍さん達が動けなくなってんのは、偶然にしちゃ出来すぎじゃないですか?」
……そして、明後日が約束の10月10日。雲雀くんの指摘したとおり、狙い澄ましたかのような襲撃だ。
蛍さんはやはり無言で、九十三先輩が「そーだよねえ。さすがに永人と常盤は動けないよね」と眉を八の字にした。
「俺はいいけど……芳喜は頭やってるから検査だろ。……ってなると服部が──」
「アイツ行かせる必要はないって話になってんだよ、黙ってろ」
最初に聞いた怒鳴り声と同じくらい荒々しい声だった。反射的に首を竦めたのは私だけだったけれど、九十三先輩も逆らう気はなさそうに肩を竦める。
私達が病室に入った時の対応、そしてこの態度……。さっきまで来ていた服部先輩達が、蛍さんにとって癪に障る何かを言ったに違いない。
……黒烏の件は、もともとは私が原因だ。蛍さんの苛立った態度が怖くないというのは嘘だけれど、蛍さんに怯えて黙り込んでいても話が進まない。
「……服部先輩たちと、さっき何を話してたんですか?」
地雷と分かりつつ意を決して踏みつければ、予想通り、蛍さんの双眸に鋭く睨みつけられた。
ただ、やっぱり蛍さんは、なんやかんや私には特別優しいのだろう。今までは罵声を浴びせる以外で口を開こうとしなかったのに、ややあって口を開いた。
「……No.1代理やってやるって来たんだよ」
「……代理?」
「この怪我で黒烏とやりあえるわけがねー、しかも腕に覚えのある主要メンツがどいつもこいつもやられてる。だから代わりに行って喧嘩してきてやる、ってな。アイツは無傷だから」
もともと、昨日の遊びに服部先輩とその一派は来ない予定だった。だから服部先輩が無傷なのはなんの不思議でもない。
ただ、蛍派だけが揃っているところを襲撃した、という意味では服部先輩の無傷が別の意味を持つ。しかもかつて蛍さんとNo.1を争っていて、今やその可能性が潰えていた、そして蛍さんにわざわざNo.1代理を申し出た……。
「服部先輩が蛍さん達を襲わせた?」
「そーんなハッキリ言っちゃだめだよ、三国ちゃん」
九十三先輩が溜息混じりに笑ったのを見て口を噤む。でも先輩達だってそのくらいの想像はしているはずだ。
だって、先輩達がここまで大怪我をさせられるなんておかしい。もし、ただ蛍さんを戦闘不能にしたかったのなら、下校中の蛍さんを襲えば済むはずだ。少人数でいるところを狙ったほうが成功率が高いのは自明なのだから。それなのに、蛍さんの誕生日にかこつけて蛍さん派が集まっているのを狙った。しかも主要メンバーが──程度の差はあれど──入院せざるを得ないほどの大怪我となれば、相当周到に準備していたに違いない。
明後日、黒烏の前に蛍さん派を出したくなかった。そう考えるのが妥当だ。
そんな私の思考を読み取った上で肩を持つように、雲雀くんも頷く。
「No.1代理を買って出るとか、自分がやりましたって言ってるようなもんじゃないですか。もともと仲悪いらしいですし」
「……仲悪いけどな、殴り合いの喧嘩はしたことねーよ」
「冷戦ってヤツでしょ、それ」
まるで服部先輩を庇うような蛍さんの意見に、雲雀くんのほうが呆れた態度だ。桜井くんが「服部先輩が笑ってるように見えた」と指摘したのもあわせて考えれば、きっと服部先輩は黒に違いない。
「……代理って、何か問題があるんですか?」
ただ、私の中で繋がらないことがあるとすれば、黒烏の前に蛍さん派が出ないことに何の意味があるのだろう、ということだ。
私以外にもその疑問を持つ人はいると思っていたのに、蛍さんは怪訝そうに眉を顰め、そんな質問が出てくる意味が分からないと言わんばかりの表情になった。
「問題があるのかってなんだ」
「……明後日、蛍さんはまだ病院から出られないですし、無理矢理出たとしてもその怪我じゃ喧嘩になりませんよね。そのくらい私でも分かります。だったら代理を立てる、それってごく自然で何もおかしくなくないですか? ……え?」
雲雀くんと桜井くんの視線が向いたので、私まで怪訝な顔をしてしまった。そんなに妙なことを言っただろうか。
「えっと……なにかおかしい……?」
「んー、英凜が言ってることは分かるんだけど……それってメンツのこと考えてなくない?」
メンツ? メンツって……メンバーのことか体面のことかどちらだ? それが分からないくらい、きょとんと目を丸くしてしまった。仮に体面のことを指しているとして、この状況、黒烏が先んじて卑怯な奇襲を、自分らの仕業と分からない方法で行ったと言っていい。それで10日の喧嘩に蛍さんが出られなくなったとして、それを嗤う権利は黒烏にはないはずだ。
そんな私の理屈を一蹴するように、蛍さんは大きく舌打ちした。
「決まった喧嘩の日に怪我で出られねーなんて、No.1のメンツ丸潰れだ。んで、服部がNo.1代理名乗って八百長で黒烏に勝ったらどうなる?」
……どうなるのだろう?
「……服部先輩、格好悪いなあと……」
「お前本当にお勉強できるけど時々とんでもねーバカだな」
遂に蛍さんの口から冷ややかな罵倒が出てきた。ショックを受けている私を慰めるように、九十三先輩は「いやー、そういうピュアさ、服部にもあればよかったのにね」と笑っている。でも雲雀くんは「そういう内実は問題じゃねーんだよ」と呆れ顔だ。
「服部先輩がNo.1代理名乗って黒烏潰せば、少なくとも群青以外の連中は服部先輩の名前を覚える、『群青No.1の服部』ってな。その肩書使って蛍さんが入院してる間に喧嘩勝ちまくって蛍さんが戻る座を乗っ取る、そういう魂胆なんだろ」
「……でもそんなことに納得する先輩いないんじゃ」
「永人さん派はそうだけど、服部先輩派はそうじゃないんじゃね? てか、喧嘩でやられて入院してるから前線に出れないトップなんて格好悪いって思う人も──いるかもって話で! 俺は思ってないけど!」
殺意が籠っているのではないかとさえ思えるほどの蛍さんの睥睨を一身に受け、桜井くんはぶんぶんと首を横に振りながら慌てて付け加えた。そうか……そういう考え方というか、感じ方もあるのか……。
「なんなら、服部がNo.1代理すんのを格好良いって思うヤツもいるかもね?」九十三先輩はおどけたように肩を竦めながら「このままじゃ群青は黒烏との対決に負ける。そのピンチを服部が颯爽と救ってくれたわけだ」
「というか、タイミングが良いんですよね」
今まで静観していた能勢さんが口を挟んだ。素早く顔を向けたけれど、能勢さんが私に特別な注意を払う様子はない。
「蛍さん、暫く入院で群青仕切れないでしょ。普通に考えれば俺か九十三先輩が仕切ればいいんですけど、時期が時期なんで、いっそ代替わりしては? と考えるヤツがいてもおかしくないんですよね」
蛍さんは……この怪我だと少なくとも2、3日で退院とはならないだろう。仮に退院できたとして完治には数週間かそれ以上かかるはず。それでもって進学組で、ただでさえ模試だの勉強だのを優先している。11月、12月になれば更に追い込みもかかるはずだ。だったらもういっそのこと次の世代に交代したほうがいい、そして服部先輩は本来3年生なので年功序列でいえば最も立場が上、もともとNo.1候補だったことも加味すれば次のNo.1に相応しい──。
服部先輩がNo.1になるための、あまりにもスムーズな流れ。つまり、タイミングが良すぎる。
ふん、と蛍さんは鼻を鳴らす。
「常盤、お前が怪我してなけりゃとっととお前に譲ったけどな」
「すんません……」
「謝れって言ってんじゃねーよ、狙ってやったんだとしたら死ねって話だ」
“狙ってやったのだとしたら”……なんて、蛍さんは存外甘い。ここまでされて、偶然の産物ですで片付けられるはずがない。
「……卑怯な方法で他人を陥れて、それで自分が崇められたとして、そんなプライドのないことをして、人生それでいいんでしょうか……」
「お、三国ちゃん言うねえ。服部の横でこっそりそれ囁いてやってよ」
「……まだ服部先輩が黒だと決まったわけではないですし」
そう、服部先輩に都合のいい展開だけれど、そもそも先輩達は大事なことを見落としている。
九十三先輩は、服部先輩のことを「脳筋」だと言った。そして、かつて能勢さんは服部先輩派で、脳筋の服部先輩に能勢さんという頭脳がくっついているのは厄介だったと。
こんなにも都合のいい展開を、その脳筋の服部先輩が思いつくのだろうか。私自身は服部先輩のことを知らないから、もしかしたら「脳筋」は九十三先輩達の勝手な思い込みなのかもしれない。
でも、もともと能勢さんが服部先輩派なのだ。仮に服部先輩に狡賢さがあるとして、それが能勢さんを凌げるだろうか、能勢さんが入れ知恵をしないと言えるだろうか。……能勢さんが服部先輩をNo.1にするために企んだと考えるほうが自然だ。
『俺の邪魔はしないでね。約束だよ』
……ただ、能勢さんにとって、服部先輩がNo.1になることに何の意味があるのだろう。しいて言うなら、蛍さんがNo.1でいる限り、私という邪魔者がずっと群青にいることになる。能勢さんの最終目的が何かは見当もつかないけれど、少なくとも、能勢さんの所業──群青を裏切るかのように新庄と繋がっていること──に気が付いている私が邪魔であることは確かで、目的達成の道すがら私を排除したいと考えるのは至極自然なことだ。
──それを、ここで指摘することはできない。黙って能勢さんを見つめるけれど、能勢さんは私に視線も寄越さなかった。
「てかさー、とりあえず今は10日どうするか、じゃん?」
わりと口数少なくいた桜井くんが、唐突に、いつものゆるーい声を投げた。ただ、蛍さんの機嫌は少し治ってきたらしく、視線を向けるだけで睨みはしない。
「なんか策があんのかよ、バカ犬に」
「ワンワン、ご主人様のぶんまで頑張るワン」
「あん?」
が、その軽口に対しては声のトーンが下がった。でも桜井くんは気に留めない。
「先輩ら主要メンツって動けないんじゃん? で、服部先輩派が出ていくと服部先輩がNo.1奪っちゃう。だったら俺と侑生が2人でやればいんじゃね?」
……2人、だけ? あまりに突飛な提案に目をぱちくりさせたのは私だけではなかった。
「お前と雲雀の2人? 2人で黒烏潰してくんの? なんのハンデだよ」
なんなら九十三先輩は笑い飛ばし、「つか俺は動けるから、行かない理由ないし」と付け加える。でも桜井くんは「そうじゃなくてー」とふるふる首を横に振る。
「“群青”って名前で喧嘩するから蛍さんが必要で、服部先輩が代理すると乗っ取られちゃうんじゃん。だったら俺と侑生だけで行って、俺と侑生が買った喧嘩だってことにしちゃえばいいんじゃないのって」
……確かに、それなら蛍さんが出ていかなくても怪我以外の理由──“桜井と雲雀が買った喧嘩だから桜井と雲雀しか行かない”──が立つ。しかも、黒烏の喧嘩の口実は雲雀くんが黒烏の2人組を殴ったこと。あの現場にいち早く駆けつけたのも桜井くんだったことを加味すれば、雲雀くんだけでなく桜井くんも喧嘩を買う理由があるのだから、説得力がある。
つまり、蛍さんがいないことを正当化できる。九十三先輩は途端に納得して「あー、なるほど?」と頷いたし、能勢さんも常盤先輩と顔を見合わせて「確かにね」と肯定した。雲雀くんだって反対しない。でもそれは……。
「……たった2人だと、危ないよ」
「黒烏ってそんな人数いませんよね?」雲雀くんは私を無視して「つかもともと大した連中じゃない。群青に喧嘩売ってくるのが不思議なくらいの格下」
「……ああそうだよ。だから偉そうにこっちに因縁つけて喧嘩売ってきやがってムカついてたんだ」
「で、蛍さん達主要メンツはろくに喧嘩できないことが確定してるってなると、まあ油断してんじゃないですかね。服部先輩派と八百長するならもともと手抜くつもりだったんでしょうし、そこ考えると戦争の覚悟ができてるとは思えない」
「八百長は未確定だけど、黒に近いしなー。八百長予定なかったとしても、永人さん達来れないなら恐れるに足らずってなってんのは間違いないし。いけるいける」
桜井くんと雲雀くんが2人で黒烏に乗り込む、その話が進みそうになって私が狼狽した。もともと群青総出の予定だったものをたった2人だけでなんて無茶に決まっている。黒烏が油断しているだの準備をろくにしていないだの、そんなことは可能性の話であって、それを当てにするのはさすがに楽観的過ぎる。
「……もし、黒烏が群青を潰すためだけに、戦力を削るって意味で昨日の奇襲を仕掛けていたんだとしたら? その場合は10日も全力で、手を抜くどころじゃ……」
「そうだとしても俺らならいける」
パイプ椅子の背に腕を引っ掛けて自信ありげに笑ったその態度に、心配が吹き飛んだどころか、不覚にもドキリとした。
「祭りのときも言ったじゃん、俺ら最強だよって」
さっきまでの心配は勘違いだったのかもしれないと思うほど、心臓は高揚で脈打った。
桜井くんの言葉にロジックはない。あるとすれば、「どの可能性を考慮しても俺らのほうが強いからオッケー」なんて大雑把で包括的な理屈だけだ。桜井くん達なら大丈夫なんて、その言葉それ自体には説得力はない。
それなのに、どうしてこんなに頼もしく感じるのだろう。
私が感じている高揚をよそに、桜井くんは「てか」と頭の後ろで腕を組んだ。
「もともと侑生が売られた喧嘩で、永人さん達が買ってくれるのがどっちかいうと優しさっていうか、そういうところあったし。俺らが買うのって別に何もおかしくないじゃん」
「俺っていうか三国が売られてるようなもんだけどな」
「……私は別に、喧嘩しないで済むならそれでいいからそんなの買わない」
「そういう話じゃねーよ」
「でも、桜井くんと雲雀くんが行くだけで、そんなに永人さんのメンツを守れるかな」
水を差したのは能勢さんだ。私達の視線を集めながら「だって君達、1年生だし」と肩を竦める。
「永人さん達が怪我したっていうのは、黒烏も当然把握しているところだろうし。どんな理由をつけても言い訳っぽくなるのは否定できないんじゃない?」
桜井くんと雲雀くんが2人で乗り込むことはなくなる、その意味で、能勢さんの意見は私にとってはありがたいものだった。
でも、じゃあ、蛍さんの座が乗っ取られるのを指を咥えて見ておくのでいいのかと言われればそうではない。そして現状、私にできることはない──。
「言い訳っぽくなっちゃうのは仕方なくないですか? だって永人さんが怪我してんのは事実だし、黒烏はどうせ知ってるし、永人さんが五体満足で出てこない限り色々言われるのは仕方ない」
こういう時の桜井くんは、別人かと思うほど冷静でまともな意見を出す。そこに意外性を感じるのは私だけではなくて、蛍さんも目を見張る。
「じゃ、そうやって色々言われるっていう傷を最小限にする方法を考えればいいじゃんって思うんですよ。何やったって永人さんは言われるんだから、一番いい言い訳ができそうなことをやる。んで、一番いい言い訳は『俺と侑生に売られた喧嘩だから俺達が買います』。なんなら俺達、永人さんに何も言わないで勝手に黒烏潰してきちゃいましたってことになってもいいし。あ、てかそれが一番いいのかも?」
『それって正常なんじゃん。なにがだめなの?』
……夏休み、雲雀くんの家で桜井くんが不思議そうに目を丸くしていたときのことを思い出してしまった。
桜井くんはいつもそうだ。いつだって、そうやって論理を組み立てることができる。できるくせに、いつだって私の論理を蹴っ飛ばす。
そういうところが、桜井くんの好きなところなのかもしれない。
「桜井にしては珍しくまともなこと言うな。お前普段バカぶってんのか?」
「勉強会のときにも言われた、それ」
「昴夜がバカじゃないと途端に可愛げなくなるよなー。最近でかくなったし」
「ツクミン先輩より小さいからいいじゃん!」
「九十三よりでかくなったら軽く巨人だろ」
その後もギャンギャンと桜井くんと先輩達は喋っていたけれど、結局、黒烏の件は桜井くんと雲雀くんに任せるということで話はまとまってしまった。能勢さんも途中から反対することはしなかった。能勢さんは服部先輩を使って群青を乗っ取りたいわけではなかったのか、それとも桜井くんの策程度なら結果は変わらないと見ているのか、どちらとも分からなかった。




